第十六話 止まっていた時間
夏休み明けの教室は久しぶりにみんなと会えるからワクワクはする。でもまだ夏なのに不思議と痛いほど冷えている手。少し震えながらスマホで文字を打つ。
「今日、お父さんのプレゼント買いに行かない?」
「おっけー!」
思ったより早い貴大の返信に、冷たい指先を高速に動かす。
「じゃあ学校帰り、買って帰ろう!」
お父さんのことを想像するだけで、喉を絞められて身体が重くなる。ポツリと呟いた。
「試練かも…」
授業の内容はほとんど覚えていない。ノートには意味のない線ばかりが増えていた。頭の中にあるのは、
お父さんにプレゼントを渡す瞬間のことだけ。
気づけば、グラウンドを眺める貴大君の隣を歩いていた。それぐらい今日は上の空で時間だけが過ぎていた私に釘を刺すように
「あ、卓哉さんサッカーだし、日本代表のユニフォームでもあげる?喜びそうじゃない?」
仕事で使える物の方がいいと思っていた私は、
その提案はまったく考えていなかった。でも気づけば、
「それはいいねー!」
思わず即答していた。
「ウチ、全然詳しくないから。たかぴー頼むよー!」
「サッカー関係は任してよ!」
自信満々の貴大を見ると、一安心して身体が軽くなっていき息がしやすくなった。
「たかぴーってよくスポーツショップって行くの?」
「行くよ!サッカーシューズとか見るの好きだからね」
スポーツショップに着く頃には不安も消えて、お店の冷房がちょうどよく感じるほどになっていた。
それにしても一度来たからわかるけど、貴大は遠回りしている。
そんなことに気づいていない貴大は、
「この靴かっこいいなぁ」
少しイラッとした私は、あえて強めの口調で
「ねぇ、ユニフォーム探しでしょ!日本代表のユニフォームってどれー?」
「日本のやつは青いやつだよ!」
そんな私に気にも留めずキョロキョロとしている貴大。
サッカーの話になると、いつも会話の主導権を持っていかれる。
「ねぇ、珠凛ちゃん!みんなの分も名前入りで買わない?」
「いいよー、みんなお揃いでいいね!」
Missyのライブの時のように目を輝かして、ポスターに指さしている貴大。私はみんなお揃いの想像が頭に浮かんで、惹かれてしまう。
「オッケー!じゃあ店員さんに言ってくるよ」
その時の私は、お父さんのプレゼントのことよりも、
由紀恵さんとみんなで写真を撮ることばかり想像していた。
期待と裏腹にあっという間にお父さんの誕生日の前日になってしまった。胸に手を当てて、深呼吸。
「リラックス、リラックス」
自分に言い聞かせながらも明日のことを考えると
息がしづらくなる。不安を消すように夕食を作るが焼き魚を何度もひっくり返してしまう。
いつも通りの2人での夕食。いつもより早めに食べれるのは、貴大が不安な私に気を使って手伝ってくれたからだろう。その優しさが逆に不安な気持ちを打ち解けづらくする。
淡々と口に運ぶご飯と焼き魚、味噌汁があまり味がしない。喉の奥で引っかかって言葉が出ない。
心の中の自分に「落ち着いて!リラックス」と言い聞かせながら、薄く息を吐いて
「明日なんて言って渡せばいいかな?」
やっと出せた声は弱々しく、より自分の不安を煽るようだった。
お茶碗を置いて、箸を持つ手を顎に当てながら考える貴大
「なんか難しいね。でも、感謝の気持ちを伝えるのは大事だよね」
「そうだよね…」
「珠凛ちゃんは卓哉さんのことをどう思ってるの?言いたくなかったら、言わなくても大丈夫だけど」
ただ答えだけを求めていた私は、逆質問に前からも後ろからも銃を向けられたような感覚になる。
お父さんへの思いなんて、他人に言ったことがない。
全てを言えば楽になるだろうか。言わずに抱え続ける方が楽だろうか。どちらもポジティブには思えない。
