私、幽霊が見えるんです
一日学校を欠席しただけなのに、授業はもう私の知らないことばかりだった。だけど私には青年幽霊がいる。彼は私よりもすこし年上に見える。いつ死んだのかわからないし、そもそも高校が同じとも限らないので、まったく同じ授業過程を進んでいるとは考えにくい。それでも、丸っきり違うわけもない。彼の助言によって、遅れはほとんど遅れにもならなかった。
「あなたたちがいれば、東大も行けそう」
「余裕過ぎるだろ。全部教えてやるよ答え」
その答えがどこからやってくるのかは、聞かなくてもわかることだ。
授業を終えて放課後、私は特別棟に来ていた。部活もやっていない私が、移動教室や特別授業以外で特別棟に足を運んでいるのは珍しいことだった。しかも、三階の角部屋、地歴準備室なんて奥地に来るなんて。
私の側には、幽霊四人が勢揃い。おじさんおばさん青年少年。家ならうるさいけど、場所が場所で事情も事情なので、黙っている。私が頷くと、彼らも頷きを返してくれた。
扉をノックする。
「はい」
女の子の声がした。扉を開く。
「どうぞ」
入るよう促してくれるのはまたべつの女の子で、こっちはかなりの有名人。名前を天知しろあという。
「し、失礼します」
相手は一年生、年下、後輩。それでも圧倒されるものがある。私よりも遥かに聡明そうで、経験を積んでいそうで、年齢なんて所詮年齢、と思わせられる彼女、天知しろあは、この織田高校にすこしでも関わりがあるなら、生徒でなくても教師でなくても、顔と名前は知っている。
さらりと音を奏でるような白髪に、澄んだ青空のような汚れなき瞳。ミルクのような肌をしていて、同性でも目を奪われる柔らかい笑み。丁寧な所作と佇まいは住む世界が違うと言わしめるものだ。
この美少女の名前が、おじさん幽霊の口から出てきたのはかなり驚いたしちょっと気持ち悪いけど、変なことではない。おじさん幽霊も私に取り憑いてこの高校には来ているし、その過程で天知しろあの存在も見聞きしたのだろう。
「あいちゃん、お茶を入れてあげて」
「……はいはい」
あいちゃん、と呼ばれた女の子は、その呼び名に複雑そうな面をしたが、大人しく背後の給茶機に回る。彼女は最初に、扉をノックしたときに返事してくれた女の子だ。彼女も容姿は秀でている。
ロングの黒髪には光沢があり、手入れの余念のなさが現れていて、その赤い瞳は何にも動じず揺るがない芯の強さがある。ちょっとつり目がちなので圧があり、天知しろあと比べると怖いようなイメージを抱いてしまうが、それは美人にはよくあることだろう。印象はしっかり者といった感じだった。
もしも天知しろあがとなりにいなければ、私は彼女にすっかり目を奪われていたと思う。天知しろあは一年生のみならず全学年の女子の中でトップに躍り出ているが、もしも彼女がいなければ、あいちゃんという子も、一年生の中では上位争いをしていたに違いない。
ちょっと、惜しい。
「どうぞ。緑茶です」
「あ、どうも」
「あ、あいちゃん。わたしにもちょうだい。ウーロン茶で」
どうやら、パワーバランスは天知しろあのほうが上らしい。
「はい喜んで」
あいちゃんはにこやかに頷いた。
「じゃあ、逢坂。俺も頼む」
思わず緑茶を噴き出すところだった。なんと、もうひとりいた。しかも男ではないか。
「自分でやれ」
どうやら、パワーバランスは天知しろあ、逢坂あいちゃん、それから男子の順らしい。三人とも、一年生だ。
男子のほうは、このふたりの女子と一緒にいるのは場違い感が拭えなかった。美容にも気を遣って手入れもしっかりしてオシャレにも学があって礼儀作法も備えているであろう天知しろあと逢坂あいちゃん。しかし男子は、髪もセットせず切りもしないで、目どころか鼻まで覆っているではないか。
