淑女教育の約束
「ティア、何を言ってる」
アブストールがこぼした水を慌てて拭きながら言った。
「だって、リディが女を捨ててるんですもの」
グレティアーナが拗ねたように呟く。
「新婚夫婦の邪魔をするわけにはいかないので、私のことは気にしないでください!!」
リディオノーレは慌てて止める。
「何の邪魔になるのよ。あなたどうせ、夜はグレイザック様の所に帰るんでしょう?なら、何の邪魔にもならないわ」
グレティアーナが答えた。
どんな邪魔になるのかリディオノーレは言わなかったのだが、グレティアーナは正直にそう答えた。
その正直な言葉にアブストールがまた噴き出す。
グレティアーナはリディオノーレの頭に手を置きながら口を開いた。
「そう言えば、リディをお世話してくれる女性はいなかったのよね……」
グレティアーナはしみじみと呟いた。
叔父家族がカルムクラインを継いでからは、自分のことは自分でしないといけなかった。
そのとき9歳。
そして、10で引き取られ、そこからは男所帯のところにいたのだ。
身なりなんて最低限で良かった。
「1週間ほど預かろうかしら」
グレティアーナは言う。
「い、1週間も何する予定ですか」
リディオノーレは顔が引き攣る。
「淑女教育よ。受けてないでしょう?」
グレティアーナはにこりと微笑んだ。
「げ」
リディオノーレがじりじりと彼女から距離を取ろうとする。
「い、いりますか?」
「もし領主夫人になったり、地位の高い所に嫁いだら絶対に必要になるわよ」
「っ。そ、その時でいいんじゃないでしょうか」
リディオノーレはそう言って逃げようとしたが、グレティアーナに頭を鷲掴みにされた。
「ティ、ティア様?」
「ねえ、リディ」
グレティアーナは微笑みかける。
「グレイザック様の隣に並ぶなら、それくらい必要よ」
その言葉にリディオノーレは目を瞬いたのち、真剣な顔でグレティアーナを見た。
「やります」
リディオノーレは答える。
上手い、とケネス達は思った。
リディオノーレのやる気を一言で起こさせるなんてなかなかの腕である。
「グレイザック様の為になら、やるでしょう?」
グレティアーナは微笑んだ。
「はい」
リディオノーレは即答する。
「ほら決まり。まあとりあえず今日は一旦帰ってグレイザック様に話を通しておいてちょうだい。私からも手紙を書いておくから渡してちょうだいね」
グレティアーナは話を終わらせて、リディオノーレの両肩を押す。
「食事が終われば帰るんでしょう?」
「はい」
リディオノーレ達はさっさと食事を終わらせて、グレティアーナからの手紙を持ってアラウィリアを発った。
「グレイザック様」
帰領して昼食を食べた後、皆でお茶を飲みながらリディオノーレは話しかけた。
そこにはケネスとサムエルも同席している。
「何だ」
「あの、グレティアーナ様の所に1週間ほど泊まっても大丈夫でしょうか」
リディオノーレはそう言って、グレティアーナから預かった手紙も見せた。
「最近は急なことばかりだな」
グレイザックは眉間に皺を寄せてその手紙を受け取った。
「くくっ。いいぞ。行ってこい」
手紙を読んだグレイザックは、笑いながら許可を出した。
「何で笑うんですか」
リディオノーレは唇を尖らせた。
「サムエル、読んでみろ」
グレイザックはサムエルに手紙を渡す。
サムエルは受け取って中身を読むと、グレイザックと同じように笑った。
「良かったじゃないですか。淑女教育は必要ですよ」
サムエルはリディオノーレに微笑みかけた。
「………そりゃ、やりますけども」
リディオノーレはちらりとグレイザックを見る。
グレイザックの隣に並ぶなら、淑女教育は必要だと言われたらやるしかないけれど。
「シャーリネーヴェ様は上級生で忙しいですしね。グレティアーナ様が教育して頂けるならそれは願ったり叶ったりですよ」
サムエルは言う。
