第十六節 真相を追って
「はて、面白い話とはなんでしょうな。よもや、この下手人にお心当たりでも?」
マキュアス侯爵はこのタイミングで差し込まれたミツキの話に思惑通り乗ってくる。思わずにやけてしまいそうになるのを、ミツキは奥歯を噛みしめて制した。
ミツキが彼の証言をより強固にすると半ば確信を抱いているのかもしれないが、侯爵は顔には出さない。ぴくりとも頬を動かさないのは彼が長く貴族社会に身を置いてきた証だ。
対してオルステッド伯爵の顔色は悪かった。夫人が倒れたことを加味しても、それ以上に具合が悪そうだ。
ミツキの口から己の悪事が暴かれると思っているのか。――あるいは、彼が本当に善良な領主で、ライナスに裏切られたと思っての顔色か。
――見極めないと。
ミツキはそっと息を吐いて、改めてマキュアス侯爵を仰ぎ見た。
「昨晩、ある殺人犯を逮捕するに至りました」
「ほう、勇者殿や聖騎士の護る聖都で殺人とはまたずいぶんと物騒な」
「……ええ、本当に」
揶揄を受け流して、ミツキは鋭い眼差しを投げる。
「その男が、ちょうど紫の髪だったのです」
「なるほど。あのライナスとかいう若造は我が家と領地だけに飽き足らず、イリシア聖教会の本拠地でそのような凶行に及ぶ獣であったか。して、その者の刑は?」
「まだそこまでは決まっていません。ですが、おかしなことにこの殺人犯は、彼と同じような紫の髪の男ばかりをつけ狙っていました」
「犯罪者のただの異常行動では?」
「そうですね。一見してそのように感じられますが」
そこで切って、ミツキは部屋の中の人間を見渡した。
目の前のマキュアス侯爵とその後ろのチェスター、オルステッド伯爵夫妻はソファーから動いていない。ロウだけがミツキから距離を取るようにわずかに後退った。
「その者に紫髪の男を殺せ、という呪詛がかけられていました」
「それは……、なんと」
苛烈にオルステッド伯爵を責めていたマキュアス侯爵にも、人としての道徳と良心はしっかりあるらしい。今まで貼り付けていた仮面の下から彼自身の驚愕が現れ出た。
「穢らわしい外法の徒が、まだどこぞに潜伏していたか」
憎んですらいるような低い声。期待していたのとは別の方向にマキュアス侯爵の表情が歪んだ。
忌むべき呪詛に対して素で反応したようにしか見えない。
――彼じゃないかもしれない。
嫌な人だと思ったけれど、呪詛をかけたか、あるいは指示した犯人ではないのかも。
続けて目を向けたオルステッド伯爵は、ひどく困惑したように眉根を寄せていた。
「オルステッド伯爵。何か心当たりでもおありですか」
「いいえ、呪詛に心当たりなど……」
言いながら、彼は自身の額に触れた。そこに何か引っかかりを感じるのか、髪の生え際を掻く。夫人も同じように頭に手をやっていた。
――まさか。
「失礼を。おふたりとも、頭に何かおかしな感覚があるのですね?」
早口にまくし立てて、オルステッド伯爵夫妻へ歩み寄ると、伯爵はびくりと肩を竦ませながらミツキを見上げた。
「伯爵と、奥さまは魔法はどの程度ご習得済みですか?」
「貴族としてのものなら一通りは。ですが、私たちは呪詛など知りません」
生活の不便を取り除けて、かつ、ある程度は戦闘用の魔法が使えればいいというのが貴族の子弟が教わる魔法の範囲だ。そして当然のことながら呪詛はその範疇に含まれない。
それくらいの練度で、ベティのように聖教会寄りの神聖な魔法に特化していないのなら。呪詛の存在が身近にあると知って、自身の体に軽く違和感を覚えるくらいはしたのかもしれない。
「失礼します」
オルステッド伯爵が掻いていた生え際へ指先を伸ばすが、さらりとした髪の質感が伝わるばかりだった。
――やっぱり、このままじゃわかんないか。
「いったい、何を……」
「少し確認するだけです」
言いながらミツキは目を瞑る。
視界を遮断して数秒後、全神経を集中させた耳は伯爵が緊張から立てたわずかな衣擦れの音も聞き取った。
「このまま頭を左右に振ってみてもらえませんか」
