じゃあ、僕は汚れてないのか
養護教員がそれ以上、何かを教えてくれることはなかった。弁を尽くしてどうにかなるような様子ではなく、意味深な言葉が僕の悩みの種だった。
養護教員は、交換条件だと言わんばかりに、僕の傷のことも尋ねてきた。正直に、転んだのではなく殴られたのだと白状した。でも、あれこれ御託を並べて、口外しないように約束してもらった。
これ以上、父に心労を患わせたくない、心の保健室は秘密を守るんですよね? などなど、誰にも言わないでほしいことを伝えれば、養護教員は頷いてくれた。
考え事をしながら帰路を歩んでいると、どこかへ行っていた紫月がまたどこかから現れた。
「紫月は、汚れているんだ」
そこまで驚きは露わにならなかった。予想でもしていたのか、保健室から姿を消したけど実は隠れて聞いていたのか。
「そっか。先生、言っちゃったか」
紫月の様子は、どちらかというと驚いてみせたといった風だった。
「うん、そうなの。あたし、汚れてるの。取り返しがつかないぐらいに」
「……」
「だから芳樹とは、結婚もできない」
笑っていた。紫月は、笑っていた。それは僕が一番、紫月の笑顔の中で嫌いな笑い方だ。悲しいくせに笑っている。腹が立つ笑い方だ。
「だから、死んだのか」
「だから、事故だったんだって。事故。交通事故。あたしには、相応しい終わりだったの」
僕は拳を握った。
「僕は、紫月のこと、何も知らなかった」
へらっと紫月は笑った。それも嫌いな笑い方だ。
「そうだね。あたし芳樹になにも……」
「でもそれは紫月もだ」
爪が皮膚に食い込む。筋が切れそうだ。僕はこんなにも握力が強かったのか。
「僕がそれぐらいのことで、紫月を見る目が変わったと思うか? 僕が紫月を受け入れないと思ったのか? 紫月に汚いって言うと思ったのか? じゃあ、僕は汚れてないのか。僕は綺麗だって言うのか。綺麗なら、一緒に汚れるぐらい、それぐらい、できるぞ」
紫月はまた、笑おうとした。笑おうとして、そんなことできなくて、空を見上げた。その口から、息が漏れる。
「無理だよ」
「なんで」
「あたしはそういう星に生まれて、芳樹はそういう星に生まれてない」
「意味がわからない」
「わからなくていいよ」
僕は、ため息をついた。
翌日、放課後。僕は待ち伏せされていた。
まあ、待ち伏せは人気者の宿命みたいなものだ。彼らが僕を好きすぎて、好かれる僕が悪い。やめろとは言えない。でも、いくら人気者であることがどうしようもない客観的事実だとしても、自意識過剰になるのはよくない。天狗になると日々は転落の一途を辿る。
あえて道を逸らすのは調子に乗っていることになるので、堂々と校門をくぐった。案の定、僕の追っかけだったらしい。校門をくぐったところで、肩を組まれる。今回は、片側は空いていた。
「今日はちょっと寄るところがあるんだ。明日にしてくれると嬉しいんだけど。仁」
「てめぇが気安く俺の名前を呼ぶんじゃねぇ」
「たしかに」
クラスでは仁、仁、という呼び名が飛び交っているし、紫月からも仁と聞かれていたから、つい僕も仁と呼んでしまっているけど、僕らが言葉を交わしたのは実は、紫月が死んだあとのあの殴りかかれた日が初めてだった。
バスケ部らしい厳つい顔つき、クラスカースト上位はよく騒ぐ頭が悪そうな見た目、というと偏見になるだろうか。でも仁は僕の偏見を加速させる典型的なタイプだった。僕よりも身長は高いし、筋肉質で組んできた腕も硬いのがよくわかる。
「で、なに? 明日にしてくれないなら、さっさと済ませてくれると嬉しいんだけど。カツアゲなら、お金だけ持って行ってよ。ポイントカードとか、再発行面倒くさいんだから」
「なにやら聞き捨てならない言葉を耳にした気がしますよ。愛花ちゃん」
「ちょっ……!」
それは明らかに僕らへ向けた言葉で、いよいよ、本当に僕は人気者になったのではないか、と、勘違いしそうになってしまった。なにせ、声をかけてきたのは本物の有名人、織田高校に一歩でも入ったなら誰でも知ることになる、あの天知しろあだったのだから。
肩で切り揃えられた白髪に、雲ひとつない澄んだ青空のような瞳をした天知しろあ。常に取り巻きが多いような彼女は、今回ばかりは黒髪ロングに赤い瞳をした逢坂? という人物ひとりだけと一緒に、校門脇に佇んでいた。
しばし、僕らは僕らに話し掛けられているのだ、ということを理解するのに、時間を要した。
「カツアゲは立派な犯罪。恐喝、あるいは強盗になりますよ」
僕だって仁に見下ろされたら、蛇に睨まれたカエルのようになるしかないというのに、天知さんは威風堂々としていた。
まあ、さすがの仁も、天知さんに下手なことはしないだろう。仁は紫月の葬式に来なかった僕が嫌いなだけで、べつにいじめっ子だとか横暴な大将だとか、そんなことはないのだ。たぶん。
「いまのは物の例えだよ。天知さん」
仁も、僕に話を合わせるように続けた。
「そう。こいつの財布がこの間、盗まれたから」
その話はわざわざ、持ち出さなくてもいいんだけど。
「そうですか。なら、よかったです」
非を詫びるように、天知さんはお辞儀をした。しっかりしてるなあ、というのが僕の感想。見ず知らずの僕のために、首を突っ込んでくれたのだから。
誤解が解けたならそれで終わり、と僕らは立ち去ろうとした。が、頭を上げた天知さんは、まだあるようで、
「では、萬好芳樹さん。すこしお時間、よろしいでしょうか」
僕が呼び止められた。この僕が。名前を知られていることにも驚いたけど、天知さんが僕に何の用だろうと、すこし怖かった。
仁にも言ったように、僕はこのあと予定がある。行く場所がある。それは嘘じゃない。でも、天知さんの誘いは断りにくい。何様だ、と言われそうだ。こんな校門前だとなおさらに。
「すこしだけ、なら」
「はい。お手間は取らせません」
ここは人目が多いからだろうか。天知さんの背中を追いかける。そのとなりには黒髪の女の子。天知さんよりも身長はあって、スタイルがいい。モデルみたいな女子だ。天知さんの、同級生兼メイドとかだろうか。
「……うわ」
つい声が出てしまった。仁も、声には出していないけど、顔には出ている。
いつの間に現れたのか、どこにいたのか、仁とほとんど変わらない背丈の男子が、ぬっと顔を出した。しかも髪は、目どころか鼻まで覆っている。不気味だ。警戒心を抱いた。
彼は慣れた感じで、天知さんのとなりに並んで立った。天知さんはそれを当たり前としている。何なら、男はカバンをふたつ肩にかけている。天知さんは持っていないので、荷物持ちをさせているのだろう。それぐらいの親しさ、信頼関係があるということか。
「そういえば、僕、聞いたことがある」
「なにが」
「天知さんに彼氏がいるって話」
「……この学校に、か?」
「うん」
「それが、あいつって言いたいのか」
「あり得ないよね」
「あり得ないだろ」
「だよね」
「だろ」
どう考えても釣り合っていない。影が薄くて印象がなくて、不気味と感じるような存在感の彼が、天知さんと付き合うとは……。それこそ、地味で陰キャな僕とクラスの華の紫月が付き合っているようなもの。……いやいや、それだとあり得ることになってしまうではないか。
「と、とにかく、行こうか」
「ああ」




