面倒くさい
私は席を立ち、階段をひとつ降りて、二階の生徒玄関へ向かう。靴を履き替えていると、人気がないのを見て取ってか、女の幽霊が声をかけてきた。
「どこに行くの?」
「なら最初に対応しておけって話だよね。面倒くさい」
こうして戻るなら、なんで無視したんだろう。面倒くさいったらありゃしない。
「まあ、カバンは置いてあるし、一度は登校はしてるから、遅刻にも欠席にもならないって考えれば、いいのか」
校門をふたたびくぐる。七時を過ぎたというのに校門を出ていく生徒というのはなかなか珍しいだろう。私もそう思うし、どうしたんだ? って目で見ると思う。だから気にしない。これからすることのほうがよっぽど、注目を集めるだろうし。
私は高校の校門前で、膝を曲げて屈んだ。大声で泣きじゃくっている女の子の肩をぽんぽんと叩こうとして……、触れないことを思い出す。
「どうしたの?」
私の背中に、お前こそどうしたんだという視線が刺さっている。ひしひしと伝わってくる。痛い痒い痛い。
「大丈夫?」
泣き止まない女の子にもう一度、声をかける。お前こそ大丈夫か? という視線が刺さっている。ひしひしと伝わってくる。痛い痒い痛い。
なるべく人のいい笑みを意識して、
「お姉ちゃんにお話、聞かせて?」
懸命に語りかけてみる。
じっくりと忍耐強くそこで私は待った。たぶん、周囲からすれば大通りに向かって膝を曲げている変な女子高生なのだろう。
だけど、泣き声が小さくなっていくのを感じたので、私はもうすこしだと自分に言い聞かせた。
やがて、女の子はひっくひっくとしゃくりを上げながら、ゆっくりふり返ってくれる。
きっと怖い思いをしただろう。精一杯、大丈夫だよと笑顔を作ってみる。
「うわぁああん!」
「……私の笑顔を見て泣き出すなんて、とんでもない子どもだな。やっぱり面倒くさい」
「ちょっと!」
「泣いてるし聞こえてないよ」
「そういう問題じゃないでしょ!」
私には子どもは無理だ。こういうのはたぶん、おばさんが得意だろう。手を出して、じゃあご自分でどうぞ、と譲ってみる。
私は幽霊に触れないし、幽霊も私には触れない。けど、幽霊なら幽霊に触れる。おばさんはまず、女の子を抱きしめて優しく頭を撫でるようにした。
「よしよし、大丈夫大丈夫。なぁんにも怖くないから」
私にはそれができない。幽霊にも温もりとかがあるのだろうか。私にはそれもわからない。ちょっとだけ、寂しい感じがしたのは、事実だ。
「お姉さんたちと、ちょっとお話しない?」
「ナンパか? どこにお姉さん“たち”がいるんだ」
「はい?」
黙っておこう。
おばさんはひたむきに子どもをなだめた。よしよし、大丈夫大丈夫、怖かったねえ。と、宥める台詞としてテンプレなそれを繰り返しながら、女の子の肩を抱きしめ、背中を、頭を、優しく撫でている。
私は腕を組んで、女の子が泣き止むのをとにかく待った。
時間はそんなに長くなかったと思うけど、針のむしろだった。登校する制服が多くなっていって、その度に校門前で大通りに向かって仁王立ちする私を不思議そうに、訝しむ目線が背中に増えていくのだから、居心地がいいはずがなかった。腕組みは自分を抱きしめて落ち着かせようとしていたのかもしれない。
やがて、落ち着いた女の子を伴って、おばさんは校門脇にあるコンクリートの低い壁に腰掛けた。
「それで、どうして泣いてたの?」
おばさんが優しく尋ねた。女の子も座っている。足は届かなく、ぶらぶらさせている。
物体はすり抜けるくせに、座ることはできるらしい。まあでも、おかしくはないのか。もしもそれすらすり抜けるなら、地球のマントルもすり抜けてしまうはずだし。
「あのね、あのね」
私も腰掛けることにした。
ここに座っていると待ち合わせか誰かを探している風に見えるのだろう。校門へ入っていく人は私に視線を向けてくるが、すぐに興味もなくなっている。最初からそうすればよかった。
「ママが、いなくなっちゃったの」
子どもというのは切り替えが早い。さっきまでは大声で泣きじゃくっていたというのに、いまは声もはっきりしている。とはいえ、ママがいなくなったというのは悲しいのだろう。声のトーンは落ちている。
「ん?」
俯いて足を遊ばせる女の子を見ていると、眉を八の字にしたおばさんがこっちを見ていた。
「なに?」
そうして、呆れたような顔をして、ため息をついて、
「呆れたわ」
口にまで出されてしまった。
何に呆れているのかよくわからない。私はおばさんの言葉を待つ。
「ママがいないんだって」
「うん」
聞こえていたけど、
「それが?」
「一人ぼっちってことよ。……こんな小さな子が。可哀想に」
小さな子。たしかにその通りだ。見た目もその通りに、年齢としては幼稚園児か。いっても小学一年生だろう。私に取り憑いているあの男の子よりも年下だ。
「でもさ、幽霊って成長しないでしょ? 人間として生きたのは」
「ちょっと!」
「な、なに」
急に大声をあげるものだから、びっくりした。
声を潜めるようにして、おばさんは顔を近づけてくる。
「幽霊とか、人間だったとか、そういうのは言わないで」
だった、と強調してくる。そういう過去形は使うな、と。はて?
