第120話 『箱庭のアーカディア 3/4』
「てやぁ——っ!」
栗色の髪の少女。まだ幼さを残した顔立ちには、不惑の決意が宿っている。
それをこともあろうに『シャドウと同じ』などと評するのは彼女に失礼であるし、なにより的を射ていない。
彼女——ノゾミは恐れを感じないわけではない。影たちと違い、物事を考える頭があり、感情を覚える心があるのだから当然だ。
しかしそのうえで、恐怖を燃やし、踏み越えている。
最も重要な第100層の決戦に身を投じる、大切で大好きな誰かのことを想いながらノゾミは逃げることなく戦っている。
……友人を失くし、騎士団から逃げ出した、いつかの時とは違って。
「わわっ? し、しまっ……」
ただ少々ドジなのは変わらないらしく、足元の小石につまずき、バランスを崩しそうになる。転倒するのはこらえたが、理性なき影がその隙に躊躇を覚えるはずもなかった。
「——」
真っ黒な人影が、同じく黒い得物を振り上げる。色の判別ができずとも、形状からそれが、細木の一本なら軽く撫でただけで薙ぎ倒してしまいそうな大斧だとわかるだろう。
町で一番の防具を着込んでいようとも大ダメージは免れないそのどす黒い刃が、ノゾミのびっくり仰天顔に容赦なく振り下ろされる。
「『|無限地平《我が地平に果ては要らず》』」
その直前、小さなつぶやきが夜風に乗って届いた。
年端もいかない少女——子どもの声だった。
「えっ?」
びっくり仰天顔が困惑に上塗りされる。その少し先で、斧の刃先が地面を穿つ。
それは確かにノゾミを斬り倒すはずの一撃だった。だが突如として、『距離が空いた』のだ。
「間……一髪。ぎりぎり、せーふ」
「ナイスですっ、サクちゃん!」
「あぁー、はらはらしたぁ。サクのユニークスキル、久々に見たよ。孤児院じゃ使うの禁止されてたもんね。勉強サボって怒られそうになった時、これで無限に逃げ続けたから」
「距離を開くスキル——すごいレアな代物だとは思いますけど。持ち主がサクだったのが運の尽きですね……」
やって来たのは、マチ、ミソラ、そしてサクの〈サンダーソニア〉孤児院三人組だった。
「み、みんな……ありがとう! でもでもっ、ここ危ないよ!? Battlefieldだよぉ!?」
「やけに発音が流暢ですね、ノゾミさん……」
もちろん子どもが戦地に立つことなど、シンダーが許すはずもない。
許すはずもない、が——ほかならぬ当人たちが望んだのだ。最後の決戦くらいは安全なところに逃げず、皆とともに戦いたいと。
「そうなんだ……みんな、すごいね。あはは、わたしなんかよりよっぽど勇気があるよ」
「なに言ってんだよーノゾミ姉ちゃん! あたし見てたぞ、ノゾミ姉ちゃんがシャドウを倒すところ! すげーカッコよかった!」
「バベル攻略にも参加されてたんです。孤児院の誰も、ノゾミさんに勇気がないなんて思いません。もちろん、わたしも」
「マチちゃん、ミソラちゃん……」
ふたりの純粋な眼差しに、ノゾミは思わず「うう」と照れ半分うれしさ半分でうめいた。
そこへ、サクが冷静に言う。
「あのー……早く、戦って。ずっと……サクが、ユニークスキルで……時間稼いでる……」
「うわぁっ、ゴメン! 忘れてたっ」
「そ、そうでした。すぐに戦闘準備を——」
わたわたと武器を構えようとする。
その隣を、迸る熱が駆け抜けた。
「——え?」
「そ、そんな——この、ユニークスキルは」
踊る紅蓮は突然に、途方もない熱と規模を以て眼前の影たちを呑み込んでいく。
凡庸なユニークスキルとは格が違う。まずもって、その威力が違う。次に範囲が違う。
爆ぜる炎はノゾミたちの周囲にいたシャドウたちを焼き尽くし、さらにその周囲の数十のシャドウを焼き尽くし、そのまた周囲の百体を灰燼へと帰す。
一撃だった。
驚いて振り向いたノゾミたちの目に、男が映る。
中肉中背の、特徴がないのが特徴とでも言いたげな容貌の、胡散臭い笑みを湛えた——
「ユウ、さん?」
「やあやあ、ご存じ麻上裕さんだよ。なんだいハトが『関数殺し』喰らったみたいな顔してさ? ひょっとして誰かと見間違えたのかな?」