でも貴大ならと思ってしまう私は、小さく息を吐いてから、ようやく口を開いた。
「…昔は優しくてすごく好きだったんだけど、お母さんが死んじゃってからは…あんまり話してないし、よくわからないよ」
自分でも聞こえないほど小さな声だったけど、それを聞いた貴大は
「卓哉さんのこと嫌いじゃないみたいだね!それなら安心したよ」
私はハッとした。その瞬間、何が込み上げてくるのがわかる。それを必死に抑えようとしながら
「嫌いじゃないよ、むしろ好きだし。でも全然話していないから、関わり方がわからない」
私はお父さんのことが好きなのに、目の前に立つと素直になれない。そんな自分が嫌いだ。モヤモヤした気持ちが胸を締め付け始める。
「じゃあさ!俺も書くから手紙で思いを伝えようか!言葉じゃまとまらない時もあるし!」
貴大の提案にモヤモヤしていた頭の中が晴れ始める。
喉の奥に引っかかるもの、身体を押し潰す重いもの、全てから解放されていく。
また、あの日みたいにお父さんと話せるかもしれない。そんな期待が胸に広がる。
頬張る貴大に負けないぐらいに、急いで夕食を食べ終えて、部屋に向かった。
いざ手紙に自分の思いを載せてみると、ペンが止まらない。素直になれなかった5年間が溢れていた。同時に自分の中にあるものが、抜けていくように心が軽くなっていく。
「あー、スッキリした!もうこんな時間じゃん!」
書き終えた頃には日付を跨いでいた。
「たかぴー。ありがとう」
パンケーキ屋さんで撮った写真の貴大に、お礼言いながら、笑みが溢れる。
緊張と不安がピークになろうと迎えた当日。
冷房がまだ効いていない熱が籠るリビングに2人。いつもより口数が多い貴大に、作り笑いの私。
「珠凛ちゃん!ここに飾るのもいいよねー!」
「いいんじゃなーい!でもここに風船飾りたいかも」
「それにしても暑いね!珠凛ちゃんなんか飲む?」
「大丈夫!意外と時間ないかもよ!」
「そうだね!俺、風船膨らませた方がいいよね?」
「お願いーー!」
飾りつけに集中しながらもテレビの上に掛かっている時計が気になる。
針が少しずつズレるたびに、焦りと不安で身体が冷えてくる。
「緊張すんなよー!俺も母の日緊張したし、今回は俺がいるから大丈夫だよー!」
「うん!」
そんなに私の感情が透けているのかな。自分では冷静なフリをして、隠しているつもりだったけど。
さっきまで寒かったのに、なんだか顔が熱くなってきた。
「ちょっと緊張取れたー?一応、俺も緊張してるんだからね!」
「ちょっとね、お父さんのことになると不安にはなるよね。でもありがとう!」
「俺たち家族だから、助け合わないとね!」
「そ、そうだね!家族だから!」
何気ない会話なのに、胸が少し締め付けられる。手より口の方が動いていながらも、親たちが帰る前には無事リビングは鮮やかになった。
「じゃあユニフォーム着てくるね!」
「俺はさっきトイレ行った時に着たわ」
「いつのまにー!」
笑いながら部屋に戻って、机の青のユニフォームを見つめ、身体の中にスゥーと緊張感が抜ける。
「あー。緊張するなー」
部屋は暑いのに、冷たくなった手に「はぁー」と息をかける。
ユニフォームに袖を通した自分の姿が鏡に映ると
「可愛いじゃん!」
服のお腹あたりを握って下に引っ張りながら、自分に笑顔を。少しぎこちないなと思いながら、部屋を後にした。
貴大と談笑して待っていると玄関のドアに音。
机に置いてあるクラッカーを無音の笑顔で急いで取りに行く。
リビングにお父さんと由紀恵さんが入ってきた。
強張る身体を振り払うように全力の声で
「誕生日おめでとー!」
