疑わしきは罰せず、ってやつ
天知さんは適当なカフェに入った。入りやすい店構えで、店内も明るく人もそれなりにいて、僕とは違う人種が入り浸るような場所だった。こんなところへの経験はそう多くない。しかも天知さんと、仁と。異質なメンバーだ。緊張する。
「わたしはいつもので」
天知さんはそのわかめ男に声をかけた。
「私も」
「……いや、逢坂のは知らないんだけど」
しゃべった。……いや、そりゃあしゃべるだろうけど。人間なんだから。
「コーヒーでいいよ。ブラックの。ホットで」
頷くと、今度は僕らへ顔が向いた。首を傾げる。
「ついでに頼むけど、何にする」
注文を取ってくれるらしい。気が利く。でも僕はこういう店のメニューを網羅してるほど経験があるわけでもないので、カフェなら無難な選択しかできない。
「じゃ、じゃあ、僕もコーヒー。……ホットで」
「俺はダークモカチップフラペチーノで。パウダー多めのチョコレートソースつけて、あと」
僕は諦めた。英語のリスニングのほうが遥かにマシだ。でもわかめ男は一言一句聞き逃さず、覚えたようで、仁が言い終わるとたしかに頷いた。
「なんだよ」
「いや。容赦ないなって思って」
「あぁ?」
たぶん、彼らの仲間内ではこれがふつうなんだろう。初対面の人相手にするべきじゃないとわかっていない。
わかめ男がそれぞれの注文を持って来てくれて、それぞれの前に置いた。
「い、いくらでした?」
「いえ。呼び出したのはこちらなので、けっこうです」
言い分はわかったけど、なんで天知さんが言うんだろう。まるで天知さんが払ったみたいだけど……彼は同級生兼執事とかなのだろうか。
「さて」
天知さんは一口、口をつけた。色味を見るに、ミルクティーだろうか。
「お呼びしたのはほかでもありません。一年八組ではどうやら、いじめが発生しているようですね」
その話か……いやしかし、なぜ。
となりで、仁が顔をしかめた。よくわからない飲み物が口に合わなかったとか、わかめ男が注文を間違えたとか、そんなことではないだろう。
「被害者は、萬好さん。あなただと聞いています。事実ですか?」
ど、どうするべきか……。教師から事情を訊かれるのは想定していたけど、同級生に、しかも天知さんが絡んでくるなんてまったく考えていなかった。どうして天知さんがこんな真似を……。
「う、うん。まあ、そうなんだよね」
答えないままでいればけっきょくは認めたようなものなので、僕は素直に認めることにした。否定しても、担任への告発があったわけだし、人の口には戸は立てられないのだから、いつか、すでに、漏れるだろう。
「で、でも、どうして? 天知さんがそんな、警察みたいなことを……」
「実はわたしはとある部活動に属していまして。名を相談部というんですけれど」
「そ、相談部……」
どんな部活動だ。仰々しいネーミングだけど。
「そこにまあ、相談が持ち込まれまして。相談者の素性は伏せますけど、クラスでのいじめ問題をどうにかできないか、と言われまして。どうにかと言われても、わたしたちは相談を受けるだけで依頼を受けているわけでもないのですが……まあ、すこし、このいじめは特殊だったようなので」
「特殊?」
なにか引っかかりを覚えたのは、仁だったようだ。
天知さんは仁へ向き直る。
「羽生仁さん。あなたが、萬好さんをいじめた加害者で、絶賛謹慎中。で、合っていますか」
仁はいま、僕へのいじめの罪を問われ、結果として謹慎処分に遭っている。謹慎だから制服は着てなくて、ニット帽にジャンパーという私服姿だ。自宅謹慎という処分だから本来は自宅から出てはいけない。なのに、仁は、校門で僕を待ち伏せしていた。
「ちげぇ」
厳しい面持ちをしていた仁から出てきた言葉は、それだった。
「俺はやってねぇ。いじめてなんかねえ!」
「ですが学校には、動かぬ証拠があったようですね。羽生さんも見せられたでしょう。あなた方が、萬好くんに複数で暴行を加えたところを」
「……っ」
仁は何か言い分があるようで、歯がみしている。
「それはっ……」
「萬好くんが、自分にも非がある、大事にはしたくない、反省しているのならいい、という申し出があったからこそ、羽生さんたちは謹慎という甘い処分で済んでいるのですよ?」
どうして天知さんがそこまで知っているのか。
たしかに、僕はあの動画を隠し撮りして、歴とした証拠として、学校に提出した。クラスにいじめがあるという匿名での投稿が布石となって、学校はその明らかな証拠を前に動かざるを得なかった。彼らが動かなくてもまあほかにもいくらでも報告する場所はあったんだけど、結果的に、僕は担任から事情を訊かれた。
いま天知さんが言ったようなことを、担任やら生徒指導やら学年主任やらなぜか養護教員も混ざった大勢の前で言えば、彼らは安堵していた。学校としても、いじめがあったという問題は明るみにしたくなかったのだろう。その利害が一致して、仁たちは謹慎処分で済んだ。
