第111話 『その希望の名は』
個人的な因縁を抜きにしても、現状のアーカディアでアレンに並ぶ戦力の転移者はいないだろう。
「……みんなは、いいのか」
だからアレンの懸念は、自分が戦うことではなく。
現実への回帰を懸けた一戦を、仲間たちは、自分に一任して心残りがないのかということ。
アレンが勝つと信じ、無際限に押し寄せるシャドウを止める。それはある意味で、直接ススキと戦うよりも辛い道ではないのか。
「ま、あのおっかない『クラウン』を持ったやつに挑むよりは気が楽ってモンですよ」
ミゼリーが冗談めいて言うと、小さく笑いが起こる。
事実そうした面もあるにはあるだろう。ススキに及ぶべくもない転移者でも、理性なきあの影たちであればある程度対処は可能だ。
しかしそれ以上に、アレンは自身を見つめる仲間たちの思いを感じ取る。
バベルの最前線で攻略を牽引してきたことへの、混じりけのない信頼。それは今日まで積み重ねてきた日々の生んだ成果だった。
「ありがとな……みんな。俺、こんな体なのに」
「それこそ今さらですって!」
今度はどっと大きな笑いが部屋を包んだ。
少し気恥ずかしくアレンが思っていると、ネームレスが言う。
「俺もその作戦には賛成だ。俺の見立てでは、鬼門はデウス・エクス・マキナじゃない。むしろ押し寄せるシャドウどもだ。そちらにリソースを割く判断は正しい」
「ネームレスさま? では、あなたも防衛に加わっていただけるということでしょうか」
「……そうだな、そうしよう。第100層に行くのは俺かアレン、どちらか片方だけでいい」
俺だから打てる手もある、と付け加え、口を閉ざした。
方策は決まった。そうなれば今は一分一秒も惜しい。
シンダーは独自に作った街の地図を広げ、どのポイントに防衛線を築き、どのように人員を配置するかを話し合う。
守るべきはバベル、アーカディアの中枢。そこが呑まれれば世界は強制ループ、崩壊の憂き目に遭う。
しかし360度、全方位から迫る敵から拠点を防衛するのは困難だ。敵を待ち構える各地点の策定、誰をそこへ置くかの戦術的な判断には熟考を要する。時間のない中、議論はすぐに熱を帯び、卓上にて無数の意見が交わされる。
「……アレン、すこし、いい?」
「エル?」
単身、第100層への再攻略を行うアレンは議論に参加していない。
なのですぐにでもバベルへ発とうとしていると、ふとエルが顔を覗き込んでくる。
なにか話があるらしい。
「——?」
面食らっていると、付いてきて、と言わんばかりに廊下へ出る。
不可解なのは、それにパンドラも同道していること。
新旧の管理者がそろい踏み。かつ、エルはこの一刻を争う状況を理解できないような愚昧な少女ではない。
どこか胸騒ぎを覚えながら、アレンも部屋を出て、エルに付いていくことにした。
*
ギルドハウスを出ると、人気のない裏路地へ入る。
ちょうどカフカを倒した街路から分かれた、この迷路じみた町には多い、すぐ行き止まりに当たる細道だ。
両隣には高い壁。第100層からも見えた、天を埋める無数の星々が注ぐ光を拒んでいる。
それでもまったくの暗闇ではなく、壁の合間からわずかにだけ入る星明かりが、数歩先を見通す程度の明るさは担保していた。
「なあっ、どこまでいくんだよ、エル」
「んー……ここで、いい。静かで、集中できそう。パンドラも、いい?」
「ボクは大丈夫。でも、キミはいいの? こんななんにもないような場所で……」
「なにもない、なんてこと、ない。だって、ここにはふたりがいる」
路地の半ばで振り返ったエルに、パンドラはなにか言いたげな瞳を向ける。
向かい合う黄金の瞳。同じ管理者だけありその論理肉体の造形は近しく、そうしていれば姉妹のようだ。
星の囁きを聞くような沈黙が、見つめ合うふたりの間にわだかまる。その意味を解析できるのは管理者たる彼女たちだけに違いない。
「エル、一体……」
「アレンは、強い。きっと、わたしがなにかしなくとも、ススキに勝つ」
「ああ、あいつのことは任せろ。俺と同じ『鷹の眼』に『クラウン』と付け入る隙はなさそうだが、実はさっきエルのおかげで、片方は攻略の糸口が——」
「でも、それだと、ススキは消えてしまう」
「——え?」
思わず聞き返したアレンの目に、毅然とした少女の立ち姿が映る。
