本当に、そうだよ
保健室には適当な理由をつけて、ベッドを借りた。鼻血自体はすぐに止まったし、頭がクラクラするなんてことはないけど、教室に僕が戻っても誰も喜ばないし、考えたいこともあった。
スマホで紫月の事故の記事を遡る。もう記事の文はそのまま書き写せるだろう。キャスターの読み上げも暗記してしまった。
僕がやっているのは、新情報がないか、ということだ。
紫月の事故が起こったのは先々週の日曜日だ。その翌週、つまり先週の金曜日には体育祭があって、その翌日、二日前に葬式が執り行われた。
紫月の事故は最近の事故ということになる。なら、新たな記事、新たなニュース、速報が入っていることだって否めない。何度も読んだサイトは無視して読んでいないサイトを探す。次のページ、次のページと進んでも、けっきょくは紫月とは関係ないサイトが出てきて終わり。
「はぁ」
スマホを投げ、頭の後ろで手を組む。天井を見上げて思案に耽っていると、
「萬好くん、先生ちょっと職員室に戻らないとだから。保健室空けるけど、なにかあったらすぐに呼んでね」
そう保健室の先生は言った。扉の閉まる音。僕ひとりだけ。正確には、紫月がいるのでふたりきり。
「……」
実はあれは事故じゃなかったとして、紫月を殺した犯人がいるとして、それはなんでだろう。なんで犯人は、紫月を殺そうと思ったんだろう。動機はなんだろう。
「日曜日って、紫月は何してたんだ?」
「友達と遊んでたよ」
「その友達って」
「うーん……」
困ったような笑みだ。言いたくないというより、言いにくそうにしている。
「仁たちか」
「うん」
「はぁ」
またあいつらか……。
「でも、でもでも、ふつうに遊んでただけだからね? 友達だからね?」
「何慌ててんの」
逆にやましいことがあるように思えてしまうじゃないか。
「べつに、紫月が誰と遊んでようが僕には関係ないよ。友達がいない僕に配慮して、紫月も誰とも遊ぶな、なんて言うはずがない」
「じゃあ、何も気にしてない?」
「それとこれとはべつ。まあ、仁と、じゃなくて、仁たちと、だったからいいよ」
「? 何が違うの?」
「さすがにふたりきりは、きつい」
紫月は笑った。いつものように、からかうように、目をキュッとして。恥ずかしくなかったのに、その笑顔に当てられて急に頬が熱くなってきた。
「事故があったのは昼過ぎだ。ってことは、集合場所に向かってる途中だったってことか」
「ふんふん、そうだねそうだね」
「一番怪しいのは、やっぱり仁ってことになる」
「え。なんで。私情?」
「うるさい」
でも、否定はできない。私情が欠片もないとは言えない。そう思いたいのかもしれない。嫉妬しているのか。
「何度もアピールしているのに紫月が自分にまったくなびかない。自分の物にならないならいっそ殺してしまえ」
「うわ、誰だっけそれ。ホトトギス」
「信長」
「仁は信長だったんだ……」
また話が逸れる。僕は無理にでも話を戻した。
「とはいかなくても。ちょっとした言い争いの弾みで、つい……とか」
「それはドラマ的な展開だね」
「じゃあ、違うのか」
違うとも違わないとも言わなかった。
その振る舞いが僕はちょっとだけ、気に触った。
「紫月のその態度は何なんだ?」
「えぇ!? なんで急にあたしに矛先向いた?」
「だって、紫月が一番知ってるだろ? 自分を殺したやつなんだから」
「それは……そうだけど」
「それとも何だ。僕に人殺しはさせたくない的なあれか」
「いやべつにそんなこともないけど」
「ないのか」
「なんでちょっと不満そうなの。どっちにしてほしいの」
そう言われるとわからない。
「止まらないけど、止めてほしい」
「止まらないんだから、止めないよ」
正論だ。言い返す余地もない。
僕は軽く体勢を変えた。
「じゃあたとえば、殺した人を庇ってるとかか」
僕は紫月ほど人と関わっているわけではない。友達もいないし。だからその表情から嘘や本当を見抜くような観察眼も持ち合わせていない。たぶん、紫月は表情のコントロールも得意だろうし。
「僕は尋問官には到底なれないな」
もう一度、体勢を変える。
「あの日、何があったかを仁たちに訊けるはずもないし」
「訊いたらまた殴られるよ」
「殴られるのは嫌だ」
「あたしのためでも?」
もしも紫月が何かに悩んでいたとしても、もう僕はそれを知る手立てがない。紫月と仲が良くて、秘密をも打ち明けるような親友がいたとしても、僕にそれを教えてくれるはずがない。
「おーい?」
なんでお前がそんなことしてるの?
そもそもお前誰?
紫月とどんな関係?
