ほのかちゃんも
騒がしい迷惑利用客が膨大な量のコピーを要求するものだから、司書さんはさぞかし厄介な思いをしただろう。私はもうあの図書館に行けないかもしれない。
古いものでは三十年前まで遡り、新しいものはつい三日前。ほのかが死亡したことが掲載された新聞の一面だけをコピーしても、嵩張る。両手でも抱えきれず、折り畳んでカバンに詰め込むと、無計画な終業式後の小学生みたいに、カバンが膨れ上がっていた。
帰り際に牛丼屋に寄って持ち帰りメニューを決める。タッチパネルで値段と量を見比べながら注文し、忘れずトッピングに漬物をつけておく。露骨に青年が嫌そうな顔をしていた。目と顔で最大限の抗議をしていたけど、無視してやった。
家に帰る。
「おかえりなさい」
幽霊に出迎えられるのは、変な気分だ。
「ただいま」
幽霊の青年が応じている。幽霊同士が、私の家で挨拶している。変な気分だ。
「ただいま」
まあ、家の中なので無視する道理もない。あれこれ考えるのも面倒なので、適当に返しておく。
しかしおばさん幽霊は、私が手に提げる袋を見て目を丸くする。
「あら、牛丼? 牛丼が食べたいなら自分で作ったほうが」
「はいはい。安いしいっぱい食べられる、でしょ。わかってるわかってる。でもそうじゃないの。これは作る手間賃、片付ける手間賃があるの。それに、私じゃあこうは美味しくならないし」
それに、今日はやることが多いのだ。たまには作るのもサボらせてほしい。
ブレザーを脱いでハンガーに通していると、青年幽霊がおばさん幽霊にこそこそと耳打ちしている。
「あら!」
驚きの声。おばさんは嬉しそうで、青年は言ってやったぞと得意げで、私にとっていい話ではなさそうだ。
「なにを言った」
「お前の図書館での醜態っぷりをだな」
「よーし明日も漬物だぁー」
「それとお前の優しさをだな!?」
ふん。いまさら媚びてきても無駄だ。
「明後日も漬物だ」
「なんでだよ!?」
適当にテレビを点けておく。これを見て反省していろ。
「千代ちゃん」
「ん」
「ありがとうね」
「ん……」
なにがだ?
「お風呂に入ってくる」
今日は時間が足らなさそうなので、お風呂が沸くのを待つ時間すら惜しいし、ゆっくり浸かっているわけにもいかなそうなので、やむなくシャワーで済ませる。
洗濯物を干して髪を乾かして、ほっと一息。手を合わせる。
「いただきます」
テレビも消した。今日ばかりは雑音だ。
「やべぇ。美味すぎて集中できねぇ」
私が牛丼を口に入れると、となりでは青年が唸った。なんだかそれがやけに頭にきたので、私は続けざまに漬物を噛み締めた。
「ぐっ……」
「成仏した?」
「しねぇよ。まだやり残したことがあんの」
その強がり格好つけがどこまで持つか。もう一度、漬物を噛む。気持ち悪い声を上げている。
「千代ちゃん、これ」
「ん」
おばさん幽霊がこれ、と目で示してくる。どうやらその記事は違うらしい。私は端に避けた。
「ここ一列も関係ねえな」
青年がまとめて教えてくれる。私たちが求めるほのかちゃんではないらしい。それらも端に避ける。
彼らは幽霊なので食べてエネルギーを補う必要もない。でも私は生きているのでエネルギーを補う必要もある。彼らは幽霊なのでいわゆる現世にある物体には触れない。でも私は生きているので触ることができる。
テーブルにも、床にも、ソファーの上にも、リビングの至るところに私は記事のコピーを散らしていた。
コピーは膨大だけど、幸いなことに私にはいくつかの目がある。しかも体力は気にしなくていい。集中力、精神力はあるのかもしれないけど、こうして食事の時間もすべて精査に当てられるのだから、彼らは生身の私よりも活動時間が長い。
私は触らなくてもいいようにコピーを散らした。彼らはそれを目だけで読んで、私たちが求めるほのかちゃんと合致するか探してくれている。合致しなければ私はそれを除外するだけ。除外するぐらいなら、牛丼を食べながらでも片手間でできる。
青年幽霊が言った手分けとはつまり、こういうことだった。
「ほのかちゃんはどこに行ったの?」
「まだあの場所にいるわ」
「あの場所って?」
「学校の校門前よ」
すでに辺りは暗い。夜だ。
幽霊にそういうのが関係あるのかわからないし、三十年前にほのかちゃんが死んでいれば私の二倍ぐらいの時間を過ごしていることになる。その過ごした時間のほとんどがひとりで、こんな夜でも、雨でも、あの場所なのだとしたら、ちょっと悲しくなる。