「マリモ……」
「はい?」
「あ、なんでも」
危ない、つい口に出てしまった。でも、嘘じゃない。マリモ、という印象だ。そう遠くない内に、彼は天然記念物に認定されるのだろう。
住む世界の違うお嬢様、一学年に一人はいるであろう鋭さのある美人、マリモ。この、相談部の部員に対するそれぞれの印象は、そんな感じだった。
とはいえ、マリモマリモと思いながらも、私は彼に一番親近感を覚えていた。
天知しろあとは住む世界が違うし、逢坂あいちゃんのような美人ではない。私はふつうの女子高生なので、どちらかというとマリモに近い。私の印象、イメージは、周りから見るとどんな風なのだろう。
……ズボラ。面倒くさがり屋。出不精。
うん、自分で言っていてみっともない。やめよう。
「はい、ろあちゃんどうぞウーロン茶ですよ」
「わあありがとういかちゃん」
「ふふふいいんだよろあちゃん」
ふたりとも笑って和やかそうなやり取りなのに、どうしてだろう。怖い。目が笑っていない。いかちゃんって何だ。あいちゃんじゃなかったのか。ろあちゃん……は、まあ、しろあだからなのだろうけど。
「ほらマリモ」
「……」
どうやら、私の呟きは聞こえていたらしい。あいちゃんはマリモに紙コップを渡した。自分でやれと言ったのに入れてあげてるのは、優しさだろうか。
「それで、本日はどうされました?」
……そうだった。つい私は、自分の目的を忘れるところだった。
一度、緑茶を喉に通す。おじさん幽霊を見上げる。彼はウィンクした。勇気とかやる気とか、その辺が一気に削がれたような気がしたけど、同時に緊張も解れた。
「私、幽霊が見えるんです」
三人の反応に身構える。三者三様の反応だった。
「……!」
純粋に、え! とびっくりしている風なあいちゃん。私のこれが虚言だとか妄想だとか疑うような素振りはなく、信じてくれているようだ。純粋なのかもしれない。
「へえ」
そのあいちゃんに視線を振られた天知しろあは、すこし口許を緩ませ、興味深いという顔をした。こちらも疑っている様子はないし、変なものを見るような目はしていなかったけど、探られるような目つきはいい気はしなかった。
「……」
それからマリモ。彼は動じていなかった。動じていなかったというか、まあ、表情があってもマリモなのでわからないんだけど。驚くことも構えることも、興味をそそられることもないようで、ただ紙コップを傾けるだけだった。
「それで、ご用件は?」
天知しろあに促される。どことなく拍子抜けしてしまって、私は尋ねた。
「信じて、くれるんですか……?」
「まあ、世の中幽霊ぐらいはいますからね。大事なのは信じる信じないではなく、千種さんが何のためにここにいらっしゃったか、です」
それではまるで、私の霊感が勘違いでも思い込みでもどうでもいいと言っているような感じがするんだけど……でも、それよりも。
「あれ、私、名乗ったっけ?」
「千草千代。二年六組。それぐらいは知ってます」
「へ、へえ……そうなんだ」
声が震えてしまった。やっぱり、住む世界が違う。ちょっと、怖い。なんで知ってるんだ。
「それで、相談部に来たということは相談しに来た、ということでよろしいんですか」
「あ、はい。ちょっと、相談があって……」
私は急かされていることを理解して、本題に入ることにした。
「先日、ひとりの幽霊を、まあ、成仏? させたんです」
「おめでとうございます」
おめでとうございます……?
