第100話 『攻略ラストスパート』
「おいしいか、エル」
「んー……? うん。おいしいし、楽しい」
エルはフォークを咥えたまま答える。いつも無表情な彼女だが、今は心なしか頬が緩んでいる。
〈サンダーソニア〉の団員、あとは専用のNPCが存分に腕を振るった、普段より豪勢な食事がお気に召したのか。
それとも。
「楽しい?」
「……そう、思う。ここにいるのは、楽しい。みんながいて……それぞれ別のことをしていたり、別の話をしているけれど、同じ空間にいて。緩やかにつながっているような、不思議な感覚」
「連帯感、みたいなことかな」
「楽しいと思うのは、おかしい? エルは……」
「そんなことないよ。険悪な時もたまにはあるが、仲間といるのは楽しい。そういうもんだ。まあ、俺もこんな大人数で徒党を組んだ経験はないけどさ」
「仲間——そう。それなら、よかった。……うん」
エルははにかむように微笑んで、食事に戻る。
かちん、かちん。
フォークの先が食器に当たる音。
「で、エル。本題だが」
「……なに? エルは今、見ての通り、食用肉を猟奇的にも原型が判別不能なほどに細切れにし、小麦粉を主原料とする生地でまるで罪人を閉じ込めるかのように包んで焼くという、ヒトの有する残虐な側面に想いを馳せずにはいられない一種の拷問装置じみた料理を食べるので忙しい」
「ただのミートパイを人類史に残る負の発明みたいに言わないでくれるか。俺が言いたいのはだな、ずばり言うが——お行儀よく食べなさいってことだ」
「行儀……?」
エルはフォークを動かす手を止め、きょとんと小首を傾げる。
どうも『一体全体、アレンさんはなにを仰っているんでしょう?』とでも言いたげな仕草だった。
しかし事実として、エルは世辞にも行儀がよいとは言えなかった。
今も、フォークは完全にグーでにぎっているし、口の端にはパイ生地がついたままで、極めつけに椅子の上には体育座りなのだった。
「孤児院でも注意されてるって聞いてるぞ。箸を使えとは言わないけど、せめて椅子にきちんと座るくらいはだな」
「んー……この座り方じゃないと、推理力が40%減少」
「エル違いだろそれっ! 誰に吹き込まれた? いや言わなくていい、検討は付く」
こういうくだらないことをするのはユウだけだ。じろりとアレンがにらむと、何食わぬ顔で顔をそらす。
まったくふざけた男だが、以前のようにエルに対して壁を作ったりはしていない証でもある。
ため息をついて、アレンはもう一度エルを見る。相変わらず食べ方は幼児のそれだ。
「まあ、今日くらいは大目に見てあげようよ。それに、出自を考えればエルがマナーを知らないのは当然なんだし」
「ノゾミ……それもそうだな。エルは最近のバベル攻略じゃ一番の功労者かもしれない。今日は好きにさせてやるか」
先ほどは料理に対して独特の形容をしていたが、味をおいしいと言ったのは嘘ではないらしい。
咀嚼する姿も、時折周りに目を向けてはまぶしいものを見るかのようにまぶたをしばたたかせる姿も、普段より感情が表に出ているようだった。
シンダーの粋な計らいによって設けられた、このわずかなひと時。
それがエルにとっても、心に残る思い出になってくれればいい。
アレンはそう、密やかに願うのだった。
*
つかの間の休息はすぐに終わり、瞬く間に舞台の幕が再度上がる。
第91層以降の攻略は至難を極めた。同時に町の転移者たちもPP枯渇の不安が強く顕在化してきたのか、治安の悪化を示す話がちらほらとアレンの耳にも入ってきた。
アーカディアでは、同じ転移者を殺したところでその持ち物やPPを奪えるわけではない。ならば必然、奪い取るには脅迫して引き出すことになる。
そのため、他者を恐れてか、町の通りからは急速に活気が消えた。裏路地などまるでゴーストタウンの侘しさだ。
当然シンダーたちも手をこまねいているだけではない。
非戦闘員の団員たちを通して、シャドウ狩りやバベル攻略で獲得してきたPPを無償で貧困状態の転移者支援に配り、第90層まで攻略をした実績を喧伝する。
そうした努力により、致命的なパニックは水際でなんとか抑えられていた。
そしてその間、アレンたちは——
「アレン、そっちにモンスター行ったよ! 迎撃できるっ!?」
「ダメだノゾミ君、アレンちゃんは時間停止トラップを踏んで動けない!」
「また罠踏んでるんですかあの人……とことんツイてないですね。俺の『パペッティア』で対応しますよ」
バベル攻略のラストスパート。
第94層は視界の悪い密林の環境だった。
乱雑にそびえる木々の幹と、そこに絡みつくつる性植物。青々と茂る葉を無数に備えた枝は折り重なったカーテンのように垂れ下がり、足元の土の地面にも名も知らぬ下草が丁寧にも絨毯のごとく敷かれている。
死角の多さは危険の大きさをそのまま示している。ノゾミの『ゴーストエコー』はこんな時に非常に有用だったが、ウォールハックの効果が及ぶのは前方だけだ。全方位をカバーしきれるものではない。
おまけに戦闘中にアレンが妙な罠まで踏んづけたせいで、若干の窮地に陥ったものの、ミゼリーがその穴を埋めてくれた。
「すまんミゼリー、助かった」
