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第5話 雷雨の夜の小さなお客様

 ミルフェの町に、夕暮れとともに黒い雲が押し寄せてきた。

 昼間は青く澄んでいた空も今では重たい雲に覆われており、遠くの山々の向こうが時折、光っている。

 「……ひと雨きそうだねぇ」

 エマ・ベルティアは二階の窓から空を見上げた。

 階下では、孫娘のルナが店じまいの準備をしていた。

 「おばあちゃん、洗ったタオルは全部取り込んだよ!」

 「ありがとう、ルナ。雨戸もしっかり閉めておくんだよ」

 「うんっ!」

 店内には草花を使った石鹸のいい香りが漂っており、ルナは窓辺のタオルを木の棚にしまい、また、洗い場の道具を片づけていた。

 ぽつり。窓ガラスにひときわ大きな雨粒が落ち、続いて、ぽつぽつぱらぱら、あっという間に雨は激しい音を立て始めた。

 「わあ、すごい雨!」

 ルナが窓から外を覗くと店先の古木が風に大きく揺れており、いつもなら「千年樹」の根元に大きな灰色狼のレイグが寝そべっているのだが、その姿がなかった。

 「どこに行ったんだろう?」

 「雨の匂いを嗅いで、早めに雨宿りしたんじゃないかい?」

 エマが階段を降りてきた。

 「そうかなあ。ちゃんと濡れない場所にいるといいけど」

 「ほほほ。あの子は賢いから大丈夫さ」

 そのとき、空がビカビカッと白く光り、間を置かずゴロゴロッ! と大きな雷鳴が町の上空に響いた。

 ルナは思わず肩をすくめた。

 「ずいぶん近いねぇ」

 エマは落ち着いた様子で暖炉に薪を足した。

 暖炉はパチパチと薪がはぜて橙色の炎が揺れ、店の奥にある小さな居間に温かな光が広がっている。

 「さあ、ルナ。夕食にしようかね」

 「うん!」

 今夜の夕食は、野菜と鶏肉をたっぷり煮込んだシチューで、また、焼きたての丸パンが入った籠から香ばしい匂いが漂ってきている。

 「いい匂い!」

 「ほほほ。たくさんお食べ」

 ルナが椅子に腰かけたときだった。

 

 ガリ、ガリ。

 

 店のほうから、何かを引っかくような音が聞こえた。

  「……あれ?」

 ルナは顔を上げた。

 「おばあちゃん、今、何か聞こえなかった?」

 「風じゃないかい?」

 「そうかな……」

 しばらく耳を澄ませていると、また音がした。

 

 ガリ、ガリ。

 

