よしよし
翌朝、私は同じく早朝に登校した。朝ご飯も食べていない。お弁当も作ってない。空腹は、このあとの結果次第だ。
「おっ、来たか」
まるで来るのがわかっていた、と言いたげに、おじさん幽霊が手を挙げた。たぶん、おばさん幽霊か青年幽霊が、私が寝たあとにでも告げ口しに行ったのだろう。そのとなりには穂乃花ちゃんと、少年幽霊がいる。
「じゃあ、任せたぞ」
「え、どっか行くの」
「おう。今日から新店舗なんだ」
……パチンコか?
「幽霊もパチンコするんだ」
「見てるだけだけどな」
「それ楽しいの?」
「うーん……まあな!」
「ふーん」
つまり、中毒ってことか。死んでもそういうところは治らないのか。ギャンブルには手を出さないでおこう。
「おい行くぞ! 新台は待ってくれない!」
少年幽霊もかり出されている。嫌なら嫌だって言っていいのに。
おじさん幽霊と少年幽霊がどこかへ行った。おばさん幽霊も青年幽霊もいない。私と穂乃花ちゃんだけ。私の周りに幽霊が誰もいないのは珍しいかもしれない。このまま校門をくぐってふつうの授業を過ごせばふつうになれるかもしれない。
私は、足をぶらぶらさせてえへへー、と笑った穂乃花ちゃんに釣られて笑顔になり、その横に座ることにした。
「おはよう、穂乃花ちゃん」
「お姉ちゃんもおはよう!」
「昨日は大丈夫だった? あのおじさんに変なことされなかった?」
「おじさん……? うん! ふたりが喧嘩してたから、それはダメだよってほのかが言ったの! 喧嘩したらごめんなさいするんだよってママも言ってたから!」
「……」
額に手をついた。
あのオヤジは何をしてるんだ。なんでこんな小さな女の子の前で、同じく男の子と喧嘩なんかすることになったんだ。
「偉いね。すっかりお姉ちゃんだ」
たぶん、野球部だろう。ジャージ姿で私の前を、校門をくぐっていく。やっぱり私は変な目で見られている。
「ううん、偉くないの」
「え?」
しょんぼりとしている。ぶらぶらさせた足にも元気がない。口をとがらせ、指を弄んでいる。
「ほのか、偉くないの。だからママ、いなくなっちゃったの。ママの言うこと、きかないから。だからママ、ほのかのこと、嫌いになっちゃったの。……ひっく」
泣いていた、と気付いたときにはもう遅い。堰を切ったように、穂乃花ちゃんは大声をあげた。
私が穂乃花ちゃんと初めて出会ったときのように、大声で泣き始めた。でも、誰にも届かない。ママには、明日花さんには届かない。私には届いているのに、その私は、穂乃花ちゃんに届かない。
触れられない、とわかっている。それでも、私は、躊躇した手を伸ばした。
「よしよし」
温もりはないし、感触もない。
「大丈夫大丈夫」
それでも、意味はあるはずだ。
「怖くない怖くない」
私の声は届くはず。
「ママは穂乃花ちゃんのこと、嫌ってなんかないから」
届かないなら、届くまで。いつまでも、こうしていてあげよう。
時間はかかった。それはもう時間はかかった。
朝練のために登校する人たちに変な目で見られ、ふつうに登校してきた人たちにも変な目で見られ、ひそひそこそこそ内緒話もされていた。校門に立った生徒指導の先生はいかにも強面で絶対近寄りたくない人。そんな人に、大丈夫か? と優しく心配された。それほどまでに、私は変だったのだ。でも、いい。変でよかった。
チャイムが鳴る。生徒指導の教師は、私を見るとどうしたものか、と迷った挙げ句、こう言ってきた。
「そろそろ、閉めるぞ」
全速力で駆けてきても問答無用で門を閉じ、遅刻扱いにするであろう無慈悲の鬼教師が、私を気遣ってくれた。
「はい。遅刻でお願いします」
変な人が受け答えはふつうなものだから、教師は困惑を深めるしかないのかもしれない。彼らからすれば変なのかもしれないけど、私はいたってふつうだ。幽霊が見えるだけで。
最後まで猶予を残すように、教師は静かに門を閉じた。
「ねえ穂乃花ちゃん」
「なあに?」
「お家の場所って覚えてる? お姉ちゃんと一緒に、ママに会いに行ってみない?」
子どもは感情の転換が激しい。脈絡もなく怒るし泣くし笑う。いまも、すっかり泣き止んで笑っていたと思ったのに、また足は元気がなくなって顔を俯かせて、指を弄び始めている。
「お姉ちゃんね、ママは穂乃花ちゃんのこと、嫌いになってないと思うの」
「……」
「だって、穂乃花ちゃんがこんなにママのこと大好きなんだよ? ママも穂乃花ちゃんのこと、大好きだよ。それに、ここにいたらずっと、ママに会えないよ。穂乃花ちゃんはそれでいいの?」
ぶんぶんと、強めに首を横に振った。私はくすっと笑う。
「じゃあ、ママに会いに行こう。それで、ママが怒ってたら、ごめんなさいしよう。ママは喧嘩したらごめんなさいするって言ってたんだよね?」
「……うん」
「よしっ。じゃあ、行こっか」
私は腰を上げ、穂乃花ちゃんに手を差し出した。穂乃花ちゃんは、その手を握ってくれる。触れないけど、それは大した問題じゃない。私は、手を握った。私たちは、手を繋いだ。それが大事なんだと思う。




