海
「もうすぐ渓谷を抜けて、海に出ます」
隘路、樹海、洞窟、魔獣の巣穴をいくつもくぐりぬけ、そして荒天もありながらも無事に渓谷を抜けた。
ディールと出会ってから早5日のことだった。
当のディールは最後尾をひたすらついてきていた。
ここまでついて来られるとリディオノーレも愛着が出たのか、背中に乗せてもらったりするようになっていた。
渓谷を抜けた瞬間、天気が思いきり晴れてリディオノーレは感動した。
「ぅわああ」
一面海だ。海。海。海。
リディオノーレは駆け出す。
「こら!」
グレイザックは慌てて追いかける。
無鉄砲にも程がある。
リディオノーレは靴を途中で脱ぎ捨て、裾を捲り上げ、勢いよく海に入って行く。
「冷たーーーっ!!!」
リディオノーレは大はしゃぎだ。
「こら!風邪ひくだろ!」
グレイザックは波打ち際で止まり、怒りの声を上げる。
「いいじゃないですか!」
リディオノーレは両手で水をすくってグレイザックに向かってかけた。
「………」
頭から水をかぶったグレイザックは、少しの沈黙のあとにこりと微笑んだ。
「あ……」
やばい。
あの微笑みはやばい。
リディオノーレはそう思ったが、もう後の祭りである。
なので、もうやけくそだ。
もう一度水をすくうとグレイザックに思いきりかけた。
「………リディ」
グレイザックも裾を捲り上げ、海に入ると水を彼女に思いきりかける。
「冷たっ!」
リディオノーレは髪の毛が濡れたので、ぶるぶると頭を振る。
「やりましたねー!」
リディオノーレはグレイザックに向かって、更に水をかけまくる。
グレイザックは彼女のしたいようにさせてやり、彼女が疲れたところで問答無用で担ぎ上げ、海から引き上げた。
「サムエル、乾燥させてくれ」
グレイザックは彼女を肩に担いだまま、サムエルに乾燥魔法をかけてもらった。
そこでようやくリディオノーレをおろすと、彼女の額を弾くグレイザック。
「興奮するのは分かるが、危険すぎる」
グレイザックが説教する。
「だって海ですよ?入りたいじゃないですか」
リディオノーレは唇を尖らせた。
その表情にグレイザックは再度額を弾く。
「何が出てくるか分からんだろう。海ならまた来ればいい」
「!!本当ですか!?」
リディオノーレは目を輝かす。
「………いつになるか分からんが」
グレイザックは視線を逸らして答えた。
リディオノーレはグレイザックの顔を両手で挟み、自分の方に向かせた。
「絶対にまた連れてきてくださいね」
リディオノーレはまっすぐグレイザックを見つめてそう言った。
「約束ですからね」
彼女は言葉を重ねる。
「………」
グレイザックは無言。
「約束です」
リディオノーレはそれだけ言うと、少し悲しそうな顔で手を離した。
彼女は地面に座り込むと「はぁ…疲れた」と息を漏らす。
水をかけまくるのは案外疲労した。
座り込んだリディオノーレにディールは擦り寄ってくる。
顔を舐められたリディオノーレは、くすぐったいと言いながら楽しんでいる様子だった。
「鯨が出ると思うか」
じゃれ合う1人と1匹を横目に、グレイザックはサムエルに問うた。
「それは何とも言えません。どれくらいまで待機の予定ですか」
サムエルが逆に尋ねる。
「1週間だな。それ以上待って出なければ、帰る」
「ええええ」
聞いていたリディオノーレが抗議の声を上げた。
「執務は心配しなくても大丈夫ですよ」
「それは心配していない。お前宛てにそろそろたくさんの手紙が届いているんじゃないか」
「私ですか?」
リディオノーレは立ち上がって、首を傾げる。
ディールは彼女の足元に座り込む。
「そろそろあの脳筋の妹がやばそうだがな」
「ティルのことですか?」
まさにグレイザックの言う通りである。
「学院が始まったばかりで補講続きの奴なんてやばいに決まってる」
グレイザックが嘲笑する。
「………」
流石に庇えないのか、リディオノーレは視線を逸らした。
「双子の兄の方からでも手紙が届いているんじゃないか」
「返信するだけですよ?学院にすぐ帰りませんからね」
「………リディ。あなた、今学生なのを忘れていませんか?」
サムエルが呆れ顔で突っ込む。
「わ、忘れてませんよ。アインズビルで皆といた方が楽しいだけです」
リディオノーレは唇を尖らせた。
「正直すぎます」
サムエルは苦笑する。
「リディ、学院も楽しいだろう?」
人化ケネスが口を挟む。
「この面子と、そしてフェルバール様とバルデミアン様とグレーク様といる方が断然好きです」
「……」
ケネスはグレイザックを見て苦笑した。
「何故、俺を見る。俺のせいじゃないだろ」
グレイザックは眉を上げた。
「リディ、何で学院よりアインズビルの方が楽しいんだ?」
ケネスは笑いながら尋ねる。
「グレイザック様がいるからに決まってるじゃないですか。師匠がいるから、今こうやってドロゴルミットまで来れてるわけですし」
リディオノーレが微笑む。
その言葉にケネスは再びグレイザックを見た。
ほら、我が主のせいだろ、と目が訴えている。
グレイザックは苦い顔で、彼女の額を弾いた。
「とりあえずは待機だ。飯にしよう。肉ばっかで飽きただろうから魚釣るぞ」
グレイザックは唇の端を上げて、腕まくりをした。




