というか私の名前
相談部の部室がそもそもどこにあるのか。それを知るのにも一苦労した。顧問の先生に訊けばいいかと思ったが、その顧問の先生が誰なのか知るのにもまた、一苦労した。
佐白という女の教師が相談部の顧問だと知れたのはお昼休みのことで、彼女に部室の場所を訊けたのも放課後をすこし過ぎた頃だった。
相談部はどんな活動をする部活なのかとも尋ねたが、返ってきたのは、
「私も知りません。天知さ……んに任せているので」
だった。
なんだか途中、天知様と言いかけたような気がしたが、きっと気のせいだろう。天知しろあはご令嬢だお嬢様だと言われているけど、教師が一生徒に様付けをするはずもないのだから。それにしても、相談部は顧問の手を離れて天知しろあに一任されているらしい。信頼の証か、中々の特権ぶりだ。
とにかく、相談部の部室は特別棟の三階、地歴教室の準備室だと判明した。
「なんか……窓際族?」
こうして実際に足を運んでみると、特権というより無関心さが目立った。立場を追われて追い出されて追い込まれたような感じが拭えなかった。信頼の証は撤回し、どうでもいいとぞんざいな扱いをされている、と言ったほうがいいのかもしれない。
地歴教室は選択授業で使ったことがある。その普通の教室より狭いのだ。準備室なのだからそれよりも狭く、角部屋というのが窓際族という印象を強めた。
「学校の角部屋にはひっそりと……って、ちょっとしたミステリアスさがあるじゃない?」
夏希の言にも一理あった。
「それ頂き」
モデル天知しろあの漫画を描くとしたら、出だしには学校の角部屋にはひっそりと……と書くとしよう。
どっちがノックする、と目配せする。どうぞ、と夏希に譲られた。仕方ない。夏希は付き添ってくれているのだ。
「……っ」
ノックしようとしたら、扉が消えた。危うく踏鞴を踏むところだった。
「ああ……ごめん。渡辺さん。どうぞ」
目の前で扉を開け放ったのは、クラスメイトの男子だった。私には名前がわからなかったので、ありがとう、と頭だけ下げていく。
彼は憂鬱そうなため息をついて、準備室をあとにした。
「人の顔を見てため息、なんて失礼な野郎なんだ。……というか誰だっけ」
寂しそうな背中を見送ってぽつりとつぶやくと、準備室の中から呼ばれた。
「どうぞ」
落ち着いた、しっかりとした声音だった。
準備室はやっぱり棚と段ボールが多くて、ただでさえ狭い準備室がさらに一回り狭くなったように感じられた。長机が置かれ、椅子が三脚並び、それでもうほとんどスペースは埋まっている。
それでも、彼女、天知しろあを前にすると、どうでもよくなる。
柔和な笑みは何にも動じない気品が感じられて、青空のような瞳は何にも染まらない気高さが感じられて。小柄でありながらも私の何倍も強さを感じられた。
彼女は、もう一度、肩口で揃えられた白髪でさらりと音を奏で、手の平で示した。
「どうぞ」
生唾を飲み、後輩相手だというのに、私は
「失礼します」
と、遠慮がちに準備室へ入った。
「自由にしてかまいませんからね」
「は、はい」
まるで面接のようだ、と感じた。高校受験のときの面接だからもう二年近く前になる。面接官に許可されるまで、座らない。
緊張した私は自然とそれと同じことをして、天知しろあからの許可が出るまで椅子に座れなかった。
「緑茶とウーロン茶と麦茶がありますけど、どれにします?」
それは天知しろあの声ではなかった。
失礼ながら、いまのいままで、天知しろあのほかに人がいることに気付かなかった。天知のとなりに座っていたというのに、だ。
彼女のネクタイもまた青だから、天知しろあと同じ一年生ということになるのだろう。
「温かいのは緑茶だけになりますけど」
「じゃあ、それで」
十一月の風はもう冬の色を運んできていて、気温も低い。ここにはエアコンもないしこの狭さではストーブも用意できないだろうから、さぞかし凍えるだろう。
「どうぞ」
「ありがとう」
緑茶を持って来てくれた一年生の女の子は、私がお礼を言うとにこりと微笑んだ。