「は、はい?」
「理由はのちほどお伝えいたします。他のみなさんもどうかお静かに」
こんな場で突然頭を振れ、なんて言われて困惑するのは当然だろう。ミツキ以外の全員からしてみれば、頭を揺するオルステッド伯爵は滑稽に見えるかもしれない。
目を閉じたまま待って、やがてためらうように彼が頭を振った。
衣擦れとともに髪が揺れる。その合間にかすかに鳴った金属音をミツキは聞き逃さなかった。
ライナスのときよりもさらに小さい。それが呪詛だと意識して聞かなければただの気のせいで済まされるほど。
呪詛の内容がささやかなものなのか、単に効力が弱まっているのかまではわからない。ただ確実に呪詛はそこにあった。
「伯爵、ライナスの髪は本当に紫色でしたか?」
目を開いて、改めて問いかける。すると、途端にオルステッド伯爵は急に頭を抱え込んで、床に膝から崩れ落ちた。
「ち、違う……。うぅ……。違った、はずだ。か、彼は、う、ぐぅ……」
呪詛によって書き換えられた記憶を呼び起こそうとして起こる頭痛だ。本来の記憶と呪詛による改変の齟齬によって痛みを与えることで、本人が思い出そうとするの忌避させるための処置。
この症状が表れたのならオルステッド伯爵は確実に呪詛が施されている。
「意識改変の呪詛か」
割り込んだのはマキュアス侯爵だ。彼はオルステッド伯爵と同じ視線まで腰を下ろして、伯爵の髪に手を添えた。
「確かに、魔力の流れに沿って細いものがある。なるほど、これは私でも言われるまで気付けまい。実に小賢しい隠し方だ」
ベティがライナスの呪詛を分析したときと同じことをマキュアス侯爵が口にする。
「わかるのですか」
「私が勇者殿と同じ歳のころに、マールベインで呪詛が横行したことがありましてな。私は外法ものを狩る職務を先王から賜っておりましたので、探知と解呪くらいは」
だから、呪詛に対してあんな反応をしたのか。しかも解呪ができるのなら敬虔なイリシア教徒に違いない。
「さて、オルステッド伯爵。今すぐに解呪できるが、いかがする」
「私より妻をお願いします。私のは、呪術師を探す手掛かりにいたしましょう」
「貴族であるのに、自らが犠牲になると?」
「犠牲ではありません。禁忌の根絶の手助けになるのも貴族としての務め。これは私の当然の職務です」
「貴公――、いや、今は奥方の解呪を優先しよう」
途中で言葉を切り、マキュアス伯爵はソファーに横たわるオルステッド夫人の解呪を始めた。低くしわがれた、けれど力強い老人の声で「イリシアの言祝」が唱えられていく。
難しい作業だけど、呪詛に残った魔力の痕跡を手掛かりにして呪術師個人の魔力の指紋のようなものを特定することは可能だ。もし、ミツキが捕まえた殺人犯とオルステッド伯爵の呪詛の魔力が一致するなら、裏で一連の騒動が繋がっていると証明できる。
仮にマキュアス侯爵が呪詛の犯人なら問答無用で伯爵の呪詛を解呪して証拠隠滅をはかっただろう。ミツキはマキュアス侯爵を呪詛の犯人から除外した。
解呪の様子を横目に見ながら、ミツキはふたりの家令へと意識を向けた。堅い表情を作りながらチェスターが主人の解呪を見守っているのに対して、ロウは壁際にまで逃げている。その顔に汗が流れていた。いくら温かな日差しが窓から差し込んでいるからといって、室内はそこまで暑くない。
「ロウさん。……ロウさん!」
一度の呼びかけでは反応がなく、声を上げてようやくロウの揺れる瞳孔がミツキを認めた。
「は、はい、勇者様。なんでしょう」
「あなたにも呪詛がかかっているかもしれません。こちらへ来ていただけますか」
ライナスの呪詛を解いた時、彼は屋敷の誰からも髪が染められたことを指摘されなかったと言っていた。ロウが呪詛の犯人と関係ないのなら、彼だって同じ呪詛をかけられているはずだが。
「いえ、わたくしには、特に違和感などは」
「オルステッド伯爵ご自身も判別できなかったものです。あなたが何も感じていなくても呪詛はあるかもしれません」
さあ、と立ち上がって寄ろうとすれば、彼は壁伝いにミツキから一歩下がる。