彼女はアレンの向こう、そびえる壁の合間から覗くわずかな夜空の、そこに散りばめられた光を眺めていた。
「幾万の崩壊を見送る、破壊者にして観測者。その孤独をこそ、前管理者はきっと、救いたかった」
「それは……できない。あの黒い『クラウン』は時間経過でも消えないと、あいつ自身が言っていた。だったら『クラウン』を消してシャドウたちへの指示を止めるには、カフカの時と同じく、あいつ本人を倒すしかない……」
「そう。だから、ほかの手段があればいい。ススキを倒さず、『クラウン』だけを砕く。そんな、冴えたやり方が」
「……方法があるのか?」
「ある意味、ボクの権能を使えなくしたのと同じだよ。あの『クラウン』はもとより不正に得たアイテム、断片データによるパッチワークだ。外部からその結合を乱してしまえば、あとは呆気なく自壊する。積み木の塔が、土台のパーツひとつを欠いただけでガラガラと崩れ去るようにね」
パンドラが質問に答える。
『クラウン』の自壊? まるで発想のなかった考えにアレンは戸惑ったが、新旧の管理者が言うのだ。
ふたりができると言えば、できるのだろう——
その行為に伴うなんらかの代償、痛みさえ許容できるのなら。
「結合を乱すなんて簡単に言われても。撃てばいいのか? それで壊れるとは思えないが」
「ある意味では、そう」
「ボクたちが今から、あの『クラウン』を破壊できる弾丸を作る。物理的な威力は問題じゃあないんだ。接触さえ起これば事は成る。
アレン、キミはその弾を普段通りに装填して、『クラウン』目掛けて撃てばいい。これならキミ向きだろう?」
「そうか、そりゃあいい。でもパンドラ、そんなことができたのか? もう権能も、ほとんど使えないはずだろ?」
「わたしの残った力を、すべて込める。そうすれば、できる、はず」
「……なに?」
再びアレンは聞き返す。だが、エルの言葉をアレンは正しく理解していた。
だから再度の問いは、ただ理解したくないだけ。
アレンの意思、感情とは関係なく、『鷹の眼』はその含意を十全に噛み砕いている。それはある意味で不運なことなのかもしれない。
エルが命を懸けようとしているのだと、言葉少なでもわかってしまうのだから。
「エルは……どうなるんだよ?」
「行うのは、言わばアイテムの生成。ただし、これも言ってみれば偽装……アイテムにもIDが振られているから、欠番のところに、『黒いクラウンを破壊する効果を持つ弾丸』を作る。
わたしの中に残った、管理者としての機能。そのすべてを込めて。現管理者の、パンドラが手伝ってくれないと、到底できない、けど」
「理屈はもういい! エルは——そんなことをしたら、エルは無事じゃ済まないんじゃないのかよ!! 」
「うん。でも、わたしはどのみち、もう限界だから」
表情を崩すことなく、平然とエルはそう言った。
「…………げん、かい?」
「エルは元々、気力だけで廃棄物の海から這い上がった。そんなのはありえないことだよ、ボクに言わせればね——この電子の箱庭に奇跡なんて起きるはずがないと思ってたけれど、これこそ奇跡だ。
本来権能を使えるはずもない『前回』の管理者が、あれだけ権能を乱発して、今日まで体を保ってきたのは」
そう補足するパンドラは、悔やむようにぎゅっと唇を噛んでいた。
限界。奇跡。
今日まで体を保ってきた。
——思えば第0層の広間で、やけにエルが疲れている素振りを見せたことがあった。
「まさか……エルにとって『関数殺し』は、負担がかかっていたのか? ずっと……?」
「エルは、もう、管理者じゃないから。でも、役に立ちたかった。……それに、第100層、行かなきゃって。なんとなく、思ってた」
「本分を逸脱すれば、『システム』はそれを修正しようとする。前管理者の身で権能を振るうなんて、そのたびに耐え難い苦痛が肉体を襲うはずだ。それを……」
突如パンドラが言葉を切り、どうかしたのか、とアレンが疑問を呈するよりも先に——
しゃくり上げるような音が一度だけ、細い喉から鳴る。
「……う。うぅ、ごめん。申し訳ない。ボクとの戦いがなければ、まだまだ大丈夫だったはずなのに。ボクが初めから敵対していなければ、こんなことには——っ」
「パンドラ? ……泣いてる、の?」