その勢いが失速する前に上着の下に隠したプレゼントを取り出し、震える手でユニフォームを渡した。
「お父さんいつもありがとうー!」
「お、おう、ありがとう」
戸惑いながらも、久しぶりに私の前で嬉しそうなお父さん。鼻の通りが良くなって、目頭が熱くなりかけて
「早く着てみて!」
ユニフォームを着ようとするお父さんを見ていると、背中を叩かれる。
笑いながらこっちを見るユニフォーム姿の貴大とその奥に私服の上から重ね着する由紀恵さん。
それ見て急いでユニフォーム姿に。
「じゃーーん!」
気づけば私は、勢いのまま全部やりきっていた。貴大と由紀恵さんに挟まれながら、今日1番の笑顔。いやお父さんの前でこんな笑顔になるのは久しぶりだった。
「ありがとう、ありがとう!」
涙ぐむお父さんが、いつもより少し大きく見えた。
止まっていた時間が、やっと一歩動いた気がした。
貴大のおかげで、夕食までの流れが気持ちいいくらいスムーズに進んでいく。
でも手紙はいつ渡すんだろう?頭の中はごちゃごちゃしている。
「貴大君と珠凛、ありがとう!」
嬉しそうなお父さんの言葉に、今回のプレゼントはほとんど貴大が考えたんだと言いそうになった時。
いつも違って横に座る貴大に足を軽く蹴られた。
「珠凛が思いついたプレゼントですよ!俺はサポート役ですから!」
「そうなのか!珠凛!ありがとう!大切にするよ!」
「…どういたしまして。大切にしてね」
貴大の優しさとお父さんが喜んでいる姿、それを見てニコニコしている由紀恵さん、全てが温かい。
机に隠れた手は無意識にユニフォームの裾をギュッと握っていた。
「貴大、ニヤけてキモいんだけど」
「ひどすぎだろ!あ、そうだ!」
また貴大は私の足を軽く蹴る。ふと貴大に目を向けると先ほどから蹴ってくる意味を理解した。
「第二弾サプライズです!」
ポケットに隠した手紙を震えないようにお父さんに渡す。
「まだあるの?ありがとう」
「ぜひ読んでください!卓哉さん泣けると思います!」
貴大が先に言うから、私の手紙は後になったんだろう。震える手を隠しても、頬がピクピクしてしまう。少し長めの貴大の手紙に手伝ったのを後悔する。
「貴大君ありがとう!手紙は嬉しいな!頑張ってみるよ!」
「泣かなかったですか?」
「良かったよ!心に響いたよ」
「泣かしにいったのに!あははー」
「じゃあ次は珠凛の」
心臓の鼓動が強く速くなっていく。お父さんが手紙を読んでいる間は沈黙が続く。生きている気がしない。その空気を嫌ってなのか
「泣いてもらえなかったよー!」
私に肩をぶつけてくる貴大に、少しイラッとした瞬間。お父さんが立ち上がりゆっくりと私の横に寄ってくる。
突然手をあげて、私は叩かれると肩をひそめる。
「あの日からごめんな…珠凛も寂しかったよな…」
涙ぐむ声と一緒に頭を撫でられた。
お母さんが亡くなった日からずっと1人だった。一緒に住んでいても、ほぼ1人暮らし。気づいたらお父さんに話しかけづらくなっていた。でもその優しい手が止まっていた時間の針を動かし始めた。
「お父さん!」
ずっと我慢していた涙が溢れ出して、私の顔はお父さんの胸元に吸い寄せられていた。
こんな姿は、いつもなら人には見せられない。ましては同い年の男子が横にいるのに。
お父さんの胸の中で私は手紙に書いたことを思っていた。
「お父さんへ
お誕生日おめでとう。
手紙を書くのは少し恥ずかしいけど、どうしても伝えたいことがあって書いたよ。
まず最初に言いたいのは、
いつもありがとう。
でも、この言葉をお父さんに言うのは、たぶんすごく久しぶりだよね。
お母さんがいなくなってから、気づいたら5年も経って同じ家に住んでいるのに、お父さんとちゃんと話すことがほとんどなくなってしまって。
