第十七節 使えるものは教皇でも使え
「ベティ、入って」
そろそろ戻ってきた頃合いだろうと思って扉へ声を向けると、静かに戸が開かれた。晩餐会用のドレスを纏ったベティに続いて、白い法衣の老人がゆっくりと中に入ってくる。
小柄で穏やかそうな顔つきに、垂れ気味の目尻は困ったように細められながらも優しげな眼差しがもれていた。
老人はミツキの前まで来るとその場にいる全員へと目を配る。
「きょ、教皇様!?」
オルステッド伯爵の驚嘆の声はほとんど悲鳴のように聞こえた。
「はて、勇者殿。呼ばれて来てみれば、この歳にして盗み聞きをさせられるとは思いませんでしたよ」
「申し訳ありません。ですが、込み入ったお話は人伝いに聞くより直にお耳に入れていただけた方がよろしいかと」
現教皇クリスティアン・ウォーベック。
若い頃より多くを他者に施し、清貧を貫き通した末に教皇となった生きた聖人。人となりはその評判通りで、だからこそ、ミツキから戦争をほのめかす事情を聞けば早急に手を打つ迅速さを備えている。
そのクリスティアン教皇のあとから甲冑に身を包んだ聖騎士が部屋に踏み入った。
先頭はコンラッドで、部下のオーギュストらしい背丈の聖騎士の他に数人の部下を連れている。それであっという間に部屋の出入り口は人垣で封鎖されてしまった。
ロウの顔色はますます悪くなる一方で、下手をすると失禁でもするんじゃないかと、こちらが変に気を揉みそうになる。けれど、教皇の登場に驚きこそすれ、チェスターの顔色が変わることはなかった。
「突然の乱入で驚かせてしまって申し訳ないのですが、わたしに気にせず続けてください。……ああ、オルステッド夫人、ご気分がお悪いのですから、どうかそのままで」
ソファーから立ち上がろうとしたオルステッド夫人をクリスティアン教皇が手で制した。教皇本人はそのつもりはなかっただろうが、せっかく取り戻してきていた夫人の顔色が教皇に声をかけられたことでまた白くなっていく。
きっとどこを探しても、その宗教の最高司祭に「申し訳ない」なんて言わせる不敬な輩はミツキくらいだろう。マキュアス侯爵ですら、固まったあとに深々と頭を下げたかと思えば、再び見えた顔はわずかに青くなっていた。
「じゃあ、続けますね?」
教皇の登場で軽いジャブを入れたところで、チェスターが先手を打つ前にミツキが口を開く。
「ライナスの証言から、オルステッド伯爵家の全員が呪詛を施されたというのは事実だと思います。現に伯爵とご夫人にまで手が及んでいたことから、他の家人ならもっと容易にできたかと」
信頼しきっていた家令ならなおさら、薬か魔法で眠らせるなりして呪詛をかけるのは簡単だ。
「ですが、弱い呪詛であれ、専門家の目を欺くほど巧みに隠し、かつ、大人数にかけた。その上で遠方のライナスへ染色の魔法を途切れさせていません。たとえ一つひとつは魔力の消費が少ないものでも、たったひとりで維持し続けるのはエルルカの大魔法使いでないかぎりは困難かと」
「では、支援をしていたものがいて、それがチェスターであると? それをどう証明する」
まだ完全に気を取り戻せていないらしく、マキュアス侯爵の口調は緊張を多分に孕んでいた。
「オルステッド伯爵夫妻と家人たち、そしてライナス。ここまでは物理的にもロウさんがやったとみるのが妥当でしょう。ですが、殺人犯は? 彼はどこから来たかわかっていません。それに彼もまた髪を紫色に染められていました」
「も、もし、殺人犯が、ヒースからではなく、マールベイン王国から来たのなら、マキュアス侯爵の家や村を焼いたのは……」
「そうですね、オルステッド伯爵。私もそう考えました」
マキュアス侯爵邸の一部を爆発させ、逃走途中で目くらましに村を焼いて行った紫髪紫目の男。紫髪が珍しいだけに、それは犯人の大きな特徴として人々の目に映ったはずだ。
「それから、これは今日この場で気付いたことなのですが」
続けながら、ミツキはマキュアス侯爵へと顔を向ける。顔色を取り戻した老人の眼が険しくミツキを見返した。
「マキュアス侯爵、もしかして、当時の呪術師狩りの記録や資料をご自宅に保管してありませんでしたか?」
「――……それは、確かに」
勲章と同じで、己の栄光の歴史を残しておきたいのは人の性だ。あのアレクシスでさえ見える場所に飾っている。
「呪詛やそれを隠す知恵の足掛かりはそこから得られます」
「だが魔法で厳重に鍵をかけてあった」
「ご自分は呪詛にかけられたことはなかったと、証明できますか?」
「……なんだと」
