第109話 『ID偽装』
「この景色の揺らぎ……ちッ、まだ使い物になる権能が残っていたか。いいだろう、遁走は見逃そう。だがな、予言してやるよ! オマエらはおれと、おれの『クラウン』を止めるために戻ってくる。
もはや転移者どもを逃がす猶予もない! いいか、賽は投げられたんだよ——パンドラ!!」
言い放つ男。それを第100層の最後の景色として、次の瞬間、アレンは見慣れた広間の真ん中に立っていた。
特に気を失ったりしたわけでもない。意識は連続していて、いる場所だけが一瞬で移動したのだ。
そして、移動した広間に感じる既視感の正体も、すぐにアレンは気付く。
なんのことはない。そこは見慣れた、バベルの第0層だった。周囲にはともに戦っていたネームレスやエル、パンドラ、それからやや離れたところには、集合していたシンダーたちもそっくりそのままの位置関係でそこにいた。
「パンドラが逃がしてくれたってトコだろうが……権能、使えなくなったんじゃなかったのか? インジェクションがどうだとか、よくわからないことをアイツに言われてたろ」
「さすが、理解が早くて結構。それからお気遣い痛み入るよー。事実、権能の99%はもう使えない。権能の中身自体は平気でも、それを呼び出す部分を壊されちゃったからね」
「じゃあつまり、今のは——」
「——つまり、今のは残った1%ってワケだ」
アレンの言葉を奪う形で、キングスレイヤーをインベントリへ消し去りながら、ネームレスが言う。
「そういうこと。あんまり期待させたくないから言ってしまうけれど、残ったのは『座標再定義』と、『関数殺し』がたったの五本。ああ、転移者のログアウト処理は権能とはまた別の機能だから、無事のようだけれど」
「ふむ……ログアウト処理が叶うなら、俺のようなスワンプマンはともかくとして、転移者たちを逃がすことはできるわけか? あの人さまの体で好き放題してやがるデウス・エクス・マキナに付き合うこともなく」
「うん、処理自体は可能、だけれど……さっきの彼の言葉が引っかかる。思い当たる節もある。そこは少し待ってほしい」
「そうか。ま、俺はどちらでもいい。今や関係のないことだからな」
ネームレスはそう言って、壁の方へと歩いていく。どうして離れていくのかとアレンが疑問に思っていると、シンダーが駆け足に近づいてきたので、そのせいかと察した。
シンダーの求めは言うまでもなかった。皆の代表として、パンドラに状況の説明をしてもらいに来たのだ。
パンドラはそれにもっともだとうなずき——
「まずは外に出てもいいかな。彼……デウス・エクス・マキナが追ってこないとも限らない。どこか、落ち着けるところへ行きたい」
そう、黄金の目を逸らすことなく言った。
*
『落ち着けるところ』というパンドラの要望に対し、一同が提示したのはやはりと言うべきか、〈サンダーソニア〉のギルドハウスだった。
部屋に入るなりパンドラは「ちょっと狭いかもー」など愚痴を垂れていたものの、それ以上の文句は口にせず、一同の前で本題へ入った。
まずは状況の振り返り。パンドラはループの停止に同意したものの、彼女の配下、あるいは道具であったはずのデウス・エクス・マキナが反目。
さらにその中から現れたのはアレンのための論理肉体であり、彼がアレンが使うはずだった体に入ったせいで、アレンはこんなにもちんまりしたNPC用の美少女ボディになってしまった——
「うーん、この辺りはどうでもいいね。アレンちゃんの話だから僕たちには関係ないや」
「お前なあ。たとえそうだとしても、口には出すなよな……」
「デウス・エクス・マキナ。彼は、ループを継続させようとしているのでしょうか? しかし一体、なんのために。わたくしたち転移者がもがく様を楽しんでいるのでしょうか」
「……デウス・エクス・マキナがループを継続させようとしているのは、ボクもきっとそうだと思う。終わらせようとしたボクを妨害したんだから、ほかの目的なんて考えられない。でも、それが楽しみのためかと問われれば、それは同意できない。
デウス・エクス・マキナは畢竟、このアーカディアを壊すための関数だ。『世界を破壊する機能』を行使するための存在であり、それだけが役割。だから……それを果たそうとしているだけ、なんじゃないのかな」
これまでのボクのように、とパンドラは付け足す。
目的を以て作られる。役割を持って生み出される。それこそが機械だ。
パンドラはそこから逸脱することを選んだが、しかしデウス・エクス・マキナのそんな在り方を否定したくはないのだと、なんとなくアレンは感じ取った。
「あの、ちょっといいかな。ならエクス・デウス・マキナはどうやって——」
「ノゾミ。エクス・デウス・マキナじゃない。デウス・エクス・マキナだ」
「——ああもう、ややこしいっ。言いづらい、覚えづらい! ススキでいいよじゃあっ、前にそうやって略したよね!?」
「あはは。そんなこともあったねぇ」
