第99話 『最後の休息』
「ア、アレンっ! ぼうっとしてちゃ危ないよ!」
「ん……ああ。そうだな。考えてる場合じゃない、か」
アレンは思考を取りやめ、目の前に集中する。
パンドラのおかげでボスのドラゴンは完全に怒り狂い、広大なフロアを飛び回りながら火を吐いていた。ユウの提示した『囲んで棒で叩く』は残念ながら頓挫したようだ。
だが、空を飛ぶものは総じて、いずれ墜落するのが道理。
ましてやこの場にいるのは、竜さえ屠る鷹である。ただ地上を離れた程度で鳥瞰の視野からは逃れられまい。
「ノゾミ、盾を用意してくれ。こっちへ向かってきたら迎撃するから、あの火を吐いてくるやつ……えーと」
「ブレス?」
「そう、それ。ブレスの対処だけ頼めるか?」
「うんっ。任せて、合点承知だよ!」
竜の旋回するさなか、アレンはざっと仲間たちを見渡す。銃がメインの『スクワッド』たちはともかく、ほとんどの味方は空を飛ぶ相手に攻撃が届かず、防戦一方になっているようだ。
それを鼓舞するように、アレンはふっと笑う。
「さあ竜退治だ。一狩りいこうぜ!」
そして、牙の合間から猛る火を漏らし、こちらへ滑空する巨竜へ向けて、臆せず銃口を突きつけた。
*
「で、結局エルのおかげで倒せたわけだけど——」
「それは言わないでくれるか、ノゾミ……」
一時間後。ギルドハウスに戻る間も惜しいとばかりに、一同はバベルの第0層に戻って話し込んでいた。
ボス戦については、アレンが卓越した射撃能力で圧倒するのかと思いきや、エルが『関数殺し』の鎖で地面に引きずり降ろして終わった。
ドラゴンは全身を鎖につながれ、完全に動けなくなっていた。
圧勝だった。
結局囲んで棒で叩いた。
「……ま、エルのおかげってのは事実だな。ボスだけじゃなく、パンドラの方も。よく追い返してくれた」
「でも……エルは、鎖一本ぶん、及ばなかった。ううん……パンドラは、まだまだたくさん、『関数殺し』の鎖を使える。ほかの権能だって」
「そこは俺たちが補えばいい。エルひとりに任せはしないさ」
「そうだよっ。とは言ってもわたしは『ゴーストエコー』が役に立たないと、なにもできないけど……でも今はほかにも頼れる人たちがいっぱいいるんだから、大丈夫だよ!」
「……うん」
ゲートのそばの壁にもたれて話していると、エルはぽてんと隣のアレンの肩に身をあずける。
そして、すぐにか細い寝息を立て始めた。
「エル? ……そんなに疲れてたのか」
「緊張、してたのかな」
「バベルに入ること自体まだ二度目なんだ。そうかもしれない」
昨日に比べて消耗が激しい気もしたが、それだけパンドラとの対話に神経を削られたということだろうか。
「しかし、頼れる人たちね……これからも頼らせてもらえるといいんだが」
エルを起こさないよう、つぶやきながらアレンは第0層の広間、その中心に視線を投げかける。
そこには、シンダーに詰め寄る幾人かの姿があった。
ミゼリーやサジョー、フランシスカ。及び彼らの率いるギルドの団員たちだ。
彼女らは管理者を知らない。アーカディアのループも、デウス・エクス・マキナの存在も。
「シンダーさんも、隠そうと思ってたわけじゃないはずなのにね」
「ああ、タイミングが悪かった。まさかパンドラが第80層にまで降りてくるなんてな。しかもイタチの最後っ屁みたいな嫌がらせまでして」
「あはは……そのたとえが合ってるかはわかんないけど」
『スクワッド』の五人は昨日のうちに教えてもらっていたようで、今はシンダーのフォローに回ってくれている。
しかし、彼らの疑問は、彼らが想像している以上に重い。
六万を超えるループに、この継ぎ接ぎの箱庭を支配する、王のごとき管理者。
いっぺんに受け止められるものだろうか。
(……あれだけ問い詰められれば、シンダーも話すしかない。けれど、話したところで……)
