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第18話 降雪草と雪ウサギの親子

 ミルフェの町に、冬の気配が色濃くなってきた。

 朝の空気は冷たく、『ルナのハサミ』の店先の「千年樹」もすっかり葉を落としている。

  ◇   ◇

 『ルナのハサミ』では、ルナが薪ストーブに新しい薪をくべていた。

 ぱちぱちと小さな音を立てて、炎が赤く揺れている。

 奥の部屋から、エマが小さな木箱を抱えてやってきた。

 「ルナ、ちょっといいかい?」

 「なあに、おばあちゃん?」

 「そろそろ、降雪草を採りに行く時期だと思ってね」

 「降雪草?」

 ルナは首をかしげた。

 「ほら、冬の手入れに使う香油があるだろう?」

 「あっ! あの、ほんのり甘い匂いのする油?」

 「そう、それだよ」

 エマが木箱を開けると中には小さな陶器の瓶が三つ並んでいたが、どれも底にわずかな油が残っているだけだった。

 「寒くなると、魔獣たちも皮膚が乾きやすくなるからねぇ。毛の手入れの仕上げに使うと、ずいぶん具合がいいんだよ」

 「そうだったね。去年、おばあちゃんに教えてもらったっけ」

 「降雪草は、初霜が降りる頃に実をつけるんだ。実の中の小さな種を集めて、油を搾るのさ」

 「じゃあ、雪が積もる前に採らないと!」

 「そういうこと。雪が降ると、草ごと埋もれてしまうからねぇ」

 エマは木箱の蓋を閉じた。

 「森の東側、古い沢の近くに群生している場所があるんだよ。ただし、沢の斜面には近づきすぎないこと。落ち葉の下は滑りやすいからね」

 「うん、分かった!」

 「それから、欲張って採りすぎないことだよ。来年のためにも、実は半分以上残しておくんだ」

 「はーい!」

 ルナが元気よく返事をすると、店の隅で昼寝をしていたレイグが片目を開けた。

 「……森へ行くのか?」

 「うん。降雪草を採りにね」

 「なら、俺も行こう」

 「えっ? レイグも?」

 「沢の近くなら、ひとりで行かせるわけにはいかん」

 「大丈夫だよ。おばあちゃんにも場所を教えてもらったし」

 「道を知っているのと、危険を避けられるのは別の話だ」

 「ほほほ。レイグが一緒なら、わたしも安心だよ」

 「おばあちゃんまで!」

 そのとき、白い小さな魔獣が、ルナの足元に飛びついた。

 「みゅっ! みゅっ!」

 「あら、ミクも行きたいの?」

 ミクは小さな前脚で、ルナの靴を一生懸命叩いている。

 「森は寒いよ? それに、たくさん歩くんだよ?」

 「みゅっ!」

 ルナは困ったように笑った。

 「もう。そんなに行きたいなら、一緒に行こうか」

 ミクは嬉しそうに、その場でぴょんと跳ねた。

 レイグが小さくため息をつく。

 「……騒がしい遠足になりそうだ」

 「ふふっ。きっと楽しいよ!」

 ルナは厚手の上着を羽織り、採集用の籠と小さな布袋を用意した。

 エマは水筒に温かいお茶を入れ、布に包んだパンを籠の底へ入れてくれた。

 「お昼には、これをお食べ」

 「ありがとう、おばあちゃん!」

 その様子を眺めていたレイグが、低い声で呟いた。

 「……俺には昼飯をくれないのか?」

 エマは振り返ると、にっこり笑った。

 「ほほほ。お前さんのことを忘れるわけがないだろう」

 そう言って、戸棚から布に包まれた干し肉を取り出した。

 途端に、レイグの耳がぴんと立った。

 「おお……!」

 「ほら、これを持っておいき。ルナを頼んだよ」

 「……任せておけ」

 レイグは何事もなかったように答えたが、その尻尾はゆっくりと左右に揺れていた。

 「ふふっ。レイグ、嬉しそう!」

 「……気のせいだ」

 エマは笑いながら干し肉の包みをルナの籠へ入れたあと、ルナの襟元を整え、最後にもう一度念を押した。

 「日が短くなっているから、暗くなる前に帰っておいで。沢には気をつけるんだよ」

