こういうのって、不良の溜まり場になってるのが定番だよね……
家から自転車を飛ばすこと、約一時間。
夜で薄らと非常口を示す緑の光が浮かぶ、滅多にお目にかかれないいつもと違った高校の校舎を通り過ぎ、一都五県にまたがり太平洋へと流れ着く日本で二番目に長い川を下にしながら橋を渡り、それから山を切り開く形で作られたアップダウンの激しい道を登っていくと、ぽつんと人影がふたつ、見えてきた。
私と夏希、ふたつの自転車のライトよりも明るい光が放たれていて、逆光になって姿は見えづらかったけど、片側二車線の幅が広い車道には車通りがひとつもなく、歩行者も自転車もいままですれ違わなかったから、疑いようはなかった。
ブレーキをかけて減速をする。
距離にすれば実際は三十分の道程なんだろうけど、登るのがきつすぎて道のりだと平気で一時間がかかってしまう。三十分弱を立ちこぎしていたわけで、息は切れるし汗はかくし、秋本番だというのにアウターは要らなくなってしまう。
「こんばんは。渡辺さん」
ぺこりと丁寧な挨拶。お辞儀をすると共に眩しい光が下を向く。天知さんの額にはヘッドライトが取り付けられていた。
「こん、ばんは……ちょっとだけ、待って。息を整える……から」
舐めていた。
唾を飲み込んで、浅い呼吸を何度か繰り返して、しばし体力回復に時間をもらう。
「はぁあ……」
一度深く息を吐いて、吸い込んで、額の汗を拭う。アウターのファスナーをすこし下げてから、うんと頷いた。
「こんばんは、ふたりとも。ごめん、待たせて」
「いえ。そこまで待っていませんよ」
社交辞令だろうか。とにかく、天知さんがそう言っているのだから、私も気にしないべきだろう。
「にしても、重装備だね。登山にでも行くの?」
「まあ、ある意味でここは山中なので、あながち間違ってはいないのですけれど」
自転車を降りて手で押しながら、改めて天知さんの姿、格好を見る。
逆光になるほど眩しい光を放っていたのは、額に取り付けられたヘッドライト。背中に背負っているリュックサックは、天知さんの頭から尻までの長さ。膨らみは相当で、中身が詰まっているのもわかる。服装は、見える範囲だけで三枚着ているようだ。下着や肌着も入れたら五、六枚着ていても不思議ではない。防水性に富んだレインウェアを着ている。中には速乾性や保温性のあるものも着ているのだろう。
額のヘッドライトだけでは飽き足らず、カチカチと光源がもうひとつ増えた。懐中電灯まで手にしているではないか。
登ってきた道は山を切り開いて繋がった道で、私たちはその道を横に逸れる形で歩いていた。つまり、山を横断にしていることになる。天知さんの言った通り、登山に近しかった。登ってはいないから、横山ということにでもなるのだろうか。
からからと回る自転車のライトだけでは心許ないので、天知さんが足元を照らしてくれるのはありがたかった。ふと、気になる。
「ふたりはもう先に入ったの?」
「いや、まだですよ」
「そっか」
逢坂さんがどうして? という目をしてくるので、私は言った。
「いや、ふたりとも自転車を押してないから」
「ここまではタクシーで来ました」
「あ、ああ~……そっか」
つまり帰りもタクシーを呼ぶのだろう。出費が痛いな、と思ったけど、でもそうか。天知さんが必死こいて汗ダラダラで自転車を漕ぐのは想像がつかない。自転車は乗ったことがなくても納得だ。むしろ、タクシーは許されたんだな、と思った。送迎車がいても不思議ではなかったから。
そこまで思うと、さらに疑問になる。
「ふたりとも、よくこの時間に外出許されたね。私なんて、出てくるときお母さんにバレちゃって。ちょっと喧嘩しちゃった」
「ええまったくです」
なぜか天知さんに同意された。
「どうしてわたしはひとりで外出を許されているんでしょう。こんな重装備を背負わせて。なら一緒に来ればいいのに」
天知家のやり取り、この重装備を装備させられる天知さんの背景を想像してみる。
『しろあ様、いいですか。まずこれはヘッドライト。二十四時間は持ちますので、外してはなりませんよ』
『それから懐中電灯。後ろのボタンを二度押すと点きます。それから一度押すと光量の調整。ふたたび二度押せば消灯。予備を何本か入れておきますから、常に持ち歩いてください』
『廃墟ということは外壁もめくれてトゲになっているでしょう。手袋を。いつもの靴ではなりません。しっかりと長靴で。裾も中に仕舞って。肌の露出はいっさい許されません』
……うん。たしかにこうなると、一緒についてくればいいのではないか。
天知さんの服装はすこしオーバーサイズなのか、襟も唇をくすぐっている。
「まあ、渡辺先輩がびっくりしちゃうよ。知らない人が急に参加、っていうのは」
逢坂さんの言う通りだ。
天知さんのボディガート、SP、護衛、側付きとか執事だったりとかその辺が一緒に参加していたら、ムードがない。幽霊を撃退するみたいだ。
「なんだっけ。豚汁持たされたんでしょ? 充分愛されてるよ。私にはその装備、一個も準備されてなかったからね」
たしかに逢坂さんは、軽装だった。カバンのひとつも持ってない。私のようにアウターではなく撥水性のあるウィンドブレーカーを着ているし、靴も紐のない運動靴。天知さんが重装備で耐久重視なら、逢坂さんは機能性重視といったところか。
「逆に用意されててもおかしいけどね」
「それは、そう」
ふたりの仲が親密だというのはわかっているけど、この辺の重装備一式を買い与えるほどの親密度合いではないらしい。
