第十五節 火花、散る
両国の王たちの到着はバラバラで、正午を過ぎた頃に大聖堂を訪れたマールベイン王国オーウェン・ランドル二世が教皇と謁見。その後に到着したヒース大公国エドガー・クレインが教皇との謁見を終えたのがつい先ほどのことだ。
互いの長の言い分をあらかじめ教皇の耳に入れておいて、それを汲んでの晩餐会。翌日に三者顔を突き合わせての会談、そして、それがうまくまとまれば晩にもう一度祝賀の晩餐会を行う予定らしい。
無事に明日の晩餐会が行われれば御の字だが、そこに至るまでの水面下での攻防を思うとミツキは頭が痛かった。
――面倒くさい。
そう口に出してしまいたいのをぐっと堪える。
ベルティナ家が用意してくれたドレスだって、着る時点でとんでもなく体力を使わされた。主に胴回りを締め付けるコルセットのせいだ。息を吸えだのお腹をへこませろだの散々指示されたあげく、最後は背中を足蹴にされながら胴を引き絞られた。
それがこの国の貴族の正装なので、めいっぱい締め付けてくれやがった女中を責めることはできない。だから、すべてが終わった後にベティに泣きついて着直したのは許されるべきだ。やり場のない怒りを振り下ろさなかっただけ偉い、と自身を褒めて飲み込む。
花の刺繍があしらわれた淡い水色のロングドレスはシンプルで、スカートを膨らませるクリノリンと呼ばれる骨組みを入れなかったのでまだ動きやすい。ヒールも低くて、裾をたくし上げれば走ることもできる。
ミツキの趣味と意向を最大限汲んでくれたドレスは、イリシア共和国屈指の名門ベルティナ家の女中たちには不満だったらしいが。そもそもミツキはドレスなんてガラじゃないのだから、大人しく着せられるままにしたこと自体を褒めてほしい。
――疲れた。
着替えと化粧に一時間。普段からこんな面倒な服も着なければ、化粧もしないミツキにとってその一時間は苦行以外の何物でもなかった。
「会談がうまくまとまったとしても、明日の夜の晩餐会は遠慮願いたい」
「うまくまとまったなら、無理でしょうね」
せめて風に当たりたいと思って出た中庭の四阿でミツキがげんなりとした顔でこぼす。
この会談の発案者はミツキなのだから、成功すれば功労者として招集がかかるのは当たり前だ。
内心で舌を出しつつ、ミツキは結われた髪が崩れない程度に後ろ頭を掻いた。
「あーあ。マオを取り戻したんだから、明日の夜には出発したいんだけど」
「それはそうですけど……」
教皇を巻き込んで二国の王まで呼びつけたのだから、そう簡単には断れない。かと言って会談の決裂は、すなわち二国の戦争へと繋がる可能性がある。
困り顔のベティと一緒にため息を吐いて、ミツキは鬱陶しそうにスカートの丈をつまみ上げた。
イリシア国内でも布の生産自体は行われているが、元より大きくない国土でできる量は自給に追いついていない。絹などの高級品となればなおさら外から来る貿易商頼りの国だ。
衣料だけならまだいい。国民の食卓に並ぶ食べ物も、最低でも毎食二割は貿易に依っている。
完全自給ができていない上に、戦争が起これば二国に挟まれているイリシア共和国も無傷ではいられないだろう。
貿易頼りを良しとしてきたこの国のツケでもあるが、いかんせん、限られた国土の問題となればできる対策も少ない。その上、何もしなくても常に外から人が入ってくるのだ。観光客が落とすお金と巡礼者からの寄付金は莫大で、イリシア聖教会が信仰され続ける限りそれが途絶えることはないと誰もが思っている。
けれど、その瓦解が目の前にある。流通に難があれば確実にこの国は飢える。下手をすれば、それを理由に別の国が介入して、さらに悪化してしまうことも考え得るのだ。
今でこそ共和国として独立しているが、聖地はどの国だってほしい。人もお金も集まる上に、他国からも政治的有利に立てる。
「まあ、戦争なんて、あの連中が許さないんだろうけど」
「ええ。教皇もアレクシスも、全力で止めると思います」
明日の会談で、教皇と聖騎士団の腹黒狸がどこまで立ち回れるか。