 「うん!」

 ルナは笑いながら答えた。

 その横で、レイグが静かに頷いた。

  ◇   ◇

 森の中は、町よりもずっと冷え込んでいた。

 枝を落とした木々の間から淡い日差しが差し込み、地面には茶色や赤褐色の落ち葉が厚く積もっている。

 ルナが歩くたびに、足元でかさり、かさりと乾いた音がした。

 「わあ。すっかり冬の森だね」

 ルナは白い息を吐いた。

 レイグは少し先を歩きながら、時折立ち止まって周囲の匂いを確かめている。

 その後ろを、ミクが小さな足で一生懸命追いかけていた。

 「みゅっ、みゅっ!」

 「ミク、そんなに急がなくても大丈夫だよ」

 「みゅ!」

 ミクは元気よく返事をした。

 ところが次の瞬間、落ち葉の山へ勢いよく飛び込んでしまった。

 がさっ。

 白い姿が消えた。

 「……あれ? ミク?」

 ルナが辺りを見回すと、落ち葉の中から小さな声が聞こえた。

 「……みゅ」

 「あははっ! そんなところにいたの?」

 ルナが落ち葉をかき分けると、頭に枯れ葉を一枚乗せたミクが、きょとんとした顔で座っていた。

 「もう、ミクったら。ちゃんと私のそばにいてね」

 「みゅっ!」

 ルナがミクを抱き上げ体についた葉を払ってやったところをレイグが見ていた。

 「先が思いやられるな」

 「ふふっ。でも、可愛いでしょ?」

 「……否定はせん」

 ミクはレイグの返事が気に入ったのか、小さな尻尾をふりふりと動かしている。

 森を進むにつれ、沢に近づいたらしく、木々の間から細い水音が聞こえるようになった。

 「おばあちゃんが言ってた場所、もうすぐかな?」

 「この先だ。だが、足元には気をつけろ」

 「うん」

 ルナは歩幅を小さくして落ち葉を踏みしめながら進んだ。

 少し開けた場所に出ると、そこには地面を覆うように小さな草が群生していた。

 細い茎の先には、白銀色の丸い実がいくつもついている。

「あった! 降雪草だ!」

 ルナは嬉しそうにしゃがみ込んだ。

 実は小指の先ほどの大きさで、薄い霜をまとったように淡く輝いていて、そっと指先で触れると、かすかに甘く澄んだ香りがする。

 「いい匂い……」

 「みゅ?」

 ミクも興味津々で顔を近づけた。

 「これはね、降雪草っていうんだよ。中の種から、魔獣の毛を守る油が採れるの」

 「みゅう」

 「でも、全部採っちゃ駄目なんだって。来年も育つように、ちゃんと残してあげないとね」

 ルナは熟した実だけを選び、茎を傷めないように摘み取っていく。

 実を布袋に入れるたび、さらさらと乾いた音がする。

 レイグは近くの木陰に伏せ、周囲を見張っていた。

 ミクはルナの隣に座り、採集の様子をじっと眺めている。

 「ミクもお手伝いしたい?」

 「みゅっ!」

 「じゃあ、ここで見ていてね。踏んじゃうと、草が可哀想だから」

 「みゅ……」

 やがて、布袋の底に降雪草の実がたまってきた。

 「よし。おばあちゃんとの約束も守れた!」

 そう言って立ち上がったときだった。

 レイグは頭を上げ森の奥へ鼻先を向けた。耳がぴくりと動いた。

 「……待て」

 「えっ?」 

 「何かいる」

 ルナが息を潜めると、風に混じってかすかな鳴き声が聞こえてくる。

 「……きゅう」

 「今の声……魔獣?」

 「この先だ」

 レイグは静かに歩き始めた。

 ルナはミクを抱き上げ、その後を追った。

  ◇   ◇

 鳴き声の聞こえた場所は、沢から少し離れた斜面の下だった。

 大きな木が倒れていて、根元には白い毛の小さな魔獣が何かを必死に掘り返している。

「あっ……雪ウサギ!」

 ルナは思わず声を上げた。

 真っ白な毛に覆われた丸みのある体をして、長い耳の先には淡い灰色の模様がある。

 その雪ウサギは、ルナたちに気づくと、びくりと身を固くした。

「大丈夫。何もしないよ」

 ルナは少し離れたところでしゃがみ込み、優しく声をかけた。