「なんで」
「察しが悪いわね……。……はぁ。たぶんだけど、この子、自分が死んでるってわかってないのよ」
それにもびっくりだ。
「自覚のない幽霊ってこと? そんなのあり得るの?」
「本当かどうかはわからないけど、私が生きてた頃、幽霊は未練があるとか、自分の死に気付かずに彷徨っているとか、そう言われてたわよ」
「あー……まあ、たしかにそう言われると、そんなのも聞いたことがあるかもしれない」
蝶々がひらひらと羽をはためかせている。見るともなしに見ていると、私の前を通り抜けておばさんの前を通り抜けて、女の子の前へ。女の子はぽけーっと口を開いたまま、自分の前に来た蝶々に手を伸ばそうとする。
たぶん、私がそれをすれば蝶々は軌道を曲げて逃げていくだろう。だが蝶々が女の子を感じることはない。避ける必要もない。わずかに女の子の指先が触れるか触れないかで終わり、通り過ぎていく。
女の子は惜しかった、という顔をしていた。彼女の目には、どう映ったのだろう。彼女からすれば、蝶々は指を通り抜けたのではなく、届かなかったように見えたのだろうか。
「じゃあ、あなたは死んでるよって言えばいいの?」
「そんな可哀想なことできるはずないでしょ!」
「でもこのままのほうが可哀想じゃない?」
ここでずっと慰めて話を聞いてあげるのか。私にはできない。このおばさんが幽霊としての人生? を、この子のために捧げるっていうんならべつにそうすればいいけど。
「連れてくとか、私に取り憑かせるとか、無理だから」
ただでさえ、私には四人もの幽霊が取り憑いていて、日常は喧しいというのに。この女の子を許可すれば、第二第三の女の子を許可する羽目になる。面倒くさい。私の家が幽霊ハウスになって、私が追い出されることにもなる。
「……ママを探してあげましょう」
「えぇ……面倒くさいよ」
「面倒くさいって言わない!」
「面倒くさっ」
叱責に負けずに面倒くさいと言う。おばさんは怒っていた。鬼だ。鬼ババアだ。
「探すって簡単に言うけどさ。まずママは生きてるの? 死んでるの? 死んでるなら幽霊になってるって保証はあるの? 生きてるなら、どうやってふたりを結びつけるの? まさか、ママさんも幽霊が見えるとか言わないよね?」
そんな都合よく行くはずがない。
まずこの子がどこの誰でどうやって死んだのか。それを特定するだけでも一苦労だ。そこからさらにママさんの特定もしないといけない。仮にママさんが生きていて、女の子は会えたと喜んでも、幽霊が見えなければママさんはそれを無視してしまう。
「私が何も考えないで発言してると思ってる?」
幽霊の女の子が見えなければ、その存在を訴える役割は誰が担うことになる。……私だ。私に面倒ごとを押し付けないでほしい。
「見ず知らずの女子高生が、あなたの娘さんを連れて来ました、とか言い始めたら、ママさんはふざけないでって、拳を握る思いをするだろうし」
それで痛い思いも怖い思いをするのも私だ。おばさんは死んでるからノーダメージかもしれないけど。
「……ねえあなた。お名前はなんていうの?」
……話聞いてたか?
いまこれだけでも、私は校門前でぶつぶつ独り言を話している頭のおかしい人で、すっかり変な人に認定されているというのに。その代償を支払ってまでの発言をフルシカト。
「ほのか!」
「へえ、かわいいお名前ねえ。名字、ってわかる?」
「んー……わかんなぁい!」
「そうよねわかんないわよねー!」
えへへっ、と笑うほのかちゃんと、うふふっ、と微笑むおばさん。
「おい何してるんだよおばさん」
「何って。探すなら名前は必要でしょう?」
「だから何してるんだって話をしてるんだよ」
「えぇ?」
こっちが困っちゃう、みたいに頬に手を当てて、
「お姉ちゃん、変なこと言ってるわねー」
「ねー」
子どもを味方に付けやがった。おばさんに利用されて手籠めにされているいまこの状況こそ、ほのかちゃんが可哀想だ。
私は腰を上げた。
「あら、どこに行くの」
「遅刻するから」
「一緒に探さない?」
「面倒くさい。お好きにどうぞ」




