第110話 『食用肉を猟奇的にも原型が判別不能なほどに細切れにし、小麦粉を主原料とする生地でまるで罪人を閉じ込めるかのように包んで以下略』
「……ログアウト処理自体は可能だよ。そして、できる範囲で協力をするとも約束する。キミたちは確かにゲームをクリアしたんだからね」
「じゃあ! だったらっ、今すぐにでも——」
「元々はそのつもりだったんだけどね。今となっては懸念が残る」
誰かが廊下を走っている。大きくなる足音に、パンドラはもうどんな報せが入ってくるのかわかっているかのように目を伏せた。
「た、大変だぁっ!!」
そして、シルヴァが息を切らした様子で扉を開ける。高台からここまで走ってきたのか、額を汗ばませ、膝などはがたがたと震えて今にもくずおれてしまいそうだ。
しかしそんなことは些細だと、壁に手をついて体を支えながら、真っ青な顔をしてシンダーたちに向けて言う。
「シャドウが……大量のシャドウが向かってきてます! 津波みたいに、森から平原を埋め尽くそうとする勢いで……このままじゃ町全部呑み込まれちまう勢いだ!!」
「ここへきて、シャドウがですか……!?」
「方角は?」
そう訊いたのはパンドラだ。まなじりを決し、黄金の目をシルヴァへ向ける。
「全部だ——全方位から、やつらが押し寄せてる。進行速度からして、町まで到達するのにもう一時間もない!」
「はぁ。やっぱりそうだよねー、やられたよまったく、これが『裏技』とやらなわけだ。まさしく盤をひっくり返す一手だよ」
「どういうことだ?」
現在のアーカディアは、廃棄物の海に囲まれている。
65535回、ループによって崩壊した世界のデータの断片が積もりに積もって、今や海に浮かぶ孤島のごとく、残された地表はこの町とその周囲の平原や森だけになっている。
だが、そこから一気にシャドウがあふれ出てくるなんてことはこれまでに起こらなかった。いわんや、まるで指向性を持つように、町へ向かってくるなど。
彼らは既に意志なき者、かつて転移者だったものの残滓。もう過ぎ去った出来事の残響に過ぎない。
「あの黒い『クラウン』は廃棄物でできていた。つまりあれは、シャドウたちへ指示を送るアンテナ……ううん、シャドウに命令を受け取る脳なんてないのかな。だったら誘蛾灯に引き寄せられる蛾のように、特別な『クラウン』に群がってきているのか。
どちらにせよ脅威に変わりはない。アーカディアの中枢であるバベルが廃棄物に呑まれれば、その機能は停止する。そうなれば強制リセット、管理者の命令がなくとも世界は無理やりに『次回』へループするだろう」
「な、なんだよそれ。バベルがシャドウたちに呑まれるだけで、ループが引き起こされるっていうのか!? どういう理屈なんだそれは、確かなのか?」
「『システム』による、詰みを回避するための例外処理。バベルの機能不全は管理者やアーカディア全体の終わりを意味する。そのまま永遠になにも起こらないんじゃ、世界を維持する意味もないからね。そのループは終わったものとして、強制的に次のループを始めるんだよ」
アレンは絶句した。これこそがススキの描いた策だったのだ。
管理者がループを拒否するのであれば、仕様の穴を突いて強制的に引き起こす。氾濫するシャドウたちによってバベルもろとも町を呑み込み、すべてを廃棄物の下に沈める。
そうしてゲームオーバー。65536回目のリセットを迎え、世界は粛々と死に絶える。
「猶予は約一時間。なるほど、実質的にログアウトの退避も封じられたわけかな」
「そう……なるね。一時間じゃ、残った転移者の全員を解放するなんてとても間に合わない。記憶の引継ぎ処理をスキップしたとしても——せいぜい300人が限度だろう」
「300……」
アレンは、以前カフカが語っていた言葉を思い出す。
炎上する街で戦ったあの時、残存転移者は確か3000人程度だとあの男は語っていた。
あれから多少の時間は経っているが、全体の数はそう変わっていないだろう。
「たった300人助けたって、大勢の人がアーカディアのループに囚われたままになるんじゃ意味がない。俺たちはゲームクリアをしたはずだ。だったら全員が助からなきゃ駄目だ!」
「よく言った、アレンちゃん。僕たちは決してごく一部の人間だけを救う結末のために歩んできたわけじゃない。要はススキが持つ『クラウン』さえなければシャドウは元の状態に戻る、そう解釈して間違いはないかな?」
「ふたりとも……うん。あの黒い『クラウン』がどこまでシャドウに干渉しているのかはわからないけれど、あれさえ消えれば、シャドウは指向性を失う。バベルを一目散に目指すなんてコトはなくなるだろう」
「なら方針は決まりだな。ススキを倒す! ここまで来てあきらめきれるかってんだ、そうだろみんな!」
振り向いて、アレンは一同に呼びかける。
皆、ゲームクリアしたはずの状況がススキにひっくり返されたせいで、意気消沈しかかっている。そんな現状を打破すべく、鼓舞しようとしたのだ。
「うんっ、もちろん! アレンの夢、こんなところで終わらせたくないもん!」
「僕も、押し付けられた責務がまだ果たせてないんでね。完璧な勝利を手にするまで、あきらめるわけにはいかないな」
