由香
私は、屋上から飛び降りた。体を切り裂きそうなほど強い風、そして急速に近づく地面。怖い、怖いよ。ねぇーー。死んじゃうって、怖すぎて嫌だよ。でも、戻れないよね。貴方はもういない。嗚呼ーでも死にたくないよ。
痛い痛い痛い。…あれ?どれくらい経ったんだろう。痛くない、死んじゃった?あの世かな?貴方はいるのかな?でも、目を覚ますのが、怖いよ。貴方がいない。どうしても、この暗闇から抜け出せないよ。
「ごめんなさい、貴方の心を…教えて」
私に光が差した。暗闇の中に突如現れた光は、私を引っ張っていく。疑問に思う暇もなく、私は、由香であることを忘れた。
私は名のなき者として、微かに残る記憶と、想いを元に、新たな世界を生き始めた。絶望、救いー。色々な経験をして、新たな出会いに、私は成長した。だが、そうではなかった。忘れたかった、それだけ。成長なんて、出来てない。
あの時、レークに呼ばれた時、そして、龍星に記憶を返して貰った時、私は完全に思い出した。自分は、由香であることをはっきりと。私は、このミシェルという人の中にいるだけなのだと。その途端、私とミシェルはくっきりと別れた。混ざっていたような魂が、割れたかのような、そんな感じだった。
『ミシェルは、私を思い出せないみたい』
ミシェルの心の中にいると認識してから、私は独り言をよく言うようになった。ミシェルが経験することは、私が体験したかのように映る。だが、前のように私の心が、行動に反映することはない。
『ミシェルはどうして私を?私は…。ミシェルは、誰かの心がわかるなんて、凄いよ。私は、出来ないから』
こうして見ると、今までもそうだったが、私だったら行動できないだろうことが、ミシェルには簡単に出来る。あの時は勝手に動いてたけど、今思えば怖かった。羨ましい。私が居たことで、逆にミシェルの足を引っ張ったんじゃない?どうして、そんなにも持っているのに、私の心を、感情を知りたいと思ったの?
暫くして、ミシェルは非常に不安定になった。しかも、私の声が聞こえてくるようだった。それからは少し黙るようになった私は、ミシェルの様子を内側から必死に感じ取った。仲間思いで、自分のことなど後回し。上手く自分の思いが扱えない。とうとう記憶の混乱で、自分を見失ってしまった。
『えー。何がー』
何かが壊れた音がした。まるで封印が解かれたかのような、そんな何かが。その瞬間、私の元まで届くような、力が注ぎ込まれた。ミシェルの記憶とともに。
『ミシェルっ!!!』
共に過ごしたからだろうか。私は予想より、ミシェルを双子のように感じていたのかもしれない。今まで冷めていたような気持ちが飛んで、私は焦る気持ちを声に出して叫ぶ。
『私は、ここにいるよ!』
ミシェルの声にならぬ叫びが、心の中で響いているかのようにドクンッと波打っている。私はその波に呑まれそうになり、消えそうになりながらも、ミシェルに叫び続けた。
『み、しぇる…』
自分の存在が消えていく、そんな気がした。私は家族を思い出す。笑顔の日々を。突如笑顔が消えた、私の後悔の日を。あれは、共に過ごしたからこそ、無くした時にあそこまで苦しむことになった。親友もだ。でも、共に過した事は後悔などできようもない。それは、それは今のミシェルとのことも一緒なのだ。
『今度こそ、助ける…』
私は、もう失いたくないよ。
「私も…ごめんなさい、由香」
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どれ程の時が経ったのだろうか。私は目を覚ました。そして、痛む頭を押さえて起き上がる。
「何処?」
辺りを見回して分かったのは、だいぶ深い森の中だということ。遠くの方を見ても木々しか見えず、緑の香りが充満している。ちょっと湿ったような感触に、私はギュッと目を瞑った。
「ミシェルは?」
私はミシェルの中にいて、行動を見るだけの幽霊のような存在だった。それなのに、こうして感じて、行動が出来ている。それは、私がこのミシェルの体を使っているという事だ。何が起こったのか。
「とにかく進まなきゃ。モンスターにやられる」
