他人にしか思えない
「おい。おい千代」
「千代ちゃ~ん」
うるさい。
「お~い。おいっ。おいおいおい」
「千代ちゃ~ん!」
「うぅんるさい!」
声を振り払うようにする。私の側には、おばさん幽霊と青年幽霊が……いや、お母さんとお兄ちゃんがいた。
「あ、……寝てたんだ」
外が明るい。どこかで何かの鳥が鳴いてる。私はリビングのテーブルに突っ伏して、いつの間にか寝ていたらしい。
「おはよう、……お母さん。お兄ちゃん」
慣れない。そのぎこちなさは感じ取れたのか、ぷっとお兄ちゃんは笑った。
「いや、お前にお兄ちゃんって呼ばれたことねぇよ」
「えっ、そうなの?」
私はすこし考えた。
「……兄さん?」
「ははっ」
笑われた。
「兄ちゃん、お兄さん」
「どれもはずれ。ずっと名前呼びだよお前」
「え、ええ……そうなんだ? よ、良雄?」
「ずっとは違うわよ」
と、母が口を挟んでくる。
「小学生ぐらいまではちゃんとお兄ちゃんって呼んでたわよ?」
「あー……たしかに、そう言われればそうだったかも……?」
「いや私に聞かないでよ」
私が一番、あやふやなんだから。
「なんで急に呼び名変えたんだ?」
「それは千代ちゃんにしかわからないわよ」
「……だから私に聞かないでって」
ていうか、
「なんでふつうに入ってきてるの。昨日、出てったでしょ」
あれは幻覚でも何でもない。床には白い結晶が散乱している。
「なんでアジシオが効くと思ったんだよ」
「だって塩が効果的ってネットで」
「それはそうだけど。アジシオは違うだろう」
「違うのか」
「ああ、だってほら」
白い結晶がある床を、兄は何度か踏みしめる。浄化はされてない。
「幽霊に足、あるんだね」
「いまさら!?」
なんとなく、ツッコめなかったのだ。いまなら彼らは家族なので、そういった暗黙の了解らしいものも踏み込める。
「あと千代ちゃん、遅刻よ」
「早く言ってよ!」
私は大慌てで、朝食も抜きで家を出た。
「あぁ……」
なんだか朝からドッと疲れた気がした。
机に腕をだらんとさせると、途端に空腹を感じた。購買はまだやってないし、自販機の中身もまだ準備されていない。一時間目はこのまま乗り切るしかないか。腹の虫よ頼むから静まってくれ。
「あの、千種さん?」
そう祈っていると、声をかけられた。それは幽霊ではなく、生身の、クラスメイトのものだった。
「な、なに?」
クラスメイトとまともに話すのは珍しい。ちょっと緊張する。
「呼んでるよ」
指さされたほう、教室の入り口に目を向ける。そこにはひとりの男子がいた。特徴はなく印象もなく影も薄い。しかしそれこそが個性。誰が見間違おう。マリモくんだった。
マリモくんは私が顔を上げると手をあげた。本当に私に用があるらしい。天知さんやあいちゃんの態度から察するに、マリモくんは私の事情は知っているのだろう。昨日の今日で気になったのか。にしても朝っぱらから来なくてもいいのでは。変な目で見られてしまう。
「どうしたの?」
「大丈夫かな、って思って」
「大丈夫? 何が?」
「しろあから昨日のこと、聞いたので。逢坂も、連絡がないって言ってて。だから、教室を」
「あ、そうだ。連絡。……忘れてた」
スマホを取り出す。充電はなぜか赤い。
「げ。……そうだった」
「どうしました?」
「昨日、事故のこと調べてて、寝落ちしちゃって、だから……スマホ、充電してなくて。まあ、あいちゃんに連絡ぐらいはできるけど……」
「なら」
マリモくんはカバンからモバイルバッテリーを持ち出した。
「使ってください」
「え。でも、いいの?」
「こういうときのためなので」
なら、ありがたく借りるとしよう。
「気が利くね」
「マリモのくせに?」
「……それは忘れて」
口元が緩んでいる。目が見えないので表情はよくわからないけど、たぶん冗談として茶化してくれているのだろう。
「それと、寝落ちしちゃったなら、これ」
さらにカバンから出てきたのは四角のケース。
「これは……?」
蓋がすこし開くと、視覚に効果抜群。中に入っているのはなんと、サンドイッチではないか!
