第98話 『箱庭的ゾンビ』
「パンドラ——どうして第80層に!」
気付くのが遅れた不覚を悔いるアレン。だがすぐ、パンドラはずっと空中にいたのではなく、たった今現れ出たのだと思い直した。
なにせパンドラには『座標再定義』の権能がある。以前も、突然なにもないところから現れてみせた。
当然のように宙に浮いているのも、なんらかの権能によるものだと思われた。
(それに……背後に佇む、あの人影のようなものは……)
浮かぶパンドラの後ろにはまるで付き従うかのように、巨大な黒鉄の機械が同じく浮遊する。
甲冑のような意匠は寡黙な騎士を思わせた。
「デウス・エクス・マキナ……。あれを持ち出して来たってことは、まさか」
ユウの声音は緊張を通り越し、震えを帯びている。
これまで話にだけ聞いていた、アーカディアの破壊者。さながら舞台装置のように、管理者の命令を受け、『世界を終わらせる機能』を実行する機械だ。
「なんですかね、あれ。子ども? どう見たってモンスターじゃあないはずですが」
「転移者、でしょうか? でも、こんなバベルの最前線に……そもそも当方らに先んじてボス部屋に入っているなんておかしいですよね?」
「うーん、なんだか気味が悪いね。直感だけどアタシは敵だと思うよ。後ろに妙なのも控えてるし」
「じゃ、じゃあ戦うってことですか? うぅ、ドラゴンはともかく、子どもの姿をした相手と戦うのは気が引けます……」
まだ管理者の存在を知らされていないサジョーやフランシスカは当惑の表情だった。
しかしアレンやユウからすれば気が気でない。
わざわざ第80層へ現れたパンドラ。そしてそばにはデウス・エクス・マキナ。
もっとも恐れていた、アレンたちのバベル攻略を待たずしてのループを実行しようとしているのでは。そう懸念するには十分すぎるシチュエーションだった。
固唾を呑んで見守る中、パンドラは、歴史ある大家の令嬢が執事に言いつけるように言った。
「安心しなよ。デウス・エクス・マキナを連れてきたのは、単に見せてあげたかっただけ。第100層でいきなり見たらびっくりしちゃうでしょ? 『前回』で見たことのある不埒者はともかく。ねえ、アレン?」
「見せてあげたかった? ……そいつを見せびらかしに、わざわざ来たとでも?」
「むー、そう警戒しないでよね。まあでも、もちろん理由はほかにもあるよ?」
言うや否や、パンドラの姿が消える。
次の瞬間、空間が歪む錯覚めいた現象とともに、パンドラはアレンたちの——より正確に言えば、エルの眼前に現れていた。
「そこの死にぞこない。ううん、消えぞこない、かなー? まったく驚かせてくれるよ。まさか『前回』の管理者が海から這い出てくるなんて! あははっ、三流ホラーみたいだね!」
「……エルに、用?」
「ゾンビが歩いていれば色々と気になるじゃない? たとえば、なんで大人しく消えなかったのかとか。なんで管理者の役割を棄てて、転移者たちの味方をしているのかとか——」
「それは……エルには目的がある。今は、思い出せないけれど。でも、それがなくたって、わたしはみんなと……」
「——たとえば。権能についてもボクと同じだけ扱えるのか、とか」
エルが返答を言い切る前に、パンドラは身を翻した。
それもなんらかの権能によるものなのか、あるいは単なる肉体の性能なのか、身軽にも一回転しながら後方へ跳躍。絹のような長い髪がその体の移動に数瞬遅れながらも追従し、美しくウェーブを描く。
そして着地すると同時に、三日月状に歪んだ唇から、管理者にのみ許された特権的な能力の名を紡いだ。
「実行、『関数殺し』」
ジャリリリリリリリリリリリリリリ——
無を有に塗り替えるかのごとく、なにひとつなかったはずの周囲から、パンドラの瞳と同じ黄金の色を湛えた鎖が発射される。
「エル!」
「迎撃、する……! 実行……『関数殺し』っ!」
対するエルもまた、第79層で見せた権能の力を解放する。
迎え撃つは漆黒の鎖。同種の由来、同種の形状、同種の効果を持ちながらも、その色だけは明暗が別れるように対照的。
否——違うのはもうひとつ。
その、数もだった。
「ふふ。一本、足りないようだけれど?」
「あ——」
パンドラの周囲の足元から放たれた黄金の鎖は都合三十五本。
そのすべてを迎撃せんと放たれた漆黒のそれは、一本だけ及ばず、三十四本しかなかった。
……それがエルの持つ権能の限界だった。
もとより彼女は役目を終えた身。ゾンビと称したパンドラの言は、その点においては的を射ている。
六十八の鎖が激突し、金属音を立てて相殺される。
だが残る一本の黄金は、廃棄物の海より這い出た前任者を捉えんと、その細い体へとまっすぐに向かう。
「来い、『キングスレイヤー』」
銃声が鳴る。アレンがインベントリの虚空より手繰り寄せたリボルバー銃から、即座に発砲された弾丸は、見事にエルへと迫る鎖を撃ち抜き、その軌道を逸らした。
パンドラはさして驚くような風でもなく、むしろ上機嫌そうにぱちぱちと手を叩く。
