悪魔の契約
歩き続けて、私は後ろを何度振り返ったことだろう。そういえば、またもやセラ達に無言で出てきてしまった。いや、それも大切だが、後ろにいる彼の問いかけに、まだ私は答えていない。
「なんとお呼びすればよいでしょう?」
「…ミシェルです」
名すら教えていなかったことに気づいた時には、私は戸惑いが強くなった。何も知らないはずの彼が、どうして私のことを知っているかのようなことを問いかけたのか。
「そうですか…ミシェルなのですね?では、ミシェルと呼びましょうか」
嬉しそうに目を細めて、悪魔は優雅に歩んでいる。執事のような、貴族のような佇まいに私は合わせようとは思わないが、早足で歩いても、距離が離れることはなかった。
「それを…聞いたら、私は私ではなくなるんですか?」
「…今の貴方では、なくなるのかもしれませんね」
こんな感じの、やり取りが続いているせいか、町中を半分以上歩き回っている。
「なら、今はまだいいです」
「…いつかはわかるはずですがね。もしかしたらもうすぐかもしれませんし」
コツコツとリアの足音が鳴っていたのだが、急に止まる。意識を向けていた私も足を止めて、振り返る。
「私は言いましたね、貴方が強くなった時、現れると。それは、強くなった貴方を守りたいと思ったからなんですよ…。何故だと思いますか?」
日が傾き、赤く染まっていく。影になり、誰もいない道の真ん中で、私とリアだけがいた。静かに風が互いの髪を揺らし、空気が少し冷える中、時間は刻々と進む。
「悪魔の契約だから?私が力を持つことで、リアにメリットがあるんでしょう?」
「…どうでしょうね?では、答えが出た時にまた会いましょう、ミシェル」
「リアー?」
またも姿を消してしまった。それも急に。ただ、最後に見た悪魔の表情は、どこか寂しげであったような気もした。まるで、影のような悪魔。短い間しかいなかったのに、ずっと共にいた気もする。悪魔の性でそういった気持ちにさせるものがあるかもしれないのだが。
「…帰らなきゃ」
帰り道を歩きながらも、答えを考える。そもそも、答えとはなんだろうか。私がミシェルなのか、由香なのかハッキリすることなのか?それとも、どちらも私だと認めることなのか。もしかしたら、私が気付かぬだけで、重要なことを自分で忘れてしまったのではないだろうか。
「…ひとつずつ、確かめるべきだ」
最後にそう決断して、セラ達の元へと戻ってきた。案の定、早く帰らなかったことに怒られたのだが、遠くまで散歩してしまったと言い訳をした。そして、一つの部屋を借りて、そこで休憩していた。
「…ミシェル、軽い食事持ってきたぞ」
扉のノックと共に、ジェズの声が聞こえて、私は扉を開けた。
「ありがとう、これはサンドイッチ?」
「ああ、手軽に食べられるからな」
サンドイッチにスープが載ったトレーを渡し、帰ろうとするジェズを私は呼び止めた。
「少しだけ、話がしたいからいい?」
「ああ、大丈夫だが」
少しばかり緊張するような表情をされ、私はサンドイッチを一切れ手渡してから椅子に座るよう声をかけた。ジェズが座るのを見届けてから、私も座る。
「ジェズは…私の名をどうしてミシェルと付けてくれたの?」
「あっと…、その、だな…。すまん、その名は元は俺の義理の姉さんの名なんだ。…理由はあるんだ、聞いてもらっていいか?」
ジェズの思わぬ真実に、私は思わず瞬きを何度もした。だが、背筋を伸ばし話を聞くために耳を傾ける。するとジェズは、恥ずかしそうにしながらも口を開いた。
出会ったのは、本当に小さな時だったんだが。その時の俺は、いわゆる孤児でな。両親がいない俺は、一人でよく町中をうろついてたんだ。
「いてっ」
その時にな、偶然だったんだが、その人に出会った。ぶつかった程度のことだったんだがな。
「…無事?」
冷たい瞳に、ここらでは見ない真っ黒な長い髪。日に焼けていない白い肌。瞳も引き込むような漆黒の色をしていた。そして、その背中には、双剣を身に付けていた。その雰囲気は人を寄せ付けず、まるで俺らとは違うものだといわんばかりに神秘的だった。
「…ハッ!大丈夫だ!どけ!」
「なんという口の利き方でしょうね?少し痛めつけてやりましょうか?」
その後ろから、顔の細い黒髪の男が出てきて、ニヤリと笑う。俺はそいつの顔が怖くて口を閉ざした。
「いい。貴方、親はいるの?人間は子供と共に過ごすと聞いたのだけど」
