27 ライゾ
ルァ、ギロゥと別れた彼とテュールは、朝日が差し込む森の中を歩いていた。
この辺りは茸や野草、ベリーを採る為に村人も頻繁に訪れるらしい。旺盛な生命力を持つ植物にところどころ侵食されているが、細く道が通っていた。
「森を出るとなれば、名前が必要になるのではないでしょうか?」
「そうだろうか」
彼はテュールの言葉に首を傾げた。
「ええ、絶対に。宿に泊まるときは確実に必要になりますよ」
「宿」
「旅人を泊めてくれる家のことです」
「俺は外でも構わんが」
「その地で特に美味しい食べ物や、お料理を出してもらえると思いますよ」
「ふむ、なるほど。しかし、名前か……」
納得はしたがすぐに浮かぶものでもなく、彼は頭を悩ませた。
今までの彼の生において、名というものはそこまで重要なものではなかった。狩りの結果を姉に話す時などに不便であったので、何頭かの狼達には呼び名をつけていたが、それは彼が考えたものではない。毛色や性格の特徴を聞いた姉がそれに見合った名を、この世界ではほとんど忘れ去られてしまったという古い言葉で考えてくれたものだ。
(古い言葉、というものに姉様が通じていたのも、姉様が元は世界樹であったせいなのだろうか)
「ドライアド様に付けてもらった呼び名をそのまま使うのはいかがでしょう?」
月光の中で聞いた姉からの話を思い出し、ぐるぐると頭の中を回りかけた思考がテュールの言葉によって遮られる。彼は軽く頭を振って、会話に気を戻した。
「黒い狼、小さな月か。そう呼ばれていたのはたまにだがな。しかし……深く知らないやつにそう呼ばれるのは、あまり好ましく感じられないように思う」
「うーん、そうですか。どうしましょうねぇ」
それからしばらく歩きながら話し合ったものの、テュールが提案してくれた名はどれもしっくりくるものではなかった。
小さな泉の脇に腰を下ろしてジャーキーとビスケットの朝食をとった際、彼は詫びた。
「いくつか考えてくれたのにすまない。俺は我儘を言ってしまっているだろうか」
「いえ、こちらこそあまり良い案が出せなくてごめんなさい。自分を表す言葉ですから、妥協して決めるような事はしない方がいいと思います」
道中で摘んだベリーを口に運びながらテュールは微笑んだ。水浴びこそできなかったが、泉に浸した布で身体を拭き、すっきりした表情をしている。
テュールの食事が終わるのを待つ間、彼はごろりと仰向けになっていた。木々の間から溢れ落ちる朝日の暖かさを楽しみながら目を閉じる。栗鼠が木の実に歯を当てる音、蜜蜂の羽音、鳴き交わしながら枝を飛び回る小鳥達。いつもの通り森は生命の音に満ちていたが、人の気配が濃い為なのか、森の奥に比べると妖精達の気配はやや希薄に感じられた。
「お待たせしました。では、行きましょうか」
「待て」
立ち上がろうとしたテュールを制した。風に乗り、微かに人間の匂いが漂ってきたからである。小声でそう言うと、よくわかりますね、とテュールは目を丸くした。
「この泉は森に来た人が休憩所として使っているみたいです。少し早いですが、何かを採りに来た人がいるのだと思いますよ」
その言葉に納得はしたものの、油断なく辺りを警戒する。
やがて、足音と茂みをかき分ける音が聞こえてきた。徐々に葉擦れの音が大きくなってきたかと思うと、唐突に泉の向かいの茂みが割れ、そこから男が顔を出した。男は彼とテュールの姿を認めるとひどく驚いたが、すぐにそばかすの散った顔に柔和な表情を浮かべた。
「やあ、おはよう!こんな朝早くに森に入ってる人が俺以外にもいるなんて、びっくりしちまったよ」
「おはようございます。すみません、驚かせてしまって。焚き木を採りに来たのですか?」
「ああ、そうだよ。まぁ、本命はこっちだけど」
ひょろりとした背いっぱいに枝を負っているのを見、テュールがそう問いかけると男は頷いて肯定し、手に持った籠を軽く持ち上げた。ネトルを始めとするいくつかの野草が入っている。
「ばあちゃんが朝露に濡れてる内に取ってこいなんて言うからさ。俺、昨日行商から帰ってきたばかりなのに孫遣いが荒いよ。村に着く頃には朝露なんて乾いてるんだから関係ないじゃんって思うんだけどね」
「ポリッジに入れるのですか?」
「そーそー」
「ポリッジとはなんだ」
彼は黙ったまま会話を聞いていたが、耳慣れない単語に反応して声を上げた。
「うん?ポリッジはポリッジだろ?オートミール食べたことないのか?」
男は不思議そうに質問を返してきた。彼が頷くと、男は一瞬の後、あぁ!と声を上げた。
「あんた、もしかしてこの森に住んでるっつー奴か?!」
「そうだ」
「わ、やっぱりな!見た目がさ、聞いていた通りだったから!」
「聞いていた通り?」
「とーちゃんからさ、色々話は聞いてるよ。俺、一回あんたに会ってみたかったんだ……わかんないかな?俺、結構似てる方なんだけど」