ご飯を食べていても、
「おかえり」とか「おやすみ」とか、
そんな短い言葉しか交わさなくなって。
いつからこんな風になったんだろうって、ずっと思うよ。
本当は、お父さんのことが嫌いになったわけじゃないよ。
むしろ、昔はすごく好きだったよ。
小さい頃、お父さんが休みの日に一緒に出かけてくれたこととか、
サッカーを見ながら楽しそうに話していたこととか、
お母さんと3人で笑っていたこととか、
全部、ちゃんと覚えている。
だからこそ、お母さんがいなくなった日から、
お父さんの顔を見るのが少し怖くなった。
お父さんも悲しそうで、
お父さんを見るたびにお母さんのことを思い出してしまって。
どう声をかければいいのかわからなくて、
どうやって笑えばいいのかわからなくて。
気づいたら、話しかける勇気がなくなっていた。
きっとお父さんも同じだったのかなって、
最近やっと思えるようになったよ。
あの日から、お父さんもずっと一人で頑張ってくれていたんだよね。
仕事で疲れて帰ってきても、
ちゃんと家にいてくれて、
私が困らないようにしてくれて。
でも私は、それに気づかないふりをしちゃった。
本当は言いたかった言葉がたくさんあったのに、
全部胸の中にしまったままにしていた。
ごめんなさい。
そして、ありがとう。
私はお父さんの娘でよかったって、
今でも思うよ。
お父さんは不器用だけど優しくて、
あんまり多くは話さないけど、
ちゃんと家族のことを大切にしてくれる人。
そんなお父さんのこと、
本当はずっと大好きだよ。
だから今日は勇気を出して、
この手紙を書いた。
もしよかったら、
これから少しずつでもいいから、また話したい。
昔みたいに、
何気ないことで笑ったり、
テレビを見ながら話したり、
そんな普通の時間を一緒に過ごせたら嬉しい。
お母さんがいなくなってしまったけど、
私たちはまだ家族だから。
お父さんがいてくれるから、
私はここにいられる。
これからも迷惑をかけるかもしれないけど、
それでも、娘として隣にいさせてほしい。
お父さん、
生まれてきてくれてありがとう。
そして、
私のお父さんでいてくれてありがとう。
珠凛より
」
気づけば私は、お父さんの胸にしがみついていた。
離れたくない。そんなふうに思ったのは、いつぶりだろう。温かい身体にホッとする私にお父さんは
「とりあえずソファのとこ行こうか」
ソファに向かう私たちを、貴大と由紀恵さんがほんわかした顔で見ていた。
「ごめんな、また色々話そうよ」
「うん、私もごめんね」
「また珠凛が好きな遊園地でも行くか!」
「お父さん!もう子供じゃないよー」
「あははー、でもいいじゃないか!」
「別にいいけどー」
こんなに笑いながら話すのが久しぶりで嬉しくて、涙が止まらない。
「俺遊園地行きたいです!」
空気を読めない貴大が入ってくる。
「貴大君も言ってるんだし、今度行こう!」
「たかぴーも行くのー?えーー」
「珠凛ちゃんひどいって!あ、ってか忘れてた!みんなでユニフォームで写真撮りたいんだった!」
「私の顔やばいから嫌だよ!」
「大丈夫!珠凛ちゃん可愛いから!2人で珠凛を挟んでー!10秒後に撮られるから!」
ソファで初めて撮る家族写真。
ソファに座りながらお父さんと由紀恵さんに挟まれて、後ろで私の頭の上でダブルピースする貴大。
スマホのシャッター音が、静かなリビングに響いた。
その瞬間、私たちは、やっと本当の家族になれた気がした。
その日の夜、由紀恵さんが家族のメッセージグループを作り、そこに貴大が4人で撮った写真を送っていた。
「うちの顔、パンパンじゃん!化粧もやばいし!」
次の日同じポーズでまた撮り直した、ここだけの話。




