高一
カタカタとキーボードを叩く音がする。
「ではまず、覚えていることから始めてみましょう」
取り調べみたいだな、と思った。マリモとあいちゃんはまだしも、こんな美少女が取調官ではいろいろ問題が出そうではあるけど。
「死んだ原因は覚えていないということですけど、では、何なら覚えていますか」
日を改め、放課後に相談部を訪れた私は、先日と同じく天知さんと向き合う形になっていた。長机の上にはノートパソコンが準備され、マリモがおそらくこのやり取りのメモをしている。
「気付いたら幽霊になってた。それだけだ。覚えているのは、その後から。つまり、千代に取り憑いてからのことしか覚えてない。生きてた頃の記憶? はマジでないな……」
青年は懸命に記憶を辿るようにしている。これは私も聞いたことだ。そして何も覚えていないという返答に、愕然としたものだ。幽霊とは、そういう性質のものらしい。
ガリガリくんを頬張って青年の言葉にふむふむと頷いていると、視線が頬に刺さっていた。
「千種さん?」
「あ、そうだった」
私には聞こえているけど、天知さんにもあいちゃんにもマリモにも、彼ら幽霊の言葉は聞こえないのだ。
「気付いたら幽霊になってて、記憶は私に取り憑いてからしかないんだって。生前の記憶はない」
「ふぅむ。それだと困りますねえ……」
腕を組んで天知さんは難しそうな顔をする。
「日本だけでも毎日毎日、死亡者はいますから。事件や事故、病死等で死んでいる。せめてそれぐらいは絞れないと。わたしたちの探そうとしているものは雨夜の月なのですから」
「幽霊は四人いるんですよね? みんなそうなんですか?」
幽霊の言葉を伝える必要はあっても、あいちゃんの言葉を幽霊に伝える必要はない。どうなんだ、と私は彼らの顔色をうかがった。しかしどれも渋い反応。
おじさん幽霊は、
「さっぱりだ……」
と頭に手をやって、
おばさん幽霊は、
「そうねえ……」
と頬に手をやって。
男の子は物欲しそうな目をしている。
「はいはい」
ガリガリくんを頬張った。
「みんな、ダメみたい」
「そうですか……」
あいちゃんの視線もガリガリくんだったので、私は保冷バッグの中からガリガリくんを取り出す。
「食べる?」
「いえ、そうじゃなくて……寒くないんですか?」
「寒いよ」
「ですよね? この季節にアイスは見てるだけで……」
ぶるりとあいちゃんは自分の身体を抱いた。
「温かいの飲みますけど、先輩は?」
「欲しい」
あいちゃんは給茶機に紙コップをセットしてお茶を入れてくれる。湯気が立っている。
「どうぞ」
「あいちゃんってモテるでしょ」
「なんですか急に」
「絶対モテるよね」
気が利くし、かわいい。いまだって、飲み物も私を優先してくれている。
口の中に温かい緑茶を入れてから、冷たいガリガリくんを頬張る。舌がおかしくなりそうだ。
「せっかく温かいの用意したのに、まだ食べるんですか」
「まあ、開けちゃったしね」
「夏にラーメン食べるタイプですか?」
「夏はラーメン食べないの?」
「いえぜんぜん食べますけど」
夏だからってラーメンを食べないことはない。あついあつい言いながら食べるだろう。
「でも冬にアイスはちょっと……せめてこたつとか、お風呂上がりならわかりますけど……」
しかも保冷バッグに予備を準備しているのだ。変な先輩に見えるだろうか。私も他人がこんなことをしてたら変だと思う。
「私ってね、墓石なの」
「……はい?」
「お供え物とかあるじゃない? 幽霊は物を味わったりできないけど、そういうお供え物は味わうことができるらしいの。で、ここの四人の幽霊に関しては、私に取り憑いてるから私が味わった物を味わえるらしいの。だからこれはお供え物で、私は墓石なんだって」
「は、はあ……」
「意味分かんないよね。大丈夫、私もだから」
この理屈を語った彼らも、事実そうだったからそう解釈しているだけで、実際のところどういう原理なのかは理解していない。幽霊に理屈や原理があるのか、という話でもあるけど。
「このガリガリくんは、男の子がせびってくるから食べてあげてるの。おじさんに関してはもっとひどいよ。お酒を飲ませようとするから」
