第105話 『舞台の終わり』
「なっ」
「一体誰が……ううん、こんなことができるのは」
銃弾が鎖の先端を撃ち抜き、その軌道を逸らす。鎖は制御を失ってべたりと地面へ落ちる。
驚いたのはアレンとパンドラの両方。振り向いた視線の先には、ややおぼつかない足取りで歩み寄る、碧い目をした姿があった。
「まったく詰めの甘い。テーブルに着かせるのなら、卓を返されない程度の対策はしておけよ。……まあ、管理者相手にそれができれば苦労はしないか」
ネームレス。縛られていたはずの彼は、片手に王殺しの銃を下げながら、なんでもない風に言う。
「助かった、けど……お前、どうやってあの鎖を? 無理やり壊すなんてできないはずだろ?」
「そ——そうだよ。ボクの『関数殺し』を解くなんて誰にもできやしない! キミ、一体なにを……!?」
「別になにもしてない。両手を縛ってた鎖なら、さっき勝手になくなったよ。よくわからないが、お前、権能を使い過ぎたんじゃないか?」
「あ……」
それはよほどのことだったのか、パンドラは息を漏らすと、今度こそ戦意を喪失したように肩を落とした。
「このボクが、いつの間にか上限数に達するまで『関数殺し』を……そこまで追い込まれていた、なんて」
アレンは雪原の第79層で、ユウがエルに発した問いと、その回答のことを思い出す。
『そうだね、あれだけのモンスターの動きを止めるくらいだ。そこいらのユニークスキルの範疇は超えている。鎖の本数はまだ増やせるのかな?』
『んー……30本くらいまでなら、出せる。それ以上は、古い順に、消える』
——古い順に消える。
30本というのはその時に言ったエルの上限だったが、ならば『今回』の管理者たるパンドラの上限は一体何千本だったのか。
ここまで屋上を逃げ回り、夥しい数の鎖を迎撃し続けたことで、限りなく底なしに近いその底に届いたらしい。
「役割を棄てることが間違いだと、お前はそう言ったな。立場を考えればそれは正しい。ループを止めることが、管理者の存在意義に反しているのは確かだ」
「はっ、ちょっと待てお前、どっちの味方だよ!」
「最後まで聞けバカ。ウスノロ。この糖分中毒者」
「言っとくけどお前それ全部ブーメランだからな……!?」
銃を下げたまま、無造作に近づいてくるネームレス。上体を起こしたパンドラの前で、その足を止める。
「だけど、俺もこいつのおかげで思い出したんだ。間違いのない人間なんていない。人は誰しもが間違うもので、そして間違ってからでも歩んでいける。いいんじゃないか、初めの一歩が間違いだって。踏み出さないよりはずっとな」
「キ、キミも……ボクを人間だっていうのか? アーカディアの、システムの産物である、このボクを」
「まあ、俺も今や同じようなものだ。お前によって廃棄物の海から引き揚げられた、かつての『アレン』の複製でしかない。そんな俺をこいつは認めた。だったら俺も、お前を認めるさ……お前子どもっぽいしな。すぐ怒るし」
「んなッ、最後のは余計じゃないかな! だいたい、キミが怒らせるようなことばかり言うから……」
この場で口論をしても仕方がない。パンドラは不満げにその唇を閉じる。
そして、考えるような素振りを見せてから、もう一度開いた。
「……ずっと、残酷な運命だって思ってた。管理者なんてのは究極的には、つつがなくループを進めるための部品でしかない。言うなれば、歯車と同じ……その歯車に過ぎないボクに、意識があって、感情があった。
最後は自分でループの命令を下して、廃棄されなきゃいけないのに。だったら初めっから、なにも考えられない本当の歯車になりたかった。そう何度も、何度も、泣きながら思った」
「パンドラ……」
重く吐き出される心情。アレンは、痛ましいその孤独に思いを馳せた。
ループを受け継ぎ、そして次のループへ進ませるための存在——
まるで死ぬために生まれたようなものではないか。
しかも、最後の引き金は管理者自らが引かねばならない。箱庭のすべてを巻き込んで、まとめて廃棄物の海へと沈む、定められた結末。末期が決まっているのならそれまでの過程においてなにをしても同じことだ。