ちょうど空腹に襲われていたのもあって、どういうことだ、とマリモを見上げる。彼は苦笑した。
「こういうときでも、ちゃんと食べないとですから」
「マリモのくせにやるね」
「ありがとうございます。あとで感想、教えてください」
「うん。ありがとう。ありがたく頂戴する」
「はい」
気が利く。いい男だ。あの相談部の中では一番、親近感を覚えていたかもしれないけど、はたして私にはできるだろうか。部活の活動でちょっとした経緯で関わっただけの先輩を気にしてサンドイッチを作るだなんて。
マリモを見送って、席に戻る。一時間目まではあと五分とすこし。サンドイッチなら、ひとつぐらい食べられる。食べやすさとお手軽さを考えているのだろうか。なんだかちょっと怖いぐらいだ。
「ねえねえ千種さん。いまのって彼氏?」
となりの席で駄弁っていた女子が、仲間内でうわさでもしていたのだろうか。にやにやと勘ぐるように話し掛けてきた。もちろん彼女ともそのグループともいっさい、関わりはない。
「部活で、ちょっとね」
「でも、千種さんって部活入ってないでしょ?」
無難に答えたのに。というかどうして知ってる。
「お母さんも、あの子は優しくていいと思うわ」
「いーや! ぜったいダメだ! サンドイッチなんか作って。男のくせに。ああいうやつほど、裏がヤバいんだ」
「あんたらは黙っててよ!」
つい言い返してしまった。私が急に空中に向かって叫ぶものだから、クラスメイトも目を丸くしている。
「あ、いや、そのちがっ……」
このあんたらはべつにあなたたちに向けて言ったのではなくて…………はぁ。面倒くさい。サンドイッチを食べよう。
「うまっ」
放課後になって、私はまたまた相談部を訪れる。
「こんにちは」
「こんにちは~」
和やかに、昨日はちょっと言葉を強くしてしまったのに受け入れてくれる天知さんとあいちゃん。
「よかったです、先輩。元気そうで」
そう言うとあいちゃんは心底ホッとしたように胸を撫で下ろした。
「メッセージ、送ったでしょ。私は大丈夫だって」
「でも、メッセージだけだと心配で……」
「だよね。うん、ありがとう。心配してくれて。私は、平気」
そして、マリモにも。
「サンドイッチ、美味しかった。ありがとう」
「口に合ったならよかったです」
横のふたり、部長と副部長からの鋭い眼差しが、マリモに刺さる。
「サンドイッチ?」
快晴のような澄んだ瞳に、一筋の暗雲が立ちこめる。
「昨日、千種先輩は自分が記憶喪失だって知ったんだろ? さらに家族がみんな亡くなってるって。そんな状態じゃあ、動揺してて食事まで気が回らないだろ。空腹だと思考も回らないし気分も落ちて、それがまた食欲を欠いて……悪循環だ」
「そういうことを言ってるんじゃあない!」
マリモの気遣いは私の解釈通り。クラスメイトが勘違いしたような彼氏彼女みたいな恋愛じみた結果ではない。しかし天知さんは気に食わないようで、拳をテーブルに叩きつけた。
「私も、そういうことを言ってるんじゃあないと思う」
あいちゃんまでもが、天知さんに加勢してジトッとねめつけている。
「じゃあなんだ」
「わたしはサンドイッチ食べてなぁい!」
「でも弁当は食っただろ」
「料理は愛情です。ほかの女に愛情を食わせたってことだ! ……浮気!?」
「すごい。見事に飛躍してるな」
「マリモにはわからないかもしれないけどねえ! 三段論法って言うんだよ! ……逢坂さんも何か言ってやって! このふしだらなマリモに!」
「私は弁当も食べたことないんだけど」
「明日、作る。代わりにこちらにつかないか」