「てっきり、この家に連れてくるのかと思った」
「だって千代ちゃん、嫌がるでしょう」
なぜそこだけ良識がある。
「じゃあなんであなたたちがいるの」
「許してくれたからよ」
「いやいや。許してない。出てってほしい」
「でも黙認したでしょう?」
「黙認って……それはね、幽霊だからだよ。拒否すれば呪われるかもって思ったし、そもそも話し掛けて私に幽霊が見えることがバレたらどうなるかわからなかったもん」
私はこの幽霊たちも充分、嫌がっている。黙認したのではない。何も言えなかったのだ。幽霊たちが一斉に私に取り憑いてきて話し掛けてきて、それで真っ向から反抗できるわけないだろう。なのにこの人たちはそれを黙認と捉えたのか。
「……あれ? そういえば、いつあなたたちに、私が幽霊が見えるってバレたんだっけ?」
幽霊が見えるだなんて誰にも言わないし、幽霊に取り憑かれるのも嫌だから、彼らの言葉に応対するわけもない。
いつ、彼らは私が幽霊が見えると判断したのだろう。ほかの人と違うと判断したんだろう。
「まっ、それに、あのほのかちゃんはほとんど地縛霊みたいなもんだからな。これも除外してくれ」
青年が見ていたコピーはまた該当しないらしい。
まあ、彼らにいつバレたのかなんて、どうでもいいのか。結果は変わらないのだから。
手を伸ばして回収した。
「地縛霊……って何だっけ?」
「その土地、場所に強い思いや執着があると、そこから離れられなくなる。幽霊になるのが未練や恨みみたいな思いが原因なら、その幽霊にとってはアイデンティティみたいなもんだからな。離れれば幽霊じゃなくなる。ほのかちゃんでもなくなる」
「ふーん」
幽霊にもアイデンティティがあるのか。いろいろいるんだな。
「じゃあ、どうやってもほのかちゃんはこの家に来れないのか」
「よかったな」
それは皮肉っぽい。
「ひとりなんだ。ほのかちゃんも」
べつに深い意味はない単なる思いつきの呟きだったけど、
「それは違うわよ」
やけにきっぱりと否定してくるのはおばさんだった。彼女は新聞から顔を上げ、そっと微笑む。
「いまは私たちがいるから」
そういえば、今日の家はちょっと静かだ。理由は幽霊がすくないから。おじさん幽霊と少年幽霊がいない。ふたりがほのかちゃんと一緒にいてくれているのか。たしかに、それならひとりじゃないな。
「よかった」
すると、青年が大声を上げた。
「ん? んん!? これじゃないか!?」
おばさんが駆け寄るようにして、私も牛丼を咀嚼しながら近寄った。青年が指を差す記事を床から拾ってテーブルに置き、覗き込む。
「中村穂乃花 6歳。車にはねられ死亡」
小さな丸に笑っている穂乃花ちゃんの顔もある。私たちが見たほのかちゃんの顔と同じだった。ほのかとは、穂乃花と書くらしい。中村穂乃花ちゃん。6歳。
「6歳かぁ……」
私の見立ては外れていなかった。外れていてほしかった。6歳とは、あまりにも短すぎる。胸が痛い。
「中村親子は横断歩道を渡っていたところ、信号無視の乗用車によってはねられた。母明日花さんは一命を取り留めたが、娘穂乃花ちゃんは市内病院で……」
穂乃花ちゃんが家にいなくてよかった。本人の前でこれを読む勇気はない。
無意識にため息が出る。おばさんも青年も、やるせない思いが顔に出ていた。
「母親は生きてる。でも、穂乃花ちゃんも、自分が死んでいるとは思っていない。だからママが迎えに来てくれる、って……思ってるのかな」
これは、どうすればいい。どうするのが正解だ。どうするのも正解にはならない気がする。……面倒くさい。私には荷が重い案件過ぎる。でもまあ、一度始めてしまったし、ここでやめるわけにはいかない。やめたらやめたで、ずっと気になってしまう。そっちのほうが、面倒くさい。
「明日花さんを探せばいいのかな」
「探してどうする」
「それはわかんないけど……」
「そもそも探せるのか?」
「それもわかんないけど!」
青年の言っていることはわかる。穂乃花ちゃんの顔は出ているけど、明日花さんの顔は出ていない。今度は名前しかわからないのだ。図書館で検索しても出てくるはずもないし、明日花って名前はそこまで珍しい名前でもない。
「とりあえず、探す。探しながら考える」
「面倒くさいな?」
からかってるのか。
「ホントそれ」




