第104話 『意志を宿すもの』
パンドラはアーカディアが作り出したAI、機械知性であり、いかに人間と同じようにふるまっていてもその起源には大きな隔たりが存在する。
目的の有無。
基本的に、人間が生まれるのに特別な理由などない。子にかけられる期待はあれど、通常の生まれであれば強制力はさしてない。なんとなく生まれて適当に生きるばかりなのが人間だ。
ゆえに、誰もが人生という一冊の本に、なんらかの意義をラベル付けする。ほかならぬ当人が。後天的に意味を、意義を獲得する。
対し、機械とは目的ありきで造られるもの。
ラベルが先にある。存在はそのあと。
ならば機械が人間的知性を宿した時、そのアイデンティティは、前もって与えられた役割をこなすこと——生誕の目的を至上とするのではないだろうか。
「だからって自分ごと世界を消すなんて、そんなことはしなくともいいはずだ……! 自滅するのが役割なら、そんな役割は棄てるんだ!」
「棄てられるもんか……! 投げ出せるもんか! これがボクの存在意義だ。これを否定するのは生まれた理由に背くことだ。認めてたまるか、そんな間違いを!!」
アレンはなんとか接近の隙を見つけようとするが、パンドラは癇癪を起こしたように『関数殺し』を実行し、回避行動を強いられるせいでとても距離を詰めることは叶わない。
しかしあのムキになった姿こそ、パンドラの深奥に触れられた証でもある。
(あの鎖をかいくぐって、より深く言葉を届かせるには……『アレ』しかないか。最後の博打、せめて威勢よく張らせてもらうぞ)
生きたいと願う心と、役割を果たさねばと奮う心。
背反する二律。
おそらくは、記憶を失くす以前のエル……『前回』の管理者も同じような矛盾を抱えていたのではないか、そうアレンは考えている。
前々回も、その前も。
65535、この月のない藍の夜空に瞬く星の数だけ、箱庭の舞台は空転した。アーカディアのすべてが廃棄物の海へ沈んだのだ。
それはすなわち、65535人の管理者が、ループを実行したということでもある。
『今回』のパンドラと同じように、生存と使命を天秤にかけ——
全員が役割に殉じた。機械たらんとするように。
その事実を思うと、やり場のない、怒りにも似たものがアレンの胸に去来した。
「——ユウ、エル! 『アレ』だ!!」
「……追いかけっこにも飽きた。なにかするつもりなら、受けて立つよ」
感傷めいた気持ちを振り切り、最後の賭けに出るべく、地上の仲間へ手を振って合図をする。
あからさまになにかを画策する姿にパンドラは警戒をにじませ、アレンの背中越しに、遠く地上の一同を注視する。
ジャリリリリリリリリ——
そこから鎖の音が地上から響き、漆黒の鎖が飛来する。アレンたちに向けて一目散に。
「今さら、『関数殺し』の一本なんて……いや、あれは……!?」
パンドラが警戒を強める。それも当然だ。
鎖の先端には、なんらかの球体じみた——よくよく見れば楕円体らしきなにか——が布を被せられた状態で括りつけられている。
明らかになんらかの策。ゆえに、注視するのは道理。
「既に術中ってな。いけっ!」
エルの操作によるものか、鎖は空中で自然とほどかれ、そのスイカ大の楕円体が宙へ放り出される。すると被せられていた布も拘束が失せたことで、空気抵抗によりひらりとあらぬ方向へ飛んでいく。
露わになったその内側には——白い、卵のようなもの。しかし上の方にはうねうねとした、太い毛のような組織が何本も見られる。
アイテム? 否。
それはまだ生きている。HPを保っている。
「メデューサエッグ。第78層よりお届けだ、石化光線を喰らってみろ!」
「モンスター——!? バカなっ、第100層まで運んできたっていうのか!? なんて型破り……!」
轟音とともに王殺しの銃が火を吹く。弾丸の狙う先はパンドラ、ではなく。
宙へ放り出されたメデューサエッグ。
被弾したそのモンスターは、ピシリと殻の割れる音を立て、その中からまばゆい閃光を発し始める。
射撃と同時にアレンは目をつぶっている。地上の仲間たちも、事前に策を知らせておいているため、同じく目を閉じたり真下を向くことで対策済み。
だがひとりだけ、不意を突かれ、警戒から布の中身を注視していたパンドラだけは、眼球を焼く石化光線を真っ向から浴びてしまう——!
