邂逅
「誰……ですか」
リディオノーレは警戒心剥き出しで杖を抜いた。
見たことはない。敵対心は感じないが、どこか人ではない感じがする。
「まだ名乗れない」
その青年は面白そうに彼女を見つめてそう答えた。
「名乗れないなら攻撃します」
リディオノーレは杖を構え直す。
「その杖では無理だな」
青年は笑いながら言って、腕を振った。
すると突風が吹いて、持っていた杖が折れた。
リディオノーレは目を瞬いたのち、目の前の青年を睨みつけた。
「我は敵ではない」
「敵じゃないと言うなら、杖を折らないで下さい」
リディオノーレは睨んだまま答えた。
「ちょっとお主と話がしたかっただけなんだが」
「名前も言えない人と話すほど私は馬鹿ではないですよ」
「仕方ない。我のことはイルと呼べ」
青年は本当に仕方なさそうに答えた。
「では、イル様。あなたは一体何者ですか」
リディオノーレは用意していた魔法陣を描いた紙を取り出して尋ねた。臨戦態勢である。
杖があと一本しかないくせに戦おうとしている彼女に、イルという青年は面白そうににやりと笑う。
「お主と話すときがないものだから、こうして出向いただけだ」
イルは唇の端を上げる。
距離的には大股で3歩くらいだろうか。
遠いようで近い。
「何用ですか」
「グレイと離れて1人になるのがこの時しかなさそうだったのでな」
またにやりと笑われる。
「グレイ……とは、グレイザック様ですか」
「そやつ以外に誰がおる」
イルが呆れる。
「グレイザック様とどういったご関係ですか」
更に眉間に皺が寄るリディオノーレ。
「もうかれこれ、何年だったかな…」
イルは記憶を辿るよう仕草をするが、完全にフリである。微塵も考えていなさそうだ。
「あー………、あいつが気付いたな」
イルが頭をぽりぽりと掻きながら楽しそうにしている。困っている仕草なのに全く困っていないように見えるのは気のせいではないだろう。
「ほんに察しが良い。見つかる前に消えるとする。リディルレーネ、また会おう」
イルはにやりと笑い、手を軽く振った。
突風が彼女にぶつかってきて思わず目を瞑る。すると、額を軽く弾かれ、思わず体が後ろに傾いた。
「リディっ!!!!」
彼女の名前を呼ぶ大声が聞こえた。その声を遠くに聞きながら、彼女は意識が遠くなるのを感じた。
リディオノーレがイルと話している時、彼女以外は幻覚から逃れることができ、採集を始めていたところであった。
グレイザックはリディオノーレが靄の中から現れるのを待っていた。何故か彼女だけ引き剥がされたのだ。フェルバールが慌てていた。でももう仕方がない。幻覚さえ逃れることが出来れば、靄は晴れるので、彼女を待つしかないのだが。
「……!?」
あらぬ気配を感じ、グレイザックは目を見開いた。
「まさかっ!?」
まだ残る靄の場所を見つめる。
やはり、そうだ。
ち!とグレイザックは大きめな舌打ちをした。
「どうされましたか?」
フェルバールが尋ねる。
「無理矢理介入してくる。お前たちは待機だ」
グレイザックが焦った顔で、残る靄の場所に足を踏み入れた。
一瞬で周囲が見えなくなるが、気配を辿る。
確実にあいつだ。
グレイザックは気配の主に確信をもつと、周囲が見えないのにずんずん突き進む。
「この!何しに来たっ!」
グレイザックは喚く。
すると突風が吹いた。
「面白そうな娘ではないか」
彼の耳元で風が囁いた。
「っ!!!」
グレイザックは声がした方を睨みつける。
「我に杖を向けてきたぞ。故に一本折ってしまった。詫びにこれをやろう」
何も見えないところから、グレイザックの手に魔石が現れた。
それは象の魔石だった。
「っ!」
バッと振り返るが誰もいない。靄が急に晴れていき、後ろに倒れこむリディオノーレを視界に捉えた。
「リディっ!!!!」
グレイザックは大声で叫び、倒れこむ前に彼女を受け止める。
「ち」
また舌打ちをしてしまう。
まさかこの場面で接触してくると思っていなかった。
誤算だった。
靄が晴れたので他の皆も一斉に駆け寄ってくる。
「……っ」