ゆえにこそ、パンドラの表情の底にはいつも、名状しがたい暗い虚無が蟠っていたのだ。
「いいのかな。こんなボクが、こんなボクでも。生きていたいと……そう願ってもいいのかな。それがどうしようもなく、ボクの生まれた理由に反するのだとわかっていながら」
「お前がそうしたいのならそうすればいい。生きたいように、在りたいように進んでいくのが人間ってものだ。だけどもし、それで管理者の役割を棄てたお前を、誰かが許そうとしないのなら——」
ネームレスは地面に片膝をついて、パンドラに手を差し伸べる。
「——その時は、俺がお前を助けてやる」
その手を。銃を持つのとは逆の左手を見つめて、パンドラは瞳を丸くする。それが自分に向けられたものだとわかっていないかのように。
「助ける? なんで……ボクは、キミを酷い目に遭わせたのに。身勝手に、目的のためにキミをサルベージして、道具のように扱ってきたのに……」
「は」
苦笑を浮かべる、名を欠いた彼。しかしその表情は往時の、彼がまだ転移者IDを持っていた時とそう変わらないものだったに違いない。
「俺も自分のループでバベルを攻略してた時は、自分自身を機械部品かなにかのように思っていた。攻略のためにモンスターを倒し、さらには攻略を阻む転移者を倒す、戦闘のための機械。だからかな、ほっとけないんだよ、お前のそういうところ」
「親近感ってこと? ……ふふ、ヘンなことを言うね。人間のくせに、ボクにそんなものを覚えるなんて」
「いいだろ別に。主従関係は解消だが、雇用関係は継続。それでどうだ? 前にどこかでそんな話したろ」
「どうだ、もなにも」
ネームレスを見上げ、パンドラもまた微笑を浮かべる。そしてようやく、差し伸べられたその手を取った。
「ありがとう……ボクを認めてくれて。同じだって言ってくれて」
瞳が輝く。そう見えたのは金色の目に涙がにじんだからだと、遅れてアレンは気付いた。
——夜空に浮かぶ月のようだ。
丸い瞳になんとなくそんな連想をする。この天上に月はなく、瞬く星も偽物だけれど、その輝きは尊く、美しかった。
「パンドラ。じゃあ、ループは止めてくれるのか?」
「……うん。ループの実行はしない。キミたちも現実に帰すよ。改めて、キミもありがとう、アレン。どうなるかわからないけれど、ボクも生きることを目指してみる。間違っているとわかったうえで、この道を歩んでみる」
ネームレスの手に引かれて立ち上がったパンドラが、目じりを拭いながらはにかむ。
ループの実行はしない。現実に帰す。はっきりと明言された言葉に、アレンは思わず跳び上がりそうになった。
長い道のりの果てに、ようやく目的を果たしたのだ。
「そうか……! みんな、戦いは終わりだ! 現実に帰れるぞ!」
遠巻きに様子を眺めていた仲間たちへ振り返り、アレンは大声で叫ぶ。
すると、おお——とすぐに大歓声が返ってきた。
和解は果たされ、転移者と管理者ともに犠牲は避けられた。これ以上の結果があるだろうか。
張りつめていた緊張が解け、皆が武器をインベントリに仕舞い、気が早くも祭りのように騒ぎ始める。
「よかったね、アレン」
そんな中、誰かが喧騒から抜け出てアレンのそばに駆け寄ってくる。
見まごうはずもない。ノゾミだった。
「ああ……最上の結果だ。なんだか、最後はあいつにいいところを持っていかれた気もするけどな」
「あははっ。でもやっぱり、ネームレスもアレンだったんだね。さっきの見てて、改めて思っちゃった」
「え?」
「だってそっくりなんだもん。ゲームオーバーレコードの前で、わたしのこと、助けるって言ってくれた時と」
きょとんとするアレン。意外だと言わんばかりの表情を見て、ノゾミはくすりと笑う。
親愛をこぼすような、隣人に向ける笑み。
「自分じゃ気付かないものなのかなぁ? あーでも、ちょっぴり残念かも」
「残念? なにがだよ、必要以上の戦いをせずに済んで、現実にも戻れる。全部丸く収まったじゃんか」