「確かに助かる。殆ど付け焼き刃の見様見真似だからな。今からお前がどこまでの地位にのぼりつめるか分からんし、やっておいた方がいい」
グレイザックも言う。
「私は騎士団長です。そして、師匠が宰相です」
リディオノーレは言った。
あの時の話はグレイザックは聞いてない体なので、少し驚きつつ返答する。
「お前に騎士団長が務まるのか?」
「が、頑張ります。魔法の天馬合戦なら誰にも負けません」
「俺には負けるだろ」
グレイザックは唇の端を上げる。
「勝てますよ!あの時は杖が先に限界来たんです」
リディオノーレは頬を膨らました。
「ふ。よく言う」
グレイザックは意地悪な顔をする。
「ぅわー!久々にその顔見ました。くそー!魔法で天馬合戦しましょう」
リディオノーレは言った。
「いいぞ。俺が勝つけどな」
グレイザックは意地悪な顔で笑う。
「言いましたね!絶対やりますからね!学院に帰るまでに1回はしましょう!」
「お前も二言はないな?お前が負けたら何してくれる?」
「私は負けません」
「俺がもし負けたら、海に連れてってやろう」
その言葉にリディオノーレは目を輝かす。
「では、もし私が負けたらグレイザック様に有り金はたいて収納魔法の袋を贈ります」
「お。言ったな」
グレイザックはにやりと笑った。
「お2人で盛り上がってる所悪いですが」
サムエルが1つ咳払いをしてから口を挟んだ。
「アインズビルでは出来ませんよ。色々破壊されてしまいますので」
「では、アラウィリアですね」
リディオノーレは答える。
「リディ、アラウィリアに迷惑をかけすぎです。これ以上はいけません。今までも充分に訓練場を破壊していますからね」
サムエルに言われ、リディオノーレは拗ねる。
「じゃあどこですればいいんですか」
「今はまだ出来る所はございません。もし、したいのであれば、2人で結界を張った訓練場をつくって下さい。毎回破壊して、修復してたら魔力保ちませんよ」
サムエルは呆れている。
「………じゃあ、いつになっても出来ないじゃないですか」
「つくればいいんだな?」
グレイザックは尋ねた。
「グレイザック様、それは全てが終わってからでお願いしますね」
サムエルはにこりと微笑んだ。
「その時はお2人の好きなようにして構いません」
「………くく。サムエルにこう言われちゃ、反論出来ないな」
ケネスが笑う。
「リディ、当分無理そうだ」
グレイザックは苦い顔で言った。
「そうですね。サムエル様のあの微笑みに勝てる気がしません」
リディオノーレは頷く。
「相変わらず口煩い」
グレイザックはそんなことを言う。
「知ってますけど、そんなこと言ったら後が怖いですよ」
リディオノーレは椅子を持ってグレイザックの隣に移動する。
「またいつか、つくりましょう」
リディオノーレはグレイザックにそう言った。
「そうだな。そうしよう」
グレイザックは彼女の頭に手を置いた。
お茶が終われば、ケネス以外は執務をこなす。
グレイザックはやはり、領主側近として執務をこなすことの方が多い。
なのに、皆が寝静まってからルーグアの研究などしていたら、疲労が取れないに決まっている。
リディオノーレはリディオノーレで、例の商人の娘と会う日にちが決まったので荷造りをしていた。
アラウィリア滞在中の間にその商人の娘と接触するつもりである。
「夜は淑女教育で疲れてなければ帰ってこれると思います」
リディオノーレは布団の中で寝転びながらグレイザックに告げる。
「無理はするな。眠たいときは寝ておけ。わざわざ魔力を使うな」
「………ですが、寂しいでしょう?」
リディオノーレは言う。
「それはお前だろ」
グレイザックは自分の長椅子に座って読書していた。
「当たり前じゃないですか」
リディオノーレは何をそんな当たり前のことを言っているのか、と睨む。
相変わらず正直すぎる娘である。
「分かった分かった。俺も寂しいから、疲れてなければ帰ってこい」
「はい」
その答えにリディオノーレは微笑んで、目を閉じた。




