始まりの
思い出す。あの時、私はここにいた。ここで生まれたのは違いないけれど、この時は生活する中で何も思う事もなかった。何もすることのない、何もないところ。
「ミシェル様」
いつからか、私の隣に彼がいた。殆ど顔は見ていない。私は魔王の娘。この時の私は17歳だった。父から離れたこの塔の上で、暮らしていた。
「魔王様が、お待ちです」
「父上が…なんの用で?」
「貴方の力がみたいと仰っておりました」
ただ、この時の楽しみは父親である魔王と戦うことのみ。私はその時だけ部屋を出て、剣を手に取り父の元へ向かっていた。
「はぁっ!」
一度魔王と手合わせすると、二日三日は寝込む。その間、私は戦いの熱を冷ましてから、次のために鍛える。それだけの日々だった。
――――――――――――――――――
到着したのは、10分歩いた小さな塔の一番上の部屋だった。エルが指示を出して、シャムが扉を開けてこちらを促した。私はリアの肩を借りながら、部屋を覗き込むようにしてから入る。
「あ…」
「何にもありません…ミシェル、様はこういう方でしたからね」
家具などもなく、あるのは2枚の布だけ。まるで牢獄かと思うような殺風景な部屋だった。
「ミシェル様は何にも興味なく、用意した部屋を放棄してここに来ちゃったのさ。誰かが言わないとお食事もとらなくてね、僕達はびっくりさ」
エルが首を竦めて背中に乗るミシェルを見た。そして、ゆっくりと割れ物を扱うように布の上へと横たえると、一息ついて立ち上がった。
「ここで大丈夫なのか?」
「少しの間だけさ。僕はちっさいから体制きついし。次は君に任せるよ」
「ああ、わかった…丁寧にだな」
シャムは落ち着かない様子で、自分の手とミシェルを見比べるように繰り返し見た。そして、私の方へと視線を向ける。
「そういや、お前は…なんという名だ?聞いていないと思ってな」
「由香です」
名乗ると、2人はピクリと反応する。エルは特に先程見たひんやりとする目で、私を見つめる。音もなく近づいてくるエルを前に、私はその場から逃げたくなった。
「エル、止まってください」
「リアは知ってるもんね…これのこと。でも僕達、何にも知らされてないんだよ。レーク様に関わることでもあるし、ちょっかい出させてくれない?」
「…ミシェル様が目覚めてからでもよいのではないでしょうか。あの方が我に返れば、お話されるかと思いますが」
リアが私を庇うように前へ出る。エルは鼻で笑うと、私に指をさした。
「こっち来なよ、物理的にどうこうする訳じゃないし。僕がそうしたら、この2人も止めると思うしさ」
こちらを物扱いするかのような言動が気になってしまう。警戒心が強くなってしまい、私はどうしても動きたくなかった。
「まぁいいや、そこでもいいんだけどさ、ゆか?君は何者かな?纏ってる空気が違うよね?僕達悪魔からしたら、名を聞いただけでも違和感あるし」
「…こことは違う世界から、来ました。魔王とミシェルの手によって…。本当は死んでるはずです」
「へぇ。死んでるから違うのかな?異世界から来たのもあるけどさ。珍しいね、何十年ぶりだろ?」
エルが興味深そうに、リアの肩越しにこちらの様子を伺っている。後ろにいるシャムも、じっと睨むように見ていた。
「だが、ゆかには他のような力はないようだ。他は世界を渡るために、空間を乗り越える際に力を取り込むことが多いが、これっぽちも感じん。どうやってこちらに来たんだ?」
私は首を傾げる。本であるように、異世界に行った人達には力があると聞いて驚きがあった。しかし、私にはない…。
「私は、弱いですから…」
「まぁそうだね。この世界の中で一番弱いかもだし。ま、実際には人間なんて僕達と天と地との差があるんだからさ、気にする必要なんてないけどね」
エルは私の顔を見てそう言うと、何も無い部屋をもう一度ぐるりと見回した。そして、ミシェルを見てクスリと笑う。
「ミシェル様も僕達とは天と地ほど違う。昔、僕達は最初ミシェル様に華やかな部屋を用意したんだ。あの時はびっくりしたよ、見るなり気に入らないと言われちゃったし。僕達悪魔の女の子たちを基準にしたんだけど、必要ないみたいだったし」
「ああ、あの時はな。俺もせめて生活する上で暇にならぬよう用意したが、いらんと言われてしまったな」
エルとシャムが、懐かしそうに語り合い始めた。
「僕はこっそり植物を置いてみたんだ。そしたらなんと、影から見てたら消えてて、最初に用意した部屋に置いてあったんだよ。返すのも悪いと思われたのかな…クスクス」
