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何でも知ってるしろあちゃん  作者: 家佐水井
紫月はなぜ死んだのか
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ふたり同士になろうってことね


 豚汁で身体を内側から温め、おにぎりで日本人の魂に息を吹きかけ、おしぼりで口許を拭いて一息つく。


 そろそろ、この廃墟に滞在して一時間が過ぎる。


 天知さんは肝が据わっているし、逢坂さんにも怯えや恐怖はないので、廃墟にいても意外と明るい時間を過ごせた。もちろん、幽霊の姿形、不思議な呼び声や摩訶不思議な現象が発生したりはしていない。

 きぃ、と軋む音はするけど、それはべつにこの廃墟に限ったことではない。家に誰もいなくてもする音で、温度の変化で起こる自然現象だとなにかで見たことがある。あとは風の音だ。びゅう、びゅう、と吹き抜けて、時折、壁や木の穴を通り抜けたのがわかる音がするだけ。

 私はスケッチブックを開き、四階のフロア、エレベーター前を軽くスケッチしてみた。細かい描写はあとで自分で作るとして、重要なのは広さと構造だ。一階のフロントやシャンデリアの配置もなるべく形に起こしておく。


 私たち四人がランタンを囲んでいる様も、俯瞰視点で描いていると、天知さんがおしぼりで口許を拭いているのが視界に入った。


「二手に別れたいんですけど、よろしいですか?」


 視線は私を捉えていた。逢坂さんも話が見えないと困惑気だったけど、私に向かって言っているようだったので、ペンを止めた。


「二手? なにが?」

「怪奇現象、幽霊の正体。おーいと呼んでいたのは誰だったか。それを検証するためには、やっぱり二手に別れる必要があります」

「それってひとりになるってことでしょ?」


 待ったをかけるのは逢坂さん。二手に別れる重要性を示しても、逢坂さんは危険視する。


「さすがにこの廃墟でひとりきりっていうのは、危ないよ。廊下の穴があそこだけとは限らないし、崩れる可能性だってある。一人側がそうなったら、見つけられない」

「だから二手に別れるんです」


 逢坂さんは首を傾げた。私は言わんとしていることがわかった。


「ああ、つまり、ふたり同士になろうってことね。肝試しと同じじゃなく」

「ええ、そういうことです」


 逢坂さんはそれでも何か言いたそうにしていたけど、言葉にはしなかった。

 天知さんは言う。


「肝試しは最初、ひとりだけ上にいました。ここにいる全員で上にいては、また下にいては、おーいという言葉が双方で確認が取れません。ひとりじゃないと聞き取れないというのは考えにくいので、上と下でふたりずつ別れて、下の人に叫んでもらいます。それからおーいという言葉が、上下どちら共に聞こえたなら、わたしの考えは合っていることになります。幽霊なんていなかった、ということにもなります」


 言っていることはわかった。異論もない。


「じゃあ、私と夏希、天知さんと逢坂さんのふたりってことでいい?」

「そうしましょう」


 逢坂さんは不安そうにしている。私はその正体がよくわかった。

 こういう廃墟、ホラー映画では定番だ。何かと理由をつけて集団が分断されるパターンは、まず起こる。人数が減れば自然と不安にもなるだろう。


「なら、なにかあっても連絡が取れるようにしておこう。もらってもいい?」

「もちろんです」


 天知さんと連絡先を交換した。交換してから思ったけど、私はかなり凄いことをしている。織田高校の生徒が喉から欲している天知しろあの連絡先を、入手してしまったのだから。


「下に着いたら連絡する、で、いい?」

「はい」

「気を付けてください」

「うん。そっちもね」


 階段を降りる。


 天知さんからもらったヘッドライトと懐中電灯があったけど、それでも帰りはかなり怖かった。上りはひとりふたつの明かりで六つの光源があったわけだけど、いまは二つの光源しかない。半分以下ともなれば見える世界はほとんど、自分の足場と数歩先だけだ。

 子どもがよたよたと一段一段、両足で降りていくように、私も拙い足取りで階段を降りていった。


「けっこう、時間かかっちゃった……」


 降りてきた階段は上りとは違う別の階段で、入り口から見えるふたつの階段どちらとも違う。フロントの裏側に降り立ったようなもので、裏の出入り口はひっそりとしている印象。本当に出入りでしか使われていないようで、狭くも感じた。きっと壁の奥に厨房やら従業員専用エリアがあって、正面入り口から見えるフロントに繋がっているのだろう。


