第106話 『続・真贋相容れず』
壁一枚を隔てているかのようなくぐもった声。
見知らぬ声のような、そうでないような——
奇妙な感覚にアレンが襲われたのつかの間、眼前に佇んでいたのは真っ黒な機械の騎士だった。
デウス・エクス・マキナ。
管理者の命令を受け、『世界を破壊する機能』を持った機械。
「……そんな、ばかな」
「バカはオマエだよ、65535人目のパンドラさんよぉ」
驚くべきはその俊敏さ。いかにも鈍重そうな甲冑に身を包んでいながらも、その人型はアレンが察知した時にはもう距離を詰め、その手でパンドラの腹を抉っていた。
「ぁ——が、ぁっ」
「パンドラっ!!」
蹴られたボールのように、管理者たる少女が吹き飛んで地を転がる。
ただ殴っただけではないのか、立ち上がろうとする彼女の体はがくがくと震え、周囲に白い粒子のようなものを漂わせている。その様子は深刻なエラーを印象させた。
「役割を棄てる? はッ、棄てられるかよ! 先天的な役割とはもはや機能と同一だ。『それ』は着脱できる衣服なんかとは違う。わからないのなら、おれが壊してやるよ。権能を壊すこととはすなわち、オマエを壊すということなんだからな」
「なにを言ってる……デウス・エクス・マキナ、お前はパンドラの味方だろ!? てかっ、そもそもお前っ、喋れたのかよ!」
「喋るさ。傷つくなぁオイ、オマエは無口なやつを見たら声が出せないって思うのか?とんだ偏見だぜ、ったくよぉ——なあ、赤梁連?」
「お前、どうして俺の名前を……っ?」
その時、デウス・エクス・マキナの甲冑が飛来する弾丸を弾き、カンッと甲高い音を立てた。
撃ったのはネームレスだ。アレンの後方で、なんとか立ち上がったパンドラを庇うようにしながら、黒鉄の騎士をにらんでいる。
「いきなり撃つなんてひでぇな。とんだ挨拶だぜ」
「いや、なに。いきなり名を呼ばれたもんで、うっかり引き金を引いてしまった。どうせ甲冑が弾くんだから無傷だろ?」
「オマエにもう人間の名前は無いだろーがよ。つうか今、関節狙ってただろ。おれがとっさに動かなければ、弾は甲冑の隙間に入り込んでた。油断も隙もねえなぁオイ」
「……それで? お前の方こそ、顔くらいは見せてみればどうなんだ。気になるなあ、弾丸の軌道を視認してとっさに着弾位置をずらすようなやつのご尊顔が。それとも目を見て話せないような恥ずかしがり屋か?」
「へえ。その口ぶり、オマエは察しがついてるようだな。まぁこんだけくっちゃべってりゃ当然かあ?」
甲冑の向こうで獰猛な笑みの気配がする。
どうやらネームレスは、その内側にいる人物に心当たりがあるらしい。
しかしアレンに確証はなかった。あるのはただ……奇妙な既知の感覚。その声はどこかで聞いたことがあるはずなのに、どこで聞いたのかは思い出せない。
どこか懐かしいような——そうでないような——
「いいだろう、くだらない余興はここまでだ! 刮目しろ、転移者どもにスワンプマン、そして管理者たちよ! 我が素顔を最期の網膜に焼きつけ、この舞台からご退場願おうか!」
ピシピシと音を立て、巨大な甲冑が崩れ始める。地に落ちる金属の欠片たちは、瞬く間にデータの粒子となって消え去っていき、その内側から人影が姿を現す。
大きな甲冑の人型に比べれば、彼は一回りも二回りも小さな体躯だった。
子どもというほどではない。しかし細身で、長身とも呼べない背丈。顔立ちもまだ若い。
「お前、は——なんで、そんなッ。そんなことがあってたまるか!!」
細い喉が裂けそうなほどに声を張り上げ、叫ぶアレン。だがどれだけ強く否定しようとしても、目に映るものは現実ではなくとも事実ではある。