「俺は魔王様に挑むミシェル様を見て、稽古をつけようかと話しかけてみたが、逆にボコボコにやられてしまった」
こうして聞いてみると、なんとも無愛想で可愛げのない子供だったんだなと理解出来る。が、今のミシェルには繋がらない。
「基本喋んなくて、お菓子とかでも釣られなくて、ボコボコにやられるし結構ショック受けたんだけどさ、リアがついてから変わったんだよね」
「最初は同じ扱いだったんだがな。こいつは少し違うからか、ミシェル様も気になったようだ」
「おや、皆さんで私をそんな風に言うんですか?成り上がりの傲慢だった私にミシェル様は怒っていらしましたが」
私はリアも加わった話に、続きがもっと聞きたくなり緊張する中、口を開く。
「何が、あったんですか」
「あまりにもお話なさらないので、少し無理矢理に外へ連れ出しました。レーク様に協力してもらいましたので、渋々従ったんでしょうけどね」
無愛想な子供が、引っ張られていく絵が思い描かれる。小さな時のミシェルは、記憶の中では笑顔がなく、目だけがいつも周囲を睨むように見ていた。周りとは違って角がなく、力もあったミシェルは1人だったのは、知っている。だが、リアと関わりあった最初の方は見ていない。
「それでですね…」
――――――――――――――――
リアと名乗った男は、ある日私にこう言った。
「外に出ましょう、ミシェル様。レーク様のご命令でもごさいますので」
私はその日初めてまともに彼を見た。毎日のように話しかけてきて、何かを提案することは他にもいる者と同じだった。だが、父である魔王に話を通してまで来るのは初めてだった。
「魔王様に迷惑をかけるのはやめて。魔王様は唯一無二であり、私ごときに時間をさくほど暇ではない。こんな無駄なことで、お手を煩わせないで」
「おや、話せるんじゃありませんか。さぁ行きましょう、少々無理にでもと許可は頂いてますからね」
「…それは私が貴方に勝てば、行かなくてもよいということ?」
彼は私の言葉を聞いた途端、それは楽しそうに口の端を上げて笑った。まさに悪魔の正しい姿かのように。一瞬気を取られた私は、直ぐに睨むと近くにある剣を手に取った。
「待っていると、そう思いましたか?」
肩に彼が手を置いていた。目を離さなかったはずなのに、背後にいる。微かに追えたが、途中で見失ってしまった。
「くっ!まだ…」
抜刀と同時に回転をかけて背後を切りつける。またもや姿はなく、背後に気配が生じた。わざとらしく気配を感じさせているのがわかってしまう。だからこそ、私は悔しかった。
(前を見ているだけでは駄目。彼には剣1本じゃ私には対応できない…確かまだあの場所に剣があるはず)
視線で悟られぬよう、私は位置を確認する。彼は壁際でこちらの様子を伺っている。楽しそうに。
「…ふぅ、炎よ」
「フフ、魔法も使えるんですか。ですが、こんな狭い場所では」
「水よ」
2種類の魔法を使い、蒸気を生み出す。爆発しないか心配だったが、問題なさそうだ。私はもう一本の剣を手に取る。そして2本を構えて、余裕そうに向こう側で待つ彼に向かって飛び出したー。
―――――――――――――――
「それで、どうなったんですか?」
「勝ちましたよ?いくら戦いのセンスがあれど、付け焼き刃ですし、経験が浅いですからね。外へ連れ出すことに成功しました。ミシェル様は最初気に入らないようでしたが、空を見上げて綺麗だと仰りました」
リアが、部屋の小窓から外を見る。私も見るが、他の建物が立ちふさがって、空は見えなかった。
「ミシェル様は、何も知らず生きてきました。だからでしょうか。色々教えているうちに、私の口調まで真似てみたりして、丁寧な言葉を使うようになっていましたよ」
窓から目を離して、リアは寝ているミシェルへと視線を移した。
「へぇ、君達そんなことまでしてたんだ。羨ましいね、その頃僕達は恒例の戦争で忙しかったから」
「同じ魔界での争いがな。4年に1度、大きな争いが起こる。俺達はそれに駆り出されていた」
その頃はエル達は忙しかったらしく、見ていなかったようだ。丁度レークも魔王として活躍し、ミシェルと手合わせすることもなかったらしい。
「それで、あの後に…?」
「えぇ…。外を知ることで、ミシェル様は自分に足りないものが多いと気付きました。美しいものを美しく感じることはできても、誰かの心を理解できないことが、苦しかったようです。…特に私のせいでもあるのですがね」
リアが視線を下に落として、笑みを消す。私はなんといえばいいのかわからなく、同じように俯いた。
