逢坂さんがこんぶで、天知さんが鮭で、私がたらこで
エレベーター前は廊下よりもすこし空間に余裕があった。ソファーは破れて中身の綿が剥き出しになっているのでとても座ろうとは思えず、絨毯の模様も黒ずんでいて埃も積もりに積もっていて、尻をつけようとは思えない。もちろん、壁に背を預けようなどとは発想がなかった。
しかし、準備がいい。
瓦礫や木の板を慎重に撤去すると、天知さんはリュックサックからレジャーシートを取り出した。
「ピクニックみたいだね」
なんて天知さんはふふふ、と笑っている。
「どこが」
逢坂さんの無造作なツッコみには同意しかない。どちらかというとこれは、キャンプに近いだろう。真っ暗で真夜中なのだから。ひょっとすればあのリュックサックの中にはテントも入っているのでは?
レジャーシートを頂戴し、広げ、私はそこに尻をつけた。
険しい道を自転車で、足腰だけで登ってきた。足元に注意しながら不慣れな階段を四階登った。身体の疲れもそうだけど、精神的にもけっこう疲れていたらしい。腰を降ろせたことは自分が思った以上にも気が楽になっていた。息を吐き出す。
「それで、謎なんて言ってたけど、幽霊じゃないならどう説明するの?」
中央のランタンを囲みながら、逢坂さんは切り出した。
私たちに相談、悩みを解決する能力はほとんどない。それはどうやら逢坂さんも同じらしく、この相談部の評価は天知さんひとりの力に寄与しているらしい。
教授と助手、社長と秘書、部長と副部長という正しい関係性のふたりは、天知さんのほうにパワーバランスが傾いているようだ。漫画にするなら、逢坂さんをどう扱うかが重要になってきそうだ。
「まあ、ほとんど答えは出てます。あとは要検証といったところです」
「もうわかったの? 幽霊の正体」
「だから幽霊じゃないって」
天知さんは頑なに幽霊説を否定している。でも、そうなると呼ばれたというのはどうなるのか。
すでに答えが出ているとの発言に驚かずにはいられない。その答えとやらを追及したくなったし、逢坂さんも教えてと言いかけていたけど、天知さんはゆっくりと、こう言った。
「しかし、お腹が空きましたね」
急な話題変更に首を傾げる。天知さんはリュックサックから水筒を取り出した。蓋を回して取り外す。湯気がほのかに立つと同時に、いい香りが漂ってくる。
発泡スチロールの深みがある、どんぶり型の容器がリュックサックから出てきた。天知さんは水筒の中身を注いでいく。
思わず、喉がごくりと動いた。
夕食はきちんと食べたけど、程よい運動をしたからか、それとも食欲をそそる匂いのおかげか、腹の虫が活発になった。
「みんなで食べましょう」
私たちが涎を啜っているからか、気前よくそのどんぶりを渡してくれる。割り箸を頂戴した。
「ありがとう、いただきます」
「いえいえ」
ふー、ふー、と息を吹きかけ、どんぶりに口をつけて啜った。
「美味しい」
素直に感想を漏らす。天知さんは嬉しそうに微笑んでいた。
「うん。さすがだね」
「でしょ?」
逢坂さんからのお褒めの言葉に、嬉しそうにしながらも天知さんは当然だと胸を張った。そして自分も口をつける。
逢坂さんがさすがと言って、天知さんも当然だという態度を示しているから、これは天知さんの手作りなのだろうか。料理までできるとは、なにができないのだろう。
「私、あんまり生姜って得意じゃないんだけど、この豚汁は生姜を感じるのに辛味がないね。風味だけ。でもちょうどよく味付けされてる」
「よくわかるね」
逢坂さんが具体的な感想を出した。
私はそこまで深く味の違いを感じられないし、感じても言語化はできないので、天知さんのように感心してしまう。
「中学のとき、作ったことがあるの。あのときは……お肉の臭みも酷かったし。こんにゃくが豚汁に沁みてなくて異物感酷かったけど、これはちゃんと豚汁の味って感じ」
匂いを嗅いでみる。たしかにお肉の臭みはなかった。しかしお肉の臭みとはどんな匂いなのだろう。こんにゃくを口に入れてみる。たしかにこんにゃくひとつで、噛めば豚汁の味が出てくる。しかし異物感とはなんだろう。