デウス・エクス・マキナ。それは一般に『機械仕掛けの神』と訳される。
けれども、より原義的に言うのなら。それは。
『機械仕掛けから出てくる神』。
「なんでお前は、俺の顔をしてるんだよ……!?」
「去るのが惜しいと言うならば、このおれが舞台の幕を引こう。なにしろおれはデウス・エクス・マキナ、それこそが生まれ持った役割なんだからな」
赤梁連の姿をした男は、アレンとは似つかない獰猛な笑みに唇を歪める。
けれどそれは確かに赤梁連——現実でのアレンだ。
細かい点を指摘すれば、髪色は本当のそれよりもやや明るく、目の色や肌の色もやや薄いか。だがそんな些末な部分など気にならぬほど、肉体の造形があまりにも一致しすぎていた。
もはや疑う余地もなく。
あれは本来であれば、アレンの論理肉体だった。
「そういう——コトか」
「パンドラ?」
息を荒らげながら、パンドラがデウス・エクス・マキナ……赤梁連の姿をした何かを見つめる。
「デウス・エクス・マキナ。キミは本来、ただ世界を壊すだけのもの。管理者の命令を受ける舞台装置だ。自我なんてないし、自由になるカラダもない。だから……乗っ取ったんだね、自分だけのモノとなる肉体を」
「はッ、ご明察。残念だったなぁ、おれはオマエの思い通りになる道具なんかじゃない。オマエが役割を降りると言うのなら、おれが代わりを務めてやるよ」
「……だが、『世界を破壊する機能』の実行命令を下す権限は管理者たるボクだけにある。たとえその機能を有するキミ本人であろうとも、自分だけで実行するのは叶わないはずだよ。
確かに、今日まで慎ましく無口を貫いていたキミに人格があったのには驚いたけれど、ループを続けるのは不可能だ」
「不可能なんてねえよ、この世のどこにもな。なにしろここはゲームの世界だ。裏技、抜け道の類はいつだって存在するんだよ」
「なんだって……?」
怪訝そうに聞き返すパンドラだったが、デウス・エクス・マキナはそれ以上答えず、右手に銃を現す。正規の転移者ではないからか、それはボーナスウェポンではなく、店売りのありふれたピストルだった。
「アレンっ、一体なにが起きたの……あの男の人は? あんな人、どのギルドにもいなかったよね!?」
「あの銃、ボーナスウェポンじゃないね。転移者じゃない……まさか、ネームレスと同じで過去のループからサルベージされた存在?」
「あれはデウス・エクス・マキナだ。甲冑の中から現れた。見た目は俺と同じ——と言っても今の俺じゃないぞ、現実の俺だ。きっとあいつが俺の体を使ってるせいで、本物の俺がこんな体になっちまったんだ……!」
「ええっ!?」
騒ぎを聞きつけ、異変を察した転移者たちが駆け寄る。
ノゾミとユウは、アレンの言葉に驚いた顔を見せた。そしてそのそばでエルもまた、目を見開いたが——
それはアレンの言葉以上に、離れて佇むデウス・エクス・マキナを見たことへの反応のようだった。
天啓に打たれたかのごとく、旧管理者は黄金の眼差しで食い入るように見つめる。
同じ、黒い海よりの生還者を。
「またアレンちゃんの偽物ってわけだ。つくづく縁があるね、そういうの」
「オイオイ聞き捨てならねえなぁ。どう見たって本物だろ? く、ッはは、ははは!」
「ふざけんな、見た目だけだろ! どうやって奪ったのか知らないが、俺の体を返せ! おかげでこっちは散々だ!!」
「本当かぁ? むしろそのちんまりボディのおかげで結構助かったってこともあるんじゃないのか? 当たり判定も小さいだろ?」
「そんなこと…………」
