5 食堂にて
「へらへらしてて掴み所のないやつだけど、良い奴だよぉ」
険しい顔をしているライゾを気にかけてか、ガルグイユが青年について話し始めた。
「何年か前にふらっと現れて、そのまま居着いたんだけど、どんな伝手があるんだか知らねぇが、乳牛やら鶏やらを他の村から買い込んでさぁ。世話をする人手が欲しいっつって孤児達をまとめて自分ちに迎え入れてやってさ。俺には味はわかんねぇけど、上等みたいだぜ、あいつんとこの乳と卵。それを使って商売してるみたいだよぉ」
「乳は赤子が飲むものだろう。美味いものなのか?」
「ええ、美味しいですよ」
「俺は食べ物の味はわかんねぇけど、嫌いだってやつはあんまり聞かねぇなぁ」
ライゾにとって、乳とは赤子のみが口にするものであったし、卵にしても、いまいちうまい食べ方がわからない食材であった。巣を守る親鳥の攻撃を防ぎながら得た卵よりも、育った成鳥の方がずっと腹に溜まる。
(俺には想像もできないような食い方があるのだろう)
食べ物の事を考えている内に、青年に対して感じた微かな違和感は少しずつ薄れていた。テュールに話しておこうか迷ったが、聞く限りでは特に害のある人物ではないと思い直し、口を閉ざしておくことにした。
「騒がしいのが来ちまって、忘れてたけどさぁ、お前、俺の背に乗りたいんじゃなかったかね」
ガルグイユはざりり、と音を立てて歯を剥き出しにし、悪戯っぽい笑みを浮かべた。ライゾも歯を見せて狼のように笑い、頷いた。
「やれやれ、こりゃいったいどういう事かね!」
デロールのけたたましい鳴き声に呼ばれ、部屋に駆け込んだジャンは呆れた様子で額に手を当て、目をぐるりと回した。
店の入り口には水たまりができていた。その真ん中にはライゾが立っている。シャツとブーツを小脇に抱えており、上半身は裸だ。髪とズボンはぐっしょりと濡れており、滴る水が少しずつ水たまりを大きくしていた。その隣ではテュールが申し訳なさそうな顔で小さくなっていた。こちらは濡れていない。
「ガルグイユの背に乗せてもらった」
「はぁ?あいつが乗ってるやつを湖に落とすなんて、らしくねぇな」
「俺が自分から飛び降りた。冷たくていい水だ」
ライゾはさっぱりとした顔で満足気ににやりとした。
「はぁ、そりゃ、また」
「服を脱げばここを濡らさずに済むと言ったが、それは駄目だとこいつに止められた」
「すみません、でも、流石に裸で村をうろうろしては、警備隊の方の手を煩わせることになってしまいそうですし……。あの、私、掃除します。道具をお借りできますか?」
「ふむ。こら、嬢ちゃんがこう言ってるのを聞いて、お前はなんか言うことないんかね?」
「窓と戸を開け放しておけば、その内に乾くだろう」
「かーっ」
ジャンは堪えきれない様子で吹き出すと、てきぱきと指示を出し始めた。
「変に口が回るから、そこらの子供よりもめんどくせぇなぁ。ま、とりあえず着替えろ。ほんでその服は外にある桶の中に入れといてくんな。今日は丁度洗濯屋が来る日だからよ。嬢ちゃんも汚れもんがあるなら一緒に出しといていいぜ。そろそろ取りに来る頃だ」
「ありがとうございます、助かります」
「ああ、いいよいいよ。掃除は俺がちょちょっと拭いとくから、こいつの着替えが終わったら2人で食堂で待っててくんな。そろそろ昼食だ。俺が行く前に勝手に食い始めないよう、見張っててくんな」
「はい」
そう言うと、ジャンはまだ怒って鳴きわめいているデロールを肩に乗せて部屋から出て行った。テュールはそれを見送ると、自分のリュックを持ち上げ、ドアノブに手を掛けた。
「あなたが着替えている間にお客さんが入ってこないよう、外で待ってますね。では!」
湖でシャツを脱いでからというもの、ずっとライゾの方を見ないように顔を背けていたテュールは、口早に言うとすいと外へ出た。ライゾは首を傾げながら乾いた服に着替え、水が滴っている髪をごしごしとタオルで拭いた。
ドアを開けると大きな木桶の横に座っていたテュールがそっとこちらを見上げ、ほっとしたような表情を浮かべた。
「待たせたな」
「いえ、早かったですね。シャツの替えがあってよかったです」
「うむ。濡れた服と、昨日着ていた服はここに入れておけばいいのか?」
「ええ」
数人分の服やタオルなどでいっぱいの桶に、ライゾも自分の服をぽいぽいと投げ入れた。
こちらに近付いてくるガタガタという微かな音の方に目をやれば、灰色の毛並みの小柄な四足獣が曳く荷車がゆっくりとこちらへ向かってきているのが見えた。先程までは気付かなかったが、ここにあるものと同じような木桶が戸口に置いてある家がちらほらとある。ぽちゃぽちゃとした体型ながらもきびきびした動きの中年の女が、がっしりした腕で木桶を持ち上げ、荷車に積み込んでいた。
「あれが洗濯屋、とやらか」
「はい。洗うまでか、干して乾かすまでかは家ごとに違いますが」
見慣れない獣が気にかかったが、まずは昼食である。テュールの言葉にふむ、と頷くと、ライゾはすたすたと店の中に戻った。
ジャンに言われた通り、食堂へ向かう。古いながらもよく磨き込まれた木の廊下は、進む度にきしきしと小さな音を立てた。
「ここか」
「そうですね」
ドアを開けると同時に、もったりとした甘い香りが押し寄せてきた。ベーコンのような香ばしい香りは含まれていなかったが、充分に食欲を刺激してくるものであった。