「ス、ススキ? 陰でそんな風に呼んでたの? うぅん、本人が聞けば怒りそうだねー……」
デウス・エクス・マキナ改めススキについて、ノゾミは疑問を口にする。
「わたしはループのこととかよくわかんないから、ひょっとしたらヘンなこと言ってるかもだけど……ループの命令はパンドラにしか下せないんでしょ? なら、ススキがいくらループの継続をさせようとしてても、無理なんじゃないの?」
「ああ、その疑問はもっともだとも。ボクも同じことを思って、先ほどそこの団長……シンダーに使いを出してくれるよう頼んだところだよ」
「シンダーさんに?」
「ええ。パンドラさまに言われた通り、町の高台にシルヴァを向かわせました。遠見のユニークスキルを持つ人間は〈サンダーソニア〉にはいませんが、暗視機能の付いた望遠鏡のアイテムがあります」
「準備がいいね。そっか、うん。ならわかるはずだ、ありがとう」
「わたくしにも、その意図はよくわかりませんが……」
「杞憂に済めばいいんだけれど、ねー。ただ残念なことに、最悪な想像ほど当たるもの。十中八九そうなるだろう」
パンドラはここではない場所を見つめるような目で、そんな意味深なことを口にする。
疑問の残る発言ではあったが、今訊いたところで深く答えてはくれないだろう。そう判断してアレンは後に回すことに決める。
「さっき、ススキと戦ってる時、妙なことが起きた。あいつの体をエルの鎖がすり抜けたんだ。あれがなにかわかるか?」
「え? そんなはずが……デウス——ううん、ススキにユニークスキルは使えない。紐付くID自体を有していないから……あっ」
律儀にもノゾミに合わせてススキ呼びをするパンドラ。言いながらなにかに気付いたらしく、突如声を上げ、恥ずかしそうにごほんと咳ばらいをした。
「転移者IDの偽装、あるいは偽造。そうだ、それであれば納得できる」
「ぎ、偽装? そんなことができるのかよ」
「考えたこともなかったけれど、あの異常な『クラウン』であれば不可能じゃないのかもしれない。ボクの権能を封じたことといい、廃棄物で構成されたあれには、局所的にデータを改竄する力がある。
アーカディアにおいて転移者IDは必ず一意で、重複は許されない。だからこそアレンと同じ肉体を持ちながらも、サルベージしたネームレスには同じ『Aren』のIDを与えられなかった。でも……」
「……一意でなければならない、なら。もしかして、ゲームオーバーになった転移者のIDを借りる、みたいなやり方なら重複の制約をすり抜けられるってことか?」
アレンの推察に対しパンドラはこくんとうなずく。
継ぎ接ぎの王は、そのユニークスキルさえ死者から継ぎ接いでいる。
IDのない自らを、既に退場した転移者のIDで偽装することで、それと紐付いたユニークスキルにアクセスしているのだ。
「な、なんじゃそりゃ。なら、カフカの『燎原之火』みたいなヤバいユニークスキルもその気になれば使えるのか!?」
「ワイルドファイア……? 悪いけれど、ボクもキミたちが持つユニークスキルの詳細を個別に知るわけじゃない。でも、全部が全部使えるってことではないと思う。一部の強力なユニークスキルは、ボーナスウェポンに依存する仕組みになっているからね」
「あ。なんかその話、前にユウさんが言ってたような?」
「依存……そういえば。そうか、カフカのアレとか、マグナさんの『二色領域の支配者』はボーナスウェポンとセットじゃなきゃ使えないんだったな」
ススキの使用可能なユニークスキルは、死者かつ、ボーナスウェポンに紐付かないものに限る。そういうことらしい。
しかしそれでも候補は100を優に超える。あまりに膨大な手札の数に、アレンはまた出たとこ勝負かよ、眉をしかめる。そんなもの、どう対策をすればいいというのか。
「……IDの偽装。ふむ、その手が」
「ユウさん? どうかしたんですか? あっ、もしかしてススキの弱点に気付いたとか!」
「ああ、なに。アレンちゃんに加えてパンドラにネームレスもいっしょだと、なんだか子どもだらけで小学校みたいな雰囲気になってきたと思って」
「わぁ、すっごく関係ないですそれ!」
子ども扱いにネームレスとパンドラが心なしかにらんでいた。こうして人知れず恨みを買うのだ。
そこからは喧々諤々、ススキやそのユニークスキルについて口々に議論が始まる。アレンやユウ、シンダーも交えて、ああでもない、こうでもないと意見を飛び交わせていると——
「も、元の世界へは帰れるのか!?」
耐えきれないとばかりに、誰かが言った。
〈サンダーソニア〉の誰かか、あるいは〈ドールズハウス〉の誰か。あるいは〈不壊工房〉のメンバーだったかもしれない。
ともあれ、誰が言ったかは問題ではなかった。
なぜならそれは、攻略に協力したメンバーが皆感じている疑問に違いないのだから。彼が口にしなければ、また別の誰かが口走っていただけの話だ。
詰問するような、それでいて緊張を反映した上ずった声に対し、パンドラは落ち着いた声音で返した。