胸中に懸念が渦巻く。やがて、詰問にも似た話し合いが終わる。
フランシスカたち……〈不壊工房〉、〈アーカディア扶助会〉、〈ドールズハウス〉の面々は入口へと踵を返し、第0層を去っていった。
「シンダー。一体、どうなったんだ」
しばし間を置いて、広間に立ち尽くすシンダーに対し、アレンは近寄って問いかける。
その背がゆっくりと振り返った。品のある顔立ちが、珍しくも疲労を隠しきれずにいる。第80層での戦闘のせいだけではないだろう。
「〈不壊工房〉、〈ドールズハウス〉の皆さんは、引き続き協力してくれると。幸いなことです」
「……じゃあ、サジョーたち。〈アーカディア扶助会〉は?」
「この先には、同行できないそうです」
「そう……か」
落胆を表に出したつもりはなかったが、おそらくは声音に表れてしまっていたのだろう。
シンダーは言い繕うように重ねる。
「もとより扶助会は〈サンダーソニア〉と同じで平和主義的なギルドです。サジョーさまは真実を知ってなお、協力する姿勢を見せてくれていましたが……最後は団員の皆さまの意見を尊重されました。それはギルドマスターとして正しい姿だと思いますわ」
協力を失ってなお、相手を擁護するところに彼女の人間性が覗くようだった。
「残念だが仕方がないな。なに、『スクワッド』が来てくれる前に比べればそれでもずっと味方は増えた。あとたったの20層だ、やってやろう」
「アレンさま……はい。ええ、そうですわね。明日からも予定通り、攻略を進めていきましょう。特に、しばらくは一日に2層ペースの攻略が続きますから」
「ああ。任せてくれ、どんなモンスターも撃ち抜いてみせる。……トラップだけはもう勘弁してほしいけど」
「アレンさま……」
シンダーはくすりと笑う。それから、少しだけ疲労の和らいだ表情で言った。
「貴方がいてくれてよかった。心からそう思います」
「こっちこそ。シンダーがみんなをまとめてくれて助かってるよ。俺はそういうの苦手だからな……」
「あら。そうは思いませんけれど。威厳たっぷりですよ、ふふ」
「目が嘘だって言ってるぞ」
「まさか、そんなわけ。ふふふっ、あは——あははっ」
とうとう堪えきれないとばかりに吹き出し、口元を手で抑えながらも肩を強く震わせる。
威厳の二文字などこのちんまりとした体には皆無だと言いたいのだろう。
「……はあ、ったく。しょうがないな」
普段であれば怒るところだが——
シンダーの立場が抱える心労、それから珍しい彼女の無邪気な笑みに免じて、アレンは水に流すことにしたのだった。
*
第80層を突破した一同は、翌日からそれ以降、第81層から第100層への攻略を開始した。
休む間もない戦いの連続。アーカディア扶助会の脱退は痛かったが、『スクワッド』や〈ドールズハウス〉、〈不壊工房〉の助力は大きな存在感を示し、第81層、第82層、第83層と次々に駒を進めていく。
戦闘面での中心はやはりアレンだったが、新たに加わった仲間、それから元管理者たるエルの力は大いに負担を減らしてくれた。
特にエルの『関数殺し』はチート級と評したくなるほどの効力で、モンスターたちにとっては悪夢的なほどの拘束力を誇った。
一度縛り付けたモンスターがその拘束を脱することはなく、鎖が砕けることもない。耐久値の存在しないボーナスウェポンや、オブジェクト判定を持つバベルの壁面などのような扱いなのではないか、とはユウの談。
そうして一行は、七日をかけて第90層までたどり着き、そのボスであるノーライフキングをも撃破することに成功したのだった。
「えー……まだパンドラの待つ第100層までは9つの階層を残すところではございますが、本日は第90層という大きな節目を超えることが叶いました。これも皆さまの尽力、ご協力によるものと存じ……」
「前置きが長いぞ、シンダー」
「そうだそうだー」