「くっ……まぶし、い、けれど!」
突如の閃光にパンドラは目をぎゅっとつぶり、手で壁を作る。
その体は、どこも石になってなどいなかった。
「管理者を舐めるなよっ、ボクに状態異常なんて効かないさ!! あはははははッ、残念だったねぇ! 確かに意外性はあったけれど、しょせんは浅知恵、このボクの前には——」
「いいや、十分だ」
眼下の少女に、アレンは短く言い捨てた。
「——上っ!?」
「たった一瞬、視線を遮られればそれでよかった。隙を作ることさえできればな!」
もとより、埒外の存在である管理者に石化が通用するとは思っていない。だが、光を浴びれば目を閉じる。そんな肉体の反射までは覆せまい。
メデューサエッグは単なる目くらまし、FPSゲームにおける閃光手榴弾と同じだ。
その隙をついてアレンは『ブラストボム』の爆風で前方へ飛び、一気にパンドラの頭上を取ったのだった。
「い、簡易障——」
「遅いっ!!」
権能の壁を出そうとするパンドラ。それはもしアレンが視野の外からの射撃を目論んでいたのなら間に合っただろう。
しかし、アレンの狙いは攻撃ではない。
「わっ……な、なにを……待てっ、放せ!」
「お断りだ。言ったろ、無理やりにでも言い聞かせてやるってな!」
「こんなの無茶苦茶だっ、うわッ——待って、わ、わわっ」
キングスレイヤーをあろうことかインベントリに収めたアレンは、慣性のまま、肩を抱くようにパンドラへ飛び付いた。
バランスを崩したパンドラは、うまく浮遊できなくなり、ふらふらと空中をさまよいながら下降する。さながら制御を失った航空機が地上へ墜落していくように。
「くっ——ううっ」
パンドラは下敷きになる形で、アレンもろともそのまま地面に叩きつけられる。自由落下ほどの勢いではないが、高所から落ちたことによるダメージは生半可ではない……通常ならば。
レベル500相当のステータスを持つパンドラであれば、大した手傷ではないだろう。
それを理解しているアレンは、身を離すことなく黄金の瞳を見つめて言った。
「パンドラ! たとえ存在の理由に背くとしても、生きたいと願うのは当然の権利だ! そんな当たり前のこと、いい加減気付けっ!」
「うるっ……さい! そんなのは人間の理屈だ!! ボクは管理者だ、アーカディアに作られた孤独な機械知性じゃないか……!」
「お前だって人間だろうが!!」
双眸が見開く。そこに浮かぶ感情は——驚愕と困惑。
だがそれだけではない。
「生きたいと願って、でもやらなきゃいけないことがあって葛藤する。そうやって悩む気持ちが、揺れる心があるんだから、お前も俺たちとおんなじだ。不完全で迷いを抱えた、どこにでもいる人間だ!」
「同じ——ボクが? 人間と、キミと——キミ、たちと?」
かつて、『今回』にも似たジレンマを抱えた少女がいた。
少女はゲームオーバーの奈落へ落ちることに怯えながらも、自身のユニークスキルが抗争の火種となるのを避けるため、自ら消えようとした。
相反する願望。生きたいと渇望しながらも、消えねばならないのだと絶望する。
その葛藤を抱えること自体が、先天的な役割のみに左右されない、自らの意志を持つなによりの証明である。
「そうだ。出自なんて関係ない。お前って存在を決定付けるのは、他人や環境が与えたものじゃなく、お前自身の考えや思いのはずだ。管理者として生まれたとしても、どうやって生きていくかは自分で決めていいんだ」
「だとしても……それは間違ってる。役割のために生まれたのに、その役割を棄てたらボクにはなにも残らない。そんなボクに意味はない! 全部間違いだ、ボクを惑わせることばっかり言うなっ……!!」
「おい、だからそれが——」
「うるさい、うるさい、うるさいっ!! もう黙れ、黙ってよ! 実行、『関数殺し』っ!」
もはや駄々をこねる子どものように、パンドラは権能を行使する。
放たれた鎖はわずか一本。
けれど、アレンの手には既に銃がなく、防ぐ手立てはない。
(回避……間に合わないか!? くそっこの駄々っ子め、話してる途中だってのに……!)
不意を突かれたこともあり、回避不能と『鷹の眼』が結論を出す。それでも捕まるわけにはいかず、アレンはなんとか体を逸らそうとする。
そこへ、誰かの銃声が轟いた。




