第101話 『カウントの先へ』
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時が過ぎる。攻略が続く。
様々な様相を見せる階層で、熾烈な戦闘が幾度となく繰り返される。
しかしそれはこの箱庭が囚われるループという虚しき空転ではなく、繰り返しながらも歩を進める、螺旋のごとき前進だった。
第95層は床も壁も鏡でできた回廊で、さながら遊園地のミラーハウスのように一同を惑わせた。
第96層は地の底を思わせる、間近に溶岩の流れる危険地帯で、伝わる熱気は肉体のみならず精神までを焦がすようだった。
第97層は凍り付く迷宮で、氷の床の上を直線状に滑って移動するギミックがあった。アレンがブラストボムで宙を飛んで無視した。
第98層はいくつもの扉と分厚い本棚が立ち並ぶ、奇妙な空間だった。特別不便な地形ではなかったが、いよいよ敵モンスターの攻勢は強力になり、第70層から道行きをともにした〈サンダーソニア〉のメンバーが一名ゲームオーバーになった。
第99層は灯りに乏しい、閉塞感に満ちた場所だった。辛うじて窺える壁面はごつごつと冷たく、足元にも石の凹凸を感じる、洞窟のような風情の地形。
一寸先もろくに見通せぬ中、悪路を強いられ、対峙するモンスターは強靭そのもの。パニック寸前の混乱の中、〈サンダーソニア〉から二名、〈ドールズハウス〉と『スクワッド』から一名ずつの犠牲を経て、一同は踏破した。
「——皆さん、準備はよろしいですか?」
そして最後の日。第0層の広間、ゲートの前でシンダーは振り返り、一同に覚悟を問う。
往時と違い人気の失せた広間に、皆の声が重なる。もちろんアレンの声も。
決戦に備え、今日は朝から総出で作戦を突き詰め、時刻は既に夜の九時を過ぎている。バベルの外に出れば、天上には月のない夜空が広がるはずだ。
順調に事が運べば、夜が明ける前にすべての決着が付く。
幾万のループが断ち切られるか、あるいはまたもそのカウントを一つ増やすだけに留まるのか。
「……悪いな、みんな。俺のわがままを通してもらって」
第100層を前に、アレンはぽつりと弱気めいたものを漏らす。
真っ先にそれに応えたのはシンダーだった。
「それは言わない約束ですよ、アレンさま。誰もわがままだなどと思ってはいませんわ」
「シンダーさんの言う通りですよ。なにも気に病むことはありません。俺たちは、初めからあなたに賭けているんです」
「それに、復讐のためにバベルを攻略してきたわけじゃないですから。大丈夫、私たちは四人になっても『スクワッド』です。最後まで、成すべきことに尽力します——マグナさんのためにも」
ミゼリーとシグレも、柔和な表情でアレンを見つめる。
こみ上げる熱い感情を飲み下し、アレンは「ありがとう」とだけ返した。
皆、ギルドメンバーを欠いた。仲間を失った。
そのうえで、アレンの提案に乗ってくれているのだ。感謝などという言葉では言い表せない気持ちがあふれ、それはそのまま『鷹の眼』の集中を研ぎ澄ますエネルギーとなって細い手足にみなぎる。
(信頼に報いよう。俺にしかできないことで——今だけは、みんなのために)
人生を懸けた栄冠、胸に燃ゆる灯火のような夢を、今はアレンは忘れることにした。
果てのないループを終わらせて、転移者たちを救う。そうしてここまで歩んできた仲間たちが報われてほしい。そう心から思う。
「このゲートをくぐるのも、おそらくはこれで最後だ。行こう!」
ノゾミやユウ、エルたちとともに、順々にゲートを通る。
視界が歪み、第100層へと転移する。臓腑が浮くような特有の感覚にももう慣れた。
まぶたを開くと、そこには——