 今度は、はっきりと店の扉のほうからだった。

  「誰か来たのかな?」

 「こんな雨の中にかい?」

 エマは不思議そうに首を傾げた。

 ルナは立ち上がり、店の入り口へ近づくと扉の向こうから低い鳴き声が聞こえた。

 「ワフ」

 レイグだ! ルナは急いで扉を開けた。

 「わっ!」

 冷たい雨風が店の中へ吹き込んできて、ルナはあわてて片手で髪を押さえた。

 外には大きな灰色狼が立ち、灰色の毛並みは雨に濡れ、ぽたぽたと水滴が落ちている。

 そして、その口には小さな白い塊が咥えられていた。

 「……えっ? 何を咥えているの?」

 ルナはまず、レイグを店の中に招き入れた。

 レイグはそっと首を下げ、白い塊を傷つけないように静かに床に下ろしてから、つぶやいた。

 「……道端で震えていた。放っておけば朝までもたんかもしれん」

 深く落ち着いた、低音のバリトンだった。

 ルナは白い塊を見つめた。

 それは、小さな魔獣だった。

 大きさはルナの両手に収まるほど。耳の先だけが淡い桃色をしていた。

 白い毛は雨に濡れてぺったりと体に張りついており、小さな体をぶるぶると震わせながら魔獣は小さい声で鳴いた。

 「みゅ……」

 「まあ……小さな赤ちゃん」

 ルナは慌てて両手を差し出した。

 白い魔獣は弱々しく顔を上げ、丸い瞳がルナを見つめる。

 「みゅう……」

 「寒かったね。怖かったね」

 ルナはそっと抱き上げると、その体は驚くほど冷たかった。

 「おばあちゃん! 大変! 小さな魔獣がいるの!」

 エマが店の奥からやってきて白い塊を見ると目を丸くした。

 「おやまあ! ずいぶん小さな子だねぇ」

 「レイグが連れてきたの。雨の中で震えていたんだって!」

 「それはいけないね。まずは温めてあげよう」

 エマは棚にあった柔らかなタオルをルナに渡し、ルナは小さな魔獣をタオルでそっと包み込み暖炉の近くに向かった。

 「大丈夫だよ。もう雨に濡れなくていいからね」

 「みゅ……」

 「おばあちゃん、この子、まだ赤ちゃんだよね?」

 「そうだねぇ。体つきも幼いし、きっとベビー魔獣だろうね」

 「こんな小さな子が、どうして一人で……」

 「迷子になったのかもしれないねぇ」

 エマは小さな魔獣をじっと見つめた。

 「それにしても、見たことのない子だね」

 「おばあちゃんでも知らないの?」

 「魔獣の種類は数えきれないほどあるからねぇ」

 ルナは白い魔獣の頭を優しく撫でた。

 「どこから来たのかな……」

 「みゅ」

 「ふふっ。お話しできたらいいのにね」

 魔獣は小さく首を傾げ、その仕草があまりにも可愛らしくてルナは思わず頬を緩めた。

 やがて、タオルが湿ってきた。

 「そろそろ新しいタオルに替えようね」

 ルナは濡れた毛を丁寧に拭き始めた。

 耳の先、背中、お腹、そして小さな足。

 柔らかな毛の間に、泥や落ち葉が少し入り込んでいる。

 「よしよし。きれいにしようね」

 「みゅう……」

 小さな魔獣は、くすぐったそうに身をよじった。

 「ふふっ。くすぐったい?」

 ルナはぬるま湯を含ませた布で、泥を優しく拭き取り、両手をそっとかざした。

 「《毛並みの祝福》」

 ルナの指先からほんのり温かな風が生まれ、春の日だまりのように柔らかく小さな魔獣の毛並みを優しく撫で、暖炉の暖かさも相まって、濡れていた白い毛が少しずつ乾いていった。

 「……みゅ?」

 魔獣は不思議そうに目を丸くした。

 「気持ちいい?」

 「みゅ!」

 「よかった!」

 ルナは嬉しそうに笑った。

 乾いた毛は驚くほどふわふわして、まるで小さな雲を抱いているようでルナは思わず頬を寄せた。

 「わあ……! すっごくふわふわ!」

 「ふふっ。可愛いねえ」

 エマも優しく微笑んだ。

 そのとき、また雷が鳴った。

 どおおん!