今のところ、害のなさそうな動物しか目に入らない。今のうちにできるだけ進まないといけない気がする。森の中にいるのは、ミシェルがきっと悩んでいるうちに周りを見ずに来てしまっただけだろうし。
「何処に行けば当たりかな…全然知らないし」
不安になりながら、中腰でそろりそろりと進む。背中にかかっている双剣が音を立てる度に驚いて竦んでしまう。前の時とは違って、本当に一人だ。
「こんなに寂しいのは、あの時以来だよ…」
独り言も多くなってきた頃、空が暗くなっていくのに気づく。絶え間なく周囲を警戒しながら、足を早めた。途中で何度も木の根に足を引っ掛け、モンスターにも出会いそうにもなる。が、モンスターは泡を食ったように驚きながら走って逃げていった。
「なんで…?もしかして、凶暴なモンスターが近くにいるんじゃない?どうしよう…」
自分でも驚く程に臆病になっている。普段使わないような言葉を口に出しながら進む。その途中、私はピタリと足を止めた。
「…?」
ガサガサと音がする。でも遠くではなく、近い。私が振り向くと、そこには黒いモヤが見えた。
「…あ、悪魔だ」
ミシェルの記憶にあるあの人だと、私は気付く。名前がパッと出てこない。そのまま見つめ合うかのように立ち止まり見つめていると、モヤが人の形を作る。
「貴方は、由香ですか。初めましてと言うべきですかね。リアと申します」
「…リアさん?」
「リアでよろしいですよ、由香」
何処か人ではない冷ややかな空気を纏った悪魔。目の前にしたからこそ、理解出来る。この悪魔はやばい。笑みを浮かべてるのは、こちらを気遣ってる訳でも、こちらを馬鹿にしてる訳でもない。無関心だからこその笑みだと。
「警戒しなくてもいいですよ、危害は加えません。しかし、聞きたいことはありますが」
怖いと感じた私は、不自然すぎる程の距離を置いて歩く。そして、質問を待つが悩んでいるのか、沈黙が続く。バクバクとなる自分の心臓の音だけが、耳に響いていた。
「ミシェルは、戻りますか?」
突然の問いに、私は考えずに、
「はい」
と答え、しまったと口を噤んだ。後先考えず、適当なことを言ってしまった。怒られる。
「…」
よく分からない雰囲気の中、モンスターと出会うことなく森の中を歩いた。永遠かと思ったが、やがて視界が広がり、下の方に村の入口が見えた。まだ遠いが、何処か安心した。悪魔がこちらを見た。
「これから貴方は残された時間をどう過ごしますか?」
「…何も、考えてはいません」
「そうでしたか、後悔はしていますか?」
「する暇もなく、ここまで来ました。まだ後悔してるかなど、わかりません。ミシェルと出会えたこと自体は、後悔などできようもありませんけど」
「ふっ…そうですか」
むず痒い、私はそう思いながらミシェルが早く戻らないかと願う。この悪魔は、ミシェルの事を聞く時だけやけに柔らかい声音で話しかけてくる。今も、ミシェルの事を話しただけで、嬉しそうだ。この悪魔は、ミシェルのことが…。
「やはり、手放すのではなかった。いや、離れてしまったのがいけなかったのでしょうか」
「戻りませんよ、時間は。…あ、いえ、もしかしたら他の世界では、違うのかもしれないですけど」
「…戻らぬからこそ、大切にしなければいけないということでしょう」
村が近づくにつれ、悪魔の姿が霧のように薄れてゆく。村の人達には、見られたくないのだろうか。面倒なことになるからだとはわかっているけども、私は何処か不安に思った。
「待ってください」
「なんでしょう?」
薄れた姿のまま離れてゆく悪魔に、私は手を伸ばしてその服の裾を掴んだ。
「ミシェルを、ひとりにしないで。…私はそばにいられないから、変化があったミシェルを、もう置いてかないでほしい、です」
「…聞くのを忘れていましたね、ミシェルには今、何が起こっている?」
焦るような様子の悪魔の姿に、私はもう怖さを感じなかった。悪魔のミシェルに対する思いを、わかったような気にでもなっただろうか。
