第116話 『空転を騙す反転』
(膠着状態はまずい……! ジリ貧になる!)
焦燥とは裏腹に、いかに『拡張脳』があろうとも、アレンは防戦に徹するほかない。
『クラウン』が回るたび、他のユニークスキルがセットされたことはわかるのだが、それがなんなのかまではわからない。後手に回るのは必至だった。
隔靴掻痒の数合を経て、打開策を講じたのはアレンではなく、パンドラだ。
「ボクに任せて! 実行っ、『関数殺し』!」
ここ一番という好機を狙っていたのだろう。ススキの注意がアレンに向いたその瞬間に、後方から襲いかからんばかりのスピードで接近しつつ鎖を放つ。
それはあの時、エルが見せた怒濤の乱舞の再現だった。
キリキリと合唱する黄金連環。たった五本の鎖を、今度は展開と消失をハイペースに繰り返すことで使い回す。発射速度も限界を超え、黄金の光沢を湛える鎖の表面は悲鳴じみた甲高い音を鳴らしている。
だが自壊など、それこそありえない。
それはオブジェクトとしてボーナスウェポンと同じ性質を持つ。耐久値を持たないのだ。
パラメータそのものが設定されていないのだから、この仮想の箱庭において、その鎖が砕け散ることなど決してない——!
「はぁぁ……っ! 実行、実行、実行——っ!!」
「くッ、このっ——管理者のくせに、転移者みてえなみみっちい創意工夫をしやがって!」
「誰のせいだと思ってるのさ、誰の!」
発射された鎖がススキへ届くより先に、パンドラ自ら消滅させ、また別の軌道で発射する。そんなフェイントをいくつも交える中、ついに本命の一本がススキの腕にぐるりと巻き付いた。
「捕ったっ!」
不壊の鎖による拘束。それは一度つかまれば、逃れうるすべのない致命的な捕縛だ。
会心の笑みを浮かべるパンドラ。だが相手もまた、転移者とは異なる特別な存在。
意志を持つ関数は、不快そうに舌打ちをひとつ鳴らし、その手で自らの腕に巻き付く鎖をにぎる。すると金属が腐蝕していくように、鎖は黒ずんでいった。
まるで雨風に晒される映像の早回し。不壊のはずの鎖は、まさに今壊れようとしていた。
「な、なんで……っ!? いや……『クラウン』の力?」
「耐久値のない鎖、確かにコイツは厄介だ。けれど凡百の転移者ならいざ知らず、おれならオブジェクトの状態そのものを書き換えちまえば消し去ることはできる。残念だったな」
「——けど、数秒の時間はかかるみたいだな?」
鎖が黒く壊れるまでの、わずか二、三秒程度の隙。それだけあれば、プロゲーマーが頭蓋を撃ち抜くには十分すぎる。
明白な射線に誘われ、乾いた発砲音とともに弾丸が空を滑っていき、弾頭が肉を貫く。しかしそれは射線上に存在したススキの側頭部ではなく、そこをかばう左手だった。
とっさの反射でヘッドショットをガードされてしまった。
——構わない。その程度は想定できている。
側頭部を覆えば自然と視界も遮られる。アレンは迷わず、銃口を少し下げて再度発砲する。
「痛ぇッ、足を……!」
弾丸は膝を砕いた。ススキの姿勢がぐらりと傾ぐ。
ヘッドショットで頭に気を向けさせ、意識の甘くなった足を撃つ。剣道家が上段・下段の攻めを使い分けるような揺さぶりの手管を、アレンは拳銃でやってのけたのだ。
「実行——」
千載一遇の機、パンドラはまなじりを決して虚空へ手を伸ばす。
その輝く瞳は決意にあふれ、ススキを真正面に捉えている。虚実入り混じる五本の鎖を消失させ、すべてを攻撃用に再展開しようという腹なのだろう。
ススキはバランスを崩している。それを目の前にして攻撃の手を休めるなど愚の骨頂。
……そう思うのは当然だろう。対人戦の駆け引き、裏をかく読み合いとは無縁の管理者という立場であればなおさらだ。
だから。その機が、一見すると敵が不覚によって晒された隙が、作られた罠であると気付いたのはアレンだけだった。
「まずいっ、戻れパンドラ!」
「おせぇよッ!」
「関数……っ!? ぁぎっ——」
ピストルの吐き出した小口径の弾丸がパンドラの首を抉る。権能の名を紡ぐはずだったその細い喉は、悲鳴交じりの空気を吐き出すだけに終わる。
「とっておきを叩き込んでやる。覚悟しろ」
継ぎ接ぎの王冠が回る。パンドラの前に立ち、悠然と言い放つススキ。
足の痛みは耐えているのか、もとよりそれほどでもなかったのか。対するパンドラの方も、高ステータスだけにHPの心配はいらないだろうが、喉を撃たれたショックで強く咳き込んでいる。
並の人間なら気絶する痛みだっただろう。意識を保っているだけでも大したものだ。しかし追撃を回避できるような状態でないことも確か。
——カバーに入らねば。
FPSプレイヤーとして染み付いた本能……それだけではない。ほんの一日前までは敵同然だったとしても、パンドラは今となってはアレンの仲間だ。
エルの犠牲に涙し、権能の大部分を喪失してなお、デウス・エクス・マキナと戦う道を選んでくれた。
だからこそアレンは迷うことなく、助けに入るための一歩を踏み出し。
それとまったく同時、つまりはアレンの行動を事前に察知していなければありえないタイミングでススキが振り向き。
『鷹の眼』の中で、最大級のアラートが鳴った。
(これも……罠か!!)