「いやっ、べつに私の力じゃないと言いますか、成り行きと言いますか、私に取り憑いている幽霊たちに強制させられたと言いますか……」
「と、取り憑いている……?」
あいちゃんが心配そうに、どこか不安げに視線を振っている。私にはもう慣れっこだけど、幽霊に取り憑いていると聞いたら、たしかにそういう反応が正常かもしれない。
「べつに悪い幽霊じゃないの。というか、実際は幽霊もそんなに怖い存在じゃないっていうか、ふつうに生きてる人とそう変わりないんだよね。触れないぐらいで」
「は、はへえ~? そう、なん、です……ね?」
最後のね? は天知しろあに向けられていた。
「生きてる人だって恐ろしいほどバカなほど呆れるほどの善人がいるでしょう。その人が死んで幽霊になっても、呪いや恨みを呟くとは思えません」
天知しろあはマリモを睨みながら言っていた。さながら恨み辛みのようだが、マリモがその善人だと言いたいのだろうか。そうは見えない。
「強い思いや心残りが幽霊として残ってしまうのなら、その思いはなにも憎しみだけとは限らない。愛情による幽霊もいてもいいと思う」
私の脳裏には穂乃花ちゃんが過ぎった。穂乃花ちゃんはママにもう一度会いたいという強い思いが幽霊となる原因だった。あれは恨み辛みの類いではなく、たしかに愛情に近しいものだったと思える。
マリモもなかなかいいことを言うじゃないか。
「それで、思ったんです。私に取り憑いている幽霊にも、そういう、幽霊になる理由、心残りがあるんじゃないか、って。もしそうなら、その心残りは解消してあげたいなあ……って、思ったんです」
「なるほど。いい行いだと思います」
「あ、ありがとうございます」
って、違う。
なんか、上から目線だ。たぶん天知しろあのほうが上なんだろうけど、ちょっと消化しきれないモヤモヤがある。面倒くさいな、私。
「それで、なぜわたしたちのところに? 残念ながら、幽霊は見えませんよ?」
私もなんでここを案内させられたのかは、よくわからない。
ちらとおじさん幽霊を見上げる。
「どうやら、ここにいるみんな、自分がどうして死んだのかわからないらしいんです」
「覚えてない、な」
青年からの訂正を受け、私も訂正する。
「覚えてないらしいんです」
「誰だって生まれた瞬間、取り上げられた手は覚えてないだろ」
「誰だって生まれた瞬間、取り上げられた手は覚えてないだろ……とのことです」
「胎内記憶とかあるでしょう」
天知しろあが反論すると、
「ふむ。その通りだな。これはやられた」
おじさん幽霊は自分の額を叩いた。
「でも胎内記憶は大抵、薄れてゆくものよ?」
「でも胎内記憶は大抵薄れてゆくもの……って、こんな話がしたいんじゃないの。ちょっと黙ってて」
おばさん幽霊の言葉をそのまま伝えようとして、明らか脱線していることに気付き、黙るように言う。彼らは口を噤んで揃ってひとつ頷いた。
「ですが大人になっても覚えている人は稀に」
「お前も黙れ」
「あうっ」
マリモが天知しろあに手をあげた。マリモの反逆だ。……大丈夫なのか。
ドキドキハラハラしていると、
「あ、どうぞ無視して続けてください」
あいちゃんはもう慣れた様子だった。
なんだか奇妙なトリオだ。私はあの天知しろあの部活を訪ねるということでけっこう意志を固くしてきたんだけど、こうしていざ言葉を交わすと少女っぽい。幽霊と同じか。実際に触れ合ってみればそこまで怖いものでも緊張するものでもないのか。
「えぇっと……どこまで話したっけ」
あいちゃんに続けてとは言われたが、幽霊との仲介をしていたら何を話していたかわからなくなってしまった。
頭を掻く私に、
「千種さんに取り憑いている幽霊を成仏させられないか、しかしその幽霊たちは自分の死因を覚えていない」
天知さんが端的に説明してくれたので、
「あ、そうだった」
ポンと拳を手の平に打ち付けた。
「えっと、だから、この幽霊たちがなんで死んだのか、探す手伝いをしてほしいんです」
あいちゃんが困惑気な顔で、天知さんの顔色をうかがうようにした。マリモも同じように天知さんの顔をうかがっているけど、それがどんな感情のもとなのかは、表情が見えないのでわからない。
部長である天知さんにはいちおう、人望も信頼もあるらしい。判断を仰がれた天知しろあは、閉じていた目蓋をゆっくりと上げた。
「なるほど、ここに来た理由はわかりました。警察とか探偵とか、それらしい機関に依頼ができないのも、理解できました」
「う、うん。幽霊が見えるだなんて信じてもらえないだろうし、その幽霊がどうして死んだのかを探すのだって頭がおかしいと思われるだろうし……」
「ですが、それはわたしも同じです」
ごもっともだ。
天知さんは眉を寄せて首を傾げた。