長い黒髪は胸を超えて背中までたっぷりと伸びている。顔つきがすこしトゲトゲしさがあるけど、いまのちょっとした微笑みの際、赤い瞳は薔薇のように華々しくなった。大人っぽい印象から垣間見える女の子らしさが年齢相応で、後輩だとようやく、認められた。
紙コップに注がれた温かい緑茶。私はそれを手で包み、暖を取る。
「それで、本日はどのようなご用件で?」
私は先輩で天知さんは後輩だから敬語を使ってくれるのは正しいのだけど、なんだか天知さんの敬語は、かなり恭しく感じられるのは私だけだろうか。こっちが申し訳なくなってくるというか。
「相談ということでしたら、ただいま抱えている案件があるのですこし遅くなりますけれど、よろしいですか」
「あ、その、私たち……相談しに来たんじゃないんだよね」
「? では?」
どうしたものか。一度、夏希と目を合わせる。
遠くから、天知しろあの一日を追いかけて写真を撮ってメモを取って、何を食べたか何を話したか調べるのは単純にストーカーで犯罪だから、私たちはこうして天知さんの元を訪ねたのだ。許可をもらおうと思って。
でも、……なんだか、私はもっと好奇心が駆られた。元々好奇心は強いほうだ。それが漫画家の根源となっているのか、漫画家になるからにはあらゆる物事へ好奇心を向けようとしているのかはわからないけど、彼女を知るのはいい刺激になると思った。
「入部って、できる? ……ふたり」
天知さんは目を丸くし、となりの女の子は天知さんの顔色を見て、口を開きかけた。
「あの、すみま」
「いいですよ」
今度はその女の子が目を丸くした。私と天知さんを行ったり来たりして、天知さんの肩を掴むとこちらに背を向け、ふたりでこそこそと内緒話をする。
「どういうことよ」
「だって、……」
「……だけど……方針……」
「……に一緒…………!」
「……。あの男は…………」
なにやら忙しい。
最初は女の子が詰め寄る感じだったけど、天知さんがほくそ笑むようにしたと思ったら、やがてため息をついて額を覆うようにした。
天知さんにも好奇心はあるけど、この女の子もふつうにかわいい。このふたりはどういう関係なのだろう。けっこう、親しく思える。
くるりとふたりがこちらに向き直った。
「いいですよ」
再三の協議に渡っても結果は変わらず、許可が出された。女の子はどこか不安げにしている。
「あ、とは言っても私、漫研の部員でもあるから。そこまで邪魔はしないから。安心して」
「わたしも、美穂ちゃんが来るときだけ来るから大丈夫だよ」
「うん。どうせ私も夏希も、三年生になったら引退してるから、安心して」
これで安心できただろうか。この場を奪おう荒そうだなんて微塵も考えていない。むしろ、私たちが脇役なのだ。ふたりにはいつも通りにしていてほしい。
すると、天知さんは目蓋を下ろした。たしかに安心してほしいとは思っていたが、何も、無防備に寝て欲しいとまでは思っていないのだが……。
眠り姫の天知さんをフォローするように、女の子が、口を開いた。
「ちなみに、先輩はこの部活が何をするか知ってます?」
夏希と横目で目が合う。向こうも向こうで、私に助け船を求めていた。
「ごめんなさい。知りません」
「まあ、大丈夫ですよ。私もよくわかってないので」
「え。じゃあ……いつも何してるの?」
「何もしてません」
「というか集まるの、久しぶりだもんねー?」
首を傾けてにこりと同意を求める天知さん。かなりかわいい。これが天知しろあでなかったらあざとくしかならないけど、天知さんだと可愛らしいとしかならない。もしも私がやられていたら、同性でも惚れていた。
「ねー」
やられていた女の子は大して感情もない平坦な声で、適当な相槌だけを打っている。
「あ、入部するなら渡辺さん。届は持ってらっしゃいますか」
「……ないです」
入部は突発的に思い立っただけ。するつもりはなかったのだ。
「では、明日、お願いしますね」
「というか私の名前」
「ええ。知っていますよ。渡辺美穂さん」
私だけの名前を知っているわけではなさそうだ。この感じ、全員の名前を覚えているって感じがする。有名人は大変だ。




