第1話:ステータス・オープン(失笑)
鼻を突くのは、発酵した生ゴミと埃が混ざり合った、お世辞にも芳しいとは言えない悪臭だった。
背中に伝わるのは、ゴツゴツとした石畳の硬く、冷たい不快感。俺は重い瞼をゆっくりと持ち上げた。
「……ここ、は?」
視界に飛び込んできたのは、煤けたレンガ造りの壁と、どんよりとした空を細長く切り取った路地裏の景色だった。
普通ならパニックになるところだろう。
だが、俺の心臓は期待にドクドクと跳ね上がっていた。
(間違いない。この感覚、この導入……俺は、選ばれたんだ!)
昨晩まで、俺は自室で『俺ツェェェ』系のラノベを読み耽っていた。気づけば寝落ちして、目が覚めたらこれだ。
女神との面談をスキップしたのは、おそらく俺の適性が高すぎて、今さら説明など不要だと判断されたからに違いない。
「……ふっ、ふふふ。きた、きたぞ……!」
自然と口角が吊り上がる。
まずは現状把握だ。いや、その前にやるべきことは決まっている。ラノベ読者なら義務教育レベルで知っている、あの儀式だ。
「よし。まずは職業の確認と、スキルの割り振りといこうか……」
周囲に人がいないことを確認し、俺は意気揚々と右手を斜め前に突き出した。
脳裏に浮かべるのは、半透明でスタイリッシュなホログラム画面だ。
「――ステータス、オープン!」
静寂。
風が吹き抜け、ゴミ溜めから紙クズがカサリと音を立てる。
俺の目の前には、ただの「薄暗く濁った空気」が広がっているだけだった。
「……あ、あれ? 感度が悪いのか? それとも音声入力じゃなくて意識だけでいいのか?」
もう一度。今度はより強く念じながら、空中でスワイプ動作を繰り返す。
右にシュッ、左にシュッ。指先を虚空で必死に動かし、見えない画面を無理やり引きずり出そうとする。
「メニュー! ジョブ表示! おい、出てこいよ! 『勇者』や『無限魔力』って文字が刻まれてるはずだろ!」
必死に手をフリフリ、ペタペタと動かし、ありもしない「最強」を掴もうとする俺。
その時、路地の入り口で足音が止まった。
見れば、荷物を抱えた老婆と、身なりのいい商人のような男が、引き攣った表情でこちらを凝視している。
「……おい、見ちゃいけません。関わると災いが降りかかるよ」
「あぁ……可哀想に。まだ若いのに、完全に頭がいかれちまってる。ユウシャだのムゲンマリョクだの、不気味な呪文をブツブツと……」
ヒソヒソという囁き声が、路地の壁に反響して耳に突き刺さる。
彼らの目は、まるで不衛生な害獣を見るかのように、ひどく冷ややかだった。
「……ッ」
伸ばしたままの右手が、羞恥心で激しく震え出す。
おかしい。
俺が読んできたラノベの主人公なら、今頃「勇者に選ばれて、運命的な女の子との出会い」でもしているタイミングのはずなんだ。
だが、現実には、ステータス画面なんて一枚も出ない。
そこにあるのは、異世界の住人からの「ガチでヤバい奴を見る視線」という名の、あまりにも残酷な現実だけだった。