「ろくでもないですね」
「だって。言われてるよ」
「あ、いやっ、ちがっ……すみません」
あいちゃんは見えないからつい本音を言ってしまうのだろう。そして謝ることはない。未成年にお酒を飲ませようだなんて、本当にろくでもないのだから。
「あとそこに幽霊はいないから」
あいちゃんは明後日の方向へ頭を下げている。
「え、え、……じゃあ」
また角度を変えてペコリ。
「それは青年幽霊のほうだ」
「そのかわいさに免じて許してやろう」
「許してくれるって」
「あ、ありがとうございます……?」
「気持ち悪いこと言ってたからお礼言うことないよ」
気持ち悪いこと……? と首を傾げている。
すると、こほんと咳払いがひとつ。
「いいですか?」
「は、はい。どうぞ。すみません」
真剣にあれこれ思考に耽っていた天知しろあを他所に、私はアイスを頬張って駄弁っていたのだ。なんて失礼な。佇まいを直す。
タイピングの音はずっと止まらなかったので、この無駄な会話もマリモは記録していたのだろうか。
「幽霊に記憶がないというのなら、仕方ありません。生きている人から辿っていくしかないですね」
至極当然だ。あいちゃんも頷く。
「まあ、そうよね。でも、その当事者、彼ら幽霊が生きていた頃のことを知っている人を探すのも、簡単じゃないんじゃない?」
それこそ彼らにしか知り得ない。事故なら目撃者、あるいは警察や病院だけど、それを探すにはどういう事故だったのか、彼らに訊くしかない。事件や病気でもそう。
「いえいえ。生きている人というのは、あなたですよ。千種さん」
「わ、私……?」
「ええ」
いきなり水を向けられた。私が彼らのことを知っていたら、もっとことは早かっただろうけど、知らないからこうなっているのだ。
「でも、私はこの人たちのこと、知らないんだよ? 幽霊になってからのことしか」
「ですから、そこですよ」
「そこ?」
「千種さんはいつから幽霊が見えるんですか?」
その質問は、初めてされたことだ。
「物心ついた頃から? 物心がつくのは一般的に三歳四歳、仮にその頃から見えているのであれば、その幽霊の方々はすくなくとも十三年以上も前に死んでいることになります」
「彼らの死亡時期が絞れるってことね」
「はい」
私幽霊が見えるんだよ! なんて言ったことがないのだから、いつから幽霊が見えるの? だなんて、訊かれたことがあるはずもない。結果、私はいつから幽霊が見えるのか、はっきりとは覚えていない。でも、そんな小さな頃から見えているわけじゃない、というのはわかる。これがふつうでないことは、わかっているのだ。
小学生の頃、見えていなかった。中学生の頃、見えていなかった。高二のいま、私は見えている。たぶん、そうだ。高一のときだ。私が見え始めたのは。
「高一、だから……去年、だと思う」
なぜか、昔のことを思い出そうとすると、ぴりっと頭が痛む。
「ふむ。ずいぶん最近ですね」
「ごめんね。範囲が広くて」
「いえいえ。まだまだ方法はありますよ」
私自身の記憶から彼らを特定しようだなんて、私にはなかった発想だ。それもまだ方法があるという。どういうわけかはわからないけど、天知さんが頼れる存在であることは確からしい。
「千種さんは料理を教えてもらってると言いましたね。その手際はどうでした?」
「どう、って言われても……卵は空気を入れろ、とか。火を点けたら換気扇を回せ、とか。忙しかったけど」
「卵。卵はどうやって調理したんですか」
「目玉焼き……あとは卵かけご飯」
割れなくて握り潰した苦い記憶が蘇る。恥ずかしい思い出だ。
「卵かけご飯が家庭で食べられるようになったのは昭和の頃ですね。そして換気扇が常識的になったのは2000年代。そのおばさん幽霊とやらはそれをふつうとして扱っていたのですから、亡くなったのもごく直近だと思われます」
「おお……?」
凄いのか? 昭和やら2000年代やら、スケールが大きい。これでも絞れた範囲が広い。というか、天知さんは、
「え、なに? もしかして昭和や明治の時代の幽霊だとか考えてたの?」
あいちゃんが代弁してくれた。
私の思いつきもしない特定方法を編み出した天知さんは、彼らを古い時代を生きた人たちであることも考慮していたらしい。