私たちの向かっている場所は廃墟とはいえ、元ホテル。車が通れた道があったはずだから、道なき道、という感じではなかったけど、長年放置されて誰も通っていないが故に、落ち葉で滑りそうだし石に自転車が乗り上げてしまったし、垂れてきた枝や葉が顔をくすぐってきたりした。
下にも上にも注意しながら進むと、開けた場所に出た。正面は鉄製の門が鎖で施錠されていて、左右には鉄製の柵がずらっと並んでいる。それらに守られたホテルは、洋風な出で立ちをしていた。話にあったとおり四階建てで、経年劣化と夜とが相まって、B級映画チックな印象を受ける。
きい、という軋む音に、見上げていた視線を手前に下ろす。すでに天知さんは門前にいた。彼女が門を開いたときに鳴った音だったらしい。
「入らないんですか?」
然も当然とばかりに言う。すこしは雰囲気を感じて二の足を踏むとか、そういうのはないのだろうか。
「見た目と違って、強い」
ほとんど独り言だったけど、
「本当ですよね」
逢坂さんも苦笑して同意してくれた。
自転車を押す。タイヤがふたたび、からからと音を立てて回り始める。
「天知さんは幽霊とか信じないタイプ?」
「どうですかね。信じた上で動じないタイプ? ですかね」
「なにそれ。信じたら動じるんじゃないの」
「あはは……」
自分でも何を言っているか、どう言ったらいいか、と逢坂さんは困ったように笑った。天知さんは特殊なタイプである、ということらしい。
「逢坂さんは? 幽霊とか、信じるの?」
「昔は信じてなかったですけど」
「いまは違うんだ?」
逢坂さんは唇を硬く引き結んで、視線を下に落とした。やがて、
「はい。信じ始めたって感じですけど」
力強く頷くものだから、私は思った。
「なにか、心霊体験をしたんだ?」
と。
しかし逢坂さんはう~ん……と眉を八の字にする。
「ちょっと違いますけど、まあそんな感じです。というか、まあ、そういうものもいるんだろうなあ、いてもおかしくないよなあ、見たことないからいないっていうのはおかしいよなあ、と思い始めた感じですね」
「おお。なんか大人っぽい」
「そうですかね?」
その心霊体験とはちょっと違う体験とやらが気になるけど、さすがに自重する。
「先輩は? 信じます?」
「いてほしい、とは思うけどね。そっちのほうが、楽しそうじゃない?」
「な、なるほど」
感想に困っているようだ。私も、そこまで親しくない先輩にそう言われたら、無難なことしか言えないと思う。
取り繕うように笑った。
「幽霊が未練のある人のことを言ってるなら、楽しそうとか面白そうとか言うのはちょっと、不謹慎かもしれないけど。だからなんだろう……そう、魔法かな」
「魔法」
「ファンタジー的な、中二病的な。魔法あったらいいな……って妄想するのと同じ。幽霊とか妖怪とか、神様とか。いたらどんなだろ? って。漫画でもそういうの、面白いでしょ?」
「ははは、そう、ですね……?」
なんとも逢坂さんは、ぎこちない笑みを浮かべた。そんなに私は変なことを言っただろうか?
門は鎖で施錠されていたけど、それも繋ぎ止められている程度で、隙間に身を滑らせることは簡単にできた。自転車は門の前に置いていくことになったけど。
天知さんはホテルを眼前にして、懐中電灯の光を一階から四階まで上下させながら、端から端まで歩いていた。一往復終えると、私たちのもとまで戻ってくる。
「さて、どうしますか。肝試しはまずひとりが入っていって、ほかのメンバーは待機ってことになってました。相談者と状況を同じにするため、誰かがひとりだけ四階を目指し、絵画の写真を撮ってくることを目標にします?」
「ひとりって。そのひとりは誰が行くの」
逢坂さんの態度から一考の余地もなしと伝わってきた。
「わたしが行きましょうか?」
「それで何かあったらどうするの」
「平気ですよ」
「どこから来るのよ、その自信」
まったくだ。無根拠の自信は時と場合を選ぶべきだろう。
「じゃあ逢坂さん、行きます?」
「絶対無理。嫌だ」
くすっと笑う天知さんに、逢坂さんはぐぬっと頬を赤くする。なぜかこっちを向いた。
「渡辺先輩は? 行けます? ひとりでこのホテルの四階まで」
「無理無理」
「ほら」
私という味方を得て、天知さんに見せつけるようにするけど、
「なにが、ほら?」
まったくだ。なにがほらだったのだろう。
「と、とにかく! 私たちは肝試しに来たんじゃないんだから、みんなで中に入ればいいでしょ。幽霊がいないことを確かめるだけ。それだけなんだから」
「状況を同じにしないと結果が」
「それなら元々同じ状況じゃないから」
たぶん天知さんは、その相談者がやった肝試しを再現したかったのだろう。おーいと放った言葉が誰だったのか。それを知るためには四階にもひとりいる必要がある。
でも逢坂さんが天知さんの背中を押してしまったので、私たちは四人でホテルに入ることになった。
「こういうのって、不良の溜まり場になってるのが定番だよね……」
私は幽霊とは違った意味合いでの恐怖を感じた。幽霊よりも不良や犯罪者は現実味があるし身近だから、ひょっとしたらそっちのほうが怖いかもしれない。
「怖いこと言わないくださいよ……」
「まあ、平気ですよ」
これまた天知さんは無根拠な自信を披露して、ホテルの扉に鍵を入れる。昔は相当頑丈で立派だっただろうに、いまではきい……と侘しい音を立て、天知さんの軽い力で、倒れるように奥に開いていった。