アレンの脳裏をよぎる、今日までの熾烈な戦闘の数々。
「……………………ない!!」
「いや、すげー間があったぞ今。パチこいてんじゃねーよオイ」
「うるさいっ、精神的ダメージの方がギリ勝るわ! 偉そうにしやがって、この偽物野郎!」
「へえへえ、失礼しましたよ。しかし偽物、偽物ねぇ。どいつもこいつも同じことを……」
「いいや、事実なんだから異口同音は当たり前さ。別のループのアレンちゃんだったネームレスとは違って、キミは初めからアレンちゃんじゃない存在が成り代わっている。偽物の誹りは免れないよ」
「そりゃあ価値観の相違ってやつだなぁ、イレギュラー。おれにしてみればこの世に偽物なんざ存在しねえ。だってそうだろ? 偽物ってのは、言うなれば『本物の偽物』だ。
真贋とは相対的な観点でしかない。どんな贋作も、真作を基準にしているからこその贋作だ。ならばそれと同じように、贋作そのものを基準として考えるのであれば、それは立派な真作となる」
「……屁理屈をこねるのはアレンちゃんよりうまそうだね」
確信的な語り口に気圧されてか、そう反駁するユウの語気はいささか弱い。
アレンもまた、この世すべてが真であると臆面もなく宣う姿に呑まれ、とっさの言葉を失った。
それを見てデウス・エクス・マキナは満足げにうなずく。それからアレンたちから目を離すと、パンドラの方へと向き直る。
「そんなことよりオマエだ、パンドラ。先の一撃でオマエの権能は破壊した。気付いているだろう? くはッ、今のおれは廃棄物とはお友だちでね。たっぷり注入させてやったよ、クズデータどもをなぁ」
「……権能へのアクセス領域にデタラメなデータを流し込み、機能不全に陥らせる……ふん、大した特技を身に着けているじゃないか。ボクの命令を聞くだけの木偶の坊かと思ってたよー」
「強がるなよパンドラ。現管理者のオマエさえ抑えれば残った転移者なんぞおれの敵じゃあない。すぐにまとめて廃棄、投棄、回帰ってなぁ。とっとと『次回』へ駒を進めさせてもらうぜ」
パンドラに向け、一歩踏み出すデウス・エクス・マキナ。
それを阻むように、ネームレスが駆け出した。
「あいにく、助けるって言っちまったんでな。それに人の顔でよく喋る。誰の体だと思ってんだよ、この不法占拠者が」
「オイオイ、もうオマエの体でもねーだろぉ? 来いよ泥人形、目障りだ! 先にオマエから消してやるよ!!」
接近するネームレス、迎え撃つデウス・エクス・マキナ。
互いの手には一丁の銃——
それは第70層におけるアレンとネームレスの再演のようだった。互いの動きを読み合い、相手の射線を潰し、自らの射線を通すように踊る死線のワルツ。
ただし、配役は逆だった。
「おせえんだよノロマ。止まって見えるぜ」
「——、ぐ……!」
身軽な体を活かした、虚実入り混じるネームレスの動きをデウス・エクス・マキナは完璧に見切り、放たれる弾丸を紙一重で回避したうえ、ネームレスの額に弾丸を叩き込む。
衝撃にのけぞったネームレスは、勢いを無理に殺さず後転して距離を取る。その表情には焦り——それと、信じがたいものを見る驚き。
「今の、は」
「ン……なんだ。ぴんぴんしてんじゃねえか。チッ、やっぱふつうの銃じゃ威力が足りねーな。『アレ』のバフがあるとは言えど、か」
こともなげに息を吐く。
ネームレスと同種の感情を、アレンと、アレンをよく知るノゾミやユウも抱いていたに違いない。
なにせ今の、ネームレスの動きを読み切る力は——
「————『鷹の眼』……!」
ほかでもない、FPSプレイヤーとしてのアレンが持つ最大の資質だった。




