第112話 『比類なき鷹の眼』
「……これが、エルのいた証だ」
パンドラが、つないでいた手をそっと開く。
そこには一発の銃弾があった。
「王冠砕き。たった一発だけど、生成は成功したよ。これならあの『クラウン』も破壊できるだろう。当たりさえすれば、だけど」
「外すかよ。この一発だけは、死んでも当ててやる」
輝ける黄金の弾丸。それを手渡しに受け取り、アレンは踵を返す。
悲しむ暇はない。崩壊の瀬戸際にあるアーカディアで、悲嘆に暮れることなど許されはしない——この弾丸を受け取ったアレンに限っては。
「それにもう、当て方も思い付いた」
「そっか。じゃあ、もう行くのかな?」
「ああ。まだシャドウどもは町に着いちゃいないようだが、なるべく急がなきゃだろ」
路地を離れると、飛ぶように駆け出す。
やり場のない熱が全身を駆け巡る。頭の中までゆだってしまいそうなほどの熱い感情が、血管の隅々にまで行き渡っている。
エルの願いを胸に焼き付け、アレンは街路をひた走る。
夜の街に人はおらず、バベルへ通じる通りも、道を塞ぐ者などいるはずがない。
「……あっ?」
いるはずがない街路に、見慣れた影が立っていた。
「ずいぶんと急ぎだな。限定スイーツにでも徹夜で並びに行くのか?」
同じ顔、同じ声。見まごうはずもなく、街の防衛に加わると言ったはずのネームレスがそこにいた。
アレンのことを待つように。
「お前じゃないんだ、そんなことするかよ」
「俺だってやらねーよ!」
「じゃあからかうようなこと言うなよ……」
こいつ、沸点が低くなってないか? アレンはまたげんなりした。なにせ相手は自分の複製なのだ。
「なんの用だよ。悪いけど、こっちはあんまり冗談に付き合う気分じゃないぞ」
「エルのことなら知っている。ギルドハウスでパンドラから聞いた。あの厄介な『クラウン』を砕く銃弾——まさしく銀の弾丸だな」
「エルが遺した弾は金色だったぞ」
「そういう意味じゃねえよ! お前がバカなこと言うと俺までバカみたいな感じになるだろうが!」
——やっぱり沸点が低い。
気が滅入るアレンは、本当になんの用だよ、と眼前の男を見る。
しかし視線を前に移したところで、問いを投げかけるより先に、こちらを向く銃口を視認した。
「——っ!?」
パン、と銃声。キングスレイヤーの弾丸がまっすぐに飛来し、直前に横へ跳んでいたアレンの脇腹をかすめた。
視界の端でかすかにHPが減少する。血など出ないが、弾がかすった傷口のひりひりとした痛み。
(う——撃ちやがったぞ、おい!?)
思わず距離を取ろうとするアレン。しかしそこへ、既にネームレスは前進して間合いを詰めてきていた。
再び向けられる銃口。
「来いっ、『キングスレイヤー』!」
だが近づいてくるということは、銃身をそらすことのできる距離感へ自ら踏み込むということだ。
アレンはインベントリの虚空より愛銃を手繰り寄せ、接近するネームレスへ腕ごと振るう。射撃が目的ではなく、互いの銃同士をぶつけて相手の銃口をあらぬ方向へ向けるためだ。
射線を奪い合う接近戦。同じ『鷹の眼』同士の銃撃戦とは例外なくこの形に帰結する。
だが彼は、スイッチを押した。
「演算、開始」
黒いインカムの表面をなぞる指。
アレンの腕の軌道上にはなにもない。空降った銃身の上方、跳躍した彼が空中で身をよじり、『拡張脳』を起動させ、さらに逆の手で銃を構える。
——こいつ、本当に戦る気だ!
