第118話 『箱庭のアーカディア 1/4』
「うん。アレンのための切り札を作るのは、ほとんどエルが担ってくれたからね。ボクに残された力だけでも、今夜中保つくらいならキミの言うところの措置はなんとか可能だ。それに向こうにできたんだから、ボクにだって意地がある。……もっとも、キミにはすごいことを思い付くものだと驚いたけど」
「はは、僕は貧乏性でね。親に棄てられて育ったせいか、使えそうなものはなんでも集めてしまうんだ。今回はそれが役立ったみたいだ」
自嘲気味に笑う。廃棄物に沈んだ『前回』から、すべての転移者を救うため独り奮起したその男は、どこまでも凡庸な能力しか持っていなかった。
天は二物を与えずという言葉は、仮にそれが正しいのだとしても、すべての人間が秀でた『ひとつ』を有しているのだとは限定できない。
なにも与えられない者。アレンの持つ『鷹の眼』のような傑出した才能も——多くの人間が注がれて然るべき両親からの愛も、自らが望むことに自由に打ち込める恵まれた環境も。
麻上裕という人間の、22年に及ぶ人生には、どこにもなかった。
けれどそれがどうしたというのだろう。なにも持たず生まれた手でも、なにかをつかむことはできる。配された手札がどれだけ悪くとも結果を出そうと尽力した彼が、カードゲームの世界でプロになったのはある種の必然、運命と呼べるものだったのかもしれない。
そして今も無手の男は、役に立たないボーナスウェポンと、攻撃力が皆無のユニークスキルを配られながら、自身にできる最善の手を打とうとしていた。
「キミはアレンとは違うみたいだねー。甘さがないというか。実はデータログで『前回』のことを閲覧した時も、キミに対しては同じような印象を抱いたんだ。ボクたち管理者にほど近い、合理性を重視する手合いだなって。
それだけに、アレンと仲間になれているのは驚いたけど。『前回』の関係性はほら、あんなだったわけだし」
「そこは僕もビックリだよ。パンドラの言う通り、アレンちゃんは甘い。甘々だ……本人も尋常じゃなく甘党だしね。でも結果的にはそれが功を奏した。まだ倒すべき相手は残っているにしても、あと少しだ。あと少しでアーカディアを終わらせられる。
ここまで来られたのは、アレンちゃんの——彼のおかげだ」
夜闇を見つめ、ユウがこぼす。パンドラは小さくうなずいて同意した。
あの幼女になってしまったプロゲーマーがいなければ、ユウが『前回』のループから『今回』へ壁を超えるというイレギュラーも、管理者たるパンドラが自らの生存を望み、転移者の味方をするという奇跡に等しいことも起こらなかっただろう。
「デウス・エクス・マキナ……これまでで一番強大な敵と、アレンちゃんはこれから戦うんだ。シャドウごときに遅れを取るわけにはいかない」
「ボクも全力で手を貸そう。キミたち転移者のために、そしてボク自身のために。時間がないのに余計な話をして悪かったね、それじゃあ始めようか」
「頼む。あー、ところで僕はなにをすればいいのかな」
「うん。ちょっと屈んでくれない? ボクの身長じゃ手が届かなくって」
「手? ……こんな感じ?」
疑問を浮かべながらも、ユウはその場に屈む。するとその頭上へ、パンドラはすっと手を伸ばした。
ずぶり。
なにもないはずのそこに、パンドラの指先が差し込まれる。奇妙な感覚が震えとともにユウの全身に走った。
「うわぁッ!?」
「ちょっとぉ、動かないでくれるかなー。誤ってヘンなのになっちゃうよ?」
「そ——そんなこと言ったって」
その『ヘンなの』になってしまったら、一体どうなるというのか。
肉体の外部を触られているのに、どこか内臓をかき回されていうような。痛みはないが、くすぐったいような、どうにもじっとしていられなくなる感じ。
パンドラの手が触れているのは、なにもないところなどではない。
ユウの頭上……転移者IDだ。
「はいっ、かんりょー! きっちり書き換えたからね!」