「で、でも——ユウさん、今の」
普段と変わらぬ様子で現れたユウに、ノゾミは丸い瞳をしばたたかせる。
今のユニークスキルは、まるで——
『燎原之火』。今は亡き騎士団の団長、カフカの使う最高峰のユニークスキルではないか。
「ほらここ、見てよ。僕の頭の上」
「上っ? IDですか……えッ!? ユ、ユウさん、それ……! 『Kavka』って!」
「あっはっは、パンドラに頼んで転移者IDを偽装してもらったのさ。いいアイディアだろう? いやあ、パチってよかったボーナスウェポン!」
「え、ええぇーっ!?」
ユウの頭上のIDはカフカのものへと偽装されている。IDを偽ることによるユニークスキルの換装……ユウの手管は、『クラウン』を用いたススキのそれに着想を得ていた。
だがススキ以上に狡猾なのは、ユウの手にはカフカのボーナスウェポンである『アデランタード』の剣がある点だ。かつてアレンたちと戦闘に及んだ際、奪ったもの。
カフカの『燎原之火』はボーナスウェポンに依存するタイプのユニークスキルであり、マグナの『二色領域の支配者』同様、IDを偽装するだけでは本来使用できない。
しかしIDの偽装と、当人のボーナスウェポンまでもがそろってしまえば?
「アーカディア最強のユニークスキル、今夜限り存分に使わせてもらうよ。相手は軍勢、掃討するにはちょうどいい」
「IDの偽装なんて裏技……あ、SPは? あれはSPの消費が大きいって、カフカさんが言ってましたよ?」
「ポーションを買えるだけ買ってきたから大丈夫だよ。ほら……」
「買えるだけって。たくさんあっても、ひとりで全部飲めるわけじゃ——」
インベントリからポーションのビンを取り出し、ぐびぐびとユウは飲み干す。
ノゾミの懸念通り、いくらポーションがSPを回復すると言っても、人間の胃にはキャパシティというものがある。アーカディアでもそれは同じだ。
しかしユウの策に隙はなかった。
「うっ、おええええええええええぇぇぇっ……!」
「——きゃあああああああああぁぁぁぁぁッ!?」
びたびたびた。ユウが嘔吐したポーションが音を立てて落下し、きらきらと土を濡らす。
「ちょっ、ユウさん!? 大丈夫ですか!? 言わんこっちゃないですよぉ、吐くまで飲むなんて!」
「いや、吐いたのはわざとだよ。実は、うぷッ、『前回』に検証したんだおえっ。HP、SPどちらもポーションは喉元を通れば回復の判定が発生して、うっ、おろろろろろろ……それは一度発生すれば、うえぇッ、あとで全部戻したところで回復分がリセットされるわけじゃおえええっ」
「吐くか喋るかどっちかにしてくれません?」
マチたちが本気で引いていた。孤児院の三人組は無言で遠のき、別の戦場へ移っていく。
ともかくポーションの飲用と嘔吐を繰り返すことで、SPの問題についても解決できているというわけだ。
いくら焼けども立ちふさがる影に限りはない。幾万のループを経て溜まった澱だ、その数はほとんど無尽蔵に近い。
シャドウを倒しきるのは不可能。アレンがデウス・エクス・マキナの『クラウン』を破壊する時まで、影はバベルに向かって進み続ける。
尽きぬ軍勢を前に、ユウは口を拭った。それからいつものように笑みを浮かべる。
「失礼、女の子の前で品がなかったね……だったら無駄話はここまでにしておこう。ハハッ、なにせ千客万来だ。せいぜい張り切っていかせてもらおうか!」
否、いつものようにではない。
ギイイイイィィィィィ——
異形の剣が駆動する。ユウが肩越しに構える西洋剣の、その刀身をびっしりと覆う細かな刃が滑らかに動き出し、けたたましい音とともにちろりと炎を噴き始める。
まるでその猛り狂う剣の、あるいは赫焉たる火の本来の持ち主を真似るように。無手の男はらしくもなく、獣じみて獰猛に口元を歪める。
「さあ——耳鳴りの時間だ」
先述の通り影の軍勢は無尽蔵。しかし東側の戦線においては、煉獄の業火が死者たちをくまなく焼くことだろう。




