明日から本気出す
この幽霊たちは完全に私に取り憑いているようで、どこへ行ってもついてくるし姿を現す。
取り憑かれていると表現すると悍ましいイメージをしてしまうものだけど、彼らに限ってはそうでもない。肩が重くなった、慢性的な寒気がする、悪夢による睡眠不足、なんてのが漫画や映画では描写されて、体験談でも語られているけど、いまのところ私の身にそんなことは起こってない。
ただし、喧しい。
幽霊はもっと陰湿な雰囲気を醸しだし、どんよりとした表情で不気味なイメージがあるというのに、どういうわけかこの幽霊たちはよく笑うしよくしゃべるし、ほとんど生きている人間と違いがないのだ。
まあ、そのせいで私は苦労しているんだけど。クラスメイトや店員に話し掛けられても幽霊がうるさくて会話を聞き逃すこともあるし、幽霊だと思って無視してしまうことがある。
本物の幽霊とは案外、ホラーではないと私は知れた。テレビやネットで霊視をする人、自称霊能力者が嘘っぱちであることも知れた。幽霊が陽気であることも知れた。
これらをいいことと受け取るか、悪いことと受け取るかは人を選ぶだろう。私は……うん。悪いことだ。べつに幽霊は見えなくていいのだから。
「いい? 千代ちゃん。猫の手よ、猫の手」
とにかく、家に帰ってからが一番、きつい。
「あ、フライパンも温まってきた。油を引いて」
夕飯の準備をしていると、女の幽霊が横から常に口出しをしてくるのだ。
「油は早いからね。ほら、もう温まってきた。これでお肉を入れて……って、あら。まだお肉切ってないじゃない!」
手が震える。
「なあ千代。リモコン、チャンネル変えてくんね?」
「ガリガリくんはー?」
「あぁ千代ちゃん! 油、油がパチパチって!」
四方八方あらゆる方面からてんやわんやだ。うるさい。とにかくうるさい。見てわからないのかいまの状況!
私は包丁の柄でまな板を叩いた。
「うるさいうるさい! いま私、料理してんの見てわかんない!?」
そして青年に、包丁の刃を向ける。どうせこれも効かないくせに、生前の記憶に引っ張られているのか顔を仰け反らせた。
「チャンネルは変えない! テレビは私がテーブルについたとき!」
次は子ども。
「ガリガリくんはご飯のあと! それかお風呂のあと! いまは食べない!」
最後に私の料理にいちいち難癖つけてくる女へ。
「そもそもあなたが、生肉を切る前に野菜を切れって言ったんでしょ!? だから肉は切れてないのよ!」
すると、フライパンの上の油がパチッと爆ぜた。私の頬に飛んでくる。
「あつっ! ……このっ!」
私の人生でもっとも素早い包丁捌きだった。豚肉を一口サイズに切り、そのままフライパンに放り投げる。
「ざまあみろ」
「あ、千代ちゃん換気扇」
「忘れてた!」
「って、生肉触った手!」
「うわあ!」
危うく生肉に触った手で換気扇のボタンを押すところだった。手を洗う。
「洗剤で洗うのよ」
洗剤で洗う。洗剤で手を洗うのはあんまり好きじゃない。手触りが、なんか微妙な感じになるのだ。ヌルッとも違うし、ネトッとも違うけど、なんか引っかかりが残る。油がちゃんと落とせてないのかな?
「生肉切ったあとだから、野菜はダメよ」
「焼いてもダメなの?」
「ちゃんと火を通せば大丈夫だけど……」
「じゃあいいじゃん。心配性だね、あなた」
それでもあんまりいい顔はしてなかったけど、私はまな板に野菜を乗っけて切る。玉ねぎの皮を剥いて、上と下を切って捨てて、半分にしてから薄切りにしていくと……
「うっ、……ぐすっ、ひっく」
涙が出てきた。鼻水も垂れてくる。視界がぼやけて何も見えない。リビングのテーブルからティッシュを取って、目を拭って鼻をかんで、玉ねぎと戦う。
「ちなみに、ガムを噛むと涙が出なくなるわ」
「いま言うなよぉ……」
切り終わったあとに言うなんて、意地悪だ。
「ミント系がおすすめよ」
「すぅーってするやつでしょ……? 苦手なんだよなあ、私……」
「飴を舐めるのでもいいわ」
「次からそうするぅ……」
あとはにんじんの皮を剥いて、千切りにして、フライパンに放り込む。
生肉の前にも切ったキャベツも放り入れ、お皿の準備。冷凍の白米をレンジにセット。中がオレンジ色に灯り、ジーと音を鳴らす。
「なんだ、やってみれば案外、大したことないな」
もしや私には料理の才能があるのかもしれない……?