碧色の視線が交錯する。
指を動かさず。何事も発さず。
アレンもまた、脳裏で『鷹の眼』のスイッチを強く入れる。
(状況把握。地形は平坦、舗装されていて動きやすい反面手近な遮蔽物はなし。道の脇に移動する猶予がある場合のみ考慮。続いて彼我の状態は互いにわずかな硬直状態のさなかにあり、まずこちらは腕を降ったことで重心が崩れており、腕を引き戻すまで次の行動には移れない。一方敵は上方への回避により着地するまでは慣性と重力に身を任せるほかない。だがそんな空中の隙を敵は射撃によって補おうとしており、この状況で不利なのは俺の方だ。よってまず俺が取るべき行動は空中射撃への対処だが、重要なのは敵もあくまで隙をつぶすための苦しまぎれの方策として射撃を行っているのであって、射撃によって俺の足を止められなかった場合、着地のわずかな硬直時間のせいで後手に回るのはこいつの方だ。ゆえに俺が目下行うべき射撃の対処は、その後の展開が俺にとって有利になるようにことを運ぶ、つまりは着地を狩れるような行動であるべきだということになる。こいつも俺と同じ射撃能力を持つんだ、空中であろうとヘッドショットくらいは狙ってくるだろうが、単に『ヘッドショット』をすればいいなんてのは一般プレイヤーはともかくFPSで飯を食う人間の考え方じゃあない。この近距離であれば、頭部のどこに着弾させるかまで狙いを付ける。それが俺たちの共通認識だ。とはいえ地に足を付けた十全な射撃姿勢ならともかく、いくらなんでも宙に浮いたあんな体勢で目や耳みたいな特定の部位を狙うのは外す可能性もそれなりにある。だから狙いはシンプルに顔の中心、多少照準がブレてもヘッドショットになるよう安定性を重視する。そこまでは確定として、どう対処をするか——狙いがわかっているのだから最悪腕で受けながら被弾覚悟で接近する手もある。しかしやはりHPへのダメージは避けたい。そこまでやるなら決定的に詰みに持っていきたいところだが、着地程度の隙でそこまでは不可能だ。せいぜいヘッドショットをこちらが一発入れられる程度で、ダメージトレードとしては悪くないが、有利を取れる場面ではより大きなリターンを狙うのが定石だ。勝敗を決するくらいのリターン……相手がこいつなら、マウントポジションの確保か。通常ならマウントを取ろうが今の俺じゃウェイトがなさすぎて簡単に跳ねのけられるが、同じちんまりボディであれば対等だ。が、それだけに警戒されているのは間違いない。読み合いの焦点はここになるな。『拡張脳』の有無で純粋な読みでは俺が不利である以上、いかにその警戒をかいくぐるかを考えるよりは、警戒を利用して別の手を通すことを狙おう。これで一気に終局の形は絞れた。マウントを狙った至近距離への接近と見せかけるフェイントで向こうに距離を取らせて射撃。ヘッドショットを狙えば射線は容易に読まれるだろう。ならば胴体、脚狙いでじわじわ削る……位置の誘導を最優先として。左右の建物を背にさせる形で追い込めるのが最上だが、情報の処理は『鷹の眼』の専売特許だ。こいつが地形を頭に入れていないはずもない。生ぬるい誘導など通らない。ほかに追い込めるような場所はないが、だったら発想を転換させよう。特定の場所に追い込むのではなく、隙を見せる状況へ追い込む。どこかに使えるもの——そうだ、左斜め後ろ6メートル先にNPCのパン屋の立て看板があった。あのサイズなら小柄な俺の体を一瞬隠すくらいは可能、ドアの庇で星明かりが遮られて目立たないのも好都合だ。あれを利用して——あそこに自然に入れるよう敵を誘導して、看板の裏で一瞬身を隠すことで左右どちらから顔を出すかの択を迫り『ブラストボム』で上方へ跳躍、さらに庇を蹴って一気に距離を詰める。もしまだマウントを警戒して下がるようなら空中で追撃、逆に近づいて迎撃を狙うなら再度の『ブラストボム』で建物のベランダに逃げちまおう。それはそれで高所にいる俺が位置関係で有利になるし、道の上にいる相手に対して一方的に遮蔽物を利用して撃ち合いができる。ほかに使えそうなのは路地を塞いでいる積まれた木箱に小さな道の段差、枝の垂れさがった街路樹に道の先の広場の噴水。形次第ではあそこのギルドハウスかなにかの建物を隔ててる鉄柵も使えそうだ。とにかく真っ当な読み合いでこちらに不利がある以上、地形や障害物を使って奇襲的に攻めていくべきだ。時間を奪い、機先を制し、対応する余裕がなくなるまで攻め立てる——)
瞬きほどの時間に、無数の思考が脳の神経回路を逬発する。
『鷹の眼』。赤梁連という人間が、先天的に有する機能。