「リア?」
「ミシェル様!お気づきですか…!」
全員が反応した。私も起き上がるミシェルを見て、あっと声を上げた。
「ミシェル!」
ミシェルはリアを見ていたが、ゆっくりとエル、シャム、私へと目を移した。そして、私の方へと向けたまま、手をこちらへと向けた。
「由香…?」
「あ、うん、私…。れ、魔王にこの体にされてね」
こうやって向かい合って話すことなどないと思っていた。どこか恥ずかしさがあり、目を合わせるのも緊張する。
「私を…呼んだ?」
「…うん」
ミシェルはもう一度周りを見回して、
「ごめんなさい、少し席を外して。エル…それにシャム、お願い」
と告げると、2人の姿が音もなく消える。ミシェルはリアを見ると、ため息をついた。
「本当に、迷惑をかけてごめんなさい。それと、見守ってくれて、ありがとう」
「おや、ありがとうと言われるのは初めてですね。ミシェル、記憶の混乱は大丈夫ですか?」
「今のところは、ね。由香も聞いて、私は力を制御出来なくなったあの時から、リアの力を借りて封印していた。けれど、封印は解けて、今戻りつつある。私はまだ、暴走を抑えることは出来てない」
―――――――――――――――――
「魔王様、争いはどうなりましたか?」
「ああ、勝つ。ミシェルよ、お前はどうだ?少しは強くなれたか?」
「手合わせを、お願いします」
私は、剣を手に取る。魔王との手合わせをする度に、私の心は冷たくなる。殺せる、もうすぐ殺せる、私は強い、魔王を殺して私が…!
「ぐっ…強く、なったな」
最強である魔王の肩に、双剣のうちの一本が貫いていた。勝てる、そう思った私はもう一本の剣を振り上げて、笑った。
ガキッ
4人の影が、私の振り下ろした剣を抑えていた。ハッとした私に向かって、
「父である魔王様を殺すつもりか」
と誰かが問う。何も考えられなかった私は、4人の剣を薙ぎ払った。そして、高鳴る心臓の音に気づいた瞬間、双剣を手放した。
「あ…私は、何を?」
期待していたのか、父を殺すことを。魔王である存在を倒すことで、自分が強いのだと知らしめることをしたかったのか。父を、殺してまで?どちらが大切か、なんてわかるはずなのに、心のどこかで、倒せる自信を持った自分が剣先を、父に向けている。そしてーー。
「あぁ……!」
私はいつの間にか、塔の上であの部屋で、閉じこもっていた。震える手を抑えて、高鳴る心臓を抑えて。
「ミシェル…!これは」
「リア…?離れて、私は…。私は、何故父を殺そうとしてしまったの?何故、何故?わからないよ…リア」
今でも、魔王様のことを思えば思うほど、倒したいと思う。私は強くなりたかった。それしかないから。それ以外の生き方を、した事がなかったから。
「ミシェル、貴方は悪くない。景色を綺麗だといえる貴方は、優しい。ただ強き者を倒そうとする思いが強かっただけなのですから」
「リア、私はこの力などいらない。唯一である父を、傷付けた私には、いらない。ましてや、トドメをさそうとした。私が、許せない。何故、私は父を殺そうとした時笑ったの?」
「ミシェル!」
拒絶した。私を、力を。だからだろうか、何かの繋がりが切れたかのように、力の制御が外れた。自分の力なのに、私は抑えることも出来なくなった。気がつけば、息絶えたかのように横たわるリア、そして崩れた塔。遠くからやってくる気配が私には感じられた。
「もう、嫌…私は、私じゃなくていい」
私は離れることだけを意識して、深い森の中に自ら入っていった。湿った草木が荒れ狂う魔力によって朽ちてゆき散っていった。
「…涙も出ない。こんな時、あの子ならば泣く?あの子は、仮の家族であっても、大切にしていた。私は、力は強くとも、心は弱い。逃げてばかり」
このまま力を出し尽くして、消えてしまえればいいのに。そう思った時、遠くで声が聞こえた。
「ねぇ、ーー。私は、ーーになるよ。もう、失わないように」
顔を上げると、目の前の空間が捻れて、何処かに繋がっていた。声を聞こうと耳をすませると、女の子の声が聞こえてくる。大切に、大切に扱うような声が心地よい声が。
「そしたら、亡くなった家族も喜んでくれるかな。私は、命を救えるようになりたい」
「なれる。失って辛いだろうけど、由香は強いから。頑張れ」
「うん、頑張る」
私が見たどこの景色とも違うところ。そして、女の子の姿が見えた時、私は息を呑んだ。
「綺麗…これは魂?」