「や、野次を飛ばさないでいただけますかっ!?」
〈サンダーソニア〉ギルドハウスの、普段は使わない広間にて。椅子とテーブルを持ち込んでもまだスペースに余裕のあるはずのそこは、攻略組メンバーが終結してごった返し、卓上にもところせましと料理が饗されている。
ただの木箱を置いて作られた即席の壇上で、シンダーは代表の挨拶を終えた。合間にアレンやユウの茶々はあったが。
それはささやかな祝勝会だった。
息の詰まるようなバベル攻略の日々に、わずかばかりでも休息を。そう言い出したのはほかならぬシンダーだ。
もちろんのんびりとしている暇などなく、明日は早速第91層へ挑まねばならない、本当にわずかながらの小休止。
本音を言えばアレンは最初、内心では、そんなものは必要ないと思った。
残すところ9つ。たったそれだけで、パンドラとの最後の戦いが始まるのだ。ここで緊張の糸を緩めることは、かえってこれまでの好調な勢いを崩すことになるのではないか、と。
だが——
「……やっぱりシンダーがいてよかったな。あんな風に全体のことを考えるのは、俺にはやっぱり無理だ」
宴会の騒乱の中、周囲の声に掻き消えそうな声量でアレンはぽつりと漏らす。
「さっき野次飛ばしてたのに?」
「あれは冗談っていうか、場を柔らかくしたかっただけだ」
「ふーん。あ、この揚げ物おいしい。ちょうだいアレン」
「おいっ。大皿があるのになんでわざわざ俺のところから取るんだよ。まあいいけどさぁ」
つぶやきは隣席、すぐそばに座るノゾミが拾った。ついでにアレンの皿から肉をスティール。
それを興味なさげに——それでいてどこか微笑ましいものを見るようにしながら、ユウが箸を片手に言う。
「祝勝会とは気が早いと僕も思うけれど、タイミング的にはここ以外ないだろうからね。流石の気配りというか、根っからの委員長気質というか」
「あ——そっか。もうこの先は、こんな風に時間を取る暇もないかもだもんね」
ノゾミも気が付いたらしい。
今日ここがきっと、第100層を目指す│転移者たちにとっての最後の休息となる。
第90層、同じく最後のボスモンスターを倒したこのタイミングが、それを設けられる唯一の機会だったのだ。
(そしておそらくは……誰かが欠ける前に、全員で記憶に残ることができる最後の機会でもある)
形容しがたい感傷を胸のどこかで感じながら、アレンはグラスを傾けた。……中身はジュースである。アーカディアに酒類はないらしく、未成年のアレンは別によかったが、シルヴァ辺りは悔し涙を流す勢いだった。
なにともなしに、周囲を見渡す。
自然の成り行きというやつか、皆、基本的には各々のギルドのメンバーで集まっているようだった。
シンダーやシルヴァをはじめとする、パンドラの脅威を目の当たりにしても逃げなかった〈サンダーソニア〉の団員。
数名で物静かに卓を囲んでいる、ミゼリーたち〈ドールズハウス〉。
対し、隣の卓の〈不壊工房〉はより少数にもかかわらず、フランシスカだけがアルコールもないのに大騒ぎをしている。
……今、ミゼリーの方に絡みにいった。肩を組んでなにかを上機嫌に語りかけている。ミゼリーの方は心底迷惑そうな顔だ。
(——見なかったことにするとして。あっちの方は……)
視線を移せば、『スクワッド』の五人も楽しそうに卓を囲んでいる。元〈エカルラート〉だったことを後ろめたく思っているのか、あまり自分から主張をしない集団で、今も広間の端の卓に座っていた。
しかし卓の雰囲気自体は明るく、シグレもこうして見ていれば友人と談笑するどこにでもいる少女のように映った。
そして、前へと向き直れば——
「……?」
机を挟み。そこにも、アレンの視線に対し疑問符を浮かべる、あどけない表情の少女がいる。
その頭上に、黒く塗りつぶされたような、異様そのものの転移者IDをふよふよと浮かべながら。