人間は五感というセンサーを搭載した各種器官で情報を集める。このセンサーは非常に優秀であり、集めた膨大な情報は脳というプロセッサにて統合的に処理される。
しかし、その膨大な情報のすべてを馬鹿真面目に精査できるほど、ヒトの積むプロセッサは質が高くない。
なので脳にはフィルターが付いている。無意識下に、重要でないと判断した情報はすべて棄ててしまうのだ。そうして処理する情報を絞る。
だが、棄てられる情報も統合すれば有意義なことはままあった。単体では役に立たない情報Aも、情報BやCを勘案して結びつけた場合に意味を持つ場合がある。
先述の通りそれをしようとしても、ヒトの脳では、常人の処理速度では追いつけない。だから棄てるしかない。そう、常人であれば——
『鷹の眼』とはその無意識のフィルターを緩め、さらに流れ込んでくる莫大な情報を余さず精査する、人並外れた処理機能のことを指す。
「なんのつもりだよお前っ、いきなり撃ってきやがって!」
「なに、ウォーミングアップに付き合ってやろうと思っただけだ。親切心だよ」
「こんな物騒なウォーミングアップがあるかぁ——!」
十手先、二十手先を読み、無数のフェイクを織り交ぜ、たどるかもしれない可能性の枝を並列的に演算し、その中から自分が有利になるものを選定し、相手の動きに合わせて修正する。
重なり合う銃声。
無人の夜、星明かりに導かれ、舞踏のように影が交わる。
息もつかせぬ攻防、射線を奪い合う熾烈なやり取りが幾度となく続き——
47手先に視た終局を覆すことができず、アレンは地に組み伏せられた。
「……っ!」
「ほら、詰みだ。はっ、レベルは多少上がったが、あの第70層の時となんら変わらないな」
「あの時は俺が勝っただろうが……!」
「もちろんそれは認めるさ。だがそうだな……試合に負けて勝負に勝った、みたいな話だろ? お前のあれは。
いや、試合にも勝負にも負けたけど、挨拶の後に無理やり襲った……あるいは食事に毒を盛った、みたいな。とにかく不意打ちだ。卑怯者のやり口にハメられてたまたまその瞬間だけは俺が後塵を拝しただけのことだ」
——こいつ全然負け認めてねえじゃん。
そう内心で思いつつも反論しなかったアレンは、呆れて物も言えなかったというのも多々あったが、第70層では『その瞬間だけ』の優位性で勝ちを拾ったと自分でもわかっていたからだ。
言い訳がましく指摘をされるまでもない。あの時アレンがネームレスを倒せたのは、マグナから託された『クリムゾン』の銃があってのこと。
意表を突いた。それだけだ。そして、ならば二度目はない。
『鷹の眼』とはいっても、鳥頭ではないのだ。既知の手札で意表は突けない。
「……ま、なんだ。意気込むのはいいが、冷静になれってことだよ」
言いながら、ネームレスは拘束を解く。いつの間にかその手からキングスレイヤーも消えていた。
「お前……最初から俺の頭を冷やすために?」
「頭に血が上るのはわかってたからな。遺憾ながら、同じ人間だった身として。でも用はそれだけじゃないぞ」
「え?」
立ち上がったアレンの手に、なにかがひょいと投げられる。
受け取ったアレンは目を見張る。そこにあったのは、艶のある黒色をした、インカムのような形状の機械。
「『拡張脳』……?」
「負けられない戦いなんだ、使えるものはすべて使えよ。いくら『クラウン』を壊す手段があったとしても、それ自体をしくじれば終わりなんだ。まあ——そこさえ乗り切れば、別段どうってことはないだろうけどな」
「そりゃあ……」
——やっぱりあの時、こいつも気付いていたのか。
受け取った『拡張脳』の権能が込められたデバイスから視線を戻し、耳元がすっきりとしていよいよアレンとまったく同じ容貌になったネームレスを見る。
「……でもいいのか? 言ってたろ、鬼門はむしろシャドウの方だって。まだお前にもコレが必要じゃないのか?」
「忘れたか? 俺にはまだ、もうひとつ手札がある。あつらえ向きのヤツがな」
「ああ、そうか。そうだったな」
確かにアレは効果的だ。アレンは納得した。
多く言葉を交わさずとも、その男の含意を完璧に理解できた。今は分かたれていたとしても、同じ道を歩んできた者。同一の才能を持つ者同士なのだから。
では翻って、ススキはどうなのだろうか?
赤梁連をベースとして形成された精神性。同じ肉体を使用することで得た、同一の才。
デウス・エクス・マキナもまた、アレンとネームレスの意図を汲み取り、その思考をトレースすることが叶うのか?
……その答えは、既に『鷹の眼』が知っていた。




