26 始まりの夜明け
休憩を挟みつつ歩き続けた。月は地平線にその姿を隠しかけ、空は紺色と紫が混じったような色合いになっている。夜明けまで、もう少しだ。
歩きながら、彼は先程姉から聞いた話を何度も頭の中で反芻していた。
(俺を姉様の所へ連れてきた者が、俺の両親なのだろうか。全てを聞かねば気が済まない……探し出せるだろうか)
ふと、ギロゥが足を止めた。眠りから覚めつつあるのか、テュールが身じろぎしている、次の瞬間、ぱちりと目を開け、少しだけ頭をもたげた。が、すぐに落とし、灰色の毛並みを楽しむように頬を擦り付けながらギロゥの首をぎゅっと抱きしめた。ギロゥは嬉しそうに喉を鳴らし、尾を高く上げて元気よく振り始める。
「起きたのか?」
声を掛けると、ぼんやりとした瞳でこちらを見つめてきた。数秒の間の後、ようやく瞳の焦点が合う。がばりと身を起こそうとしたが、体に掛けられている革紐にそれを阻まれ、困惑した様子できょろきょろと辺りを見回した。
「その紐はギロゥの背からお前が落ちないように結んだものだ。まだ寝ていたいなら紐は解かないでおくが」
「あ……いえ、私、いつから寝てしまっていたのか……あれっ、乗せてくれていたのですか?もう、朝?もしかして一晩中?すみません、重かったでしょうに!起きます、すぐ降ります!」
紐を解いてやるとテュールは慌ててギロゥの背から降りた。灰狼は深く体を伸ばした後、すぐに少女の胸元に頭を擦り付ける。テュールは謝りながら礼を言い、太い首元に抱きついて喉や耳の付け根を掻いてやり、撫でろという要求に応えた。灰色の毛に埋もれたまま、こちらに挨拶をしてくる。
「おはようございます。すっかり寝てしまって……すみません」
「謝る事はない。体を休めながら進んでいたから、ギロゥにもさほど疲れは溜まっていないはずだ」
「ここは、どの辺りですか?」
「そうだな、木の半ば位の高さに日が昇る頃まで歩けば、森の外れに着く。村人が茸やベリーを採りに入ってくる辺りだな」
「あと……4時間ほど、という事でしょうか。もうこんなところまで来ているのですか?一晩でそんなに進めるなんて」
「獣道を使ったからな」
テュールの言葉に答え、ギロゥとルァに同行の礼を言った。しかし2頭は踵を返そうとはせず、尾を振るばかりである。
「いいのか?」
聞き返すと、2頭は優しく喉を鳴らした。
「どうしたのですか?」
「森の外れまで 付き合ってくれるそうだ。今度は俺がギロゥに乗る。お前はルァに乗せてもらえ」
テュールにくっついていたギロゥを押しのけ、赤毛の雌狼は優しく唸った。その背に登ろうとするテュールに手を貸してやってから、彼もギロゥの背に乗った。
「足でルァの胴を締め、首にしっかりとしがみついておけ。体は低くして、できるだけ密着しろ。下手に口を開けると舌を噛むぞ」
テュールが頷いたのを確認するかしないかの内に、ギロゥが飛び出すように駆け始めた。彼を乗せている事を感じさせない、力強い足取りである。わざと草叢に突っ込み、低く張り出している枝は避けずに飛び越える。身を伏せていても顔にビシビシと小枝が当たってくるが、生を謳歌するように幸せそうに走るギロゥの息遣いを聞くと、抗議する気も起きなかった。ルァは影のような走り方で追随してくる。もちろん障害物はしなやかにすり抜けて。
一度湧き水で喉を潤した以外は、狼達は足を止める事なく駆け続け、辺りが白み始めた頃には森の外れに到着した。
ギロゥの背から降り、髪に絡まった枝や葉を取っていると、先に到着していたテュールが、ルァを撫でながら笑いかけてくる。
「あんなに楽しそうに走るなんて。私を乗せてくれていた時は、きっとすごく我慢して歩いていてくれていたのですね」
「うむ。こいつに乗せてもらったのは久々だったが、俺も楽しかった」
灰狼は申し訳なさそうに鼻を鳴らしながら彼のブーツの上に顎を乗せていたが、その言葉を聞いてけろりとした様子で立ち上がり、ぶるりと身震いをしてから大きな欠伸をした。ルァもテュールの膝に頭を預けたまま、気持ち良さげにうとうとしている。狼達は眠りにつく頃だ。
「本当に、何から何までお世話になりました。あなたのおかげでエルフの里まで無事に辿り着けましたし、助言だけでなくお守りまで貰えて。帰りも野営するつもりだったのですが、こんなに早く村の側まで来れるなんて」
「そうだな……一つ、いいか」
真っ直ぐにテュールを見つめて言った。
「はい、なんでしょう」
「お前の探求の旅に、俺も付いて行っても良いだろうか?」
テュールはきょとんとしていたが、彼の言葉が頭に染み込むにつれ、その瞳は丸く開かれていった。
「え?私の旅に?森を出る、という事ですか?」
「森の外でも、自分とお前の身を守れる程の剣の腕はあるだろう、と思う。……人の暮らしを知らない俺が一緒にいるのは、お前にとっては迷惑だろうか」
「いえ!そんなことは!獣や魔物に襲われたら、私は逃げるか隠れる事しかできませんから、あなたが来て下さるのなら、心強いです……でも、あなたは今の暮らしが好きなのでしょう?ドライアドのお姉様や、狼の家族やウリンと、満ち足りた生活を送っているのでは」
「今の暮らしは好きだし、皆の事は心から大切に思っている……しかし森にいては、料理、というものに触れられないからな」
彼の言葉を聞いたテュールは吹き出して笑った。
「美味しいものを食べる為だけに、森を出る気になったのですか?」
「それだけではない……きっかけとなったのは確かだが。このまま別れても、身を守る術を持たないお前の安否も気にかかるだろうし……俺の出自についても、知りたい事があるからな」
アッシュに聞いた話をどこまで話そうか迷ったが、言わずにおいた。
「ありがとうございます。世界は広いんです。きっと、何か手掛かりが見つかりますよ。沢山の村に立ち寄って、美味しいものや、珍しいものを食べましょうね!野営の時は、私が美味しいごはんを作ります」
「……また、ベーコンが食べたい」
テュールは笑いながら、わかりました、と頷いた。
薄い朝靄に包まれた森の中では、眠りから覚めた小鳥達が囀りを始め、薄明性の動物達がかさこそと落ち葉を踏みながら歩き回っている。
トッドスツールに座り、こちらの会話に耳を傾けている小人達の話し声や、花の蕾に溜まった朝露を集めている花の精の笑い声を聞きながら、彼はテュールに手を差し出した。
「よろしく頼む」
日に晒されて濃い褐色の彼の手に比べると、雪のように白く、2回り以上は小さな手がそっと握り返してきた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」