ミツキはそのふたりの顔を思い浮かべてわずかに口の端を上げた。人としては大嫌いだが、そういう点においては信頼できる。それに――。
「開戦するにしても、まだ早いはずです」
言わんとしたことをベティが先に口にする。
「結局、私がただ傍観してるだけで、だいたいのことは終わっちゃうから」
“政治は門外漢でよろしいのです。勇者は戦うもの。そういう雑事は後方に任せてあなたは世界を救ってください。”
十年前、その言葉をミツキにくれたのは誰だったか。当時は頼もしく思えたその言葉も、暗に内政に関わってくれるなとミツキを締め出す口実だったと今ならわかる。
それは現在に至るまで有効らしく、晩餐会には招かれても、肝心の会談のほうには召集はかかっていなかった。
「私は体のいい花でしかないんだよねぇ」
「それは卑下しすぎですよ。真の意味で救うべき人はちゃんと救ってきたじゃないですか」
「……うん、そうだった。ありがと」
救うべきものは、ちゃんと拾ってきた。これからもそれを拾っていきたいと思うのは勇者業を続けていた性でなく、ミツキの元来の善性だ。
「さて、ミツキさん。晩餐会まではまだ時間はありますけど、軽く何かつまみますか?」
「やめとく。緩めてもらったけど、まだお腹がキツイ」
普段は絶対につけないコルセットをしているのだから、今夜の晩餐会だってものを口にできるのかどうかも怪しい。
「ベティは慣れてるからいいだろうけど」
「昔ならそうだったかもしれません。でも、出産前から長らくつけていませんでしたから」
そう言うベティの胴回りは細かった。出産後に見事に体型を戻したのだから、彼女の努力がうかがえる。
どうやって戻したのか、と予定もないのにミツキが訊こうとしたところで、ふたりっきりの中庭に慌ただしい足音が響いた。
「失礼いたします!」
慌てた様子のベティの侍女の後についてきたのは、花の咲き乱れる中庭ではなかなかに浮いた存在になる筋骨隆々の聖騎士だ。大急ぎで走ってきたのか、鎧は纏っていない割に息が乱れている。
「コンラッド副団長より、おふたりには早急に議事堂へお越しいただきたいとのことです!」
「緊急?」
「そのようにお伺いしております」
一瞬、ミツキとベティは顔を見合わせた。
緊急事態。コンラッドがそう言うのだから、よっぽどのことが起こっているに違いない。
「すぐに馬車を」
ベティが侍女を走らせて、自身も椅子から立ち上がる。
「着替えてる暇はないよね」
「コルセットを取る余裕もなければ、付け直す時間もないかもしれませんから」
緊急事態にかまけてコルセットを取りたい欲求は即座に却下された。
ミツキはため息を吐きつつ、ベティの背中を追って、表に回された馬車に飛び乗った。
そのまま連れて来られた先は大聖堂の広い敷地内に設けられた別館。そこがこの国の議事堂だ。左右対称に造られた荘厳な二階建ての建物の東棟で、今夜の晩餐会も開かれる。
二国の王が滞在中ということもあって常より警備が厳重になった中庭を経て、案内されたのは西棟だった。
西棟は、主に会議や議論の合間に休憩を取る場所で、一階二階ともに小部屋がいくつも作られ、中には教皇専用の休憩室もある。
政治上の事柄は大聖堂でなくこちらで行われるため、両国の王たちは議事堂本棟で謁見をしていたはずだが。わざわざ人のいない西棟に呼び出すなんていったい何があったのだろう。
赤い絨毯の敷かれた階段を駆け上がったところでコンラッドの姿を見つけると、彼はミツキたちを案内させた聖騎士を早々に返した。
「あのさ、コンラッド。この声は……」
コンラッドの後ろの扉から怒声がもれている。感情に任せて怒鳴っているせいで、内容を隠れていない。
「いったいどういう了見かお聞かせ願おうか! オルステッド伯爵!!」
中から聞こえた声は長らく吠え続けたせいか一部掠れながらもミツキの耳にしっかりと人名を告げた。
「ねぇ、オルステッド伯爵って、ライナスを雇ってたヒースの貴族だよね?」
「だよねもなにも、お前が呼びつけた張本人だ。ついでにがなってるのがマキュアス侯爵」
「うわぁー……」
ライナスが手紙を言付かったのがオルステッド伯爵家の家令で、その宛先がマキュアス侯爵家の家令だ。