 雪ウサギは逃げようとせず、倒木の根元をちらちらと見返している。

「……何かあるのかな?」

 ルナが近づき、そっと覗き込むと土の中に小さな穴が見えた。

 入口は倒れた木の根と崩れた土で塞がれていて、奥からは、か細い鳴き声がした。

「きゅう……きゅう……」

「子どもがいるんだ!」

 ルナは顔色を変えた。

 母親らしい雪ウサギは、前脚で必死に土を掻いているが、太い根が邪魔をして穴を広げられないようだった。

「レイグ、助けてあげられるかな?」

「……やってみよう」

 レイグは倒木の周囲を一回りし、根の張り方を確かめた。

「この木を動かすのは危険だ。土がさらに崩れる」

「じゃあ、どうしよう?」

「横から少しずつ掘る。お前は柔らかい土を取り除け」

「分かった!」

 ルナは籠から小さな木べらを取り出した。

 薬草の根を傷めずに掘り出すための道具を持ってきていたことが、役に立ちそうだ。

 雪ウサギを驚かせないよう、ゆっくりと土を掻き出していく。

 レイグは太い前脚で邪魔な枯れ枝を払い、崩れかけた根の周囲を慎重に整えた。

「みゅ! みゅっ!」

 ミクも何か手伝いたそうに鳴いた。

「ミクはそこで待っててね。危ないから」

「みゅ……」

 ルナは優しく言い聞かせた。

 しばらくすると、土の奥から白い毛が見えた。

「あっ! いた!」

 小さな雪ウサギが一匹、狭い穴の奥で丸くなっていて、その後ろにも、もう一匹いる。

「二匹いるんだね」

「きゅう……」

 子ウサギたちは怯えたように鳴いた。

「大丈夫だよ。もう少しだからね」

 ルナは木べらを置き、手で土をそっと取り除いていき、やがて子ウサギが通れるだけの隙間ができた。

「ほら、おいで」

 一匹目が、おずおずと顔を出した。

 そして、母親の姿を見つけると、小さく跳ねて駆け寄った。

「きゅっ!」

 母親は子ウサギの顔を何度も舐めた。

 続いて、もう一匹が穴から這い出してきた。

 二匹の子ウサギは母親の腹の下へ潜り込み、ぴったりと寄り添っている。

「よかった……!」

 ルナはほっと息を吐いた。

 母親はルナをじっと見つめ、それから、ほんの少し頭を下げたように見えた。

「ふふっ。どういたしまして」

 ルナは微笑んだ。

 レイグは周囲を見回した。

「ここは危ない。別の場所へ移った方がいい」

「そうだね」

 ルナは少し離れた木の根元に雨風を避けられそうなくぼみを見つけ、子ウサギが入れる程度の空間を確かめる。

「ここならどうかな?」

 母親は警戒しながら近づき、くぼみの匂いを嗅ぎ、しばらくして子ウサギたちを促すように鼻先で押した。

「きゅっ、きゅっ」

 二匹の子ウサギは母親の後を追い、新しい隠れ場所へ入っていった。

「気に入ってくれたみたい」

「少なくとも、倒木の下よりは安全だろう」

 レイグが答え、ルナは嬉しそうに頷いた。

 雪ウサギの親子は、しばらくこちらを見ていたが、やがて木の根元の奥へ姿を消した。

「冬を無事に越せるといいね」

「ああ」

 レイグは短く答えた。

 森の上を、冷たい風が吹き抜けていった。

  ◇   ◇

 雪ウサギの親子を助け終える頃には、日差しが少し傾き始めていた。

「あれ? もうこんな時間?」

 ルナは木々の間から空を見上げた。

「そういえば、お昼ご飯も食べてなかったね」

「……まったくだ」

 レイグが不満そうに鼻を鳴らした。

「せっかくエマが干し肉を持たせてくれたというのに」

「ふふっ。レイグ、お腹が空いた?」

「当然だ。朝から歩き通しだからな」

「じゃあ、帰る途中で食べようか?」

 レイグは沢の方へ目を向けた。

「いや。日が暮れる前に森を出た方がいい」

 「うん、そうだね」

 ルナは籠を持ち直した。

 降雪草の実が入った布袋は、籠の底で小さく音を立てている。

「おばあちゃんも待ってるし、そろそろ帰ろう!」

「みゅっ!」