またドアがあった。そばには壁もあった。
「ボス部屋と同じで、いったん小部屋を挟む造りか。そりゃあそうかって感じだが、意気込んでただけに肩透かしっていうか」
「でも、心の準備をするにはちょうどいいよぉ。ここで深呼吸して、緊張をほぐそうかな。まあ、わたしの出番なんてほとんどないだろうから、緊張してようが関係ないかもだけど」
「そんなことない。ノゾミのこと、頼りにしてる」
「……わ。びっくりした、アレンが優しい。アレンが優しいよっ」
「俺はいつも優しいだろ、二回も言うなよな。なあ、エル?」
「んー…………んんー?」
「見て、アレン。エルがかつて見たことのない微妙な反応をしてるよ」
「……そんなことよりユウ、『アレ』は?」
露骨に話をそらし、アレンはユウに問いかける。
『前回』から続く因果、その終着に相まみえようというこの瞬間にも、男は普段となんら変わらない軽薄で信用ならない表情のまま。
ただ普段と違うのは、布を被せた人の頭くらいの大きさをした、なにかの荷物を抱えていたこと。
「ばっちりだよ。やれやれ、こんな子ども騙しがあの管理者に効くものかと最初に話を聞いた時は思ったけど。案外こういう単純なのがいいのかもしれないね」
「ま、相手の権能の底が見えない以上、出たとこ勝負になるのは仕方がない。手札は少しでも多い方がいい、だろ?」
「場合によってはあえて手札を減らす戦術もあるよ。手札上限を意識してのプレイングであったり、一度捨て札を経由させて使用する、あるいは手札枚数に依拠したカードの使用や対策のためにそうすることはままあるね」
「だあっ、めんどくせえなカードゲーマー! はいはい俺が悪かったですよ、カードなんて引き合いに出して!」
「……なにを騒いでいますの?」
遅れて、後続もゲートをくぐって小部屋に到着する。
シンダーたちに疑問視されると、アレンは決戦前だというのに言い合いをしていたのを誤魔化すべく、下手な咳払いをした。
そして、重い金属の扉に手をかける。振り向くと、仲間たちがうなずいた。
今度こそ扉の先には第100層で待ち構える、パンドラの姿があることだろう。
臆することなく、アレンは全体重をかけて扉を押し開き、その向こう側へ出た。
「——外?」
突風が突き抜ける。一同を出迎えたのは、一面の星空だった。
月のない箱庭の蓋。藍色の闇に、六万と五千の星々が瞬いている。
「ようこそ転移者諸君、待ちわびたよ。屋上に出てびっくりしたかなー? だけど心配は要らないよ、ここが第100層、塔の頂にして箱庭の終末。キミたちは安心して廃棄物の海へ落ちていくといい」
そこはバベルの外でありながら中だった。
屋上であり、第100層。雲に届くような塔の果てからは、地上に仰ぎ見る星たちも間近に見えた。
それは喩えるなら不出来なイミテーションの宝石のよう。
ここは閉じた仮想の箱庭、ならば雲の上になど初めから行けはしない。『星の散りばめられた夜空』というテクスチャを貼りつけられただけの偽物の空は、間近に見てみれば、粗ばかりが目立つ作り物の様相だった。
「パンドラ——」
偽りの星を背に、舞台で踊る少女のように、パンドラは軽い足取りでくるりと回る。動きに合わせて黒いドレスの裾がひらめいた。
白い髪と黄金の瞳。管理者特有の造形なのかエルとも相似した顔立ちには、嗜虐的な、それでいて空疎な笑みが浮かんでいる。
そしてそのそばには、言葉なく佇む巨躯の黒鉄。
「反応薄いなぁ。ああ、それとも、これを見せた方がいいのかなー? ボクに逆らえばどうなるか。それがわかるってものだよね?」
パンドラがくいと小さなおとがいを動かして指示をすると、デウス・エクス・マキナは忠実な騎士のごとくその場から下がる。