「それはもちろんうれしいよぉ。でも、さっきのネームレスを見て思ったの。あの時のアレンは、わたしだから助けてくれたわけじゃないんだなーって」
笑顔に少しばかりの意地悪さを乗せて、流し目を送る。
——なるほど、そう出てくるか。
そのからかいを込めた視線を受け、アレンは平然と言った。
「あの時はそうだな。だけど今は、誰よりノゾミを優先するつもりだ」
「……えっ!?」
ぼっ、と擬音が出そうなほど、顔を赤くするノゾミ。
返し刀の効果はてきめんだったらしい。ノゾミは「まって」「どうしたの急に」「アレンがいつもと違う!」とわたわた慌てふためいた挙句、一同のもとへ脱兎のごとく逃げていった。
「…………ふぅーっ、今日は俺の勝ちだな。いつもからかわれてばかりだと思うなよ」
ノゾミの背を見送ると、アレンは息を吐き出す。すると同時に、なんとか表情に出ないよう押し留めていた気恥ずかしさも口から漏れ出た。
平気な顔をしていたのはやせ我慢なのだった。
「おいアレン。パンドラによれば、転移者を現実に戻す処理には時間がかかる。手間はかかるが『今回』で生存してる転移者には記憶の引継ぎもさせてやりたいんだとよ。今のうちに順番とか決めて……なんだお前、顔赤くないか?」
「き、気のせいだろ。なんでもない。それより、記憶の引継ぎ?」
ごまかすように聞き返すと、ネームレスは本人に聞け、と言わんばかりにパンドラの方を促す。
「パンドラ。現実に帰った時、記憶は残らないのか?」
「キミたちは残る。残るようにするよ。でも、『今回』でゲームオーバーになった人たちはどうしようもない。廃棄物の海に沈んでほかのデータといっしょくたになっちゃったから、個々人の記憶だけを選別して復元するとなると……数十億年の時間か、数千倍の計算資源が必要になる」
「え? その口ぶりだと、ゲームオーバーになった人たちも、記憶は残らないにしろ帰れるってことか?」
アレンの疑問に対し、パンドラは優しく微笑んだ。
「うん。ゲームオーバーになったとしても、大元の意識は無事だよー。そうでなければループごとに復活させることもできないでしょ? 世界を新生させるたび、キミたちは大元の意識から複製されてるんだ。
ボクはアーカディアに囚われた全員の意識を解放する。キミたち生存者は、その前に今の意識をインストールしてから目覚めさせる。そう約束するよ」
「そうか……! じゃあマグナさんも!」
——それに、ノゾミの友人だったという、リーザとかいう子も。
アーカディアの中の出来事こそ記憶のうちから消えてしまうにしろ、ゲームオーバーになった転移者たちも現実に帰れるというのは、良い知らせだった。
「みんな、本当に死んでしまったわけじゃなかったんだな。それに俺も、『今回』のことは覚えていられる。ありがとうパンドラ」
「礼を言われるようなことじゃないさ。ボクは正真正銘、キミの敵だったんだ。キミたちがこの理不尽な箱庭をクリアしただけだよ」
「はは、ゲームクリアってことか。そりゃあいい。何度もコンテニューしてようやくってところだな」
「なにせ65535回目、だからね。ふふふ」
アレンとパンドラ、ふたりして笑い合う。
転移者と管理者。幾度とないループの果てに、立場を超えた、奇跡のようなこの関係が紡がれたのだ。
「もしキミが望むなら、最初にキミを目覚めさせてあげるよ。今からでもね。大丈夫、アーカディアの時間は現実と同期させていない。現実じゃあせいぜい一ヶ月から二ヶ月ってところだよ」
「そうなのか、それも朗報だな。……しかしパンドラ、ふと気になったんだが、俺たち全員を現実に送り届けたあと、お前は——」
念願のゲームクリア。ラスボスは倒さず、されど和解できた。
誰もが浮き足立っていて、それはアレンも例外ではなかったし、パンドラもループ実行という重い役目を下ろしたことで、開放感に気が緩んでいたのは否めまい。
戦闘の緊張が解け、弛緩した空気。戦勝の高揚。
それらを引き裂くように。地の底から響く音を思わせる、男の声がした。
「あーあ。結局、そうなっちまうんだな。オマエはさぁ?」