渦中の本人たちふたりがこの部屋の中に揃っていて、それも手紙をもらったマキュアス侯爵が怒っている。これで最悪な状況以外を想像しろというのは無理な話だ。
「なんでこんなことになってるの?」
訊くと、コンラッドは顎で部屋の扉を指した。
「早急に止めたんだがな、俺の言うことなんか聞きゃしねぇ」
止められるような権力を持った人間は、片やすでに迎賓館、もう片方は教皇と謁見中で捕まらない。
けれど、たとえ顔は知らなくても勇者が仲裁に入れば少しくらいは頭を冷やしてくれるだろうと考えて、コンラッドはミツキを呼んだと言う。
「ええと、じゃあ、中の状況は?」
「最初は本館の端で声を抑えながらもやり合ってたんだがな、今じゃマキュアス侯爵が一方的に責め立ててる」
人通りのある本館ではどんな誤解や噂が出回るかわからないので、見つけてすぐにこっちに誘導したらしい。
確かにマキュアス侯爵の声は苛烈で、コンラッドが説明した傍から、ロロ麦が全滅だ、と怒りの声が上がった。
全滅だの物騒な単語を議事堂なんて場所で言ったが最後、どんな誤解が生まれるか。またそれが巡り巡ってどこに繋がるかなんて、考えたくもない。
「一応、仲裁には入るけどさぁ」
聞こえた端々から事情はまだ飲み込めないけれど、渦中の両人がいるのなら何かしらあるかもしれない。
「でも、そうだね、折角だからこんなのどうかな」
政治なんて七面倒臭いことは大嫌いだけど、それでも勇者として通り一遍は見せられた。見ただけで上手く渡れるわけじゃないから、無駄に終わるかもしれないけれど。
それでも思いついたことをコンラッドとベティに告げると、ふたりは久しぶりに悪戯の計画を立てた子どものように口元に弧を描いた。あくまでも空振りに終わるかもしれないと言いながら、ミツキもにやにやと笑っている。
「じゃあ、解散」
その言葉を合図に、ベティとコンラッドが別々の方向へ駆け出す。
ミツキは件の扉の前に立って、静かに戸を叩いた。一瞬、不意に響いた音に中の怒号が止まる。
「失礼いたします」
さて、どんな魔境になっているんだろうと覗いた部屋の中は、窓からやわらかな日差しが降り注いでいるにも拘わらず、緊張でひどく冷え切っていた。
骨董もののソファーがあるにも拘わらず中の人間は総立ちで、ミツキから向かって左に顔を真っ赤にした老人が、右には若い夫婦が立っていた。それぞれ後ろに従者を控えさせているが、どちらも青い顔をしている。
「勇者様……」
ぼそりと言ったのは、若い夫婦の奥さんのほうだ。旅の途中のどこかでミツキの顔を見ていたのだろう。
一方的な怒鳴り声に萎縮して震えていたらしく、彼女は夫の陰に隠れるように半分だけ顔を出していた。
「どうも、突然お邪魔してすみません。声が聞こえたものですから」
嘘は苦手だけど、方便とも言うわけだから。この場合は説明を省くのに使うだけで、大した意味はない。
「私はミツキと申します。奥さまの言う通り、かつて勇者として戦っていたものです」
自己紹介しつつ両者の出で立ちを見る。どちらも貴族らしい細やかな装飾を施された衣装に身を包んでいた。従者ふたりはシンプルな黒の燕尾服に白手袋。戦闘職でなく、事務方らしい。無駄に筋肉がないのがその証拠だ。
明らかに困り顔の夫婦と、血が沸騰したような老人ではどちらを諭すべきかは一目瞭然だが。
「私のようなものでよければ、事情をお聞かせ願えませんか」
とりあえず下手に出て様子を伺う。あんなにも加熱していた老人は、勇者という肩書に怯んだのか怒りを隠さないまでも口を噤んでいる。
あなた、とか細い声で夫を促したのは震える奥さんだ。
「失礼を、勇者様。わたしはヘイデン・オルステッドと申します。こちらは妻のカロライン。わたしたちはヒース大公国の東に領土を賜る地方領主でございます」
夫妻の丁寧な礼にミツキも倣って返す。
その流れで老人を見やれば、彼は渋々といった体で引き結んでいた口を開いた。
「アドラム・マキュアスだ」
名前や服装から爵位もわかって然るべきというムスッとした態度にミツキは苦い笑みを浮かべた。