「今現在は呪詛は消されているでしょう。でも、オルステッド伯爵はご自分以外が使うことのできない紋章を悪用されたのです」
呪詛が使えるものがいる限り、それが可能だと言ったのは他ならないマキュアス侯爵だ。
「だが……、だが、それを行ったのがチェスターだという証拠には」
「それでクリスティアン教皇様にご足労願ったのです」
ミツキに戻っていた視線が、またクリスティアン教皇へと集まる。
静かに佇んでいた教皇は目を瞬きながらミツキを見返した。
「イリシア様のご加護によって、悪しき呪詛の痕跡をあぶり出していただきます」
教皇はただ清貧なだけでなれるものではなく、ただ政治に長けているからなれるものではない。イリシアの教えに忠実に生き、誰に負けることのない魔力を兼ね備えてなお及ばない。
イリシアの啓示を受け、それを体に示されて初めて教皇の資格を得る。そして、啓示と一緒に授かるのが聖女イリシアの加護だ。
どんなに巧みに隠された凶刃や呪詛でも、加護を受けた教皇を前にすればすべからく暴かれてしまう、とイリシア教徒の中では常識だった。
「それでわたしを」
「はい。国の大事だと判断いたしましたから、わざわざクリスティアン教皇様をお呼び出ししたのです。……かまいませんよね?」
「ええ、もちろん。国の大事ならどこへでも行きましょう」
神聖な加護を持つ教皇の目にかかれば、たとえ時間が経っていてもその反対に位置する呪詛の痕跡は暗がりに浮かぶ蛍の光のように見えるのだろう。
他ならない教皇が証明するのだから、これは誰にも覆せない。
使える教皇はとことんまで使う。それでも面と向かってミツキに苦言を垂れるのはアレクシスくらいだ。
「最初は殺人犯からチェスターさんの繋がりが見つかればいいかと思ってたんですけど、この際、マキュアス侯爵にご協力願えますか?」
「それで結構。チェスター、身の潔白を晴らせるな?」
「……、……」
チェスターは答えない。
「チェスターさん」
ミツキが呼ぶと、今まで仮面のように張り付いていた真面目顔が崩れた。ぎょろりと剥かれた目がこちらを向く。
――加護での証明は必要なさそう。
コンラッドに目で合図を送ると、彼は部下と一緒に教皇を庇うように前に出た。
「自白するなら、今のうちですよ」
それによって減刑されるかはわからないが、もろもろの手間は省ける。
わずかに開いたチェスターの唇がわなわなと震えていた。
自白するか……、それとも。
ミツキからコンラッドの部下のひとりひとりにいたるまで、その場の全員の視線がチェスターに注がれている。しんと静まり返った空気の中、その不穏な沈黙を一筋の声が破った。
「俺はそいつに唆されただけだ!」
この緊張に耐えきれなくなったのだろう。ロウが窓辺で叫んだ。
――やっぱり、こっちが先か。
この大根を役者に据えてしまったがために、チェスター自らが己の首を絞めている。
「言うことを聞けば一生働かなくて済む金をやると言われてやったんだ! そいつとやり取りした手紙も残してある! 全部出す。だから、減刑してくれ!!」
促す必要もなく彼はぺらぺらと声高に証拠と免罪を乞う。その合間にミツキの耳に届いたのはチェスターの舌打ちだ。
「……ええ、確かにわたくしが指示いたしました」
ロウから継いだ言葉はいやに冷静で、一連の事件の黒幕に相応しいとすら思えた。
「妙に素直に答えるんですね」
「教皇様までお出になられれば、わたくしの負けです」
動きようのない呪詛の痕跡が確かにある、と彼は続けた。
「他に言うことは?」
「弁明もなにも、わたくしが悪事を成そうとしたことは明白でしょう」
「でも、これを企てた理由くらいは話してくれてもいいんじゃない?」
「くだらない資本主義者の金儲けの加担、とだけ」
マキュアス侯爵の眉が吊り上がる。呪術師狩りで得た栄誉を、その証で以て踏みにじられながらも、最初のような激昂はしなかった。
「情けない」
それはきっと彼自身に向けた悔恨の言葉だろう。
ミツキは何も言わずに、チェスターとロウが大人しくコンラッドたち聖騎士に連行されて行く背中を見送った。
幕切れはあっさりと。爪痕ひとつ残さずに終わってしまったのが、ひどく気持ち悪い。
――まだ、裏がある。
そうでなければ、戦争の種火を撒くなんて重罪を犯すわけがない。お金のためなんて、そんな理由で。
――だけど、あの調子じゃあ、取り調べで真相を吐くとも思えない。
次の糸口を見つけられなくて短くため息を吐くミツキの肩にベティの手が添えられた。
「ミツキさ――」
彼女が言葉を紡ぎ始めたその瞬間。
議事堂から遠くない場所から、爆発音が聞こえた。




