しっ
「暗い……」
廃墟に電気が通っているわけもないし、月の光も屋内には入らないので真っ暗。天知さんが懐中電灯で手前を照らし、それから奥を照らし、足元を確保しながらゆっくり歩いて行く。
中は、一段と冷えた。
入り口から入ってくる風は背中を叩きつけてくる。汗も冷えてきたのだろう。ファスナーは上まであげて、襟に唇を隠す。
「しかも寒い……」
逢坂さんが入り口を閉めてくれた。それでもどこかから吹き付ける隙間風がびゅうびゅうと音を鳴らしている。入り口からはすこしだけど月光が入っていたのはたしかで、閉じたいまは暗闇に目を慣らすのに時間を要した。
そろそろ慣れてきたかな、と思った頃合いに、唐突に眩い光が目を射る。天知さんのヘッドライトだった。天知さんがこちらを向いていたのだ。
「天井が降ってくる可能性もありますからね。どうぞ」
床に置いたリュックサックから取り出したのはヘルメットだった。
「あ、ありがとう」
パンパンに膨らんだリュックの一部はどうやらそのヘルメットだったらしい。天知さんはヘルメットを三つ取り出す。なんと、ヘッドライトも付属してあった。
「準備いいのね」
「怪我されても困るから」
「ふうん?」
逢坂さんも受け取り、頭に被ってライトの光を点ける。
「それと、手袋もつけましょう。壁に手をついたときなどに、ささくれで傷をして妙な病気をもらいたくないですし」
すでに天知さんは手袋をしていた。懐中電灯を逢坂さんに預け、リュックサックの中を照らしてもらいながら、ゴソゴソと漁る。
「どうぞ」
そのゴム手袋は防寒用でもないしオシャレでもない。作業員がつけていそうなゴム手袋。手にフィットする。
「それと、懐中電灯」
カチカチとボタンを押す。逢坂さんの持つ懐中電灯とは別に、光源ができた。
「始めから渡してくれればよかったのにね」
「しっ」
私もそう思ってたけど。そういうことは言うもんじゃないよ夏希。
「あるならもっと早く渡してよ」
「わがままだね」
「ははは。どうもすみませんね」
よかった。夏希の小言は聞こえていないらしい。同じようなことを言った逢坂さんはわがままと言われていた。
懐中電灯の明かりを天井に向ける。天井にはシャンデリアがあった。いかにもホテルっぽい。私たちがいま立っている場所はレッドカーペットで、ちょうどT字の交差点だった。横には広く長い廊下が続いていて、縦には突き当たりにフロントらしきものがある。その道中にはCの形をしたソファーが置いてあったけど、やっぱり汚いからどうしても座ろうとは思えなかった。
「よし。それでは行きましょう」
リュックサックの蓋を閉め、同じくヘルメットを被った天知さんは髪を直し、出発の合図を出した。
それぞれひとり二つの光源を持つ。頭と手に持ったライトがあるとずいぶん気が楽だ。頭のライトが進行方向を示しながら、手のライトは気になった場所へ自由に向けられる。
フロントの両脇の壁に沿うような形で階段はあった。その階段の一段目のとなりにエレベーターがあったけど、もちろん動く気配はない。いちおうボタンは押してみたんだけどうんともすんとも言わなかった。仮に動いても乗る気にはなれないし、動くほうが怖かったりするんだけど。
階段を慎重に一段一段上りながらも、私は自分をみっともないように感じていた。私たちは階段を一列で並んでいるわけなんだけど、なにせその先頭が天知さんなのだ。天知さんの性格が意外と豪胆であることはわかっているけど、私よりも頭ひとつふたつ小さい背丈の女の子に先導させるのは、なんともみっともない気分になる。
じゃあ先頭行くか? と言われたら、まあ黙ってしまうんだけど。
「あら?」
先頭の天知さんが止まり、逢坂さんが止まり、自然と私の足も止まる。
「どうしたの?」
私が声をかけると、天知さんは見たほうが早いと言わんばかりにすこし端に避けた。懐中電灯を向ける。
進行方向には、道がなかった。
床が抜けていたのだ。ともすれば、二階では天井が抜けていたのだろう。四階にあがるための階段は目と鼻の先だというのに、三階のフロア、廊下にはぽっかりと暗闇が口を広げていて、通れなくなっていた。
「どうする?」
逢坂さんが天知さんの意見を仰ぐ。天知さんはどうしたものか、と考えているようだ。でも焦りはなく、口許は笑んでいる。
私は思いつきを言ってみた。
「飛び越えてみる?」
「危ないよ」
「端をなんとか」
「また崩れるんじゃない?」
とりあえず意見を言ってみたんだけど、夏希が即座に却下してきた。自分でも無理があるとはわかっているけど、却下ばかりされて否定ばかりされるのはすこしむかっ腹が立たないでもない。
「じゃあ夏希はなにか案があるの」
それには天知さんが答えた。
「まあ、階段はほかにもありますから。回りましょう」
「い、行きましょう。先輩」
「あ、うん」
宥められるようにされると、私も調子が狂う。べつに本気で喧嘩をしていたわけじゃないのに。
反対側の階段に回った。そっちも壁や床にはところどころ穴があったりしたけど、通れないほどの穴はなかった。懐中電灯で足元を照らせば問題ない程度の穴で、四階には到着する。
「それで? 絵画ってのはどこにあるの?」
逢坂さんは体力があるのか、疲れは微塵も感じさせていない。逆に天知さんは、息を切らして汗を拭って膝に手をついていた。
逢坂さんが訊いても即座に答えるほどの余裕はないようで、ヘルメットを外すと勢いよく頭を振った。毛が吸った水分を吹き飛ばす犬のように、髪が荒ぶる。
「あっち。反対側」
懐中電灯の光が壁の一角で揺れる。反対側とはつまり、対角線上のことを指していた。
「よりにもよってそっち……」
「あのまま階段上れてたら、近かったんだけどね……」
ホテルの内部構造は、厳密には違うだろうけどシンプルに考えて口の形をしていると思ってよさそうだ。高校の校舎のように考えるなら、私たちはずっと特別棟の側の階段を上っていたけど、件の絵画とやらは一般棟の廊下奥にあるということ。
あの穴がなければ、廊下一本で終わっただろうに、こっちからだとふたつ角を曲がる必要が出てきた。
「まあ、言ってても仕方ない。行こう」
天知さんも体力を回復できたようで、進み始める。