「ロウ? 何をしているんだ。早くこちらで解呪しいただきなさい」
「ですが、旦那様。わたくしなどわざわざマキュアス侯爵様のお手を煩わせるわけには」
ロウが苦し紛れの言い訳を口にしているうちに夫人の解呪が終わり、マキュアス侯爵の視線もまたロウへと向いた。
「呪詛は悪意ある人災である。それを前に身分など塵に等しい」
そう言う彼の目は鷹のように鋭かった。
「しかし、妙であるな。なぜそのような汗を?」
「こ、これは、呪詛と聞いて情けなくも怯えてしまいまして」
「恐ろしいと感じるのは正しい。しかし、それでどうして私の処置を拒む」
「拒んでいる、わけで、は……。あの、大変失礼なのですが……、マ、マキュアス侯爵様の御目が、あまりに鋭くていらっしゃるものでして……」
マキュアス侯爵が一言発するたびに、ロウの体がじりじりと逃げた。けれど、この部屋唯一の扉はミツキたちのうしろで、彼は朗らかな日光が降り注ぐ窓辺へと近づいて行くばかりだ。
「そうか。それはすまない。昔を思い出して年甲斐もなく狩りの真似事など」
――今、なんて言った?
咄嗟にマキュアス侯爵に目を向けると視線がかち合う。まるでこの先を促せ、と言わんばかりに彼の目が細められた。
「マキュアス侯爵、狩りでは探知もできるとおっしゃいましたが、魔力の特定も?」
「さて。私もずいぶんと老いましたが、方法は骨身に染みているゆえ」
険しい顔をロウから逸らさずに彼は続けた。
それは呪術師を断罪し続けた勘か。マキュアス侯爵はきっとロウに何かあると勘付いてくれている。あんなに大汗をかいている男が、あの押さえつけるような鋭い視線の中で動けるはずがない。
――なら、問題はこっちだ。
あくまでも首は動かさず、ミツキはチェスターの気配を探った。ロウが攻められているのに、彼が動く気配はない。
今でこそロウの目はマキュアス侯爵に釘付けになっているが、さっきまでチェスターに指示を求めるようにちらちらと彼に視線を送っていたのをミツキは見ている。主犯は肝の小さいロウよりよっぽどチェスターのほうが向いているだろう。
「その前に、私のほうからもうひとつお話を」
そうは思っても、結局はチェスターから言質を取らなければ意味がない。相手は侯爵家の家令で、いくらマキュアス侯爵が呪詛を目の仇にしていても身内を疑われてはいい気はしないだろう。
「殺人犯とは別に『ライナス』もすでに我々の保護下にあります」
チェスターへ向けて、逃げ道を失くす手札を切る。
「それはどういう意味ですか、勇者様。保護とは、まるでライナスが無実であるような」
オルステッド伯爵が目を丸めてミツキを見上げた。
「無実でしょうね。彼もまた呪詛をかけられていました」
「ほう。我が屋敷と村を焼けとでも?」
「いいえ。伯爵と同じ類で、彼自身の髪色を誤認するものです」
「私と? しかし、それに何の意味が」
ミツキも最初はそれに何の意味があるのかはわからなかった。――殺人犯の呪詛の内容を聞くまでは。
「殺人犯の呪詛の命令は紫髪の男の目を潰して殺すこと。紫の髪は金や茶髪に比べて珍しい。聖都と言えど、町を歩き回ってひとりかふたりすれ違う程度です」
いないことはないが、圧倒的に少数派に入る。常に人口密度の高い聖都ですらその程度だ。
「それを殺して回ろうとすれば、それなりの確率で紫髪に変えられたライナスに当たるはずです。だけど、一度の殺人では確証がないから何度も犯行を繰り返そうとした。下手をすれば聖都の紫髪の男性を皆殺しにするつもりだったのかもしれません」
「では、その殺人犯の呪詛はライナスを殺すためだけのものだと、勇者様はおっしゃるのですか」
「おそらくは」
「だが殺人を重ねればそれだけ身動きが取れなくなる。殺人犯が捕まれば、呪詛の主が割れるのも時間の問題であろう?」
マキュアス侯爵はミツキの言から的確に殺人犯の状況を推測してくる。
「杜撰にすぎる。こうまで巧妙に呪詛を隠しておきながら、捕まればやがて呪詛にも辿り着こうものを」
