家に帰ってもすることがないから
チャイムが鳴る。
「……」
びっくりした。こんなにも一日が長いだなんて。
一日が、ひとつの授業が、驚くほど長く感じられた。だというのに、授業の内容を思い出せと言われると難しい。とてつもなく長い長い一日は、ほとんどが空白の時間だった。
珍しく、誰も私に取り憑かないで、これこそ授業! という静かな一日を過ごしたというのに、ああ、どうしてだ。
私はカバンを持って、教室をあとにした。階段を降りる。生徒玄関を出る。校門をくぐる。
「……」
……女の子はいなかった。あのおばさんも。
今も、ママさんを探しているのだろうか。幽霊に聞き込みでもしているのだろうか。それで見つかればいいけど、生きている人だったらどうするつもりなんだろう。
私は、校門を出て右に折れて、小中高の三つの図書室を合わせてもやっと十分の一になるほど大きな市立図書館に足を踏み入れた。
図書館を図書室としてイメージしていた私には、この光景は圧倒された。正装をしている受付が常駐していて、四階層分丸々吹き抜けて青空が見える。もうほとんど、オフィスビルだ。
エレベーターも、驚いたことに全面がガラス張りだ。中に入っている人、いまが何階なのかも入り口からわかる。
図書館には足を運んだことがない。緊張する。
エレベーターに乗り込み、同乗者がいないことにホッとする。何階に行くべきかわからない。上のほうに短い説明文みたいなものがある。自習室学習室、児童書雑誌新聞、文学やビジネスにそれから実用書。
三階を押した。三階で合ってるかわからないけど、三階を押した。
あんまり制服姿というものは見かけなかった。高齢者やスーツ姿、それからラフな格好の人が多い。場違い感がある気がする。
案内矢印に従って進み、まずは首を突っ込む。左右を確認する。たぶん、私も入っていい場所だ。
パソコンがあった。私はパソコンの椅子を引く。すると、背後から、
「まず断りを入れるんだぞ」
「す、すみませっ……!」
ルールを知らなかったは言い訳にはならない。たぶんきっとどこかに書いてあったんだろう。探さなかった見つけられなかった私が悪い。
首を縮めて素直に謝りふり返る。注意して教えてくれたのは……
「……なんだよ」
「なんだよってなんだよ」
あの青年だった。私に取り憑いている幽霊のうちのひとり、ウザったい青年だった。
「教えてやったんだぞ? ありがとうございます、だろ?」
「わざとビビらせるようなやつには感謝しない」
キーボードを叩いていた男の人が、顔を上げた。パソコンの前でぶつぶつ独り言のうるさい私は気になるし警戒もするだろう。
「すみません……」
私はこそこそと退散する。青年はバカにしたように笑っている。なぜ私は幽霊が見えるだけなんだろう。触れるなら、この拳がやつの腹を貫き頬を打ち抜いているというのに。
「すみません。パソコンを使いたいんですけど……」
「はあ。どうぞご自由に」
司書さんらしい人に断りを入れると、なぜか司書さんは困惑していた。私も首を傾げる。すると、司書さんは優しく微笑む。
「初めてですか?」
「え、あ、はいそうです……」
「パソコンは自由に使ってもらってかまいませんよ。丁寧に扱ってくださいね」
「あ、わかり、ました……ありがとう、ございます……」
赤っ恥だ。優しさが痛い。
パソコンに戻ると、ニヤニヤ小馬鹿にする青年の顔が視界から外れない。
「ちなみにあなた、嫌いな食べ物は?」
「……漬物とか?」
「よし」
「なんで」
「今日は漬物を買って帰る。夕飯に食べようと思う」
私が食べたものを味わえるのだろう。なら、やつが嫌いなものを私が食べれば強制的に味わうことになるのだろう。
「そ、そんな……!」
私はキーボードをカタカタと叩く。検索ワードに、ほのか、と入れた。
「こ、こんなに……!」
ページは三桁にまで達する。一ページに何人のほのかがいるのかは、数えたくもない。
「これを全部見るのは無理だ……」
「なんだよ。ママ探し、しないんじゃなかったのか?」
青年が横槍を入れてくる。からかう調子で。
私はムッとしながらも返した。
「家に帰ってもすることがないから」
「面倒くさいんじゃなかったのか?」
「でも、家であのおばさんにずっとこの話をされるほうが面倒くさい」
ママがママが、ほのかちゃんほのかちゃん。ぐちぐちぐちぐち延々と言ってくるのだろう。私が手伝わないことを死ぬまで指摘してあげつらってくるのだろう。そっちのほうが遥かに面倒くさい。
「というか、なんで知ってるのよ。おばさんのママ探し、ほのかちゃんのママ探し」
「そりゃ、そのおばさんに言われたからだよ」
「へえ。人使いが荒い」
「それな」
オリンピック選手に抜擢されたほのか、ピアノコンテストで優勝したほのか、抜群のスタイルほのか、浸かれば極楽ほのか。あぁもう!
