罪とはなにか
私は、暗闇の中にいる。そこから今までは一歩も進んだことはなかった。ただ、私はいつも手を見つめる。何も見えぬ暗闇の中での私の手はきっと、冷たい血で染まりきっているのだろう。…今では命あるものをこの手で切り刻んでいる。紛れもなく、私の手で。
「うぇぇっ…ヒック、うぅ…う」
子供の高い声が、泣いているのか聞こえてきた。ぼんやりとした意識の中、私は惹かれるように歩き出した。初めてのことだ、と何処かで考えていた。
ピチャン
水が足元を濡らしていた。暗闇で気づくことがなかったのか。そう思ったとき、女の子の姿が浮かび上がった。
「おか…さ…おと…」
目元は赤く腫れ、絶えることのない涙が足元へと落ち、水の一部となる。その時、私は夢なのかと気づいた。
「……どうした、の?」
「あなたは、だあれ?」
声をかけると、女の子は立ち上がり距離をとる。涙を拭ったその子の顔にはいくつもの涙のあとが残っていた。私はゆっくりとしゃがみ、不器用に笑う。
「私はミシェル。…ミシェルよ」
「…わたしは、ゆかっていうの。おとうさん、おかあさん、もういないの」
ゆか、という女の子は、肩に切りそろえた髪を前の方へと垂らした。
「おねーさんは、どうしてそんなにおおきくなれたの?」
私は咄嗟に胸を押さえた。過去が巡り、思い出すのは彼のことだった。
「意味を、くれた。貴方と同じくらいの時に、言われたの。生きてって。約束は守れなかったけれど」
「そう。そうね、守れてないね」
暗闇だった景色が変わる。冷たい風が吹き、気づけば高いマンションの屋上にいた。驚きながらもゆかを見ると、小さな女の子はいなかった。
「私は二度も、守れなかった。守るどころか…」
あの子が成長したのだろう。高校生くらいの冷めた表情をする彼女がいた。目には感情はほぼ無く、生きる気力のないものだった。
「もう二度と、戻れない。失ってばかりの私は誰かを守ることなんて、出来ないのよ」
ドクンと私の心臓が跳ねる。忘れたわけじゃない。でも乗り越えた、はずなのに。
「嘘よ。貴方には守れない。なんにもできない。守れるなら、なんで家族を、彼を守れなかったの?」
ズキズキと心が痛みを訴える。ゆかの言葉は確実に癒えてすらいなかった私の心を抉りとってゆく。
「貴方は、私を捨てたの?」
「あ」
ゆかが、由香が泣きそうな表情で、涙を流しながら後ろへと身を投げた。ここは、マンションの屋上。もちろん、身を投げ出せば死が待っている。
「由香!」
私は躊躇いもなく屋上から飛び降りた。
ミシェルはパチリと目を開けた。白い天井が見え、薬品の匂いがツンと鼻を刺激する。荒い息を整え、汗だくの自分を見るが何処にも傷はない。夢だったのだと改めて気づいたのは息が整ってからだった。
「やぁ、由香くん。お目覚めかい?」
ビクリと体を震わせ、隣を見るとレークは白衣を纏い仮面はしたままで少し離れた場所で立っていた。
「…わたしは、ミシェルです」
「ほぅ。そうかね?その名を使うという意味はわかっているということか?」
この男はどこまで知っているのだろう。ミシェルはベットに寝かされていたことに気づき、体を起こす。
「ここは?どうして貴方が」
そしてモンスターと戦っていたことを思い出し、窓辺へと手をかける。
「まぁ待ちたまえ。出ても道がわからなければ帰れないだろう?」
「彼らは」
ミシェルは俯いて、三人を思い出し不安げに瞳を揺らす。レークはゆったりと口を開く。
「無事だよ。君があのモンスターを倒した頃には他も殺られていた。それに、君を貰った時に無事は確認済みだよ」
「貴方の、目的は?」
矢継ぎ早に聞くミシェルに、レークは片手を上げた。ミシェルが口を噤むと、
「まぁ、見た方が早い。ついてきたまえ」
と言い、レークは後ろに隠れていた扉に手をかけた。
この建物は、どこも白いコンクリートで作られ、ほとんど何も無いところだった。今も廊下を歩いているが真っ直ぐに続き、扉が等しく並んでいるのみ。華やかさの欠片もなく、白しかない。
「殺風景だが、この先を見ればまた違ったものが見られると思うぞ?」
レークは顎を触りながらそう告げる。こうして近くで見てみると、40代くらいの男だと感じる。
「…モンスター?」
唸り声が何重にも重なって聞こえる。中には甲高く泣き叫ぶのも混じり、耳がぐわんとする。
「ご名答。元からここにいた者達だ」
「貴方が作ったのでは?」
「中には弄ったものもあるが、元々造ったのはここにいた者達だ」
扉をレークはそっと開く。先程の声が更に10倍程に強くなり、こちらに牙を向く。
「…貴方が、悪い人なのか善い人なのかわかりません」
「私がかね?どちらかなのは君がどう思うかによって変わるだろうが、どちらにせよ、私は人ではない。だから、どちらだろうが別に構わんよ?」
感情のこもらぬ返答に、ミシェルはただじっとレークを見つめる。そして考えが頭を巡り、微かに笑ってしまう。
「そうですか、そうなんですね」
「君のこだわる所が何かは知らないが、聞くことは得意だよ?人でなくとも」
