うん、約束
「なっ……!」
机を叩く。思わず立ち上がってしまった。目の前の男はギョッとしている。その瞳に映った私の形相は、凄まじいものだった。
でも、それも仕方ないだろう。だって、そうなると、おかしいのだから。
「ありがとうございます」
天知さんは冷静だった。私の豹変に、男は動揺したままだった。
「え、もう……終わりました?」
「はい、訊きたかったことは、それだけです」
「はあ……」
応接室をあとにする。私はあいちゃんに支えてもらいながら、部屋を出る。スリッパの返却や挨拶も天知さんがやってくれた。
靴を履いて職員玄関から出る。冬の冷たさが、私を冷静にしてくれた。白い息を大きく吐いて、あいちゃんにお礼を言う。
「ありがとう。もう、大丈夫だから」
校門をくぐって、中学校の敷地からも出る。しばらく歩いて、中学生の姿も見えなくなった頃に、
「大丈夫ですか」
あいちゃんにそう問われた。たぶん、いろんな意味での大丈夫か、だ。
ふり返る。私に取り憑いている、私についてくる、幽霊。おじさんは弱ったな、と頭を撫でて、おばさんは眉を八の字にして首を傾げ、青年は視線を明後日のほうへ飛ばしている。
「知ってたの」
「はい」
なにが、なにを。主語のない問いかけだったけど、天知さんは明瞭に頷いた。
「千種さんに取り憑いた幽霊。しかも四人。四人の幽霊に取り憑かれるのは並大抵の事情ではない。千種さんに、彼ら幽霊は取り憑く何かしらの理由があったんだろうと思いました。ですので、わたしは、こう検索をかけたんです」
マフラーから這い出てきた小さな唇が、音を紡ぐ。
「千種千代、と」
その音は、名前は、よく知っているものだ。慣れ親しんできたものだ。私が生きてきた名前だ。
「出てきたの」
「ええ。出てきました。まさに」
天知さんはカバンから、一枚の新聞記事を取り出した。私はそれに目を通す。
高速道路で三台の玉突き事故。見出しにはそう書かれてあった。
千種佳代(44)千種久男(46)千種良雄(21)。死亡者の名前と顔が載っていた。ここにいる幽霊の顔と、同じだった。
「どうですか。同じですか」
「……うん。同じ。ここにいる幽霊と」
あいちゃんが沈痛な表情をしてくれた。でも私にはわからない。
「どうして私はわからなかったの?」
自分の家族だというのに。
「続きを読んでください」
続きにも目を通した。天知さんはその記事を声に出す。
「千種千代16歳が意識不明の重傷。千種さんは事故の生き残り、だったのですが……」
白い息がひとつ、増える。
「目が覚めたとき、どうやら、記憶がなかったようですね」
記憶が、なかった……
それは、つまり……
「記憶喪失……ってこと?」
「そのようです。自分の名前も、自分がどうして病院にいるかも、わからなかったようです。事故のことも、それ以前のことも、綺麗さっぱり忘れていた」
「……」
じゃあ……じゃあ、あの中学で声をかけてきた人も、私の中学時代の担任とか、よくしてくれた先生だったってことなの……かな……
「あのマーチングの写真は、千種さん、あなたですよ」
「……」
「お父さんが撮ってくださった」
「わ、わかった!」
大声を出してしまった。でも、許してほしい。いまは、いっぱいいっぱいだから。
だって、急に自分は記憶喪失だったって言われて、家族は死んでいるとか言われて、どうすればいいというのだ。
……私は空を見上げた。空が白い。息も白い。
「ごめん。ここまででいい? ちょっと……ひとりになりたい、から」
「でも」
そう反対してきたのはあいちゃんだった。私は、
「お願い」
そう再度頼む。変なことでも考えていると思って心配してくれたんだろうけど、べつに違う。ちょっと、整理する時間がほしかったのだ。
「大丈夫。だって、私には幽霊が取り憑いているし。変なことはできない。……お願い。整理したいの」
「じゃあ、ちゃんと連絡してください。話は聞きますから。ちゃんと、考え、聞かせてください。お願いします」
その目を見たら、断れそうにはない。なんであいちゃんのほうが泣きそうになっているんだろう。
「私がお願いしてるのに」
「私のお願いを聞いてくれたら、千種先輩のお願いも聞きます」
「……うん。わかった。ありがとう」
「約束ですから」
「うん、約束」