私は悪魔であること。そして魔王である父から聞いた話を思い出した。魂は、見ようと思って見なくとも、その輝きを見ることができる。最も輝いている時、それを見つけられれば、私でも見れるだろうと。
「そっか、ゆか、由香は立ち上がったからこその輝き。…心が強いのね」
それに惹かれて見ていると心が落ち着いてきた。力も弱まり、私はいつの間にか眠りについた。
目が覚めると、赤い色が目に飛び込んできた。柔らかな肌触りの布に包まれている。私はそっとどけると、起き上がる。物が溢れんばかりに装飾に使われ、見た事のある植物が目に入る。水色の花が咲いたもの。
「最初に貰った部屋…。つまり魔王様のお傍にある」
「ミシェル、起きましたか。安心を、魔石にて力を抑えていますので」
横にいたリアに話しかけられて、私はビクリとして肩を竦めた。そっとリアを見ると、怪我がない。
「ごめんなさい…」
ほっとしながら、私は傷付けた事実に変わりはないと唇を噛んだ。握りこんだ手の中にある魔石は、見たことの無い色をしていた。
「謝る事などないですよ?私など、一時期は多くの同胞を殺しました。…争いのためだといえば、逃げになりますがね」
リアは私の手を見て、その中の魔石を指さした。
「それは私から貴方に贈ります。力を封じるものです。赤色は力が入っている状態、青色は入ってない状態です。今は全て入っています」
「それじゃあ、私は今」
「…全てとは言いませんが、ほぼ力はない。私ですら貴方を止められます」
「そう」
力がない。私は安心した。これで誰も傷つけることはないと。間違って父を手にかけようとすることも。
「リア、私…」
私は、異世界の景色を見たことを告げた。リアは最初は驚いたが、納得し説明してくれた。
「空間が捻れて、繋がったのですか。それはミシェルとそのゆかという者の繋がりが強いのもあるのでしょう」
「前みたいに、学ぶために見ることはだめ?」
「さぁ?私はそこまで決まりなど知りませんしね。ミシェルの自由だと思いますが」
リアは見るだけなら自由なのではと告げてから、呼ばれて部屋を出ていった。私は魔石を手に取って部屋を抜け出し、あの森へと入っていった。焼け焦げたような跡を辿り、中心へと来ると、私は魔石から少しずつ力を取り戻して、空間を捻じ曲げた。
「ねぇ、ーー。私は…守れなかったよ、友人さえ」
私は身を乗り出して見入った。あれだけ輝いていた魂が黒くくすんでいる。何が、あったのか。
「なんで皆私を守るの?なんで私は守れないの?死なないでよ、私を、置いてかないでぇ…!」
女の子の目の前には、白い布をかぶせられたあの時の隣にいた人間が横たわっていた。ここから見てもわかる。生きていない…。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
聞くだけで、心臓が締め付けられる。女の子の感情が、空間を越えて迫る。勝手に震える手を私は握りしめる。
「私が生きてちゃ、駄目だったんだ」
感情を振り切った声が聞こえた瞬間、私はハッとして頬に触れた。濡れている感触に、頭が混乱し始める。
「ーー。あの時の言葉、忘れたわけじゃないよ。でもね、もう救ってくれた貴方がいない。また目の前で、失っちゃったら、私は…!」
涙が溢れて止まらなかった。理由はわからないのに止まらない。私は辛くて辛くて仕方がなかった。心臓が痛くて、目が離せなくてー。
「死にたくないよぉ…ーー。もどってきてよぉ、1人じゃ嫌だ…」
泣きながら、1歩ずつ上へ上へと向かう女の子へ、私は手を伸ばし始めた。
「待ってー、由香。死なないで、お願い、私はまだ貴方を見ていたい」
拒絶反応が起きて、バチバチと手が弾かれる。それでも私は、由香に手が届くようにぐっと空間に手をねじ込む。
「うっ…ぐ…」
間に合わず、由香は飛び降りた。これじゃ、だめ。せめて、魂だけでも救いたい。黒くくすんでいるままでは、きっと魂だけが残ってしまうから。何故そう思ったかなんてわからない。私はひたすらに手を伸ばして、叫んだ。
「由香!」
頭の中を、由香の記憶が広がる。その大部分を占めるのは失った悲しみだった。だが、立ち直る姿、家族、友人と共に過ごしていた時間はとても輝いていた。かけがえのないものだった。
「私も、こんな風に感じてみたい…人として、生きてみたい」
「痛い痛い痛い…」
私は由香の声に応えた。私を使ってもいいと。だから、生きてほしいと。
「自分勝手でごめんなさい…由香」
「助けて…」
記憶が広がる。私は自分の記憶を魔石を通じて送り出す。私も、由香になりきれば、由香は救える。そう信じて。