「ないこともないからね」
「……そう。さすがね。抜かりない」
あんまり褒めている口調ではなかった。
天知さんはこちらに向き直った。
「あとは時事問題を問いかけるのがよろしいんじゃないでしょうか。彼らが生きてた頃、世界はどうだったか。いまとどう違うか。彼らの常識とわたしたちの常識に差異があれば、その変化を知らずに亡くなってしまった、ということになります」
「でも日頃、テレビ見てるよ?」
天知さんにとっては決定打となる最終結論で、私のその一言は、そんな天知さんの理論武装を打ち破る奇跡のような一撃だったらしい。
あいちゃんが天知さんの顔の前で手の平を上下させる。ぱち、ぱち、とゆっくり瞬きが繰り返される。口元は笑みを保ったまま、硬く引き結んでいた。
「夜に、ドラマを……見たいっていうから…………まずかった?」
すると、天知さんは再起動を果たした。
「ど、ドラマ! ドラマですよね? そう、ドラマです。ドラマなら、大丈夫。ニュースではない。ドラマは流行りになり得ますけど、時事問題が学べるわけではない。ええ、そうです。よかった」
よかった。うん、本当によかった。
「まあ、実際は時事問題だなんて言っても、世界の情勢や日本の施策について問う必要はありません。彼らにこの街を見てもらえばいいんです」
「この街を?」
「ええ。この街も日々、変わっています。となりの市立図書館だって、できたのはちょうど十三年ほど前ぐらいです。彼らにとってそれは新鮮なものだったのでしょうか。日常だったのでしょうか」
私は青年幽霊を見上げた。
「青年の幽霊は、手慣れてた。たぶん、何回も来てるんだと思う。日常だった」
「では、やはり、彼らはここが地元で、市立図書館に通えるぐらいの近くに住んでいて、浸透するまで生きていたということになりますね」
「なるほど……」
かなり、絞れた。
最初私は、この日本すべてが捜索対象だったのだが、私が住んでいる県の私が生きている街の住民だった、ということまで一気に絞られてしまった。さすがとしか言いようがない。天知さんは頭が回る。
「じゃあ、この街での死亡事件、事故とかを調べればいいの?」
「と、言いたいところですが……残念ながら、そう簡単にいかないでしょう」
「え?」
「すべての事故や事件が取り上げられるとは限りません。話題性、スクープがあればそちらに人手は回ります。もしも、彼らの死亡が日常的な死であれば、埋もれてしまうでしょう。病死こそ、取り上げられにくいです」
「……そっか」
言っていることはわかるし、メディアも公の利益のために動いているのだから大きな動きがあればそちらを知らせようと動くのは理解できる。でも、彼らの死が日常的でふつうなもので当たり前だと言われているような気がして、ちょっと引っかかりが残る。
「それに、彼らが地元の人であっても、出掛け先で悲劇に遭ってしまえば、俺たちはないものを探そうとしていることになってしまう」
キーボードから手は離さず、マリモは言う。それも正論だった。安易に捜索範囲を絞るのもいいことではない。
「けっきょく、八方塞がりってこと?」
苦々しく、あいちゃんも言う。空気も重くなり、タイピングの音が無情に響くばかりとなる。
「地道にやるしかないってことさ」
おもむろに、マリモが口を開いた。
「いま一番蓋然性が高いのは、この街で死んで新聞に取り上げられたってこと。そこに載ってないことがわかれば、出掛け先で死んでしまったってことになる。八方塞がりではない」
なかなかどうして、マリモは前向きだ。
「取り上げられてないって可能性もあるけどね」
天知さんが痛いところを突く。してやったりな天知さんに、マリモはムッとするだけで留めた。
「地元新聞やメディアがまとめたそれらしい事例を見つけたから、コピーしてくる」
どうやらノートパソコンでやっていたこととは、このやり取りの記録でもなく、記事の捜索だったらしい。
マリモはノートパソコンを持って部室を出て行った。
「優秀な部員だね」
「いえいえ、それほどでも」
なぜ天知さんがそこまで胸を張っている。謙遜している。部長だからか?