グレイザックの腕の中で、リディオノーレが目を覚ました。
リディオノーレは彼女を抱き止めているグレイザックを見て、目を瞬く。
「……大丈夫か」
グレイザックの目が動揺している。
彼女は目をもう一度瞬いて、頷いた。
「何があったのですか!」
サムエル達も声をかけて覗き込んでくる。
リディオノーレはグレイザックに支えてもらいながら、ゆっくりと体を起こした。
「……何の幻覚を?」
サムエルが心配している顔を向ける。
「………?」
そう質問されて、彼女は少し首を傾げた。あれは幻覚だったのだろうか。
「思い出さなくて良い。忘れろ」
グレイザックは苦々しげに呟き、額に手を当てる。
「熱もないな。何かされたわけじゃないんだな」
安堵の息を吐くグレイザック。
「???はい」
彼女は首を傾げたまま頷いた。
「採集はほぼ終わった」
グレイザックは手を引っ張り、立たせてやりながら話す。
確かに足元の花を見てみると、萎れている方が多い。
「まあひとつくらい経験しておけ」
グレイザックはまだ萎れていない花を顎で指す。
「グレーク」
グレイザックはムナグレークを呼んで採集を任せる。
リディオノーレは彼について、まだ咲いている花のところにしゃがむ。
「ここに蜜が入っていますので、ここに空瓶を用意し、このように採ります」
ムナグレークが丁寧に説明してくれる。
彼女もその通りに採集してみる。
「できました!」
彼女が嬉しそうに叫ぶとグレイザックはその蜜が入った瓶を手に取る。
「では戻るぞ」
またグレイザックを先頭に来た道を戻る。
ふと上を見上げると、真紅だった月が普通の月の色に少しずつ変化していた。
城にこっそりと戻るとリディオノーレはグレイザックに引っ張られた。
「お前らは後からで良い。先に戻る」
他の者にそう言い放つと、グレイザックは彼女の部屋へとずんずん進む。
部屋の中に入ると彼は何やら呪文を唱えた。
「これでこの中での会話は外に聞こえない」
グレイザックはそう言って椅子に座る。
リディオノーレは寝台に腰を下ろした。
「靄の中で何を見た?」
そう尋ねるグレイザックはどこか焦っている顔をしている。
「??銀色の髪をした若い男性を見ました」
その答えにグレイザックは盛大な舌打ちをした。
かなり機嫌が悪そうである。
「何を言われた?」
「特に何も。私と話をしてみたかった、と言われたくらいです」
その答えにまた盛大な舌打ちをするグレイザック。
「ど、どうしたんですか。あれは幻覚ですか?」
あまりにも機嫌が悪いのでリディオノーレは恐る恐る尋ねる。
「………そうだ。幻覚だ」
グレイザックは彼女の目をまっすぐ見て言い切った。
「あれは幻覚だ」
彼はもう一度告げる。それはもう真剣な目で。
彼が幻覚と言ったら幻覚なのだ。
「分かりました」
素直に頷くリディオノーレ。
彼が今語らないのだから聞いてはいけないのだろう。
「やけに素直だな」
少し眉が上がるグレイザック。
「何となく、そうした方が良さそうだと思ったので」
その答えに満足したのか、彼は表情を緩めた。
「今日はよく休め」
もう日が変わっている。彼は立ち上がった。
明日には魔獣狩りを控えている。
それに幻覚魔法にかからなかったのは良かった。粛清の一件は、思い出すにはあまりにも酷だろう。
「……あ、杖が一つ折れました」
リディオノーレは悔しそうにそう告げた。これでは魔獣狩りに参加できないかもしれない。
不意にグレイザックは彼女の左頬を引っ張った。
「??」
悔しくて俯いていた彼女はグレイザックを見上げる。
「杖はどうにかするから大丈夫だ。心配しなくて良い」
グレイザックは軽く彼女の額を弾く。
「ゆっくり休むこと。それがお前のやることだ」
グレイザックはそれだけ言うと、部屋にかけていた魔法を解いて、去って行った。
扉の外にはフェルバールとバルデミアンが待機していた。
「今日はよくやった。交代できちんと休めよ」
グレイザックは2人にそう言って自室に戻っていく。
今から杖の調合をしなければならない。器具を借りなければ、と思いながら彼は歩を進めた。