「そりゃどうも……うう、できれば二度目はないことを願ってるよ」
ズポッと手を引き抜かれる。
IDの書き換え。パンドラに残された管理者としての権限を用いた、一種の偽装——
そう、ユウの秘策は奇しくも、デウス・エクス・マキナが黒い『クラウン』を用いて行ったものと同種のそれ。
「うまくいってよかった。ボクはアレンの方に付いていくから、街の防衛は任せたよ。ジョーカーさん」
「ハハ、切り札扱いは過剰だよ。と言いたいところだけれど、おかげさまで期間限定、今だけは本物のワイルドカードだ。期待していてもらおうか」
手の中で渦の模様が描かれたカード——ボーナスウェポン『アドバンテージ』を弄びながら、ユウは笑う。珍しくその表情には自信めいたものが覗いていた。
「勇ましいことだ。でも、そうでなくっちゃね。RPGでダンジョンを踏破し、魔王を倒してゲームをクリアするのはいつだって勇者なんだから。アーカディアは転移者ひとりひとりが勇者になるゲームだ——今となっては継いで接いでを繰り返し、歪んでしまったとしても」
「……パンドラ。ひとついいかな」
「なにー? 改まっちゃって。ID偽装のこと? それとも街の防衛のこと?」
「ああいや、些細なことだ。聞いたところでなにかあるわけじゃないし、今訊くようなものでもないんだけど……タイミングがないかもだし」
「うん?」
きょとんとした顔をする。管理者として肩肘を張っていない姿は、本当にただの少女のようだ。
「通貨単位についてだよ。僕が『前回』から『今回』に来て、真っ先に面食らったのはPPの存在だ」
「ああ……! そっかそっか、そうだった。『前回』まではACだもんね」
「そうだよ、おかげさまで僕はいきなり文無しだ! 混沌期への対応が遅れた一番の理由はそこだ。あれさえなければ、カフカの『クラウン』顕現だって止められたかもしれないのにっ」
「ゴメンゴメン、いやぁ、申し訳ない。だって目覚めてすぐデータログを見たら、『前回』のループで消えきってない転移者がいたから。ヤバいーって思ってワールド生成時に通貨単位をPPに変更したんだよ」
「やっぱりキミの妨害工作だったわけだ……! くぅ、初めてだったからループとはそういうものなのかと思ってしまった。あそこで深く考えていれば『今回』の管理者は積極介入をする性格なのかもしれないと予測を立てられたはずだ……僕のプレミだな、くそっ」
「あははっ、そう気を落とさない。もう済んだことだよー。それにキミは充分うまくやったじゃないか、『前回』では敵対していたアレンとも力を合わせられた、これってすごいことだとボクは思うよー」
「あとパンドラちゃんポイントってなんだよぉ……!」
普段使っている通貨がそんなふざけた名前の略語だったとは。
ともあれユウがずっと抱えていた疑問は解けた。通貨単位が変わったのは偶然ではなく、やはりイレギュラーであるユウを警戒してのことだったらしい。
それに気付けなかった己の未熟さを、もう繰り返すまいと胸に刻む。それは半ば習慣だった。
成功よりも失敗を。勝利よりも敗北を。
胸の奥に、二度と忘れまいと強く刻み込むことで糧とする。
才能がないのだからうまくいかないことは承知の上だ。
それでも前へ進もうというのだから、あきらめないなんてのは当たり前のことだろう?
「じゃ、そろそろ行ってもいい? 有能なアシスタントが待望されているからね!」
「……ああ、うん。引き留めて悪かったね。ありがとう」
「どういたしましてー。その策がどのくらいのものかボク自身もわからないけど、うまくやりなよ」
去り行く管理者の小さな背中を軽くだけ見送って、ユウもまた踵を返す。
——うまくやるとも。言われずとも、次こそは。
「せいぜい張り切るさ。なにせ、アレンちゃんみたいなすごい人と違って、僕みたいな凡人には一度あるかないかの見せ場なんだから」
口元に微笑を浮かべ、足取りは軽く。
けれど油断はなく、確固たる意志のもとユウは、三十分後の戦場となる夜闇へと歩んでいった。