 「みゅっ!」

 白い魔獣はびくりと跳ね上がり、ルナの胸元へ必死に潜り込もうとした。

 「わわっ! ちょっと待って!」

 「みゅうう!」

 「大丈夫! 大丈夫だよ!」

 ルナは慌てて抱き直した。

 小さな魔獣は、ルナの服を前足でぎゅっと掴んでいる。

 「雷が怖いんだね……」

 ルナは優しく背中を撫でた。

 「もう大丈夫。ここにいれば安心だからね」

 そのとき、エマに濡れた毛を拭いてもらったあとで暖炉の前で寝そべっていたレイグが、ゆっくりと顔を上げた。

 「……まだ震えているのか」

 「うん。雷が怖いみたい」

 レイグは小さな魔獣をじっと見つめた。

 そして何も言わずにルナがいる暖炉のそばへ移動し、大きな体をゆっくりと横たえる。

 ふさふさした灰色の尻尾を、少しだけルナのほうへ伸ばした。

 「……そこに置け」

 「え?」

 「その小さいのだ」

 「レイグ……?」

 「……雷が怖いのだろう」

 ルナは少し考えてから、白い魔獣をそっと床に下ろした。すると小さな魔獣はちょこちょこと歩きレイグの尻尾に近づいた。

 「みゅ……」

 鼻先でふわふわした毛をつつく。

 そして、ためらうように尻尾の中へ潜り込んだ。

 「……みゅう」

 白い魔獣は灰色の毛に顔を埋め小さく丸くなり、しばらくしてすうすうと寝息を立て始めた。

 「レイグ、優しいね!」

 「……俺の尻尾は寝床ではないのだが」

 「でも、気持ちよさそうだよ?」

 「……仕方あるまい」

 レイグはそのまま目を閉じた。

 エマはその様子を見て、くすくすと笑った。

 「ほほほ。レイグもすっかり子守役だねぇ」

 「……不本意だ」

 そう言いながらもレイグは尻尾を動かさなかった。

 ルナは暖炉の前に腰を下ろし、二頭の魔獣を見つめた。

 大きな灰色狼と小さな白い魔獣が、まるで親子のように寄り添っている。

 「……可愛いなあ」

 ルナは小さく呟いた。

 雨は夜遅くまで降り続いていたが、暖炉の前には温かな時間が流れていた。

 やがて、エマが夕食を運んできた。

 「ルナ。温めなおしたからシチューをお食べ」

 「うん!」

 ルナは椅子に腰かけた。

 そのとき、レイグが片目を開けた。

 「……ルナ」

 「なあに?」

 「俺の分は?」

 「えっ?」

 「……肉だ」

 「もう! レイグったら!」

 「ちゃんと用意してあるよ」

 エマが笑いながら小さな皿を差し出した。

 「……さすがだ」

 「お礼は?」

 「……ありがとう」

 「よろしい」

 ルナは思わず笑ってしまった。

 その夜、白い魔獣はレイグの尻尾に包まれたまま、ぐっすりと眠った。

 翌朝には明るい日差しが戻っていて、窓から外を眺めると「千年樹」の枝に留まった小鳥たちが楽しそうにさえずっている。

 ルナが店の扉を開けると、古木の葉から雨粒がきらきらと落ちた。

 レイグはすでにいつもの場所へ戻り、気持ちよさそうに寝そべっていて、その隣には小さな白い魔獣がちょこんと座っている。

 「みゅ!」

 「あっ、おはよう!」

 ルナがしゃがむと白い魔獣は嬉しそうに駆け寄ってきて、小さな前足でルナの膝によじ登ろうとする。

 「ふふっ。元気になったね!」

 「みゅう!」

 優しく抱き上げたとき、エマが店から出てきた。

 「ねえ、おばあちゃん。この子、どうしよう?」

 「そうだねぇ。親が探しているかもしれないから、しばらく様子を見たほうがいいね」

 「うん……」

 ルナは小さな魔獣を見つめた。

 「みゅ?」

 「帰るところ、あるのかな?」

 「みゅう……」

 白い魔獣は首を傾げ、ルナの胸元に顔を埋めた。

 「……そっか」

 ルナは優しく微笑んだ。

 「じゃあ、もう少しここにいようか」

 「みゅ!」

 白い魔獣は嬉しそうに鳴いた。

 その日、白い魔獣は、どこへ行く様子もない。

 店から外に出たルナを見かけると、ちょこちょこと後を追いかけてくる。

 「ふふっ。ついてくるの?」

 「みゅ!」

 「じゃあ、ここにいたいの?」

 「みゅう!」

 ルナは思わず笑った。

 「おばあちゃん、この子、うちにいたいみたい!」

 エマは優しく微笑んだ。

 「ほほほ。どうやら、気に入られたようだねぇ」

 「ねえ、おばあちゃん。しばらく一緒に暮らしてもいい?」

 「もちろんさ。ただし、親が見つかったら、ちゃんと返してあげるんだよ」

 「うん!」

 ルナは白い魔獣を抱きしめた。

 「じゃあ、今日からよろしくね!」

 「みゅ!」

 「そうだ。名前をつけてあげなきゃ!」

 ルナは少し考えた。

 白くてふわふわで、小さくて、可愛らしい鳴き声。

 「……ミク」

 「みゅ?」

 「ミクってどうかな?」

 「みゅう!」

 白い魔獣は嬉しそうに鳴いた。

 「気に入ってくれた?」

 「みゅ!」

 「ふふっ。じゃあ、決まり!」

 ルナは満面の笑みを浮かべた。

 「今日からあなたは、ミクちゃんだよ!」

 古木の下で寝そべっていたレイグが、うっすらと目を開け、人がいないことを確認したあとにつぶやいた。

 「……ミク、か」

 「うん! 可愛い名前でしょう?」

 「……悪くない」

 「ふふっ。ありがとう!」

 ミクはルナの腕の中で、嬉しそうに尻尾を振った。

 その様子を見て、レイグは静かに目を閉じた。

 「……これで、ますます騒がしくなるな」

 「もう! そんなこと言わないでよ!」

 エマが笑った。

 「ほほほ。賑やかなのはいいことさ」

 ルナはミクを抱きしめながら、古木を見上げた。

 昨日までの雨が嘘のように、青い空が広がっている。

 小さな白い魔獣は、安心したようにルナの胸元へ顔を埋めた。

 「これから、いっぱい楽しいことをしようね。ミクちゃん」

 「みゅう!」

 そのとき、ルナは大切なことを思い出した。

 「あっ、そうだ! レイグ!」

 「……なんだ」

 「ミクちゃんを助けてくれてありがとう! ご褒美にお肉を二枚あげるね!」

 レイグは、ぴくりと耳を動かした。

 「……二枚か」

 「うん! 特別だよ!」

 レイグはしばらく考え込み、そして深いバリトンで呟いた。

 「……では、明日も誰か拾ってこよう」

 「だ、だめーっ! 拾ってくればいいってものじゃないの!」

 エマが腹を抱えて笑った。

 「ほほほ! レイグ、うちは魔獣の拾い物屋じゃないんだよ!」

 「……そうか。残念だ」

 そう言いながらも、レイグの大きな尻尾は嬉しそうに左右へ揺れており、尻尾を見たミクがルナの腕の中で身を乗り出した。

 「みゅ!」

 「ふふっ。ミクちゃんもレイグが大好きなんだね!」

 「……やれやれ」

 レイグは大きなあくびをした。

 こうして『ルナのハサミ』に新しい家族が増えた。

 小さな白い魔獣と、ちょっぴりお肉に弱い大きな灰色狼。

 今日もミルフェの町の小さなお店には、温かな笑い声が響いていた。


(つづく)

 お読みいただきありがとうございました。

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  第6話はR8.10.27 午後6時に投稿します。次の来訪者はもこもこです。

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