第2話:翻訳機能まさかの欠陥品
ステータス画面が出なかったショックは、一瞬だった。
ふと冷静になって考えると、先ほどの老婆たちの言葉がはっきりと聞き取れたことに気づく。
(そうだ。やはりここは異世界だ。そして、転生の基本特典である『全言語理解』だけは、どうやら正常に機能しているらしい)
よし、と俺は内心で拳を握った。言葉さえ通じれば、あとはどうとでもなる。
俺にはラノベで培った『現代知識』という最強の武器があるのだから。
会話術を駆使して権力者に取り入り、そこから成り上がってやる。
俺は余裕を取り戻し、優雅な仕草で老婆たちへ向かって一歩踏み出した。
同時に、自分の格好がふと気にかかる。勇者なら白銀のフルプレート、百歩譲っても動きやすい革の軽装鎧が支給されているのが通例だ。
そこで俺は、自分の体を見て凍りついた。
視界に入ったのは、使い込まれた聖剣でも、魔力が宿る刺繍入りのマントでもなかった。
「……は?」
着ていたのは、昨日寝る前に着替えた、首元の伸び切ったヨレヨレのグレーのスウェット。
しかも、足元は履き潰して黒ずんだ健康サンダル。
ファンタジーの欠片もない、深夜のコンビニに徘徊する際の外見――「実家の自室セット」そのままだ。
「ちょっと、何だいこの男……。あんな不気味な色の布、見たことないよ」
「呪いの儀式に使う装束か? 裸の方がまだマシだぞ。不吉すぎる……」
老婆たちの言葉が、鋭い刃となって俺の自尊心を削っていく。
さらに追い打ちをかけるように、決定的な異変が俺を襲った。
「えっ……あ、いや、これはだな! 俺は別に怪しい者じゃなくて……」
必死に弁明しようとした瞬間、喉の奥から漏れ出たのは、自分でも聞いたことがない奇妙な音だった。
「――ヌ、ヌガッ!? ア、アバ、ガバッ……!?」
思考では完璧な日本語を話しているつもりなのに、口から吐き出されるのは、壊れた楽器が軋むような不快な濁音。
老婆たちは「ひいっ!」と短い悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
(……待て、おかしい。なんで、言葉が……!)
そこでようやく、残酷な事実に気づく。
『全言語理解』は、確かに機能している。相手が何を言っているかは、嫌というほど完璧に理解できる。
だが、『言語発信』が、全くリンクしていないのだ。
俺の声帯はこの世界の理に適応しておらず、空気の震わせ方すら一致していない。
相手の言葉は「わかる」のに、こちらの意思は「一文字も伝わらない」。
「ア、アブ……アブバ……ッ!」
必死に叫べば叫ぶほど、不潔な路地裏に虚しい奇声が響き渡る。
最強の初期装備どころか、ただの「ジャージ姿で言葉の通じない変質者」として、俺の異世界生活は最悪の幕を開けた。