すると、巨大な体の裏には、なにもない空中に固定された鎖に吊るされる、少女の姿があった。
「ネームレス!」
星の光を受けてきらめく金の髪に、薄く開かれたまぶたから覗く碧色の目。
少女の見目ではあるが、アレン同様にそうではない。第46666回目のアレンの複製存在だ。
そんな彼は今、天上より垂らされた黄金の鎖——『関数殺し』の権能だ——によって両の手首を吊し上げられていた。足元は辛うじて地面についておらず、全体重がきつく締め上げられる手首にかかっており、その痛苦は筆舌に尽くしがたいものだろう。
「呼びかけても無駄だよー。キミたちが来るのが遅いから、ヒマ潰しにしこたまイジメてあげたからね。もう逆らう気力も、物を言うような体力も残ってな——」
その時、半ば閉じるようだったまぶらが突如として見開かれ、焦点の合っていなかった碧眼がアレンたちを見据える。
「この鎖の権能に気を付けろ! 捕まればユニークスキルを封じられるぞ!」
「——なッ、キミ……おまえッ、まだ……!」
身をよじり、声を上げるネームレス。じゃらりと鎖が揺れて音を立てた。
「意気消沈したふりをしていたのかッ、この機を逃すまいと! 生意気なっ!」
「っ、うぁッ」
激昂したパンドラは権能の力により、その鎖の締め付けを強くする。
ぎり、と骨がきしむ音が届くようだ。ネームレスの表情が苦悶に歪み、喉からうめきが漏れ出る。
アレンは飛び出したい衝動に駆られたが、痛めつけられながらもなおこちらを見つめる自分と同じ碧眼が、それを押しとどめた。
「エル、『関数殺し』にはユニークスキルを封じる能力があったのか!?」
「え……わからない……。おそらく……たぶん、そうかも……めいびー……」
「そうか……!」
エルにはよくわからないらしかったが、捕まっている本人が言うからにはそうなのだろう。
決して壊せず、ユニークスキルを封じる鎖。
捉えられればその時点で終わりだろう。アレンは警戒を最大限にしつつ、パンドラの動きを注視する。
「ふんっ、まあいいよ。必死に耐えてボクを騙しても、できることはほとんど悪あがきだ。警告なんてなんの役にも立たないよ。だってキミたちは転移者、そしてボクは管理者。このアーカディアを支配するものだ。勝負になんてなるとも思わないでほしいね」
「聞いてくれ、パンドラ! 俺たちは必ずしも戦わなきゃいけないわけじゃないはずだ! 俺たちは現実に帰りたいだけだ、お前だって本当は……」
「はぁ? 今さらなにを言っているのかな。もしかして力で勝てないから言いくるめようとでも? バカだなぁ。そういう浅知恵がさぁ、ボクは大嫌いなんだよ——!」
パンドラの姿が消える。
瞬間移動の権能だ。再び姿を現したのははるか上方。地よりも高く、星よりも低く、管理者は転移者を見下ろす。
「ラスボス戦ってやつさ、せいぜい無意味に張り切ってみせてよ! どうせすぐになにもかも廃棄物になって消えるんだ……せめてものはなむけに、ボクの権能を堪能するといい!」
「くそっ、やっぱり聞く耳は持たないか。予定通りまずは無力化だ!」
「了解しましたわ、アレンさま。総員散開! 一か所に固まってしまっては一網打尽です!」
「——実行、『関数殺し』!!」
空より放たれる黄金の雨。それは十や五十という数では利かない、数百もの鎖だった。
そしてその一本一本が、不壊にして能力を奪う最強の拘束力を有する。
シンダーの指示に従い、散開する一同。逃げ回る場所は十分にあるが、鎖の数は多く、すべてを回避するのは至難を極める。
そこへ。エルは軽く手を地面に当て、ぎゅっと目をつむった。
「実行……『関数殺し』!」