「温泉まで出てきた。ほのかほのか、目がおかしくなってくる」
これをあと何百回と続けるのだ。……面倒くさいなあ。
背もたれに寄り掛かり、頭の後ろで指を組む。
「そっちは何か、進展ないの? せめて、ほのかって字がどういう漢字なのか、とかさ。ひらがなじゃあ範囲が広すぎる」
「あの歳で、自分の名前を漢字で書けるか?」
「……私は書けたかも」
「そりゃ、お前の字は簡単だしな」
「人の名前を簡単とか言うな」
まあ、私の名前は千草千代で、ごちゃごちゃしていないし画数もすくないから比較的簡単。でも、ほのか、か。稲穂の穂。これが書けるようになったのはいつだろう。
キーボードでほのかと打って、変換も押してみる。いくつも候補が出てくる。こっちでも面倒くさい。
「まあ、進展っていうか、こっちでわかったことはあるけどな」
「早く言えよ」
「だってお前、探す気なかったんだろ?」
「……」
それを言われると……
「ははっ、わかったわかったって。だから泣かないでね、千代ちゃーん」
「引っぱたくぞ」
「やってみろ、ほれ、ほれほれ」
自分の頬を叩いている。ウザい。試しに拳を放ってみる。もちろん、すり抜けた。
「本当にやるやつがあるか」
「いいから教えて」
「はぁ。まあ、いいことかどうかはわからないけど、ほのかちゃんのママは死んでない」
「ホント?」
「成仏してたんなら、もう無理だけどな。すくなくとも、幽霊にはなってない。母親が娘を残して成仏したとは思いたくないっていうのが強いから、ほのかちゃんママは死んでないってことにしてる」
浮き掛けた腰を、ゆっくり降ろす。
「死んだ人がみんな、幽霊になるわけじゃないもんね」
「ああ。もしもそんなことになってたら、たぶんお前は何も見えないし何も聞こえないと思うぞ」
人類史、歴史に名を残す残さないにかかわらず、すべての死んでいった人間が幽霊になっていたら、百億では利かないだろう。
「幽霊になっていない。死んでいない。つまり……ママは生きてる」
死んで幽霊になっている場合は、そもそも私には会わせることができない。幽霊探しは幽霊が得意。となれば、私が探すのは生きている人。ほのかちゃんは死んでいるけど、ママは生きている場合を考える。
「なんで、ほのかちゃんは死んだのかな」
「病死、事故、殺人」
「最後のは考えたくない」
ほのかちゃんが、こんな小さな子が殺人に遭うなんて。そんな世の中、考えたくない。
私は検索ワードに追加を入れた。ほのか 死亡
あんまり気は進まなかった。青年も、ここに至っては何も言ってこなかった。エンターを押して検索。
華々しい功績や宣伝、謳い文句に使われるほのかは消えた。ページ数も一気に減る。それでも、多い。これだけのほのかちゃんが死んでいることになるのだから、気が滅入る。
「それ、コピーしろよ。そしたら手分けができる」
開いた口が塞がらない。
「コピーできるの!?」
「当たり前だろ」
どこが当たり前だ。
「もっと早く言ってよ!」
「お前、ほんと図書館のこと知らないんだな」
「ごめんなさいねぇ!」
大きな咳払いが聞こえた。司書さんだ。
ただでさえ静かにする必要のある図書館で、馬鹿でかい声を発するなんて。しかも独り言を。とんでもない迷惑利用者だ。
私はぺこぺこと頭を下げて猛省した