「その聞き方だと、まるで私達が人ではないような言い方ですね。最後の言葉はいりませんよ」
その人は俺に無表情のまま、問い詰めてきた。男の言う意味はわからなかったが、俺は小さくなる声を震わせながらも、言ったんだ。
「モンスターに殺られた。俺には、家族がいねぇ。あんたにはいないのかよ?」
「口の利き方…」
「もういい、喋らないで」
その人は、俺を見ながら何かを考えていた。俺は同情でもするのかと、なんか言ってきたら言い返してやると思ってた。
「そう、そうね、なら私が家族になるわ。貴方がいいならだけど。それに私には家族だなんて呼べる者はいないのだし」
予想だにしなかった言葉に、俺は言葉を失った。それなのに、その人は、
「私はお母さんとやらになるのかしら」
「貴方の年を考えると姉になるのかしら」
などと呟く。普通に考えたら、急に家族になるとかありえない。家族とは生まれてからずっととか、段取りがあってなるものだと思ってた。だが、真剣に考える姿を見て、俺はそんなことはどうでもよくなった。
「お、俺はジェズって言うんだ。あんたは?」
数回瞬きをして、その人は俺に近づいてじっと見つめるとゆっくり口を開いた。
「私の名は、ミシェル。力はあるから、家族になるのならば必ず守るわ。ジェズ、貴方は覚悟はできたの?」
そう聞いたその人の目が、一瞬だが冷たい瞳が俺をしっかり見てくれたことに、幼い考えだったんだが、嬉しくて、家族でもいいなと思った。
「うん、それでいい!」
「おや、私はどうすればいいでしょう?」
「貴方は帰って。私は、ここで学ぶわ」
そして、怖かった奴も去っていき、俺はミシェルという義理の姉さんを持ったんだ。
それからの生活は一変した。施設から抜け出したのもあって、危険な町外れの結界の近くに住んだ。姉さんは強くて憧れの存在だった。モンスターが近付けば鮮やかな斬撃で倒し、俺に危険がくるなんてことは一度もなかった。
「うげ、姉さん、これは…?」
だが、姉さんは料理だけは出来なかった。真っ黒を通り越したような黒炭になるまで焼いたものばかりで、最初は驚いたものだ。
「ここの物は焼けやすいわ。ジェズ、貴方は火の扱いが上手ね」
姉さんはあまり食べない。俺は姉さんに食べて貰えるよう、料理をひたすらに磨き、そして姉さんのために沢山作った。
「美味しいわ、でも、いい。私は食べなくても大丈夫だから」
暫く経ってから、姉さんにそう言われた時、俺は何故か許せなかった。こんなに頑張ったのにってやけになったからだな。
「でも!姉さん…!」
「お迎えに参りましたが、よろしいでしょうかね?」
その時だった。気に入らない奴が来たのは。俺は状況を全然見ることも出来ずに、怒り出した。
「なんで!お前が来るんだよ!姉さんもなんで食べないんだ!俺の事、どうでもいいのかよ!出ていけ!もう帰って来なくてもいい、姉さんなんかいらない!」
意味のわからない怒りをぶつけた。でも、冗談だった。だが、姉さんは小さく息を吸うと、優しく色を灯していた瞳の色を暗くした。俺を見る目は、最初出会った時の、それ以上の冷たく暗い瞳に変わっていたんだ。
「そう、ね。もういいわ。私はもう学ぶことは出来たのでしょうし。さぁ、行きましょう」
姉さんは文字通り、目の前で消えた。呆ける俺を置いてけぼりにして。残っていた男は、こちらに歩いてくるとその顔に笑みを浮かべた。
「本来なら、あそこまで情をかけることはなかったでしょう。ですが、こうなったのも運命かもしれませんね。…変わったあの方に出会える時が来るかもしれないでしょうし、出会えないかもしれない。おっと、では私はこれにて」
よく分からぬ言葉を置いて、男は行ってしまった。まだ子供だった俺は、暫くしてこう思う事にしたんだ。あの男が姉さんを連れて行ってしまったんだと。そして俺の力がなかったせいで、姉さんを取り戻すことが出来なかったのだと、俺は後悔した。
話し終わったジェズは、懐かしそうな表情をしたまま、こちらの顔を眺めていた。
「もしかして、その姉さんが私に似てるから?」
「ん?あ、嗚呼、そうだ。顔も似ているし、その双剣もな…。でも、俺が子供ん時の話だ。今頃何処かであの男と旅をしてるんだと思うぞ…。ま、姉さんが年くった顔をしている姿なんて想像もつかないけどな」
ジェズは噛み締めるかのように、笑みを浮かべた。