フライパンに向き直ると、視界の端で物言いたげな顔をする子どもがいた。
「ガリガリくんか。ガリガリくんはまだだ」
「じゃなくて、えっと、その……」
「?」
「ガリガリくんが……」
首を傾げる。子どもの視線を辿ってみる。……あれ? そういえば私、ガリガリくん、どこにやった?
「溶けてる……」
「ぎゃああ!」
季節はもうほとんど冬で、アイスの季節には程遠いけど、それでもキッチンでは火を使っている。キッチンの気温は高い。袋に放置したままのガリガリくんは、
「あ、あぁ……」
ガリガリくんを摘まんでみる。重力に従って、パッケージの下だけが膨らんでいる。つまり固体じゃない。液体だ。
私は子どもの肩に手を置きたかった。膝をついて目線を合わせ、項垂れるのが精一杯だった。
「ごめん。そうだったんだね。そういうことを言いたかったんだね。そうだよね、きみがこの人たちみたいに邪魔するはずもないもんね」
「はぁ~? 俺が邪魔してるって言いたいのか?」
「邪魔じゃないって言うのか!」
私が料理している間に、リビングでテレビを見てふんぞり返ってる不届き者め。これだから男は。
「私は結婚しないぞ。するとしても、私がキッチンに立っているときは一緒に立ってくれる人にする!」
「千代ちゃん」
「なに!?」
「たぶん、焦げてるわよ」
「え」
立ち上がりフライパンを見下ろす。見下ろす前から、湯気が立ち上っていたし音がなかなか聞かない類いのものだった。
茶色を通り越して黒くなったお肉と、焦げてフライパンに引っ付いた玉ねぎ。穴の空いたにんじんに、枯れて朽ち果てたキャベツ。
チン、と、レンジが鳴った。
菜箸で生き残りの捜索をし、お皿に乗せる。たぶんダメなやつもいたけど、捨てるのも勿体ない気がしたし、べつに大丈夫だろうと一緒くたにソースをぶっかける。レンジでチンした白米はラップのまま、指の先で摘まむようにしてテーブルに置いた。
「お皿は?」
なんて女の幽霊は言うけど、
「洗い物が減る」
と言うと黙った。
まったく……とやっぱり何か言いたそうにしていたけど、じゃあ洗ってくれるのか、という話になる。この米は私が食べるんだし、私が片付けるんだから、私の好きにしていいだろう。
私がリビングに腰を落ち着けると、青年が待ってましたと言わんばかりにウキウキしていた。
「はぁ。なに、なにが見たいの」
「この間のドラマの続き見ようぜ」
とのことで、私がリモコンを操る。続きのエピソードを再生。
「いただきます」
「召し上がれ」
なぜこの人が言うのかわからないけど、もう言うのも面倒くさい。
「どう?」
私がお肉を口に入れると、すぐに感想を求めてくる。だからなんでなんだ。
「まずくはない。美味しくもないけど」
私が適当な感想を言うものだから、女も複雑そうな表情をしている。
「まあ、いいでしょ。調理実習しかしていない私がやって、食べられるものができたんだから」
「お肉焼いただけだけどね……」
「そうだけどさ……」
事実、切って焼いただけだからそこまで難しくもないし、料理なのかも怪しいけど、他人からだけと言われるのはちょっと……。
「ちゃんとバランスのいい栄養のあるものを食べないと、身体に悪いわよ」
「早死にするって? あなたみたいに? ははは」
「おほほ」
「あはは」
「こんなにも触れないことを悔む日が来るなんて思わなかったわ」
「マジトーンやめてね」
この女の幽霊だけは怒らせないようにしようと思ってたけど、そうだった。触れないんだった。ならべつにビビることもないか。
「おっ、千代。晩飯か。酒はないのか? がははっ」
「いい? 千代ちゃん。バランスも栄養も気にしないとああなるのよ」
「明日から本気出す」