たぶん、作って失敗したからこそ、逢坂さんは美味しさがわかるのだろう。いつもきちんとした豚汁を食べていては、ふつうに感じて着目しないし味わわない。
天知さんは満面の笑みでニコニコしていた。自分の作った料理を絶品だと言ってくれるのだから、それもそうだろう。私の漫画が高く評価されるのと同じ気がする。
「おにぎりもあるよ。鮭と、たらこと、こんぶ。勝った人から選ぶ方式で行こう」
「一個ずつしかないの?」
「勝利の味は何物にも勝る」
「まあ、文句は言わないけど」
ふたりは白熱している。私はべつにどれでもよかった。
「べつに残り物でもいいけど……」
「ダメです、渡辺さん。これは女と女の戦いです。女を捨てるんですか?」
理屈がよくわからない……。
「こうなったら聞かないですよ。付き合ってください」
そう言われてしまえば、まあ、かわいい後輩の頼みだ、と先輩らしく付き合ってやるとしよう。
「じゃん、けん」
天知さんの合図に合わせて、
「ぽん!」
私たちは出し合った。
「な、なな……!」
そして天知さんは自分の手を恨めがましく、悲惨そうに見つめる。
「このわたしが負けた……?」
「魔王みたいなこと言ってる」
「嘘だ、そんなはずがない……」
とかなんとか言いながら、自分のパーを睨んでいる。そうすれば勝敗が覆るとでも言いたげに。
私と逢坂さんは見事にチョキを出していたので、天知さんの脱落だった。
「逢坂さんはどれが食べたいの? べつに譲るよ」
「え、いいですか?」
「うん」
「じゃあ、私こんぶ……」
と、手を伸ばそうとしたけど、その手は打ち落とされた。天知さんが猫のようにしゃーっ! と牙を剥いて三つのおにぎりを腕でガードしている。
「それはルール違反! ルールは遵守してもらうよ。そして渡辺さんが勝った暁には、渡辺さんの胃袋にこんぶが収まる」
「なんで!」
「ルール違反のペナルティ」
「ちょっと。天知さん、自分が負けたからって私の足、引っ張ろうとしてるでしょ。醜いわよ」
「死なば諸共!」
しゃーっ! と威嚇する天知さんと、ぎり、ぎり、と奥歯をかみ合わせて唸っている逢坂さん。私はその肩に手を置いた。
「こうなったら聞かないんでしょ?」
逢坂さんは相当、こんぶが好きらしい。それか、天知さんの策に乗るのが気に食わないのか。
「……天知さんはどれが食べたいの」
「わたし? わたしは……やっぱり鮭?」
くるりと逢坂さんは私を見た。その瞳は、してやったり、かかったな、と輝いていた。したり顔だった。
「私が勝ったらこんぶをもらいます。先輩は、鮭を取っていってください」
「はあ」
「負けたら、仕方ありません。こんぶを持って行ってください。私がなくなく、鮭を食べるとします」
「まあ、わかったよ」
逢坂さんは勝てば文字通り一人勝ち。天知さんの鮭も私が取って潰すことになる。もしも負けても、私の胃袋にこんぶが収まっても、鮭は持って行くらしい。
「なんて卑怯な! 外道。人の心というものがない!」
「選択権が最後なのにそんなことをするからよ」
「っていうかさ、逢坂さんがこんぶで、天知さんが鮭で、私がたらこでいいんじゃないの?」
私はどれでもよくて、べつに逢坂さんと天知さんの希望が被っているわけでもないのだから、ここは平和的解決といけばいいのではないか。
ふたりともまるで思い至らなかった、ときょとんしたが、瞬時にお互いを仇敵のごとく睨み合う。
「人の不幸は蜜の味と言いますから」
「おにぎりを食べながら蜂蜜も食べられるの? なんてお得!」
やっぱりふたりは仲がいい。
そして、
「じゃんけんぽん」
私はじゃんけんに負けた。逢坂さんの一人勝ち。
こんぶと、それから天知さんの不幸という蜜の味を味わっていた。
「おにぎりと豚汁、日本人の魂が歓喜してる……」
おにぎりを頬張り、豚汁を啜り、うっとりな逢坂さん。私には鮭とたらこの二択が回ってきた。可哀想なので、鮭を譲ってやろうと思った。でも、見透かされていたようで、
「ルールはルール。ちゃんと守ってください……」
血涙を流しながらもそんなことを言うので、私は仕方なく鮭を取った。
あんまり味とか、もうわからなかった。