「私は視ました、ミシェルの過去を。今のミシェルは、記憶を整理している時だと思います。私には、当時のミシェルの気持ちはわかりません。ですが、少しだけ流れ込んできたミシェルの思いは、とても哀しかったです」
悪魔は私の言葉を聞き、こちらへと戻ってきた。安心した、何故、まさか、のわかりやすい感情が伝わる。私は感情の起伏の激しかった友人を思い浮かべながら、
「気をつけてください、もうすぐ、私は消えます。だから、ミシェルを助けてあげてください。昔から、共に居たんですよね。これ以上、置いてかないでほしいんです」
自分とミシェルの今が重なった。置いてかれた私はもう耐えられなかったから。だからミシェルは、私のようになってほしくはない。私を拾ってくれたミシェルは、私の光だから。
「二度と、手放さないで」
「…はい。これ以上放したりはしませんよ」
私は表情を緩めて手を離した。
「あの、私はこれからどうすればいいと思いますか?」
そして、困ったように村へと目を向けた。安全なところには着いたものの、ミシェルの仲間に会うことも出来ない。直ぐにボロがでそうだ。
「そうですね、ではどうしましょうか…っ!」
「いや、そのままでいい。やぁ、由香…初めましてと言うべきかな」
リアが、慌てたように振り返る。それに続いて私は後ろを振り返り息を呑む。そこにいたのは紛れもなくー。
「魔王様」
「レーク…ミシェルの父親」
私はミシェルの記憶の大部分にいたその存在に、目の前の男が同じだと気づいた。仮面を外したその姿はまさに魔の王のように覇気を身にまとっている。見た者の心を恐怖に引きずり込むだろう瞳が、私を射抜く。
「私が父親だというか。確かにそうだがね。どうだ、この世界は。君には生きることが出来そうにないだろう?」
「…っ!」
声が出ない。本能が危険だと、叫んでいる。でも、言っていることには、はいと答える。私には、恐ろしすぎる世界だ。
「やはり強すぎるか…当てられているな。やれやれ、手間がかかるね」
何かが引いていくように空気が軽くなる。それと共に体の震えが止まらなくなる。
「さて、本題に入ろう。由香、君は元の世界に帰りたいかね?私ならば戻してやれるぞ」
「…戻りたくはないです」
「ふ、そうか。ならば友人とやらに会いたくはないか?」
「え?」
私は青ざめた表情をしたまま、どうにかレークの顔を見ることができた。
「会える?」
「取引をしようじゃないか、由香。君が我の手駒となるなら、友人に会わせてやろう。家族でもいいが」
震えが止まった。
「どうして私を知ってるの」
「興味があってね。君をここへ来させたのは我だ。ミシェルだけの力ではない」
頭が回らない。何故こんなにも分からないことだらけな事が一度に入ってくるんだろう。ミシェルが私を呼んだ。けど、それに手を加えたのはレーク?
「ミシェルには異世界から人を無事に連れてくるほどの技量はない。繋げるだけでも上手くいった方だが、放っておけば、君の魂が崩壊していただろうね…」
「…なんで」
「我は望んでいた。娘が成長することも、手駒を増やすこともな。ミシェルの行動は私の望みをどちらも叶えてくれるだろうと手助けした訳だ」
私はミシェルの過去を思い出して、嗚呼、と納得した。ミシェルにとって、父親であるはずのレークは、得体の知れないものだったと。
「他の世界では異世界から人を呼び寄せ育てていたという。心の折れるものが多いため、失敗ばかりともな…だが、ミシェルと由香は魂が似通った珍しいケースだ。鍛えれば、どうなるか。面白いだろう?」
「…残念ですが、お断りします」
「何故だ?会いたくはないか?」
「私には会う資格などありません。それに、この世界に来ることは、させたくありません。他の繋がりを切ることになるから」
私のいた世界では、色々な考えがあるが、魂は巡っていくと思っている。だから、家族にも友人にも、他の繋がりと別れなどさせたくない。
「ふむ、まぁ仕方がないかね。リア、ミシェルの力の解放に関して言うことはあるか?」
「…いえ」
リアは、表情を消してレークを見つめている。張り詰めた空気が両者の間に漂っているのは伝わる。
「お前には監視を頼んでいたが、あまりにもお粗末だな。ミシェルは弱くなったようだ」