「もしや……お前、ジュール、か?」
話に聞いていたジャンの息子の名前を出せば、男はあったりー、と笑った。年齢で言えば彼よりも何歳か年上の筈であったが、その顔立ちは幼く、出会った頃のジャンによく似ていた。
「あんたは多分森の奥から出てこないってとーちゃんは言ってたけど。こんな所にいるなんて、一体どーゆー風の吹き回しだい?」
「えぇと、それを話すと随分長くなるのですが……」
テュールが口を挟むと、ジュールは笑みを崩さずに言葉を重ねた。
「ここにいるって事は、村になんか用事があるんだろ?ちっちゃいけど荷馬車で来てるから、よかったら乗ってけよ。俺ももう帰る所だからさ」
彼とテュールは目を交わして頷き合い、その好意に甘える事にした。
近隣の村を行商で回りながらジャンの店を手伝っているというジュールは、父親に似て陽気で口が上手く、ベリーや野草を摘みながらの道のりは賑やかなものであった。足を進める内に木々は徐々に疎らになり、比例して空が広くなっていく。
森の端では栗毛の馬が一頭、馬車に繋がれて大人しく待っていた。彼は初めて見る動物と乗り物に興味を惹かれたが、狼の匂いを敏感に嗅ぎ取ったのか、彼が近付くと馬は嫌がって鼻を鳴らし、いらいらと土を掻いた。
「乗り心地はよくないけど、ま、歩くよりは楽だろ。後ろでのんびりしてな」
彼とテュールに荷台に乗るように促すと、ジュールは御者台に腰掛け、手綱をゆるく持った。布が巻かれている細い棒でそっと尻を打たれると、馬は大人しく歩き始め、馬車はゆっくりと村への道を進み始めた。
「乗るの、初めてだろ?気持ち悪くなったら停めてやるから気兼ねなく言えよ」
ジュールはそう言うと、前を向いて口笛を吹き始めた。盛り上がった土に乗り上げる度、車輪は律儀にその存在を伝えてがたがたと揺れる。確かにあまり心地の良いものではなかったが、視界いっぱいに広がっている空と草原、遠くに見える山々は、森とはまた違った自然の美しさを彼に伝えた。
「良い方に出会えて助かりましたね」
微笑んで話しかけてくるテュールに頷く。
「うむ。……森の外は、このような景色であったのだな。この乗り物も興味深い」
草原を渡ってくる風に髪を遊ばせながら、彼は気が付いたことをふと口にした。
「車輪、だったか?に、刻んであるのもルーン文字とやらか?」
「ええ。よく気が付きましたね。ラドのルーンです。ライゾ、とも読みます。車輪や旅を意味しているルーンで、回る車輪のように、順調に旅が進むようにと行商の方がよく使っているそうですよ。おまじないのようなものですね」
その響きに引っかかるような気がして、彼は口の中で何度かラド、ライゾ、と言葉を転がした。
「……ライゾ、を名とするのは、おかしいだろうか」
「ルーン文字をそのまま名前にするのですか?」
テュールはきょとんとして口に手を当てたが、しばらく思案した後、優しく微笑んだ。
「珍しいですが、良いかもしれませんね。なによりあなたが気に入った響きなのでしょう?……名前の通り、順調な旅になるといいですね、ライゾ」
呼ばれてみると、その名が一層自分に馴染んだような気がした。
「俺の名が、お前の旅路にも良い影響を与えられる事を願う」
少しだが、自然と口角が上がる。それを見たテュールはますます目を細めて笑みを深くした。
「なーに、にこにこし合ってんだよ」
振り向いたジュールに冷やかすような口調で言葉を掛けられ、テュールは頬を赤らめて今の会話の内容をそのまま伝え始めた。2人の話し声を耳に流しつつ、ライゾは目を閉じて、これからの旅路に思いを馳せた。
今話にて一章の締めくくりとなります。
主人公である〝彼〟に名前が付くまで、まさか27話もかかるとは私も思っておりませんでした。
初めての投稿にも関わらず無謀にもそのような試みに挑み、わかりにくい表現も多かったかと思いますが、拙い文にも関わらずお付き合いして下さった読者の皆様には感謝の意しかありません。
頂いたブックマークや評価点、感想やレビューは宝石のように感じております。色々なところで言っておりますが、ファンアートを下さった延滞紳士様にも改めて深い感謝をお伝え致します。
次話では1章で登場した人物、妖精、魔物をまとめてみようかと思っております。
彼らの姿だけでなく、登場した料理につきましてもレシピをイラストに起こし、挿絵として投稿したいと思っておりますが、中々自分が思う通りに筆が進まず(描き手様達には等しく尊敬を捧げます)。本編を進めつつ、徐々に手を加えていきたいなと思っております。
2章では森から出た彼が初めて触れる人間の暮らし、旅の新たな道連れを書いていく予定です。もちろん新たに魔物や妖精達も。ライゾは美味しいご飯を食べられるのか。自分の出自について手掛かりは得られるのか。テュールの魔法の力は見つかるのか。これからも宜しくお願い致します。