「そちらのおふたりは?」
「え……、わたくしでございますか?」
「そう。そちらの方も」
「は、はあ」
従者を指して訊けば、ふたりは戸惑いながらも名前と立場を告げた。
「オルステッド家の家令のロウ・エーメリーでございます」
「チェスター・トールボットと申します。わたくしはマキュアス侯爵の家令でございます」
ライナスの話に出た家令たちだろうか。
しかし、家令といえば屋敷の事務方筆頭である。それが家を空けてなぜこんなところまでついてきたのだろう。
「なぜ、家令をお連れに?」
「関係なかろう」
訊いたところでマキュアス侯爵が一蹴した。取りつく島もなさそうなので、ミツキは諦めてオルステッド伯爵夫妻に目を向ける。
「その……、教皇様直々のありがたいお呼び出しなのですが、いかんせん急でしたから、領地の仕事が立て込んでおりまして。わたしはまだ若輩者で、家令の助けなくては仕事も覚束ないのです」
「ハッ、若造が」
マキュアス侯爵がオルステッド伯爵を詰るが、大方そちらも例の焼かれた村の残務処理に追われて家令を連れてきたというところだろう。
「わかりました。……それで、マキュアス侯爵は何をお怒りなのですか」
「それは、だな……、いや、他国の貴女には関係なかろうよ」
「ロロ麦がどうかと叫ばれてましたが。たしか、我が国へのロロ麦の輸出は近場であるマキュアス侯爵領からが最大だったと記憶しております」
ロロ麦はミツキの世界でいう小麦の一種で、挽き潰してパンにするのが主な食べ方だ。米のないイリシア共和国ではこれが主食になる。
「もしロロ麦の量が減りそうなら、早急に担当者に報告して輸入先を変えねばなりません」
「いや、勇者殿。そのような心配は無用。そちらへ輸出する分は常に十二分に揃えてある。そうであろう?」
「はい、おっしゃるとおりでございます」
マキュアス侯爵が軽く顎で家令を促すと、彼は紋切型の返事を寄こす。
――そう言うなら最初から怒鳴らなきゃいいのに。
「では問題ないのですか?」
挑発まがいに言えば、マキュアス侯爵の頬がわずかに動いた。
「隣国の大事ならばイリシアの大事というもの。どうか事情を話してください。我が国が力になれるかもしれません」
さあ、釣れるか。
じっと正面からミツキがマキュアス侯爵を見つめると、しばらく考えるようにしてオルステッド伯爵夫妻に視線を送った後に、彼は観念したように口を開いた。
「ご存知であろうが、先日、我が領土の村が賊によって焼かれる由々しき事態に見舞われましてな」
「聞き及んでおります。大変な火事になったとか。それに、確かマキュアス侯爵の邸宅も賊の襲撃を受けたとも」
「ほう。勇者殿は耳が早いようで」
「マキュアス侯爵の領土とイリシアは国境を接しますから」
腹を探られるようなこの空気は大嫌いだ。早々に彼との会話を切り上げて、家令の方へと矛先を変えたいのをぐっと我慢する。
「ですが、それがオルステッド伯爵と何の関係が?」
さっさと核心に触れると、マキュアス侯爵は軽く左手を上げた。それを合図に家令が懐へと手を入れる。
出てきたのは、封蝋がついたままの手紙だ。
「この封の紋章は、貴公の馬車のものと同じだな?」
そう言ってマキュアス侯爵はオルステッド伯爵に糾弾するような鋭い視線を投げながら、封蝋が見えるようにミツキたちの前に差し出した。
赤い封蝋には五角形の中に複雑な文様が描かれ、その両端に鹿の角が伸びていた。
「なぜ、これをあなたが」
封蝋の紋章は本物だったらしい。
貴族以上の人間が契約書や重要な手紙を送る際に使う封蝋には、その家々が持つ独特の紋章を捺すのが一般的で。その上、それを使えるのは家長に限られた。
普通は家長しか開けられない金庫や魔法で隠しているもので、家長の血を混ぜることで使える特殊な蝋が代々受け継がれている。
顔に驚愕を浮かべるオルステッド伯爵が恐る恐る手紙に伸ばした指先が触れる寸前、マキュアス伯爵が手を引っ込めた。
「重要な証拠ゆえ、そちらに渡すことはできかねる」
――ああああああああ!! 嫌なヤツ!