「構いませんよ。普段はアレンさんに助けてもらうことも多いですから。しかしこう視界が悪いと、ややもするとパーティが散逸してしまいますね。人も多いですし」
「あ、ああ。はぐれるのはまずいな……互いに声かけをしていこう」
「そうですね。〈不壊工房〉と『スクワッド』の方にも伝えてきます」
言うや否や、ミゼリーは〈ドールズハウス〉のメンバーにも指示を出し、手際よく伝達させる。
「お待たせしました。進みを再開しましょうか」
「そうだな。……けど、なんだか少し意外だ」
「——? なんでしょう」
草をかき分け低木を避け、鬱蒼とした森の中を進む。そんな中、アレンはふと湧いた感想をミゼリーに漏らす。
「その、思ったことをそのまま口に出すから、ひょっとすると不快に感じるかもしれないんだが」
「構いません。自分が人にどう見られてるかは自覚できているつもりです。年相応にね」
「〈ドールズハウス〉は元々、現実よりこのアーカディアで過ごすことを選んだギルドなんだよな。だけどミゼリーはバベル攻略にも積極的で——あ、それ自体は本当にありがたいと思ってるんだけどさ。ただ、そのことが少し不思議なんだ。それも最初に言ってた、ギルドメンバーの意向に沿って、ってことなのか?」
「……意外なのはこちらの方です。あなたもことのほか、周りをよく見ている。いや、まだあなたのことを侮っていたのかもしれません。……容姿もアレですし」
「見た目のことはほっといてくれ。なるべく考えたくない。思うんだが、問題ってのは気付いてから初めて問題になるんであって、もしその存在自体に気付かなければそれは問題が無いことと同義になるのかもしれないな」
「あ、もう現実逃避することで対処してるんですね……別に対処になってませんけどね、それ……」
油断なく周囲に目を走らせつつ、ミゼリーは続けた。
「ギルドメンバーのため、というのは本当です。彼らは俺と同じで、一度は現実を捨ててアーカディアで生きていくと決めた。一種の同志ですから」
「でも、それだけじゃない?」
「……本音を言えば。ええ、その通りです」
どこか含みのある言い方にアレンが聞き返すと、ミゼリーは首肯を返す。
「とてもギルドメンバーの前では話せませんが。狩り場からモンスターが消えて、メンバーからアーカディアを見限る意見が上がった時、俺はすごく驚いたんですよ。正直、失望に似た気持ちもあった」
「失望か。それは、『同志』だと思ってたみんなが自分と違う考えだったから……だよな。だけどそれでもギルドメンバーのためにバベル攻略に参加してくれたなんて、立派なリーダーだと思うよ」
「ありがとうございます。ええ、最初はそれだけの理由で攻略組に加わりました。しかし、今は、なんというか……充実しているんです。
目標のために、日々努力を重ねる。それだけのことが快く、同時にひどく懐かしい。現実社会で惰性のままに過ごすうちに忘れていた、生きる情熱めいたものを思い出させてくれるんです」
「生の充実、みたいなことか? 前向きな理由だ。いいんじゃないかな、戦う根拠は人それぞれだが、自分のための理由があった方が健全だと俺は思う」
「ああ、あなたは確か、プロゲーマーとしての夢のためにバベルを攻略しているのでしたね。夢……俺からすればまぶしいまでの真っ直ぐな目標です。
羨ましい限りだ。子どもの頃は同じものを抱いていたはずなのに、いつの間にか落としている。歯車は夢で駆動しない。俺にとって社会に適合することは、童心を捨てることとほぼ同義でした」
悔恨と憧憬が混じる声で、ミゼリーは漏らす。
その気持ちのすべてを理解することは、大人として社会に触れたことのないアレンにはできなかった。
けれどわかることもある。
夢を、憧れを、手放したのちに訪れる胸の空虚。
「ミゼリー……いや、今からでも間に合うよ。なにも気休めで言ってるわけじゃない。俺だって挫折して、一度は夢をあきらめた。だけど、仲間だった友人のおかげで、大切な意志を取り戻したんだ。
バベルを攻略することが充実してるっていうんなら、現実に戻っても夢中になれるものにまた出会える。肝心なのは自分の気持ちひとつだけだ」
「はは、つい愚痴じみたことを言ってしまいました。ありがとうございます、励ましていただいて。そうですね……ゲームの世界に閉じ込められて初めて生きる実感を得るなんて皮肉ですが、せっかくですので、無事に現実に戻ったらできることを探してみますよ。
ああ、そうだ。どうせならアレンさんの勇姿も見てみたいです。ほら、恐縮ながらあまり詳しくはないのですが、ゲームの大会? があるんでしょう?」
「あるよ。観に来てくれるなら大歓迎だ。ま、俺のいた〈デタミネーション〉は解散しちゃったから、またチーム探しから始めなきゃだけど。オフラインの本選に出られる自信はある」
「それだけの腕ですもんねえ。ではその時は応援させてもらいますよ。美少女プロゲーマーのアレンさんを、ね」
「……いや、現実の俺はこんな体じゃないからな!?」
からかわれたのか、ミゼリーはくつくつと笑って先を歩く。
実はこの男は、ユウに匹敵するひねくれ者なのではないか? アレンはそんな思いとともに眉をしかめながらも、その背を追うのだった。