レークは前を歩きながら、唸る獣の喉に触れた。グルグルと若干落ち着いた鳴き声に変わり、静かになる。
「そうだ、質問をしよう。私は人ではない。では、なんだと思うかね?」
「…道化?」
「仮面は関係ないさ」
レークは即答するミシェルに向かって肩を大袈裟に竦めて揺らし、クックックと笑う。そして、仮面に手をかける。
「外したら、きっとわかるんでないかね?見るかい?」
「やめます。貴方はレーク。それでいいです」
「…そうかね。残念だ」
口元をへの字にさせて、レークはやれやれと手を振った。そして、モンスター達の更に奥にある扉を開けた。
「君に頼みたい事がある」
「「グギャッ!」」
「「ガゥッ…」」
仮面の奥から見える瞳が真剣な光を帯びた。ミシェルは背筋を少し伸ばして、コクリと頷く。
「この子らを、楽にしてやってほしいんだよ」
ミシェルは透明の壁の向こうにいる、キメラを見つめる。獣の顔に魚類の胴体。ドラゴンの翼に、狼型のモンスターなど、戦いに特化した造られたモンスター達がいた。
「彼らは戦いを求めている。だが、私の戦い方では満足してくれなくてね?血の争いを、誇りの戦いを、殺し合いをして欲しいそうだ」
「…私がやればいいんですか」
「もちろん、無理は言わん。だが、勝手に改造され誇りを穢された彼らの願いを、叶えてやってほしい」
爛々と光る瞳が、ミシェルに向けられている。その中にレークも含まれ、まるで私だけが別物のように思える。
「…私に、その資格はありません」
「だが、他にはいない。そして君だからこそ任せたい」
レークは指を1本だけ立てる。
「一度、たった一度でいいんだよ」
ミシェルは後ろへと手を伸ばし、壁に触れたことに驚く。いつの間にこんなに下がっていたのだろうかと。だが、それほどまでに恐ろしいと感じたのだ。
「私に、そんな覚悟は」
「やれやれ、仕方ないことだ。…君は先程私が彼らを造ったのではないと知って、安心したね?だが、間違いだ。私は、悪魔なのだからね」
レークはニィッと笑う。口元と目だけが見える仮面が何処か気味悪く見える。ミシェルは扉に手をかけた。が、バチリと電流が走ったような痛みが走り、大きく弾かれる。
「くっ…う!」
反射で横へと飛びながら肩の方へと手を伸ばすが、そこに双剣はない。仲間へと預けたままだ。それに代わりに貸してもらった拳銃と大剣も隠されたのか手元になかった。
「一つ忠告をしよう。逆らおうと思うのならば、準備は万全を期し行うべきだよ?」
「…わかっていますっ」
スっと近づいてきたレークへと蹴りを食らわし、距離をとる。だが、悪魔だというレークが何を武器にして戦うのか想像はつかない。
「悪魔ならば、何故私の前に姿を現すのですか?」
「興味を持ったからだろう?」
「地獄に連れてはいかないんですか?」
「はは。君のいう悪魔はなんだろうね?ろくなものじゃないのはわかるんだがね。私が君を狙うのにはそれなりに理由はあるさ」
レークは笑いながら、透明な壁に手を付ける。ミシェルが咄嗟に腕を振るうも間に合わず、壁が溶けだしていく。
「さて、君の実力を見ようじゃないか」
約5体のキメラが、唸り声を上げつつもこちらににじり寄ってくる。ミシェルは辺りを見回し、武器を探す。が、薬品以外特にない部屋には、ガラスの破片しか見当たらない。ミシェルは迷わず先程逃げ回った際に落として割ってしまった大きな試験管のガラスの破片を拾い構える。力を入れ、1番最初に飛びかかってきた鳥のようなモンスターの顔を狙い振り切る。シュッと顔を切るが浅く、目くらまし程度にしかならない。
「…出来ることなら、逃げたかった」
ミシェルは腕を下ろす。力を込めたせいか、ポタポタと血が落ちる。
「自害でもするのかな?」
諦めたかのように、項垂れるミシェルを見て鋭い目で睨みつけるレークは一度手を上げてモンスターを止める。
「いいえ?」
「…ふはは、君も困ったものだね。素直でない」
ミシェルは淡々と呪文を唱えていた。落ちる血から力を抜きながら。
「それは危険だぞ?自らのエネルギーを消費すれば、いつか尽きた時には死しかない」
「百も承知です。これでもこの世界の魔法について教えてくださった師匠がいますので」
ミシェルはふと思い出す。少しの間、隣にいたあの彼を。
「ふ、師匠かね?誰かは教えてもらえないかな?」
「教えません、ですが彼も人ではありませんでした」
思い出されるのは出会ったあの時のことばかりだが、教えてもらったことは今も根強く残っている。
「それで?それは放たないのかな?」
「逃げるならば今だということです」
ミシェルの言葉にレークは両手を広げた。その口元だけで、わかってしまう。
きたまえ。その程度受け止めようじゃないか
そう、挑発しているのだと。ミシェルは雷をイメージする。自分さえ巻き込んでも、相手を倒せればよいと。覚悟を決めたということでもあった。
「もう、いいでしょう。今の私は甘くないですよ?」
ミシェルは一切の慈悲なく、自分に宿る魔力を最大まで使って、魔法を解き放った。