白磁の頬をぽろぽろと透明な雫が滑り落ちる。
恥知らずな星明かりが、そのことを如実に暴いていた。
「ススキのことも、気付いていれば。なんて喜劇だ……ボクはずっと管理者として正しい振る舞いをしてきた。果たすべき役割、活かすべき機能に、逆らわず過ごしてきた——そうしなければならないと信じて。
でも……それこそが間違いだった。これまで正しいと思ったことが間違いで、間違いだと思っていたことこそが、なによりも正しかった」
まるで懺悔だ。
機械知性にとってのアイデンティティ、先天的な役割を捨て去り、パンドラは管理者という鎖から解放されたはず。
しかし、自由になってしまえば。
盲目的でなくなってしまえば、自分にほかの道があったのだと気付くことになる。
選択肢があればこそ、人は悔いるものなのだ。
「……泣かないで」
その悔いを、細い指先が拭いとった。
「え、る?」
涙を拭われた黄金の瞳に、柔らかな微笑みが映る。
エルは笑っていた。ごく自然に、ただの少女のように。
「パンドラは、最後には、転移者の味方になってくれた。それは『前回』のわたしにはできなかったこと。きっと、パンドラは、一番優しい管理者だよ」
「ぅ——あ、ぁぁっ」
「パンドラ……」
パンドラの瞳が再び潤んで、滂沱の涙を流し始める。
困ったような表情を見せるエルに、アレンは話しかけた。もはやエルのゲームオーバーは避けられぬこととわかっていても、なお訊かずにはいられなかった。
「エル。どうにもならないのか? なにか、ポーションを飲み続けるとか……」
「HPが減っているわけじゃないから、それじゃ無理。だいたい、先にお腹がはちきれる」
「うっ」
正論だった。
「それに、さっきも言った。アレンにはススキを助けてほしい。それができるのは、アレンだけ。だから……お願い」
「……ずるいぞ。そんな顔で頼まれたら、誰だって断れない」
「ふふ。アレンも優しい。……うん、ノゾミも、シンダーも、ユウも。マチもミソラもサクも、みんなみんな、優しかった。だからわたしは——」
過ぎた時間、尊い瞬間を思い返すように、目を細める。
しばしエルはそのままでいた。沈黙の中、なにも言葉を発さなければ永遠にこの夜に留まれるのではないか、と突拍子もないことをアレンはふと思った。
しかしそれはやはり幻想で、エルは顔を上げ、静寂を破る。
「パンドラ。始めてほしい。準備は、できてる」
「……わかった、いくよ」
エルが手を差し出す。それをパンドラがにぎる。もう涙は止まっていて、エルと同じ黄金の双眸には、エルと同じだけの決意が表れている。
それはふたりが共同で実行するタスクだった。管理者同士だからこそ可能な、機能を同期して行う作業。
おそらくは意志の力で耐えていただけで、路地に来る前から、エルの体は消えかかっていたのだろう。パンドラと手をつないだとたん、エルの体は少しずつ輝く粒子へと変換されていった。
「エル……!」
「さようなら、アレン。強くて優しい、大好きなひと」
それが避けられぬ消滅の前兆であると、アレンは知っている。だから、名を呼ばずにはいられなかった。
止めることなどできないのだとしても。その、名前を。
「大丈夫。わたしは元いた場所へ、帰るだけ。だけど……きっとまた、会える。いつか、また、アレンたちに会いたいから」
「エルっ! だったら……! だったら俺もまた、エルに会いに行くからな! どうやるのか、いつにならないのかもわからないけど、絶対に——!」
少しだけ驚いた顔をして、それからエルは、頬を緩めるようにして笑う。
立ってはいるが、もう腰から下は残っていなかった。宙に浮いているような格好だが、腹部も胸も腕も首も顔ももうじき粒子になるだろう。
けれど、あと何秒かは、そうはならない。
あの森で出会った少女はまだ、ここにいた。
「——うん、待ってる。ありがとう、アレン。わたしに名前を付けてくれて。記憶も、役割も、なにもないわたしを救ってくれて、ありがとう。
わたしは、エルでいられて、幸せだったよ」
そして、輝きに呑まれる。
ぎこちない表情ばかり浮かべていた少女は、最後に目いっぱいの笑顔を見せて、その笑顔さえ粒子になって消えた。データの断片となり、彼女が這い出た廃棄物の海へと還ったのだ。
それでも残ったものが、ひとつ。