こじんまりとした部屋の中にはバーチ材の大きなテーブルが二つ置いてあり、同じ素材の椅子が行儀よく並んでいた。その白い木肌は部屋を明るく見せるのに一役買っている。
地べたか岩、倒木にしか座ったことのないライゾは少し戸惑いながら椅子を引き、静かに腰を下ろした。なめらかな肌触りの座面は尻に合わせてなだらかなカーブが付いており、想像以上に座り心地が良かった。寛いだ気持ちで足を伸ばしながら、改めて部屋を見回す。
大きな窓からは中庭が臨め、金色のバロメッツ、銀の葉と紫の小花のラムズイヤーの他、ライゾが名を知らない草花がのびのびした調和を見せていた。
部屋の奥にはドアが一つあり、中で人が立ち動いている気配が感じられた。食べ物の匂いもその部屋から強く漂ってくる。炊事場なのだろう。
わくわくした気持ちでそちらを眺めていると、廊下側のドアからジャンがぬっと入ってきた。
「おお、大人しく待ってられたみてぇだな。まだ食いもんが並んでねぇから当たり前か」
からからと笑うジャンの手には小さめの木のバケツがあった。白い液体で満たされており、縁がひらひらした葉が付いた枝が一本浮かんでいた。
「それはなんだ」
「ああ、今しがた、孤児院の坊主が持ってきたんだよ。今朝絞った牛乳だと。チーズももらったぜ。お前らに世話になったからその礼だって言ってたけど、何したんだ?」
「別に何もしていない」
ジャンは肩を竦めると、バケツを持ったまま食堂の奥にあるドアへ入っていった。
「大したことはしていないのに、なんだか申し訳ないですね」
向かい側に腰を下ろしたテュールが小さな声で話しかけてきた。
「俺は見ていただけだ。お前が貸してやった手巾の礼だろう。何故草が浮いていたんだ?」
「あれはホワイトホーハウンドです。一枝浸しておくと、ハエが寄り付かないんです」
ライゾが相槌を打つとほぼ同時に炊事場のドアが開き、小柄な女が食事の乗ったカートを押しながら現れた。ライゾよりもずっと年嵩だろうが、ふっくらした頬のせいか、表情は若々しく見えた。
「お待たせしちゃってごめんなさいねぇ」
暖かい笑みを浮かべながら女はライゾとテュールの前に器を並べながら、のんびりとした口調で話し始めた。
「説明する程のメニューじゃあないんですけど、なんでも狼っ子さんはポリッジすら初めてだって聞いたもんですから。これがポリッジですよ。オーツ麦のお粥」
女は、ライゾの手に余るほどの大きさの木の椀にたっぷりとよそわれたベージュ色のどろどろしたものを指した。先程ジュールが森で摘んでいたネトルがちらほらと混じっている。
「冬の間は食べ物もおんなじような物ばっかりだし、あんまり出歩いたりしないでしょう?体によくないもんが溜まるみたいでね。それを流してくれるのが春の野草なんですよ。ここいらじゃ、ネトルの若葉を茹でてから刻んで、オーツ麦と水で煮込んだものをよく食べてんです」
ライゾが頷くと、女は黄色いものをことりと器の隣に置いた。続けて、銀色に光る金属の平たい板。
「これがチーズ。ポリッジは味が薄いですから、お好みでこの棒でチーズを削って入れてくださいね」
小さいくせに随分ときつい匂いの代物であったが、悪い匂いではなかった。味の予想が付かず、ライゾは無表情でチーズとやらを見下ろした。
続いて置かれたのが、小さめの椀に盛られた草花。瑞々しい緑の葉と、青や紫の花、濃い赤のベリーが目に美しかった。
「で、これが春の野草とベリーのサラダ。青い星型の花はボリジ、若葉もちょっと入れてます。この緑の葉はチャービル。こっちがルッコラ。柔らかくて美味しいのでいっぱい入ってます。この細長い葉がソレル。爽やかで、酸っぱくって、これが入ってりゃあドレッシングはいりません。甘くてベリーに合うからスイートヴァイオレットの花も上に散らしときました。この紫の小花ね。食感のアクセントに炒った胡桃も混ぜてあるよ」
ライゾは眉根を寄せながら頷いた。女には悪いが、聞いた端から言葉が流れていくようであまり覚えられない。ドレッシングとはなんの事だか気になったが、黙っていた。
次に置かれたのは平皿である。先の二つと同じ木製で、手のひらよりも大きな鮮やかな黄色いものが乗っていた。サラダに入っているものとは別の種類の葉がどっさりと掛かっている。
「これはきのことチーズのオムレツに、チャイブとパセリをどっさり乗せたもの。このパセリは風味が優しくて甘い種類だから、くせがなくて食べやすいはずです」
「綺麗だ」
「ふふ、いい卵を使ってるからね」
卵を食べると聞いた時はあまりぴんとこなかったが、実際に卵料理を見、その匂いを嗅ぐと、食べる前から素晴らしい味である事が想像できた。
女は最後に大きな水差しとティーポットを置いた。
「こっちの水差しには、さっき届いた牛乳が入ってます。ティーポットの紅茶にはコストマリーの葉で香り付けしてあります。どちらでもお好きな方を」
「俺は牛乳を」
「私は紅茶を」
「はいはい」
女はにこにこしながら木のカップに牛乳を、陶器のカップに紅茶を注ぐと、それぞれの前に置いた。
「私はこれから大奥様のところにお食事を持っていきますね。では、どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
「どれも美味そうだ」
女は楽しそうににこりと笑うと、カートを押して食堂を出て行った。
どれから食べようか迷いながら、ライゾは口の端をぺろりと舐めた。