全身に走る怖気。それはまさしく、FPSゲームの中で『デス』を予感した時の感覚にほかならない。
だがアーカディアのゲームオーバーと、単なるゲームのそれとは話が別だ。
「かかったな。初めから狙いはオマエだよアレン! 言ったはずだぜ、厄介な駒から消すってなぁ!!」
「消えてたまるか——!」
死ぬわけにはいかない。ゲームオーバーになどなっていいはずがない。
決死の思いで、片手で銃口を跳ね上げる。反対にススキは手のピストルは下げたままだ。
しかし先ほど頭上の『クラウン』が回ったのをアレンは見ている。武器ではなくユニークスキルで攻撃をする気だ。
それも、おそらくは初見の——ススキにとって切り札に近い、必殺と呼べる類いの——
「銃弾の一発でどうにかなるかよッ、寸断してやる! 『万物空転』!」
その光芒は、一体どこから放たれたのか。
指先に籠る力。キングスレイヤーの銃口が火を噴くも、敵はそれを一顧だにしない。
赤い光が奔っている。
細い、幾条にも分かたれた、鮮血のような赤。
空間がひび割れるようだ、と他人事じみてアレンが思った次の瞬間、光がアレンの指先をかすめる。
「————は」
じゅっ、と音がした気がした。
アレンは反射的に銃把をにぎる右手へと目を向ける。
そこには、夥しい光に串刺しにされた腕があった。
「ああああああああああああぁぁぁぁぁっ!?」
じゅっ、じゅっ、じゅっ。
腕を刺す光がさらに枝分かれする。
細かい針のような光。赤いガラスのような、空間に留まる奇妙な光が、無数に分かれてアレンの右腕を刺している。
絶叫が堪えきれない。小さな喉が出せる限界の声でアレンは叫んだ。
走ったのは視界が白く染まるほどの痛み、それも銃で撃たれるよりも、炎で焼かれるよりもなお鮮烈な。
たとえるならそれは筋肉を強引に切り開き、そこから神経という神経を一本一本引き抜かれていくような苦痛だった。
(意識を保たないと……っ。気絶だけは……!)
HPが半分ほど削れて、ユニークスキルの光が消えてもなお、右腕はあまりの激痛に感覚を失いかけていた。
本来であればその光はアレンの胴体をずたずたにしていたが、腕だけで済んだのはアレンの機転によるものだ。
一見破れかぶれでしかない先の射撃は、あえて地面に踏ん張らず、足に力を入れないまま撃つことで、射撃の反動で上体を逸らすためのもの。体重の軽い体だからこそできる回避術……だったが、それでも腕を貫かれたのは致命的だ。
額に汗をにじませながら、アレンは右手の感覚に集中する。集中しても指先はおろか肘から先すべてがしびれて痛み、思うように動かすことができない。
その手がなにかを床に落とした。
かしゃん、という音にススキが嘲笑めいたものを口元に浮かべる。
「オイオイ、大事な大事なボーナスウェポンだぞ。落としちまうなんて不用心だなぁ」
キングスレイヤー——アレンが床に取り落としたのは、愛銃たる黄金のリボルバー。
拾い上げようとアレンは手を伸ばす。その横っ面を、鋭い蹴りが吹き飛ばした。
「馬鹿正直に拾わせるわけねえだろ、アホが。つまんねぇ幕切れだよ」
言いながらススキはキングスレイヤーを拾い上げ、倒れたままのアレンへと歩み寄る。
既に決着は着いたと言わんばかりの悠然とした歩み。
事実、趨勢は決した。
アレンのHPはもう二割程度しか残っていない。
対するススキのHPにはまだ余裕があると思しかった。そこに『クラウン』のバフがあり、数多くのユニークスキルがあり、ついにボーナスウェポンさえも手にしてしまった。
アレンが習慣付けているように、ススキも相手の残弾数は記憶しているだろう。リロードから五発撃った今、キングスレイヤーの弾倉には一発だけ残されていると思っているはずだ。
「ゲームセットだ。案外なんの感慨もない……消えちまえ、転移者」
最後の一発——『あの弾丸』が込められたキングスレイヤーの銃口を、アレンに向ける。
この至近距離、アレンに回避のすべはない。たとえ『クラウン』があったとしても防げまい。
ここへきてボーナスウェポンであるキングスレイヤーの射撃を受ければ、たとえヘッドショットでなくとも二割のHPでは耐えられない。即ゲームオーバーだ。
約束された死。
奪われた銃口を前に、アレンはその碧い目をそらさず。
「ススキ」
ゆっくりと口を開く。だが。
なんらかの時間稼ぎ、苦しまぎれの口八丁に付き合うつもりはない、と。
断頭台の刃を落とすような慈悲のなさで、敵は引き金を引き——
「俺の勝ちだ」
「……………………は?」
——カチン。
石同士をぶつけ合うのに似た、甲高い音が鳴り響いた。




