第121話 『箱庭のアーカディア 4/4』
*
アーカディア最後の日に、これまでにないほどに転移者が団結していることは希望だろうか?
あるいは不格好な皮肉だろうか?
おそらくは、結果次第だろう。今はまだ賽を転がしている最中だ。出目が白日の下に晒されてしまえば、誰もが否応なしに思い知ることになる。
その過程にあった団結、絆のすべてが、勝利に至るための輝ける布石だったのか。
より絶望を深めるだけの無意味な徒労に過ぎなかったのか。
しかし、事実として——
数に莫大な差がある以上、いかに転移者たちが奮闘しようとも、押し寄せるシャドウを漏れなく抑えることは不可能である。
戦線をすり抜けたシャドウは少数ながら存在する。そしてそれらは自然とバベルへ向かう際中に合流し、分かたれた川の流れが再会するように、再び大いなる流れとなって進んでいく。
箱庭のアーカディア、その中枢たるバベルへと。
「ァァァァァァァァァァァアアアア————!」
「ひえええええぇっ、来ないでくださいっすううううぅぅぅ——!」
……哀れにも、追われている者がいた。
束ねた緑の髪を振り乱し、涙目で一心不乱に走っている。
「ァァ——ァァァァ——!」
「怖い! ひいいっ、バケモノ怖いっす! モンスターとは違うホラーみが! 人型なのは嫌っす——!」
彼女はアーカディアの中で商いをする、珍しい類の転移者だった。
IDは『kazura』。バベルの第0層でワッフル屋を営んでいた女だ。
そんなカズラはただ今絶賛逃げ遅れ、戦線をすり抜けてきたシャドウたちに背を追いかけられながらも、バベルに続く街路をひた走っている。
「ォォォォォ——茶柱————ッ」
「たまに不可解な人語を発するのも怖いぃぃぃぃぃ——っ!!」
その逃避をいささか滑稽と言ってしまえば、必死の当人は否定するだろうが。シャドウたちにしてみれば、逃げ惑う獲物があの塔へと向かうのは好都合だった。
なにせシャドウ——廃棄物の海から這い出た故人の残響は、まるでゾンビのように生者を襲う。けれど今はススキの『クラウン』を介して受けた命により、一目散にバベルへと歩を進めなければならない。
だがいかに命令を受信しようが、理性なき影にとって生を蝕む本能は抗いがたいもの。もしバベルとは別の方向にカズラが逃げれば、シャドウたちも多少は迷おう。さながら干し草の間で餓死するロバのように、優先順位を付けられず足を止めてしまう者もいるかもしれない。シャドウとはその程度のもの——なんの意志も持たず、ゆえに誰でもない、もはや空っぽの存在だ。
だから、カズラがバベルに向かっている以上、シャドウは迷わない。一途をたどれば二兎を得る。
「はぁ——はぁっ、あと、少し……!」
息を乱し、全力で駆けるカズラ。その瞳には、数メートル先に迫ったバベルの暗い入口が映る。
確かにバベルは避難場所だが、だからといって。
逃げ込んだからといって、どうなるというのだろう。
戦える転移者は戦線に出向いている。いるのは避難民だけだが、彼らも第0層ではなく第1層に跳んでいる。カズラの足ではゲートにたどり着いて転移をする前に、シャドウたちに追いつかれるのがオチだ。
そう、第0層には転移者など誰もいない。カズラを助けてくれるような転移者など、誰も。
そんなことは露知らず、カズラは懸命にひた走る。そしていよいよその足がバベルと外とを隔てる境界を越え、第0層の広間に入ると、もう追いすがるシャドウの手はすぐ後ろにまで迫っている。
もはや逃げ場はない。カズラはもちろんのことだが、第1層に避難した者たちも無事で済む保証はない。なにせシャドウは以前のループにおける転移者、彼らとてゲートが使えても不思議はない。データ上はまだ転移者としての情報をいくらか残しているはずだ。
そうして、助けなど誰も来ない第0層の暗がりで、手始めに影たちは哀れなワッフル屋を蹂躙する——
はずだった。
「————ィィィィィィィツ!?」
カズラの背に触れようとした先頭の影は、広間に一歩踏み入った途端、串刺しになった。
串刺しというからには串が要るが、それは一秒前までただの地面、床だった。
それが、まるで粘土細工のように蠢き、裁縫で使う針山のごとく無数の槍となってシャドウを足元から貫いただけのこと。
その影は果たして驚いたのだろうか? 理性をデータの墓場のような水底へ置いてきたソレが最期になにを思ったかなど、知る由もない。
背後で起きた出来事を理解するより先に、カズラの前にひとりの人影が現れた。
「なんだ、まだ逃げ損ねたやつがいたのか。運がよかったな、あんた。滑り込みセーフだ」
「あ……あなたは、アレンさん——んんっ? そこはかとなく違う雰囲気……もしかして今度こそ、常連さんの……」
「え? あ、もしかして、あんたいつもここで店開いてるワッフル屋さんか?」
碧色の目を見開く、可憐な少女の論理肉体。
ネームレスだ。アレンに『拡張脳』の権能が込められたインカムを渡してあるため、その耳は普段よりすっきりしている。
第0層に転移者はいない。それは事実だ。
しかし、誰もいないわけではなかった。
転移者ではない、IDを持たない存在。この防衛すべき最終地点にて、戦線をすり抜けたシャドウを処理する役目をネームレスが担ったのだ。