それで終わりだ。
「はぁ。そろそろ、戻るか」
「え。あたしのために殴られてくれないの?」
授業中に戻るほどの勇気はなかなか持ち合わせていないもので、僕は一時間目が終わってからクラスに戻った。それでも僕への陰口、敵視するような視線、薄ら笑いは止まることを知らなかった。
「あ、あの……萬好くん。大丈夫?」
そんな中、声をかけてくる人がいた。なんてバカなのだろう。こういうのを勇気ではなく蛮勇というのだ。
となり……というか、僕のほとんど真横で、紫月もびっくりと目を丸くしている。
「あ、ああ……うん。ありがとう。平気」
「そ、そっか……よかった」
慣れないことをするから、慣れない笑みを浮かべている。僕から話を続ける意志がないのを感じ取ってか、それだけで席に戻っていった。
「いい子だね。さすがは学級委員長」
「学級委員長だからいい子だっていうのは、偏見だと思う。そのせいで僕は、学級委員に立候補できなかった」
「奇遇だね。あたしも、だから学級委員にはならなかったの」
僕はともかく、紫月はいい子だろう。いい子という定義が曖昧だけど。
「まあ、人の迷惑とか考えられていないところを見るに、佐々原さんもそうそういい子って感じではないけど」
「心配してもらったのに?」
「彼女まで僕と同じ、つまりこのクラスの敵認定されたら、僕のせいってことになって、僕の気分がよくない」
「……だから芳樹ってモテないんだと思う」
「褒め言葉と受け取っておく」
紫月は捻くれるなあ……と、首を傾げていた。
この教室で過ごすのは三時間だけでもう吐き気がする。残りは五時間目、六時間目と残っているのだ。
四時間目が終わって昼休み、息抜きに教室を出た。それでも僕に居場所があるわけではない。
同じ高校で亡くなった人がいる、だなんてうわさになるだろう。紫月が死んでからもう一週間は経っているのだ。それに付随して、クラス全員での葬式に参加しなかった僕の悪評もうわさされているに違いない。紫月の人気が高かっただけに、比例して僕の悪評も名高くなっていく。
織田高校には学食があるのだけど、そこにもクラスメイトはいるだろうし、そのクラスメイトがクラスの違う友人、部活仲間と一緒にいれば、僕を一目見て陰口を叩く。
何か部活動にでも所属していればまた話は違ったのかもしれないけど、そこまで精力的な活動はしていないので、残された場所は残念なことに、トイレぐらいしかなかった。
「……男子トイレにまでついてくるのか」
個室に入って、便座を上げないまま座る。横には壁から顔だけ出した紫月がいた。
「こうなってるんだね、男子トイレって。死んだ特権? 芳樹も死んだら女子トイレ覗きたい?」
「いつ人が来るかもわからないんだ。それに、なぜトイレが個室になっているか知ってるか?」
紫月は小首を傾げた。
「排泄は人に見せないためだ。汚いし恥ずかしいからな」
「そのトイレでよくお昼食べる気になれるね。臭くないの」
「意外と臭くないぞ」
後ろには芳香剤が置かれている。
「それに、トイレも新しい。綺麗だ。ああ、これぞ個室。心安まる」
足音が聞こえてきた。会話の声も。
僕は声を潜めて、紫月を追い払うようにする。
「個室でひとりでしゃべってたらおかしいだろ。外にいてくれ」
「はいはーい」
僕は弁当箱を開けた。しかし、気分が滅入った。トイレが臭いとか汚いとか、便所飯が惨めだとか、そんなことではない。居場所がないから逃げてここに来たのに、トイレにまで追いかけられるからだ。
「ってかマジであいつなんなん?」
名前はよく知らないけど、仁と一緒にいる男だ。
「よく知らないから葬式に来ない? あいつ、柏木さんに何度も話し掛けてもらってただろ」
仁と一緒にいる男その2だ。
「あいつ以外の隅っこにいるやつらだって、ちゃんと葬式来たっつうのにな」
その1とその2が愚痴っている。僕に対してだ。
柏木というのは紫月の名字。紫月はクラスのアイドルなのだから、僕や僕らのような友達がいない教室の隅っこにいるいわゆる陰キャにも話し掛けてくれたのだ。でも、だからといって紫月のことを知っているかって言われると、そんなことはない。
「だから仁が殴ったとき、正直スカッとしたわ」
「ん? ……ああ」
「まあ、さすがにボコボコにしたら仁が悪くなっちまうから止めたけどよ」
「死ぬなら柏木さんじゃなくてあいつが死ねばよかったのにな」
「ちげえねぇ」
ハハハ! と笑って、彼らは出て行った。静かになったトイレで、僕は弁当に箸をつける。
「本当に、そうだよ」
なんで紫月は死んだんだろう。僕が死ねばよかったのに。