 私はスマホを取り出して、着いたよ、と送る。既読は送った瞬間からつく。


『では、お願いします』


 と来た。


『なんでもいいの?』

『名前を呼ぶ感じで』


 と来たので、私は夏希と目を合わせ頷き合う。一気に、息を吸った。


「天知さーーーん!」


 四階まで届くよう、大声で叫ぶ。すこし恥ずかしくなった。何度も自分の声が反射していくものだから。

 でも、それもすぐに消えてしまう。なぜなら、


「おーい……」


 と、小さく、それでいてたしかに、腹の底で唸るような、深海に招き入れられるような不確かな呼び声があったからだ。

 私は驚き恐怖で唇を真一文字に結ぶ。夏希も信じられない、という顔をしていた。つまり、聞いたのだ。


「聞こえた?」

「聞こえた」


 私は天知さんにメッセージを送った。


『こっちは聞こえた。おーいって。低い、男の声みたいな』


 すると、


『こちらも聞こえました』


 そして、


『降りるのでそこを動かないでください』


 と。


 幽霊じゃない。幽霊じゃないのだとしたら、あの招くような誘い込むような低い呼び声は、何だというのだ。

 得体の知れないバケモノがこの廃墟を徘徊しているような想像をしてしまい、早く降りてきてと願う。気を紛らわせるために、私はスケッチブックとペンを取った。


「夏希、いい感じにモデルになって」

「いい感じ? なんでいま」

「いつもの感じで。いまなのは、気を紛らわせるため」

「しょうがないなあ」


 なにかしていないと、ダメだ。

 天知さんたちは案外、早く降りてきた。それか、意識的に時間を忘れようとスケッチに熱中していたのが功を奏したか。


「お待たせしました」

「ううん。待ってないから」

「そう。おかげで、いい絵が描けた」


 私はじゃじゃん、と披露してみせる。ホテルの背景と一緒に夏希を描くことで、よりリアリティが出た。本当に廃墟として扱ってホラーのテーマを描くのでもいいし、旅行の道中のホテルの一幕という扱いもできる。

 廃墟は一石二鳥だ。


「かわいい子ですね」

「モデルは夏希」

「なるほど」


 夏希はゆるふわでいかにもな理想的な女の子なので、モデルにすればかわいいという感想に違いない。そういう印象を与えられるように描いている。


「まあ、そんなことはどうでもよくて。ふたりも、おーいって聞こえたんだよね?」


 逢坂さんも天知さんもしかと頷いた。


「やっぱり幽霊……?」


 おずおずと言う。でも、


「いえ、違います」


 あっさりと、こちらの不安や恐怖なんてちっとも感じていない風に否定してきた。


「これも、ほかの幽霊たちと同じ。自然現象でした」


 逢坂さんがぐっと眉根を寄せた。それは不信感の表れで、だったら説明してみろと暗に言っているようだった。私も夏希も天知さんもあの声は聞いた。逢坂さんも聞いただろう。もしかしたらまだ、逢坂さんもネタバレはしてもらっていないのかもしれない。


「自然現象?」


 にしては、人の声だった。男の、野太く唸る腹の底の声だった。たしかに明瞭な言葉ではなかったし、あれは声じゃないと言う人も多いだろうし、それには一理あると頷けるけど、あれが自然現象と断言されると、首を傾げてしまう。


「こだま、ですね」


 天知さんが見破った幽霊の正体、その自然現象とは、なんと。こだまだった。


「こだま? こだまって……山で叫ぶと響くあれ?」

「ええ」

「ここ山じゃないけど」

「山じゃなくてもこだまは発生しますよ。必要なのは、声が響くことですから。廃墟はそういった観点でいうと、好条件ですね」

「でもこだまって……わあ! って言ったらわあ! って響いてく、みたいな感じでしょ? 天知さんの名前を呼んだのに、なんでおーいって変化するの?」

「そもそも叫んだ言葉がそのまま返ってくることのほうが稀ですよ。山のように開けた場所で、音の反射も適切な場所ならそうなる、というだけで。この廃墟は反射数も多いですし、壁や床、天井にも穴が空いているので音も複雑に変化します。ここでは何度も風が抜けていく音がしていますしね」


 たしかに隙間を風が抜けていく、びゅうびゅうという音は何度もしている……。たぶん私よりも天知さんのほうがしっかりしているし頭もいい。その天知さんが言うんだから、こだまとは理屈上ではそうなるのかもしれない。


「信じがたいのであれば、もう一度、やってみてはいかがです?」


 天知さんが四階を示すように人差し指を立てた。即座に逢坂さんがその腕に飛び付く。


「ちょ、ちょっと……!」

「大丈夫ですよ」


 震える瞳で、なにか縋るような懇願するような目をしてくる逢坂さん。こだまとは説明がつけられて頭では理解しても、この雰囲気と場所であっては、幽霊が過ぎらずにはいられないのだろうか。

 私は今回は逢坂さんの味方にはなれなかった。恐怖よりも好奇心のほうが勝ってしまったのだから。


「べつに、叫ぶ声は変えてもいいんだよね?」

「もちろんです」

「じゃあ」


 すうっと空気で、目一杯肺を膨らませる。そして一気に、


「わあっ!」


 叫ぶ。

 私の叫びは何度か、それこそこだまのように四階へ昇っていき、間隔も短く音も小さく、音同士が重なるようにもなっていく。そして、やがて、


「おーい……」


 と、低く唸るような声が、返事をしてきた。

 信じがたいけど、信じないわけにはいかない。やっぱり、これは、こだまだったのだ。

 なんだかもの悲しくなったような気分だ。こういうのを、幽霊の正体見たり枯れ尾花というのだろうか。ロマンが失われたようで、ちょっとだけ複雑。どうせ、いざ幽霊を目の当たりにしたら嫌なくせに。


 天知さんは自分の仮説にほんのすこしも迷いがなかったのか、説がより強固になるとわかっていたからか、強かな眼差しだった。私は、勝敗ではないのに負けたような気分になって、不格好に笑った。


「逢坂さん、もう終わったよ」


 天知さんの後ろで、耳を頭ごと抑えて、天知さんの背中に隠れるようにしている逢坂さんへ声をかける。しかし届いていない。天知さんが肩をちょんちょん、と叩いた。


「だ、……大丈夫だった?」

「もう一回、やってあげようか?」

「やめてくださいよ!」


 逢坂さんはホラーが苦手らしい。私たちがくすりと笑うと、気恥ずかしそうに赤くした頬を掻いた。


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