「よし」
マリモはあいちゃんを上手く懐柔した。結果、マリモをねめつけていたジト目は下がり、天知さんをねめつけることになる。
「……はっ! 寝返ったか小早川秀秋!?」
なんて茶番が繰り広げられていて、相談部の仲の良さがうかがえる。私は完全に蚊帳の外。
ふと、気になった単語を口に出した。
「浮気? ふたりって付き合ってるの?」
この問いは反語の意を含んでいて、まさかそんなわけ、と返答があるのを期待していた。たしかにマリモは気が利くみたいだけど、それだけで天知さんに釣り合うかと言われると怪しい。こればっかりは、天知さんが悪い。誰が天知さんと釣り合いを取れるのだろう。
「付き合ってはいません」
「だよね」
と、安心するのも束の間。天知さんはマリモの腕を取った。抱きつくように、自分の腕を絡めた。
「未来を誓っているのです。付き合うなどの次元ではないのですよ」
しばらく理解するのに間があって、理解してからも間があって、私はあいちゃんにどうなってるの? と説明を請う。
「マジですよ。同棲してますし」
「同衾もしてますね」
このマリモが天知さんと……? いやでも、天知さんが惚れているのだ。ぞっこんなのだ。魅力があるのだろう。私が知らないような。サンドイッチのような魅力が、ほかにいくらかあるのだろう。
「お幸せにね」
天知さんは満面の笑みで、深々と頷いた。
「それで、これからはどうするんですか」
そう訊いてきたのはマリモ。
「どうするって、だってまだ、成仏してないよ?」
いまもここに、母と兄がいる。私の相談は、彼らを成仏することだ。そのための足がかりとして、死んだ原因を特定した。これで始まりなのだ。
「成仏して、いいんですか」
変なことを訊いてくる。私は首を傾げた。
「そこにいる人たちは、千種先輩の家族ですよ。成仏したら、もう、会えない」
……ああ、そういうことか。ようやく納得した。
「私、まだ記憶ないんだよ。だからこの人たちが家族って言われても、……うーん。ちょっと、わからないんだよね。他人にしか思えない、っていうか……」
母も兄も顔を曇らせた。私の言葉選びは下手だったかもしれない。でも、それが正直な気持ちではある。
「それに、幽霊が見える、会話ができるだなんて、ふつうじゃないし。私の家族も未練とか心残りとかがあるから、こうなってるんでしょ? なら、解消してあげたい。安らかに眠る? ってやつ。成仏できるなら、成仏させてあげたい」
彼らは良い人だし、居心地の良さはある。私にとっても大事な家族だったと思う。でも、だからって、ここに縛り付けておけない。それが私の、素直で正直な想いだ。
「……わかりました。千種先輩がそう言うなら、尊重します」
「ありがとう」
それならそれで、切り替える。このしんみりした空気は面倒くさい。
「で、一度、事故現場に行ってみたいと思うんだよね。ひとりで行くのは厳しいからさ。できればついてきてほしいなあ……とか思ったりしてるんだけど、どうかな?」
三人はそれぞれ、顔を見合わせた。発言を各々、譲り合ってるとも押し付けるとも見えた。やがて、天知さんが億劫そうに口を開く。
「事故現場って、高速道路じゃないですか」
「でももう一年以上過ぎてるし規制とかは……」
「ではなくて。高速道路は徒歩で入れませんよ?」
「だ、だよね……」
がっくりと項垂れる。
「まさかこの中に運転ができる人がいるはずもないし……」
微妙な沈黙が訪れる。天知さんはなぜかマリモを見つめていた。
「あ」
「えっ」
「ん?」
「まあ、バイクなら」