マキュアス侯爵が浮かべた貴族らしい笑みに胃の底がむかむかする。
「中身には、何が入っていたんですか」
オルステッド家からマキュアス家へと届けられた手紙なら、もしかしたらライナスが運んだものかもしれない。そうなるとその手紙に呪詛が仕込まれていた可能性もあるが。
前髪の下に浮き出た青筋がばれないように精一杯繕いながらミツキが促すと、マキュアス侯爵はふんと鼻を鳴らした。
「実に益のないものでしたな。ヒースの東の端と我がマキュアス領との交易交渉の手紙など、運輸に金がかかりすぎて話しにならん」
マキュアス侯爵はこの調子なのだから、呪詛が入っていたとすればすぐにでも口に載せるだろう。つまり手紙自体は無害だ。
「そんなものを送った覚えはありません!」
「そうであるなら、貴公はこの紋章をどう説明するおつもりか」
「そ、それは……」
悲痛な叫びをあげるオルステッド伯爵。夫がその状態なばかりか、夫人まで蒼白な顔で呆然と彼らのやり取りを見ていた。
その夫人を見るふりをして、さらに後ろの家令ロウを盗み見ると、こちらも相変わらず青い顔でおどおどしている。
――演技か、それともこの糾弾が計画外だからか。
ライナスの話によればこのふたりが臭いが、一瞬では判じきれない。次いでマキュアス家のチェスターを見たが、彼は血色を取り戻している。
ふたりとも、互いに目も合わそうとしなかった。
「それで、紋章がオルステッド伯爵家のものだとして、それが何の証拠になるのですか」
貴族間の文通、特に個人間の貿易交渉が珍しいわけじゃない。面識がない相手にも、とりあえず手紙だけでも送って反応を見るというだけのこともある。
「この手紙を我が屋敷に送り届けた男こそ、我が屋敷と我が領土を焼いた張本人である」
「馬鹿な! さっきから聞いていれば好い加減なことばかりではないか!」
それまで我慢していたのが限界に達したのだろう、黙っていたオルステッド伯爵が急に声を荒げた。
「使者は確かに貴公の名前を告げ、現に貴公の紋章がこうしてここにある。それ以上の証拠があろうか」
「その使者とやらが誰かは知らないが、犯人も捕まっていないのに、わたしに冤罪を擦り付けるなどいくらマールベインの侯爵であっても許されることではない!」
「オルステッド伯爵、落ち着いてください」
ミツキはふたりの間に割り入って、今にもマキュアス侯爵に掴みかかりそうな気迫の伯爵の前に立ちふさがった。ミツキよりオルステッド伯爵のほうが背は高いが、止めようと思えばどうとでもなる。
「あ……、あなた」
蚊の鳴くような弱い声で夫を呼びながら、夫人の体が揺らいだ。
あ、と思ううちに彼女が床に崩れ落ちる。
「カロライン!」
完全に倒れ込む前に夫人を抱き留めたのはオルステッド伯爵本人である。
「カロライン、ごめんよ。さあ、きみはここへ」
夫が甲斐甲斐しく妻に声をかける傍ら、その後ろに視線をやればふたりに仕えているはずのロウは微動だにしない。目の前で起こったことも目に入らないのか、青い顔をしているのは変わらないが、彼はただ一点を見ていた。
視線の先はチェスターだ。チェスターは心配そうにオルステッド夫人を見ながらも敵対しているために動けないらしい体だ。
「ところで、マキュアス侯爵」
「なんだね、勇者殿」
「その手紙を持ってきたものの特徴はわかりますか?」
「おや、勇者殿のことだろうから、もう聞き及んでいると思っていたが」
「人から聞いたのみですから。もしマキュアス侯爵がその使者に会っているなら、お聞かせ願えますか」
「いいでしょう。まず、彼はオルステッド伯爵家の者だと名乗りました」
オルステッド夫人の額に薄らと浮かぶ汗をハンカチで拭いながら、伯爵が振り向く。
「こんな罪をわたしに擦り付ける愚か者が、うちのものであるはずがない」
「では、紫の髪に紫の目の少年をご存じではありませんな?」
「紫の髪と、目」
「名は、確かライナスと言ったか」
――当たりだ。
マキュアス侯爵の証言とライナスの証言が一致する。あの手紙はライナスが届けたもので間違いない。
ライナスはオルステッド伯爵のことを良い領主だと言った。だから、きっと伯爵もライナスのことを覚えていたんだろう。彼が固く引き結んだ唇がそれを如実に物語っている。
「なるほど。それは興味深いですね」
ここまで聞ければ、あとはミツキの番だ。
「ところで、マキュアス侯爵」
マキュアス侯爵の顔を見上げながら言うと、彼の片眉がわずかに上がった。オルステッド伯爵をやり込めた気になっているらしい。
その余裕のある顔を歪めるべく、ミツキは口を開いた。
「私のほうにも面白い話があるのですが、ぜひ聞いていただけませんか」