「お見事。射出された鎖を銃弾で弾くなんで、そんな芸ができるのはキミくらいのものだろうねー、すごいすごい」
「世辞はいい。それより、エルのことをゾンビ呼ばわりはやめてもらおうか。大事な俺たちの仲間なんでね」
「ふむん、まさか人間だとでも? ボクたち管理者はシステムによって作られた存在だよ。VRデバイスを通して頭部をスキャン、その脳機能ごと意識を余すところなく……というかブラックボックスのまま使うしかないだけなんだけどー……とにかく本物の人間の意識をちゃんと取り込んだキミたちとは違う。ボクたちは作りものだ。人間の——偽物に過ぎないんだよ」
「そうじゃなければいいと、お前は思っているんじゃないのか?」
「——。ねえ」
瞬間、刺すような敵意がアレンの肌を貫いた。それは万の鎖にも勝る、あまりに鋭利な殺意。
「知った風な口を叩かないでくれるかな、転移者。そんな風にかわいい容姿をしているからって、失言を見過ごしてもらえるとは思わないことだよ」
「はぁっ? か、かわいい容姿って。お前がしたんだろ? 俺をこんな姿に!」
「え?」
アレンの返答がよっぽど予想外だったのか、パンドラは先ほどまでの怒りも忘れ、きょとんとした表情を浮かべる。
「なにそれ。データログを頼りに、ネームレス……以前のループのキミをサルベージすることはしたけれど、『今回』のキミには特になにもしていないよー? 言いがかりはやめてもらえるかなぁ、まったくもぅ」
「なにを……っ、しらばっくれるなよパンドラ! そんなはずはない、俺は男だ、元々はこんな体じゃなかった! 体を変えるなんてこと、お前以外にできるか!」
「うぅん、そう言われてもね。ボクに覚えはないし……ああ、もしかしてボク以前の管理者がそうしたのかな。ネームレスの方も同じ論理肉体だったからね」
「あ……そうか」
管理者とは代替わりするもの。アレンとネームレスがふたりともロリボディなのだから、アレンは『今回』からこんな風になってしまったわけではないはずだった。
ともあれパンドラの方は別にアレンの肉体に興味はないらしく、「そんなことする理由はないし、データログを見る限り、アーカディアのサービス開始後にそんな痕跡はなかったけどねー?」などと首をかしげながらも、まあいいか、とまたも瞬間移動の権能によって空中へと転移する。
「確かめたいことは確かめられた。エル……とか言ってたっけ? 先代の管理者となれば言ってみればボクの先輩であるけれど、あいにくと退職後にも出しゃばってくるようじゃあ敬意は持てないね。
キミの権能は虫食いだ。いや、そんな表現さえ生温い。99%以上が失われて、最後にひとかけらだけが残ったようなもの。そしてそれさえ末期の瞬きに過ぎない。ふふん、『前回』の管理者とは中々に意外性のあるカードだけれど、ボクに対抗するには力不足だねー」
再びデウス・エクス・マキナのそばまで戻ると、パンドラは誇るように胸を張る。エルの権能が自身と同等でないとわかり、優位を感じたのだろう。
エルは悔しそうに歯噛みしていた。言い返す気力がないのか、言葉が見つからないのか。
「これなら直接ボクが見に来ることもなかったなぁ。でも、便利な飼い犬は躾の真っ最中だしー」
「飼い犬? ネームレスのことか?」
てっきりあの第70階層でゲームオーバーになってしまったと思っていただけに、アレンは驚きを隠しきれずに訊く。
パンドラは、獲物が食い付いたとばかりににんまりと笑った。
「想像通り、彼はまだ生きてるよ。生かしてあげてるっていうのが実際のところだけど。がんばって第100層まで来られたら、あの駄犬の前でキミたちをゲームオーバーにしてあげるよ! あははははっ」
「待てっ、パンドラ! まだ話は終わってない……」
「あ。あとさ、ボスモンスターをハメちゃおうとか、そういうのダメだと思う。ずっこいし。てなわけで、えいっ」
「えっ——」
パンドラは思い出したように、インベントリから手になんの変哲もない石ころを取り出すと、ぽいと手放した。
五メートルほどの高さから落下する石ころ。
その真下には、パンドラが現れてからもずっと眠っている、ボスのドラゴンの姿があった。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?」
頭頂部に石がぶつかり、跳ね起きる。フロアを震わせるような咆哮には驚愕と、眠りを妨げられたことへの怒りがありありと満ちていた。
「——うおいっ、わざわざ起こしていくなよ!! 待てパンドラっ!」
「待てと言われて待つ管理者はいませーん。じゃ、せいぜいがんばってね~」
「嫌がらせだ……完全に嫌がらせだね、これは」
パンドラは権能の力を使い、従える機械騎士もろともにその場から去る。
その、空間の歪みとともに姿が掻き消える間際——
「……なんだ?」
物言わぬ機械、ただ命令を実行するだけの装置。
そのはずであるデウス・エクス・マキナが、黒い甲冑越しに自分をにらんだ。なぜかアレンはそう思った。
錯覚か、あるいは。