「ちょうどいい、アーカディア最後の日に恩返しだな。あんたには世話になった。正規の転移者じゃないもんだからバベルから出るなとかなんとか、パンドラに口うるさく言われてたからな……俺は日に角砂糖100個相当の糖分を摂取しないと生きていけないっていうのに」
「な、なんの話かはよくわからないっすが、とりあえず血糖値にはお気をつけてくださいっす——って! そんな話してる場合じゃないっす、あのバケモノが! まだいっぱい、追ってきてて!」
「ああ、わかってる」
うなずいて、入口に目を向ける。串刺しになったシャドウは粒子となって消えたが、そんなことは気にしない様子で後続がなだれ込んでくる。
淡いピンクの唇が、愉快そうに笑ってみせた。
数体のシャドウが同時に広間へ踏み入れる。殺到する影たちを前に、ネームレスは動じることなくつぶやいた。
「『再構築』」
拡張脳に次ぐ、第二の権能の名を。
音を立てて床が変形し、再度、無遠慮にも広間へ上がり込んだ影たちを貫いた。
「バカが! ゼロ層だってバベルなんだよ……!」
かつてパンドラに下賜された、バベルの地形を作り変える権能は、ここ第0層においても機能する。
この前提があるからこそ、ネームレスは単身、この場所での防衛を買って出たのだ。
「うわわっ、なんすかこれ!? ユニークスキルっ?」
「みたいなものだ。便利だろ? システム上の制約で出入り口自体を塞ぐのはできないけど。さあ行け、避難先は第1層だ。こいつらは俺が殲滅する」
いつの間にかその手には一挺の銃がある。アレンの持つそれと同様の、黄金のリボルバー銃。
ネームレスが促すと、カズラは姿勢を正した。行けと言ったのになんでそんなことをしているのかと疑問に思っていると、その頭が深々と下げられる。
「ありがとうございます。助けていただいたご恩、忘れません」
「……は。忘れていいんだよ、恩返しって言ったのはこっちの方だ」
「はいっ。では、失礼するっす!」
「ああ、とっとと——いや待ってくれ、そうだ。ひとつだけ言い忘れてた」
「——? なんっすか?」
外からにじり寄る影たちを狙い撃ちながら、目を合わせることなく告げる。
「こっちこそありがとう。あんたの作ったお菓子はおいしかった」
少しぶっきらぼうに言ったのは、もしかすると照れ隠しだったのか。
けれど感謝は伝わったようで、カズラはにまーっととろけたように笑う。そしてもう一度だけ頭を下げて、跳ぶようにゲートへと駆けていった。
「……行ったか。さて、かかってこいよご同輩。俺もお前らも廃棄物、どん詰まりがお似合いの落伍者だ。せいぜい可笑しく踊ってくれよ?」
独りになったネームレスは、数を増す影たちに言い放つ。
返答の代わりに、意味不明なうめきや支離滅裂な単語だけが返ってくる。社交ダンスの相手には不十分だが、そこはそれ。踊らせるだけなら問題あるまい。
銃口が跳ね上がる。地面が突如として槍となり、壁が飛び出たかと思えば広間が分断され、平坦だった床に高低差が生まれる。
『拡張脳』がなくとも『鷹の眼』の才能は活きている。
戦いながら『再構築』の権能で地形を操作。その程度のマルチタスクは造作もない。
孤軍奮闘とはこのことだ。押し寄せる影の奔流を、ネームレスはその才で危うげなくさばききっている。
「この程度なら問題ないな。戦線は思ったよりもずっとよくやってくれているようだ……」
それだけ町の転移者たちが団結しているのだろう。そしてそれはきっと、以前から〈サンダーソニア〉が行っていた治安維持や、転移孤児の保護、アレンたちの協力したバベル攻略や森のシャドウ討伐といった地道な精励が、人々の信頼と奮起を促したということでもある。
廃棄物の海から引き揚げられた時、ネームレスにとって、努力とは裏切られるものだった。
アーカディアに来る前。チーム〈デタミネーション〉で全霊を懸けて挑んだ決勝戦では、〈ゼロクオリア〉に無残にも敗れ。
アーカディアに来てからも、転移者を救うのだと攻略組の筆頭として躍起になったものの、最後は仲間に裏切られ、結局はひとりで第100層にたどり着き、管理者の実行するループに巻き込まれてすべてが終わった。
失敗だけの人生だった。『今回』、パンドラにサルベージされて意識を得た時に真っ先に思ったのはそれだ。
だから、そんな間違いは消し去るべきだと信じた。結果が報われなかったのなら、過程のすべてが誤りだったのだと断じた。
けれど今は——
「……アレン。俺とは違う、間違えなかったお前には、報われてほしいよ」
シャドウたちを相手取りながら、誰にも届かないつぶやきを漏らす。
身を焦がす夢も、歩んできた名前も、今はこの胸から抜け落ちてしまったけれど。それでも、燃え尽きて灰になったものが、この残響に過ぎない体が、前を進むその助けになるというのなら。
為すべきを為そう。この歪み積もった理想郷を終わらせるために。
火線の中、ステップを刻む。そこは天上の星も覗けぬ舞台。
希望か絶望か、鍵をにぎるのは第0層でひとり奮戦するネームレスでもなければ、各戦線で団結し力の限りを尽くす転移者たちでもない。
アレンのいる第100層。
投げられた賽のその目が現れるまで、あとわずか。