「なぜわたしなんですか? たかが部活動に持ち込む話とは思えません。ここの部員と関係がある……とかでは、ありませんよね?」
睨み上げて圧のようなものを、天知さんはマリモにかけている。
もちろん天知さんともあいちゃんとも、マリモとも初めましてだ。
「うん、関係はない。天知さんのことは知ってるけど、それも私の一方的なもの」
「じゃあなんでですか。幽霊話ならスピリチュアル部のほうが専門ですし、相談部なんて銘打ってますけど、ほとんどわたしたち、遊んでるだけですよ」
遊んでるだけなのか。まあ、文化系の部活はそういうところが多いイメージがあるし、運動部も顧問がいないとふざけている姿をたまに見る。
「それに、わたしたちが受けるのは相談です。相談というのは要は、話を聞くだけです。助言こそしますけれど、汗水垂らして解決に働いて尽力するようなことはしませんよ?」
「うん、よくわかる」
「ではなぜ」
天知さんは本気で、私が来た理由がわからないらしい。私も正直なところ、ここに来た理由がわからない。
「なんでって言われると……相談部っていうより、天知さんが目的なんだよね」
「わたしが?」
べつに相談部を訪ねてきたのではない。天知しろあに助力を願いに来たのだ。しかし学校生活での天知しろあには話し掛けられない。人集りが凄すぎて。唯一、そのチャンスというのが、放課後の部活動の時間なのだ。もしも天知さんが野球部に所属していればそこを訪ねたし、生徒会ならそこを訪ねたことになる。
自分の顔を指さして、困惑をさらに深める天知さんには思い当たる節がないらしい。自覚がない彼女を、なぜ紹介されたのだろう。そうは思いつつも、とにかく私は説明するしかない。
「幽霊の紹介なの。私に取り憑いている内の……おじさん幽霊が、天知さんの名前を出して。彼女に頼るべきだって言われたんだけど……だから、むしろ私が訊きたいんだよね。天知さんはなんで幽霊に頼りの存在だと思われてるの?」
天知さんは顎に手を置いて考えるようにした。
私は彼らを成仏させようと思って話をした。それでまずなんで死んだのかを明らかにしようとしたとき、彼らは覚えてないと言った。それじゃあどうしようもないじゃん、と地団駄を踏んだら、おじさん幽霊がおもむろに、
「千代の学校にいる天知しろあって子が力になってくれるらしいぞ」
と、言ってきたのだ。
だから私も、なんで天知しろあを頼っているのかわからないし、幽霊の口からその名前が出たから余計に緊張していたのだ。
天知さんが考え込むと、沈黙が準備室に降りる。それを破るのはマリモだった。
「千種先輩、いま取り憑いている内の、って言いました?」
「えっ、言った……?」
いちいち自分の発言は気にしていない。それがなにかまずかっただろうか。
「ひとりじゃないんですか。取り憑いている幽霊」
あ。たしかにそれは、言ってなかったかもしれない。
「う、うん。いまは、四人いる」
「よ、四人……も」
青い顔をするのはあいちゃん。一人だと思って先ほどの恐怖だったなら、四人は卒倒ものか。悪いことをした。
「おじさんと、おばさんと、私たちよりも何個か年上の男の人、それから小学生の男の子がいる」
「だ、大丈夫なんですか……? その」
言わんとしていることはわかる。
「うん、これがびっくり。全然平気なの。何なら料理を教えてもらってるし、宿題も見てもらったりしてる」
「へ、へえ~……仲良し、なん、ですね……?」
あいちゃんが感想に困っている。私も仲良しとは思ってないし仲良しとも思われたくないけど、彼らの前で否定するのは怖いので曖昧に笑っておく。
「目的はわかりました。わたしのところに来た理由も」
考え込んでいた天知さんは、考えがまとまったのかそう切り出した。
「たしかに千種さんひとりの手に負えることではありませんね。こんな話、ほかに話しにくいというのも頷けます」
友達がいないし信用できる人がいないというのもあるけど、天知さんが私の個人的な友好関係を知るはずもない。幽霊話はおいそれと話せない、という意味だ。
「わかりました。相談部がその相談、引き受けましょう」
ほっと緊張の糸が切れた。きっと私の顔は綻んでいただろう。
「あ、ありがとう! 本当に、よろしくお願いします!」
「ですが」
下げた頭を上げる。天知さんは手の平をこちらに突き出していた。
「絶対に解決できる、とは言いません。あくまでわたしたちは相談を受けただけで、協力するだけですので」
「うん。それで充分、ありがたいです」
たぶん、引き受けてくれただけでもこんなに身体が軽くなったような気がしたのは、私のこの霊感、体質、見えているものについて初めて話せたというのもあるだろう。この相談部の三人は変な目で見ることも、頭ごなしに否定することもなく、ありのまま受け入れてくれた。
相談部に来てよかった。