 レイグは先に立ち、帰り道を確かめた。

 ミクはルナの足元を、ぴょこぴょこと歩いている。

「ミク、今日はたくさん歩いたね」

「みゅっ!」

「疲れてない?」

「みゅ!」

「ふふっ。元気いっぱいだね」

  ◇   ◇

 しばらく歩くと、細い沢の水音が聞こえてきて、森の地面は沢に向かって緩やかに傾いている。

 落ち葉の下には、湿った土が隠れていた。

「この辺りは気をつけろ」

 レイグが振り返った。

「うん。おばあちゃんにも言われたからね」

 ルナは慎重に足を運んだ。

 ミクも、その後ろをついてくる。

 ところが。

「みゅ?」

 ミクが、何かを見つけたように立ち止まった。

 落ち葉の間を小さな羽虫がふわりと飛んでいて、ミクは反射的に追いかけた。

「あっ、ミク! そっちは駄目!」

 ルナが声をかけたときには、ミクはすでに斜面の縁へ近づいていた。

 小さな前脚が、湿った落ち葉を踏む。

 ずるっ。

「みゅっ!?」

 ミクの体が傾いた。

 足元の土が崩れ、小さな白い体が斜面へ滑り出す。

「ミク!」

 ルナは咄嗟に駆け寄った。

 考えるより先に、手が伸びていて、滑りかけたミクの体を両手で受け止める。

「……よかった!」

 だが、その瞬間、ルナの足元で嫌な音がした。

 ざりっと、濡れた落ち葉の下の土が崩れたのだ。

「……え?」

 ルナの体がぐらりと傾き、片足が斜面へ滑り出す。

 沢は、すぐ下ではないが、落ち葉に覆われた急な斜面が木々の間を縫うようにずっと続いている。

 このままでは、ミクも一緒に落ちてしまう。

「ミク……!」

「みゅうっ!」

 ルナは残った力を振り絞り、ミクを平らな地面へ押し戻した。

 小さな白い体は落ち葉の上を転がり、安全な場所で止まった。

 それを確かめた瞬間、ルナの足元が完全に崩れた。

「きゃあっ!」

 体が後ろへ倒れる。

 腕に掛けていた籠が大きく揺れ、中の包みが跳ねた。

 ルナは反射的に籠の持ち手を掴んだが、体勢を立て直すことはできなかった。

 落ち葉と小石が、音を立てて斜面を滑り落ちていく。

「ルナッ!」

 レイグの低い叫び声が、森に響いた。

 大狼は振り返るなり、地面を蹴った。

 だが、ルナの体はすでに斜面の下へ滑り始めていた。

「レイグ……!」

 ルナは必死に手を伸ばした。

 その指先が、突き出た木の根をかすめる。

 けれど、掴むことはできなかった。

 目の前を、茶色い落ち葉と黒い木の幹が次々に流れていく。

 冷たい風が頬を打った。

「みゅううっ!」

 安全な場所に残されたミクが、必死に鳴いている。

 レイグが斜面の縁へ駆け寄った。

「ルナッ!」

 だが、その声は沢の水音にかき消されそうだった。

 ルナの姿は、木々の間を滑り落ちていく。

 やがて、斜面の向こうへ見えなくなった。

「みゅうっ!」

 ミクは斜面を覗き込んだ。

 さっきまで自分を抱きしめてくれていたルナが、どこにもいない。

 ルナのところへ行きたい。

 ただ、それだけだった。

「みゅっ! みゅうっ!」

 ミクは迷わず、斜面へ向かって駆け出した。

「待て、ミク!」

 レイグが叫ぶ。

 だが、ミクは止まらなかった。

 短い脚で斜面を下り、滑っては転がり、また立ち上がる。

 小さな白い体が、落ち葉の中を必死に進んでいく。

 レイグは金色の瞳を険しく細め、斜面の縁で身を低くした。

「……まったく、どいつもこいつも!」

 大狼は地面を強く蹴った。

 四本の脚で足場を確かめながら、ミクを追って斜面を駆け下りる。

 「ルナ! どこだ!」

 レイグの叫びが、冷たい森に響いたが、沢の水音が聞こえてくるだけだった。

 「ルナッッ!!!」


(つづく)

 お読みいただき、どうもありがとうございました。

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