「…申し訳ありません」
「さて、由香。どちらにせよその体は返してもらわねばならない」
レークはそのままこちらへと歩み寄ってくる。
「魔王様!」
リアの叫び声が聞こえたかと思った時、私は上空を見ていた。
「はっ!?」
起き上がると、異常に体が軽い。魂だけに戻ったかと思えば、見たことも無い服が目に入る。しかも、着ているのは自分だ。
「ふむ、なかなかに馴染んでいるようだね。どうだ、新しい体は」
「どういう事?み、ミシェル?」
レークとリアの間にミシェルが倒れている。私は立ち上がろうとするが、思うように体が動かずにふらつく。
「ふむ、慣れるまでには時間がかかりそうだな。だが、直ぐに違和感は消えるだろう」
「由香、手を貸しましょう」
リアが由香の腕をとり、ミシェルの元まで歩かせてくれた。私は、立ったままミシェルに呼びかける。
「まだ目覚めないだろう、とりあえず我が城へと招待しよう」
レークが指を鳴らすと、視界がぐにゃりと歪み、暗闇の中へと放り出された。目が慣れたかと思えば、玉座が目に入る。
「ここは、ミシェルの故郷…?」
「ほぅ…正解だ。先程居た場所とはかけ離れた所にある。」
ミシェルが育った地。人ならざる者達だけがこの世界にいる。セラやジェズ達とはズレた場所にある所にあるようだった。
「…はっ!ミシェルは、いつ目覚めるかわかりますか…?」
とっさに動かない体を、ゆっくりとミシェルの方に向ける。今は表情にも変化なく、苦しそうには見えない。だが、あの記憶が戻った時…。
「ふむ…あと少しだ。心配ない、我の娘は弱くない。むしろ強いのだからな」
面白そうにレークはそう言うと、玉座へと上がっていく。優雅な動きで玉座に腰掛けると、雰囲気が微かに緊迫感を帯びた。
「来い、我が下僕よ」
「「はっ!!」」
目の前に、4つの影が現れる。それぞれ人とは違う部分がある悪魔だ。後ろ姿ではあまりわからないが、レークの存在が改めて強く感じた。
「それらを案内しろ、2人でよい。ミシェルはその女と共に居るように。リア、ついて行くかは決めよ。嗚呼、残りの者は我が命を下す。少し待て」
「魔王様、この者らは何故こちらへ…?案内とはどのように致しましょうか」
4人の中の1人が、中性的な透き通る声でレークに柔らかい笑みを向けた。肌は透き通り、薄い水の色の髪が顎下まで伸びている。ただ瞳は金色の中に闇が潜んでいるような色をしている。ちらりと向けられた瞳は私にとって何処か不安に思わせる。私は逃げるようにレークへと視線を戻した。
「ミシェルが戻ったのだ。それはついでだ。だが、丁重に扱うんだな。脆く壊れやすいのでな?案内は案内だ。好きな所へ連れて行ってやれ…いいな、エル」
「はい、かしこまりました」
エル、と呼ばれた悪魔は返事を終えると深く礼をする。
「面をあげよ。さぁ行け」
話が終わったと思った瞬間、2つの影が消える。エルと呼ばれた悪魔と、もう1人がこちらへと振り返った。
「リア、これは歩けなさそーだね。ミシェル様は運んであげるから、こっちよろしく」
「俺は…どうすればいい」
もう1人が顔を上げた。日に焼けた肌に茶色の髪。耳の近くに角が生えている。2本の角があるのはレークと同じだが、場所が違う。そして、目が鋭く、武闘家のようながっしりした顔立ちだ。
「シャムは警護だよ。これじゃ守れないし、扱いは丁寧にだから、僕が運ばなきゃだし」
シャムと呼ばれた男は、頷くとどこからか槍を出した。通常と比べると、大きすぎる槍だ。
「んじゃ、行くね。それにしても君、レーク様に造られたみたいだけど、案外しっかり人格あるね。もしや魂だけ持ってこられたかな?」
ミシェルを背負ったエルは、ジロジロと私の全体を見回して、的確に私の状態を判断した。
「…はい、そうです」
「気になるけど、今はいいや。命令は先にこなさなくちゃね。じゃあ、あそこに行こっかな。ミシェル様のお部屋」
私は何度か瞬きをした。まさか最初にミシェルの暮らしていた部屋に行くことになるとは思わなかった。私はリアの肩を借りながら、この2人の後についていく形で歩き出した。