「そこまではまだわかりません。捕まったあとに何か対策があったのかも」
「であるなら、ライナスを殺したあと、あるいは捕縛後に殺人犯も処分するべきだが。それができる立場の者がイリシア側に潜り込んでいなければおかしい」
死人に語る口はない。
ミツキが思い至らなかったそれをマキュアス侯爵が指摘する。
ライナスの故郷は遠いエスファランだから、身元の確認も難しい。きっと身元不明の旅人として埋葬されただろう。殺人犯自身ももともと裏家業の人間だとコンラッドが言っていたので、死ねばこちらも同じだ。
「そういう人間がいるかは……」
――いや、待って。最初にコンラッドは紫髪紫目の男をどうしろと言ったっけ。
聖都で殺せ。
確かそれが、アレクシスから下りてきた、と。
……いや、その命令はマキュアス伯爵領を焼いたテロリストに対してであって、殺人犯には適応されない。
それに、あの狸が考えなしにイリシアを危機にさらすはずがない。別の何かがあるはずだ。
「では、これはただの推測にすぎませんな」
ミツキが答えを出せないままにマキュアス侯爵が打ち切った。別の何かについて確証がない以上、余計なことを言ってこの場を混乱させるわけにはいかない。
「……ええ。でも、ライナスが死に、殺人犯が死ねば呪詛は誰にも気づかれず、マキュアス侯爵家の破壊と村を焼いた犯人は永遠に捕まりません。その上、先ほどの手紙が火種になってヒースとマールベインの仲は拗れるでしょう」
狙いがそこなら、呪詛さえ見つからなければ殺害計画自体は杜撰でいい。教皇名義の呼び出しがなければ、マキュアス侯爵とオルステッド伯爵の関係は確実に悪化していたはずだ。
後になって怪しいものが出てきても、ヒースとマールベインの関係がすでに悪化していれば、イリシアを含めた三国はもうそこに構っている場合ではなくなる。
「確かに。私は思惑通りオルステッド伯爵を弾劾したわけであるか」
「私の方も、そのために何者かに紋章を使われてしまいました」
「意識改変の呪詛の使い手がいる以上、貴公が術者に言われるがまま紋章を捺した可能性は高い。……オルステッド伯爵殿、村と麦を焼かれて目先のことしか見えなくなっていたとはいえ、奥方が倒れるほど怒鳴って申し訳なかった」
「いいえ、そんな。侯爵も被害者です。どうか頭をお上げになってください」
何者かが陰で糸を引いているとわかった途端に戦争回避へと手を打つのはマキュアス侯爵が根っからの鷹派でないからだろう。
――これで、ひとまずは両国の関係破綻には繋がらない。
部屋に入った当初の冷たい空気が薄れ、もとの温度を取り戻しているように思えた。
反面、ロウは窓辺でじりじりとこちらの隙を伺うように目をきょろきょろとさせて、彼だけがまだ氷室を脱していない。
「それで、そのライナスから他にも証言がおありか?」
「はい。――……その手紙は、ヘイデン・オルステッド伯爵の家令から、マキュアス侯爵家の家令へと届けるように頼まれた、と彼は証言いたしました」
言葉にすると同時にマキュアス侯爵家家令、チェスター・トールボットへと振り向く。
「ロウさんとは古いご友人だとお伺いしましたが?」
「いいえ、勇者様。わたくしは今日初めてロウ様とお会いしました。失礼ですが、ロウ様とライナスという若者が組んで我がマキュアス侯爵家を貶めようと画策しているのではありませんか」
弁が回る。こちらはロウと違って一枚上手らしい。
「チェスター」
どう切り崩すかと悩む前に、マキュアス侯爵が先に口を開いた。
「イリシア様に誓って、真実のみを口にすると誓えるか?」
「もちろんでございます」
「ならば、どんな猜疑も払えるだろう。勇者殿、気の済むまでチェスターを調べなさい」
「では、遠慮なく」
許可は出た。これで大抵のことには目を瞑ってもらえる。
そっと扉の外へ目を向けると、わずかに開いた隙間から碧い瞳が見えた。あちらの準備も整ったらしい。
無意識のうちにミツキの口元が弧を描く。
――最後の一手だ。