「あ。萬好さん。羽生さんからの謝罪はありましたか?」
「……いや、まだ」
ちらと見上げると、仁は屈辱的なのだろう。目に怒りが灯っていた。
いまの僕は、たぶんどれだけ多くから殺意を向けられても、どんな感情を向けられても、屈しないし動じない。でも、天知さんは、怖かった。得も知れぬ恐怖を、天知さんには感じた。
「では羽生さん。謝りましょう。せっかくの機会です。この場できちんと謝罪をして、そして感謝もしておきましょう。それで水に流すんです」
そうすればこの一件は終わり。天知さんが受けた相談とやらも解決になる、ということなのだろう。
これだけナイーブな話を、よくも明るい笑みで滔々と話せるものだ。天知さんの印象が、悪いほうへガラリと変わってしまった。
僕は、どうするんだろうという目を仁に向けた。いまは仁のターンで、仁の行動がなくては進まない。けど、仁は僕に視線を向けられてるのが心底、頭にきたらしい。催促された、とでも解釈したのか。
「ふざけんな!」
がしゃん、と、食器の音が鳴る。テーブルを拳で叩いた仁は椅子から立ち上がった。周りの客の視線が、僕らに集まる。僕も椅子から、不格好ながら立ち上がっていた。胸ぐらを掴まれて、強制的に立たされていた。
「俺はやってねぇんだよ! 最初から意味わかんねぇ因縁吹っ掛けてきたのはお前だろ萬好、なあ!」
唾が顔に飛ぶ。いいのだろうか。ここには守ってくれる学校もいないというのに。謹慎処分では済まさないぞ。
「落ち着け」
わかめ男が立ち上がったかと思えば、仁の手首を掴んだ。すると、見る見る内に仁の表情が変わっていく。怒りから違和感、驚き、そして、苦痛に顔を歪めた。
「ほかの客の迷惑だ」
仁の握力が消えていく。僕は椅子に、尻から落ちた。
「く、あっ……」
仁の手が離れると、わかめ男も手を離す。このわかめ男は、あの仁ですら耐えきれない握力を有しているとでもいうのか。そうでなくては、天知さんの執事は務まらないということなのか。わかめ男とは、口が裂けても言わないようにしておこう。
「すみません」
わかめ男は周りの客、それから店員に頭を下げた。
「ありがとうございます」
そう天知さんは礼を言う。メイドさんのほうはこういうことは専門外なのか、震えた手でカップを持ってコーヒーに口をつけると、
「……っつ」
ホットなのを忘れて、舌を痛めていた。
「……はぁ」
なんだか、それで勢いが削がれた気分になってしまった。僕は襟を正し、ネクタイを緩める。
「ですが羽生さん、萬好さんに暴行を働いたのは事実なんですよね? まさか、動画をねつ造された、なんて言わないでしょう。あの動画が撮られたあと、保健室で養護教員の大野先生が萬好くんの手当てをしています」
養護教員の先生は大野先生というらしい。覚えておこう。
「それは……そうだ。それは、やった。でも、それは、こいつが俺たちがいじめたとか嘘ついたからで。本当に、ほかは、やってないんだ」
「だからって殴っていいわけじゃないでしょ……」
メイドさんが、理解できないといった風に漏らしている。これは男女の違いだろうか。いいや、違うだろうな。僕でもそんなことはしない。仁たちが、それだけ短絡的で、単純だったってことになる。
「では、誰がいじめたことになるのでしょう」
指を組んだ天知さんは、まさか仁の言い分を、僕を袋だたきにした人の言い分を、まともに取り合うというのか。僕とメイドさん、それから仁本人も、驚きを隠せなかった。
「え、天知さんまさか……彼の言うことを信じるって言うの……?」
「いえ。信じる信じないではありません。考慮するかどうか、という話です。羽生さんがいじめていない、という発言を真とすることはありませんが、真かもしれないと扱うことは、日本の法律上でも理に適っています」
僕は口を開いた。
「疑わしきは罰せず、ってやつ」
「ええ」
「でも、証拠はある。学校に提出した。その証拠も信用度が高かった。だから、学校は罰した」
「そうですね」
天知さんはミルクティーに口をつける。
「ですが、それはあの暴行に限った話です。それ以前のいじめ、……体操着のジャージが使い物にならなくなって、真冬に半袖短パンで体育をするはめになった。財布がなくなって、中庭の池に浮かんでいて、中のお金はすべて抜かれていた。トイレにいたら上から水を流し込まれて、保健室で着替えることになった。それらを羽生さんの犯行だと決定づけるわけではありません」
詭弁だ。加害者の言い逃れでしかない。
「天知さんは知らないかもしれないけど、トイレから出てくるところの動画が撮ってある。僕はそれも一緒に提出した」
「ほう?」
天知さんが知らないのも無理はない。暴行が主たる証拠として扱われて、こっちは追加証拠扱いだったのだから。
僕はスマホを操って動画を再生した。