アレンの意図を察してか、ノゾミとユウが真っ先に同調する。
それを受けて、シンダーも遅れて理解したらしい。
「ええ、アレンさまの言う通りです。ここが正念場——あと一息、皆で勝利を勝ち取りましょう!」
一瞬、水を打ったように部屋中が静まり返った。
だがすぐに廊下にまで届くほどの歓声が響き、一同は奮起を示す。
……それが危ういものだったと、この中の何人が気付いただろう。現実への回帰まであと一歩というところで目標が遠のき、皆が感じた失望は大きい。
バベル攻略を引っ張ってきたアレンだけでなく、〈サンダーソニア〉の団長として精神的支柱であり続けたシンダーが呼びかけてくれたからこそ、一同は応えてくれたのだ。
一度崩れた集団はひどく脆くなり、短期間に同じような結束を得ることなど望むべくもない。
もしこの時、奮起と失意とを隔てるボーダーラインを辛うじて超えることができなければ、もう彼らが一丸となれることは二度となかっただろう。
「危うい橋を渡りきったね。誰も彼も、アーカディアに来るまで顔も名前も見知らぬ相手だったろうに。人間同士がこうも手を取り合えるなんてね……ネームレス、キミは知っていたのかな」
「まさか。俺は——攻略組はこれができなかったから、無様に失敗したんだ。ギルド間で争い、やがては内部分裂を起こし、個人間で貶め合った。
はっ、俺のような落伍者にはまぶしい光景だよ。今になって答えを知るのは皮肉だな……」
「それは、嘘。あなたは、きっと、知ってた」
「……エル、とか呼ばれてたな。誰が付けた名前か知らないが、『前回』の管理者に俺のなにがわかるっていうんだ? 別に悪態をつきたいわけじゃない。俺のループは46666回目なんだから、あんたとは縁もゆかりもないはずだろ」
「でも、あなたも、アレンだったから」
虚をつかれたように、ネームレスは言葉を失った。
碧色の瞳が揺らぐ。口数の少ない彼女が言わんとすることを、名を欠いた彼は即座に理解したらしい。
「ああ——そうだな。チームにいた頃の俺はきっと、知ってたんだろう。それをこの世界に来ていつの間にか取り落とした。愚かなあやまちだ」
「あ……もしかして。エル、余計なこと、言った? ごめんなさい」
「ははっ、今さら謝るなよな。いいよ別に、気にしてない。むしろ思い出させてくれて……」
「お詫びに、これ。おやつ、あげる。はい」
「……ナニコレ?」
医者にかかればなにがしかの病名が付くレベルの甘党であるネームレスは、おやつと聞くと怪訝そうな顔をしつつも無条件に手を差し出した。
そこへポン、と置かれたのは、なにかの切れ端のような小さな四角。乾いていて、クリスピーな食感がしそうな、わずかに香ばしい黄金色。
「食用肉を猟奇的にも原型が判別不能なほどに細切れにし、小麦粉を主原料とする生地でまるで罪人を閉じ込めるかのように包んで焼くという、ヒトの有する残虐な側面に想いを馳せ——」
「よしわかった、ミートパイだな。みなまで言わなくていい。一体いつのヤツだよこれ!」
——あれ、隠し持ってたのかよ。
こっそり聞き耳を立てていたアレンが苦い顔を浮かべた。
食べ残しを巣に持ち帰るハムスターみたいだった。
「……たべないの?」
「食うけど!!」
「食べるの……!?」
パンドラが目を見開いて驚く中、ネームレスはミートパイの切れ端を口へ放り込み、そのままさくさくと咀嚼して吞み込んだ。
(…………俺ってあんなに食い意地悪いのか……?)
はたから見ていたアレンが自分を客観視してげんなりしていると、そんな至極どうでもいいやり取りをよそにシンダーたちが今後の方策を練っていた。
——現状最も憂慮すべきは時間のなさだ。
ススキ、デウス・エクス・マキナを倒す。より正確には彼の持つ黒い『クラウン』を無効化するというのが目標だが、それには時間が大きな壁となる。
森を出たシャドウたちは、たった今も、町を目指して平原を越えようとしていることだろう。
彼らがここに殺到するまで約一時間。
それまでにススキを倒すというのは、際どいラインだ。相手の『鷹の眼』の才能と『クラウン』のバフを備え、さらにはIDの偽装によるユニークスキルまで使用する。
「——さっきと同じように全員で第100層に戻っても、戦っている間にタイムアップというのは考えられます。それならばいっそ、わたくしたちはバベルではなく『ここ』で防衛線を張りましょう」
「ええっ!?」
シンダーの献策は意外そのものだった。
広がるどよめきに、ネームレスやアレンたちも自然とシンダーの方に傾聴する。
「多勢に無勢という言葉はありますが、デウス・エクス・マキナは一騎当千。なにしろアレンさまの才能を備えている……わたくしたちがいたところで大した貢献はできないでしょう。であれば、押し寄せるシャドウたちをせき止め、アレンさまが存分に戦える時間稼ぎをする方が上策と存じます。
それに、誰かが町にいる転移者の皆さんを避難させなくては」
「シンダー——でも、それは」
「もちろん、これはアレンさまにススキをお任せすることが前提になりますが」
やってくれますか、とシンダーの瞳がアレンを見る。
もちろん、もとよりそのつもりだ。
奪われた肉体、奪われた『鷹の眼』。ならば決着を付けるのはアレンをおいてほかならない。




